葦原明倫館へ

空京大学

校長室

天御柱学院へ

そんな、一日。~三月、某日。~

リアクション公開中!

そんな、一日。~三月、某日。~

リアクション



10


 今日、ついにウルス・アヴァローン(うるす・あばろーん)リィナ・レイス(りぃな・れいす)が結婚する。
 晴れの舞台は身内だけで執り行われ、参列者はごく少数だった。そのうちのひとりであるテスラ・マグメル(てすら・まぐめる)は、同じく参列者であるリンスとクロエの姿を眺める。
「似合ってますね」
 テスラの一言に、ブライズメイド姿のクロエは嬉しそうに笑い、タキシード姿のリンスは表情を変えずに軽く肩をすくめた。
「なんですか、今の仕草」
 照れ隠しみたいで可愛かったとくすくす笑うと、ぷい、とそっぽを向かれた。いよいよ恥ずかしがっているようだ。
「やっぱりこういう格好、慣れない」
 そういえば昔、846プロの結婚式PVを撮影する際にも着ていたっけ。あの時は、わりと平然としていたように思えるけれど。
「PVと本番じゃ、結構違うものなんですね」
「なんの話?」
 ドレスの着付けが終わったリィナが、きょとんとした顔でテスラに問う。そうか、リィナはPV撮影のことは知らないのか。
 自分の胸に秘めておくだけでは勿体無かったので、「あのですね」と話そうとしたが、「いいから」とリンスに遮られた。
「あら。新婦さんの緊張をほぐすのは、親しい人のお話が一番なんですよ?」
「姉さん緊張してないでしょ」
「リンスは私のことなんだと思っているのかな? すっごく緊張してるよ?」
 と言いつつリィナはにこにこ笑っていたので、今の発言の真偽は不明だが。
「そう言われたら、仕方がないですよね」
「仕方ないねえ」
「……好きにすれば」
 結局、話すことになったのだった。


 テスラがリィナの緊張を昔話で解している間、マナ・マクリルナーン(まな・まくりるなーん)はウルスの化粧をしていた。
「男でも化粧するのかよ」
「するに決まっているでしょう。晴れ舞台ですよ」
「うへー」
 辟易とした声を上げながらも、ウルスは満更でもなさそうだった。晴れ舞台に立てることが嬉しいのだろう。だって、今日は、念願の式なのだから。
「ウルス」
「ん?」
「精々、本番を失敗しないように」
「マナお前……この土壇場で言うかよ」
「言いますよ。土壇場だからこそ、ね」
 もっとも、ウルスのことだ。たとえ失敗したとしても、それもまたご愛嬌、で済ませられるだろう。そういう魅力が彼にはあるし、リィナもそれを笑って受け入れるに違いない。彼と彼女は、そういう間柄だ。
 ウルスの化粧を終えたマナは、次にリィナに目を向ける。昔話でころころと笑っているところだった。話にオチがついたところらしい。
「リィナ、お化粧しますよ」
「あ。はあい、お願いします」
 呼びかけると、リィナはテスラとリンスに軽く手を振ってマナの許へやってきた。ちょこんと座った彼女に、とびきりのメイクを施す。
「なんだか奇妙な感じですね」
 化粧の最中、ふと感じたことがそのまま言葉になってしまった。リィナは疑問符を浮かべ、マナを見つめている。
「私は、未だ見ぬ先で貴女を待つ身。それが不思議に思えたのです。
 未来で既に言ったかもしれませんが、幸せになるんですよ」
 マナの言葉に、リィナの目が潤んだ。こういう場で、感情が昂ぶりやすくなっているのだろう。慌ててマナは上を向かせ、ハンカチをリィナの目元に当てた。
「泣くのはもう少し後です。今お化粧が取れたら、悲惨ですよ」
「うー……はい」
 素直に頷く彼女に苦笑し、役目を終えたマナは控え室を出る。早く戻らなければならない。何せマナには、目を離せない連れがいる。
 目を離せない連れことディリアーは、あの空間で退屈そうに鏡を覗いていた。大きな大きな姿見だ。姿見には、ディリアーの姿ではなく結婚式の風景が映っている。
 こうしてここから見るくらいなら、ちゃんと直接見てあげればいいのに、とマナは思う。が、彼女は明るいところに出たがらなかった。仮にも『魔女』だから、というのが彼女の弁だ。それを尊重して、マナはここに戻ってきた。
「ただいま戻りました。様子をご覧になられていたのですね」
「暇潰しにねェ」
「お暇でしたか」
「えェ。アナタがいてもいなくても、アタシはいつも退屈だから」
「私は、魔女様がいれば退屈しませんが」
「聞いてないけどォ?」
「ええ。ですのでつまり、私が一方的に焦がれていたと、それだけです。
 式の様子を一緒に見てもよろしいでしょうか?」
「勝手にどォぞ。……全く、口が上手いんだから」
 呆れたように呟く魔女へと四十五度のお辞儀をし、マナは彼女の隣に立ち式を見守った。


