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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●卒業

 この日、シャンバラ教導団では小さな卒業式が行われていた。
 教導団少尉琳 鳳明(りん・ほうめい)の。
 公式の式典ではない。彼女の自主卒業を聞き、数名の友人、教官が集まったものである。
 といっても、ほぼ公式といっても過言ではなかろう。
 なぜなら、金 鋭峰(じん・るいふぉん)団長御自らが、学舎を背にして彼女を待っていたからだ。
 鋭峰がわざわざ、準礼服姿を着ていたことも鳳明の心を揺さぶった。、
「団長……私なんかののために……」、
 鳳明は震える手で、鋭峰に退学届を渡した。
「いや、貴官のこれまでの貢献を考えれば、これではとても足りないくらいだ」
 鋭峰は鷹のような目元をわずかに緩めて、
「前途に幸いあれ。名残は尽きんが、いまはただ、それだけを祈ろう」
 軍人らしくざっと半回転して鳳明は振り返り、学舎に背を向けた。
 彼女を見守る顔があった。
 友人たちの顔、世話になった人たちの顔、懐かしい顔も……。
 鳳明は宣言した。
「琳鳳明少尉、一身上の都合により卒業します!」
 そう、一身上の都合だ。
 鳳明は捨て子だった。父母はあるが血のつながりはない。養父母である。いずれも年老いていたので、鳳明は彼らを『お爺ちゃん』『お婆ちゃん』と呼んで育った。
 養父母にとって本当の孫は、鳳明の『お姉ちゃん』だ(法律上は『姪』となるのだが)。家族仲は悪くなかったが、彼女が都会に嫁いでからは、いくらか……いや、かなり疎遠になってしまっている。
 養母つまり『お婆ちゃん』は、鳳明が契約者になってからまもなくして、病気によりこの世を去った。
 つまり、現在の鳳明にとって肉親らしい肉親は、養父『お爺ちゃん』だけということになる。
 その、村に一人残してきた家族が先日倒れた。
 このとき鳳明は、休学届けを出してすぐに帰郷している。
 といっても伝統武術の達人で、置いてますます盛んな養父であった。幸いにも大事にはいたらず、すぐに治ると、鳳明曰く『元の頑固じじぃ』に戻ったのである。
 ――けど、私にとって『これから』を考えるきっかけには充分だったわけで……。
 数日悩んだが、鳳明は比較的あっさりと結論を出している。
 その結論が退学届だった。鋭峰が受け取った瞬間、彼女の学籍は消えた。
 同時に鳳明は、空京大学への進学を認められている。新しい人生が、ここからはじまるのだ。
 鳳明が歩き出すと、集まっていた人々が彼女を囲んだ。
「さよなら……、寂しくなるよ」
 長年の友人ルカルカ・ルーが、鳳明の両手を握った。彼女のパートナーたちも口々に別れの言葉を告げる。
 ローザマリア・クライツァールはこの場にはいなかったが、彼女名義の祝電が届けられていた。
「これ……みんなに書いてもらったんだ」
 と言ってクローラ・テレスコピウムが鳳明に手渡したのは、色とりどりのサインペンと筆跡による寄せ書きだった。教導団のメンバーだけではなく、教導団で机を並べたかつての学友たちの文字も連ねられていた。
 そして、クローラの妻であるユマ・ユウヅキ。正しくは、ユマ・テレスコピウム・ユウヅキ……。
「鳳明さん……!」
 ユマは人目をはばからずボロボロと落涙していた。拭っても拭っても、涙があふれて止まらないようだった。
「ごめんなさい、かっこ悪いですね私……これでも、泣かないって決めてたんです……! でもいざ、この光景を前にすると……鳳明さん……寂しいです。私……!」
「ユマさん……」
 鳳明も、熱いものが目にこみ上げてくるのをどうしようもなかった。
「鳳明さんが……私の一番の友達でした……あなたがいたから………ここに溶け込めたように思います。でも、寂しいけれど、引き留めはしません……友達だからこそ、笑って送り出したい……! どうか、お元気で……!」
 ユマは直立して敬礼すると、なんとか笑顔を作ろうとしていた。
「ありがとう……!」
 鳳明も敬礼した。涙はもう、隠しようがなかった。
 それでも鳳明も、笑った。
 ――ユマさんのこと、姉気分で支えてるつもりだったけど、私が支えられてたのかも。
「これからもよろしくね、親友!」
 
