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そんな、一日。~三月、某日。~

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そんな、一日。~三月、某日。~

リアクション



5


 三月も後半になり、随分と暖かくなってきた。テレビでは、場所によっては桜が見頃を迎えていると報じられている。
 ヴァイシャリーももうそろそろだろう、と秋月 葵(あきづき・あおい)は窓の外を見ながら思った。少し遠くに立つ桜の木は、薄紅色に彩られてきている。
 もう数日もすれば、お花見にうってつけの日になるだろう。みんなでわいわい楽しむのもいいけれど、静かに桜を堪能するのも乙なものかもしれない。
 お弁当を作ってパートナーたちとお花見に行こう、と考えてキッチンへ向かうと、張り紙が葵を足止めした。
「『使用中! ますたーは立ち入り禁止』って……」
 フォン・ユンツト著 『無名祭祀書』(ゆんつとちょ・むめいさいししょ)の、丸みを帯びた字を読み上げる。閉ざされたキッチンのドアに耳を近付けると、中から「お花見お花見ーみんなでお花見ー」という楽しげな声が聞こえてきた。
 この後どうなるのか、想像するまでもない。葵は小さく笑って、キッチンを離れた。


 魔装書 アル・アジフ(まそうしょ・あるあじふ)が無名祭祀書によって起こされたのは、まだ日が昇りきっていないような早朝のことだった。
 ばっと布団を剥ぎ取り、アルの耳の傍に唇を寄せた無名祭祀書は言った。
「アル、アル。花見日和ですよ!」
 アルのテンションと反比例した、浮かれきった声だった。うー、と呻いて寝返りを打つ。
「まだ寝ていたいですぅ……」
「だーめーですっ。アルには重大な役目があるのですよ」
「なんですかぁ、それ……」
「場所取りです!」
「……えー……」
「さあ、この場所に行くのです。そしていい場所を確保するのですよ〜」
 押し付けられるようにして渡されたのは地図だった。河川敷の一角に赤ペンでマルがつけられている。ここから歩いて二十分ほどの距離だった。
「……むぅ〜」
 枕に顔を突っ伏して、どうしようかとアルは悩む。従う義理はないのだから、このまま幸せな二度寝タイムに突入してもよかったが。
「まったくもぅ……勝手なんですから〜……」
 ああも楽しげに言われたら、興味がなくても少しは花見をしたくなってしまうではないか。
 眠そうに瞼を半分閉じたまま、アルは支度して河川敷へ向かったのだった。
 そして今、日が昇ってだいぶ経つ頃。
 使い魔の猫をじゃらしながら、アルはうとうととしていた。
「シスターちゃんが来るまでまだ時間いっぱいあるし……暇ですぅ……」
 いい具合に日が照ってきたため、よりいっそう眠気を誘う。
「場所は取れてますし……寝ていてもいいですよねぇ……」
 既にまどろみの中に落ちながら、アルは呟く。
 持ってきた毛布に使い魔ともども包まって、そのままそっと目を閉じた。


 毛布に包まっているアルの頭を撫でる。触れられている感覚にアルの眉がぴくりと動き、間もなく目が開いた。
「あれ……マスター?」
「お待たせ、場所取りありがと〜」
 葵が笑いかけると、アルはふるふると頭を振って起き上がった。
「どういたしましてですぅ。寝てたら、あっという間でしたし……」
「眠っちゃえばね。そうだよね〜」
 葵がアルと話していると、無名祭祀書が持ってきたお弁当箱をピクニックシートの上に広げた。
「じゃっじゃーん。アル、ますたー、お弁当ですよ〜! 自信作ですっ」
 中身は、定番のおにぎりだった。綺麗な三角形に握れている。
「すごーい、上手だね!」
「えへへ〜。見た目だけじゃないですよ、味もばっちりですから! なんていったって、ますたーの好きなもの尽くしですからねっ」
「へぇ、そうなの? 楽しみだなー、いただきますっ」
 おにぎりのひとつを手に取った。中身はなんだろう。おかかかな。鮭かな。ツナマヨかな。
 予想しながら一口目を食べ、そして、固まった。
「……ん? ……」
 なんだろう。違和感がある。なんていうか、すごく、甘い。
 首を傾げそうになっている脇で、アルがぱくぱくとおにぎりを食べる。あっという間にふたつ目を完食していた。
「アル、いい食べっぷりですね〜。味、どうですか?」
「んーと、イチゴよりチョコの方がアル的には好きかな? ですぅ」
 アルの発言に、ああやっぱりおかしかった、と葵は苦笑する。
「イチゴ、かぁ……」
 確かに好きだ。イチゴもチョコも、大好きだ。だけど、なんでそれをおにぎりの具にしたんだろう。なかなかに才能溢れる料理センスだ。
 とはいえせっかく作ってくれた料理だ。食べないわけにはいかないし、別々に食べれば問題はない。ばれないようにと気をつけながら、葵はイチゴだけ先に食べた。甘酸っぱくて、美味しい。
「ますたーは? ますたーはどうですか? 美味しい?」
「うん、美味しいよ〜」
 にこにこと笑いながら頷いて、ご飯の部分を食べた。
「良かったですよ〜。ほっと一息です〜。……はぁ、ほっとしたらなんだか眠くなってきちゃいました」
 きっと、早朝からお弁当作りに勤しんでいたからだろう。途端にうとうととし始めた無名祭祀書の頭を、葵は優しく撫でた。無名祭祀書は気持ち良さそうに微笑み、ころりとシートの上に寝転がる。つられるようにして、アルも隣に寝転んだ。あっという間に寝息を立てる。
「あはは。早いなぁ、ふたりとも」
 ふたりの柔らかな髪を梳く。日に透けて、きらきらと輝いていた。
 なんとなく、一緒に寝たら気持ちいいだろうな、と思って葵も隣に寝転んだ。お日様と、隣の人の体温が暖かい。なるほどこれはすぐに眠れると納得し、葵は瞼を閉じる。
 春の匂いのする中で、三人は眠りについた。