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リアクション
■1月1日
1月1日の朝早く。
テーブルに朝食の支度をしていた博季・アシュリング(ひろき・あしゅりんぐ)は、箸を置いた直後、ふわあぁと口をついて出たあくびをあわてて噛みつぶした。
(見られなかったかな?)
視線を向けた先で、リンネ・アシュリング(りんね・あしゅりんぐ)が同じようにあくびを手で隠しているのを見る。
一瞬「あっ、見られちゃった」という顔をして、それからリンネはふふっと笑った。
「一緒だね」
「……うん。一緒」
申し合わせたように笑う。
「やっぱり眠いですか? そんなに眠いなら、おでかけするのは昼ごろにしますか?」
「ううん、大丈夫。きっと朝ごはん食べてるうちに完全に覚めると思うから。
あっ、でも、博季くんがつらいならそれでもいいよ?」
「僕は大丈夫」
「そう? じゃあがんばって、早く目を覚ますね」
イスを引き出して、リンネは食卓につく。
「ふふ。きっとこれを口にしたら、一発で目なんか覚めますよ」
博季はテーブルに並べたおせち料理のなかから金色の練り物を箸でひとすくいしてリンネの前に出した。
「ほら、この栗きんとん。リンネさんが一生懸命作ってたやつだよ。はい、あーん……」
あーん、と言われるまま口を開けて、栗きんとんをぱくり。
そのえもいわれぬ甘味が口のなかに広がるにつれて、リンネの表情が緩んで目の光がうっとりとまろやかになる。
「おいしー」
「どう? 目、覚めました?」
「うんっ」
「よかった。
じゃあささっとごはん食べて、着替えちゃいましょう」
博季は前かがみになっていた体を起こして、自分の茶碗を持ち上げる。
「あ、それからこれは、さっき焼いたばかりの僕の自信作の出汁巻き卵。よかったらあとで感想聞かせてくださいね」
「じゃあそろそろ出発しますか」
「うん」
2人はやわらかなカシミアのマフラーを巻き、コートをはおって玄関を出た。
外はまだうす暗かった。ただ、それでも日の出が間近なのか、東の空がうっすらと白みだしているような気がする。
(さむっ)
ピュッと凍りつきそうな冷たい風がほおをかすめるように吹いて、博季は思わず首をすくめた。
まるで刃が走ったかのようだった。雪が降っていないのがおかしく感じられるほど、夜気は冷たく、触れた箇所がじんじんと痛い。
手袋をしていてもかじかむ手を、コートのポケットに入れた。
「リンネさん、寒くないですか?」
振り向くと、鍵かけを終えたリンネがたたっと小走りに駆け寄ってきて、抱きつくように腕を組んだ。そのまますぽっと博季のコートのポケットに手を突っ込む。そして指を交互にして握って
「あったかい」
と無邪気に笑った。
(かわいい)
結婚してもう大分経つけれど、いまだにこういうリンネの姿や笑顔を見ると、やっぱり胸がドキドキしてぼうっとなってしまう。
今だって眠いのは、昨夜12時を回ると同時に新年のあいさつをすませたあと、一緒に入ったベッドのなかで今日の初詣の計画を立てているとき、目をキラキラさせて「すっごく楽しみ!」と話すリンネがあまりにかわいくてかわいくて、ずっとこのまま見ていたくて、「明日のためにもう寝ましょう」と言い出せなかったからだ。
(僕、どれだけリンネさんのことが好きなんだよ)
我ながら驚くくらい、リンネに夢中だ。
しみじみ思いながら歩いていたとき、リンネが小さなくしゃみをした。
「――くしゅっ」
「リンネさん、風邪ですか?」
「どうかな。違うと思うけど」
答えるリンネのほおは赤かった。この外気の寒さのせいか、風邪をひきかけているのかは分からない。
博季は自分のマフラーをすばやく解いて、リンネの首に巻いた。
リンネ自身のマフラーもあって、2重になったマフラーはすっぽり顔の下半分をおおってしまう。リンネはちょうどいい具合に収まるように少しひっぱって調節すると、マフラーのなかでにこっと笑った。