「はぁー、蝉の声が身に染みるねー」
 皆に送り出され、鳳明は黄門から出ていく。
 ――出たらもう、入る機会はあんまりないんだろうなぁ。
 思い出す。教導団での日々を。
 辛い訓練と、貴重な友人たち。
 世話になった人たちも……。
「あれ?」
 鳳明は足を止めた。
 あの人に、挨拶をしていない。
 ――リュシュトマ少佐!
 少佐の姿はさっきの場にはなかった。まあ、ああいう場に出てきて手を振るようなタイプではないだろう。
 結構お世話になった、と思う。
 正直、鳳明はあの教官は苦手だ。嫌い、ではなく苦手である。
 といって、このまま一言もなしに去るのは、どうしても気が引けた。
 仕方がない――鳳明は踵を返した。
 隠密行動をこころがけながら、彼女はそろそろと門をくぐって校舎に忍び込んだ。
「一度出ちゃったとこを、直後にもう一回入るのって気まずいなぁ……」
 夏休みで閑散としているとはいえ、ここでばったり学友に会ったりしたら大変だ。とくにユマが相手だったりしたら……照れくさすぎる。
 壁に隠れて移動しながら、リュシュトマの教官室を訪ねてなにを話そうかと、鳳明は頭のなかでシミュレーションをしている。
「あ、あの! 今まで、お世話になりましたっ!」
 と、最初は定番の挨拶になるだろう。どんなにがんばっても、少佐の前では緊張してしまうという妙な自信があった。それで、
「出て行く前にご挨拶というか何というか……」
 このへんはゴニョゴニョした口調になってしまうかもしれない。そして進路について話す。
「大学では教職課程に進むつもりです。祖父から受け継いだ伝統武術を後に伝えていきたいので」
 ここでピンと思いつく。最後に、ちょっとジョークで場を和ませるのはどうか。
「そうだ! 職にあぶれたら非常勤の格技教員で雇ってくださいっ。
 ……いえ、冗談です」
 少佐は笑うだろうか。
 ――多分、笑わないな。
 そもそもあの人が笑っているところを鳳明は見たことがない。
 それどころか怒られるかもしれない。
 だが逆に、
 ――「考慮しておく」、なんて大真面目に言われたらますます困ってしまうかも……いやぁ、困った。
 とかなんとか考えているうちに、リュシュトマの教官室の前に鳳明はたどり着いていた。
 ドアに向かって歩き出したとき、ドアが内側から開いた。
 それはそれで好都合かもしれない。
「少佐……!」
 だがそこから出てきたのは見知らぬ女性だった。
 白い着物を着ていて、水色のきれいな髪色をしている。ぞっとするほどの美人だ。
 だがもっとも気になるのはあの目だ。女性は、長い包帯のような布で自分の眼を覆っているのだ。
 ――あ……え? 少佐の奥さんとか……! いやだったらあんなに若いのは変!? ていうか少佐は独身……とすると恋人? まさか!?
 しかし鳳明のそのめまぐるしい想像は、ここで停止することになる。
 少女は、目隠しをずらして自分の瞳を鳳明に見せた。
 真っ赤な、燃えるような瞳だった。血よりも赤い。大きなルビーのような……。
 ここで鳳明の記憶は飛ぶ。彼女が我に返ったのはずっと後のことだ。
 
「学生さんかしら? ごめんなさいね……」
 塑像のように硬直した鳳明の体を避け、クランジΜ(ミュー)は歩き出した。
 夏休みなのは幸いだった。学舎はほとんど無人、このまま誰にも見とがめれずに出て行ければいいのだが。
 ミューとてクランジである。華奢な体躯だが、強い力を内蔵している。
 ミューは、肩に誰か男性を担いでいた。男性は動かない。鳳明と同様に、自分に流れる時間を極端に遅くされているのだ。ほとんど、止まっているほどに。
 男性はユージーン・リュシュトマ少佐だった。