 式が始まるまでの間、話をしませんか、とテスラはリンスに持ちかけた。
「また人の過去の話をして辱めるのでないなら」
 と先ほどのことを根に持つように返してきたので、笑って頷く。
「では過去ではなく最近の話をしましょう。そうですね……この間の、泣きそうな顔の時のこととか」
「……テスラっていつからそんな意地悪になったの」
「いえいえ、これが素ですよ」
「…………」
「別に、からかおうってわけではありませんから。聞いてくれませんか?」
 目を見て優しく言うと、言葉が本心だということが伝わったらしい。リンスはこくりと頷いて、テスラの話に耳を傾けた。
「あの時リンス君が泣いたのは、自分が望むものが見えてしまったからだと思うんですよ」
 今までのリンスは、ずっと何かを諦めていた。
 できない。手に入らない。ならいらない。
 全てを受け入れているようでその実、距離を取っていたのではないか。受け入れて、知ることで、不用意に近くまで行かないように。触れてしまわないように。
 だけど今は、触れてしまった。
 望むものに、触れてしまった。
 触れたら欲しくなってしまった。
 だけどそれは、リンスの力では手に入らない。
 なぜなら欲するものは他人のことだから。
 他人のことに、自分ひとりが精一杯頑張ったところでどうしようもないのだ。
「ひとりの精一杯でどうしようもないのなら、ふたりで精二杯してみませんか」
「精二杯?」
「そうです。ふたり分の器なら、二杯分を満たせるでしょ? ……とりとめのない話だ、って思ってます? いいんですよ。私は、こんなとりとめのない話でも、分かち合いたいんです」
 知っていますか? 前置きとして呟くと、リンスはじっとテスラの目を見た。見返して、言葉を続ける。
「分かち合えば、喜びは倍に、哀しみは半分にできるんですよ」


 テスラとリンスが『とりとめのない話』をしている最中、ウルスとリィナも話をしていた。それはもっぱら、『婚前旅行』のことについてだ。
「とんでもなかったねえ」
 のんびりとリィナは笑うが、心からの一言だった。
 あっちへ行ってこっちへ行って、現地で情報収集して、やっと見つけたと思えば既に姿を眩ませていたり、探し回っては逃げ隠れ。
 延々と続くかくれんぼ兼鬼ごっこは、本当に大変だった。あれ以上に大変なことを、リィナは知らない。もっともあれと並ぶ大変なことは、今まで経験してきたけれど。
「結婚前から苦労かけちゃったな」
「覚悟してたから平気だよ」
 さらりと言うと、ウルスはははっと声を上げて笑った。
「そりゃ頼もしいや」
「じゃないとあなたの奥さんになろうなんて思えません」
「違いない」
 どちらともなく、くすくすと笑い合う。人ひとり分程度空いていた距離はいつの間にか詰められていて、唇に触れるだけのキスをした。
「綺麗だよ、リィナ」
「昨日も聞いた」
「明日だって言うさ」
「やだなあ」
「嫌なのかよ?」
「幸せすぎて、ね?」
「これからもっと幸せになるよ。するよ。約束だ」
「……式の前にこんな約束しちゃって。変なの」
「誰が言い出したんだっけ?」
「私です」
 なんとも実のない話にまた、ふたりして笑い合う。なんでもないことが楽しくて、こんな日々が続くと思うと幸せで。
 それだけに、さっき見たリンスの表情が引っかかった。リンスだけじゃない、クロエもだ。ふたりして、なんだか少し寂しそうだった。
 私が離れていく、と思っているのだろうか。もしそう思っているなら、リィナにとっても寂しいことだ。だって、離れていくのではない。ウルスが家族に加わるのだ。捉え方ひとつで、考えは大きく変わる。
 もし、式の後でも寂しそうにしていたら、教えてあげなくちゃ。


 結婚式は、滞りなく進んだ。
 新郎新婦入場。誓いの言葉。指輪の交換。
 キスは、リィナが人前でするのは恥ずかしいと言ったのでおでこにするだけに留めた。
 退場した後、披露宴会場へと移った。思い出のある、あの丘だ。この日のために、ウルスは手を回しておいた。
 椅子もテーブルも銀の食器も全てお手製だ。アトリエ仲間が協力して間に合わせてくれた。
 各テーブルを彩る人形は、リィナが作った。
 披露宴の料理は、ウルスが素材行商で放浪した先々で知り合った友人が材料を送り、また別の友人が調理して提供してくれた。
 ケーキは、フィルに掛け合って特別に作ってもらった。
 披露宴を始めよう、となった時、自分たちが座るテーブルにだけ花が飾られていることにウルスは気付いた。
 十八本の花だ。うち十七本にはよく覚えがあった。自分と、それから兄弟たちだ。
 そこに加えられた最後の一本が何を示しているか、わからないほど馬鹿ではない。リィナも気付いたようだった。口元を両手で押さえ、花を見つめている。
「まったく、クサい奴らだよなぁ?」
「……いいんだね。私が、家族になっても」
「そういうことじゃん? これってさ」
「……良かったよぅ。私、祝福されてないかも、って。本当はずっと思ってて。逃げられちゃってたし、式にも姿なかったし」
「んーとに、素直じゃない奴ら」
 どうせ今も、どこかで見ているのだろう。こちらからは見えない遠くから眺めて、酒でも飲んでいるのだ。
「ほんっと、素直じゃねぇの」
 やれやれと呟いたウルスも、どうやら同じであるようだった。悪態をつきながらも、勝手に口元が笑みを作る。
 ありがとう、は心の中に秘めて、披露宴を始めた。
 まず行ったのは、結末の書かれていない物語を作り上げること。
「夫婦最初の共同作業がケーキカットじゃなくて画竜点睛だなんて、なかなか変化球だよね」
「俺らならでは」
「だね」
 リィナと一緒に彫刻刀を持って、最後のひと削りを済ませた。満足のいく出来に、よし、と微笑む。
「ウルスくん」
 声をかけられ、振り向いた。リィナは、幸せそうな顔をしていた。好きな人がこんなに幸せそうにしてくれている。そのことに、これ以上ないほどの喜びを覚えた。
「改めて、よろしくね」
「……あー。見惚れてたら、先越された」
「何言ってるの」
「惚気かな」
「私に言うことかなぁ、それ。まあいいけど。
 それでね、改めて、今度こそよろしくね」
「ああ。今度こそ、な」
「共に白髪の生えるまで」
「ずっと一緒だ」
 終わりまで、最後の瞬間まで、共にいよう。