「博季くんのにおいがするね。まるで博季くんに抱っこされてるみたい」
そしてまた、ポケットのなかで指をからめる。
つながった手のぬくもりは、あっという間にまざりあって、同じぬくもりになった。まるで最初からつながっている1つのように。
神社に着くころには夜は完全に明けていた。
冬の青灰色の夜明けの空の下、2人は本殿へ向かい、同じように初詣に来ている人の間からお賽銭を投げ込むと粛々と手を合わせる。
(今年も1年、すてきな年になりますように)
博季は目を閉じて祈りながらも、そうなると確信していた。
(だって、こんなすてきなお嫁さんがいつも一緒にいてくれるんだから)
じっととなりでやはり同じように目をつぶって両手を合わせてお祈りしているリンネを見下ろす。
「……何? 博季くん」
見つめられていることに気付いたリンネが、ぱちっと目をあけて小首を傾げて見上げた。
博季は「ううん」と首を振る。
「すてきな1年にしていきましょうね」
「うん。2人でね」
リンネはうなずいた。
2人は手をつないで本殿をあとにすると、脇の方に控えめに建てられてある授与所へ向かった。
おみくじを引き、絵馬を買う。大吉を引いたリンネは博季から「お財布に入れて持ち歩くとご利益があるそうですよ」とアドバイスをもらったので、そのとおりにした。
その横で、博季は一緒に渡された筆ペンで絵馬に願い事を書く。
「博季くん、それ何?」
「これは絵馬といって、願い事を記して奉納するための物です」
内容はもう決めてきているので、筆は迷うことなくさらさらと最後まで動いた。
『今年も1年リンネさんを守り通します』
博季が何を書いたのか、興味があって手元を覗き込んだリンネは、次の瞬間真っ赤になってあたふたとうつむく。
一方で、何を恥じるところもない博季は筆ペンを授与所の巫女に返すと、絵馬掛けの元へ行って空いている隙間に絵馬を吊るした。
「ね、願いっていうより、決意表明みたいだねっ」
「ええ。固い願いっていうのは言いきるかたちで書いた方がいいって聞いたんです」
これは夫である僕の義務であり、心からの喜びですからね。
「そしてこの願い事が無事叶ったら、来年また謝礼として奉納します」
「ふぅーん。いろんな方法があるんだね」
「ふふ。まだこれだけではありませんよ」
帰り道。石段を下りながらの博季の言葉に「え?」とリンネが振り返る。
「これはあくまで神社だけです。お寺だって、教会だって、新年の祝事はありますからね。
リンネさんは興味ありませんか? 例えば、獣人の村はどんなお祭りをしているのかとか」
「知りたい。博季くん、知ってるの?」
子どものように目を輝かせるリンネに「じゃあ行きましょう」と博季は前もって目立たない位置で待機させていたワイルドペガサス・グランツのファウの元へ連れて行く。
「行きましょう、って?」
「もちろんこれから直接行って、見て回るんです。パラミタ中で行われているお正月祭りをね」
「……って、ええええっ!?」
リンネは博季のサプライズのような提案に驚きを隠せなかったが、ひとたびファウに乗って舞い上がるとこらえきれないというようにくすくす笑い出した。
「もう! 博季くんには本当にびっくりさせられるよ!」
「驚きましたか?」
「うん。こんなこと思いつくの、博季くんぐらいだよ。
もう博季くんといると、すっごくワクワクして、楽しい!」
そして身をひねり、博季のあたたかな胸にぴったりとしがみついた。
「僕の方こそ」
リンネの髪にそっと口づけ、つぶやく。
「ね。リンネさんのおかげで、僕はいつもこんなに楽しい。
ありがとう。リンネさん。
愛してます」
そのつぶやきはとても小さくて。風にあっという間に流れて、リンネの耳にも届かなかった。
博季とリンネの乗ったペガサスは東へ向かって一路飛ぶ。
まるで新しく生まれ変わった輝きに満ちた太陽へ向かうように。
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