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リアクション
●コタローと夏野菜
太陽は平等だ。
芦原長屋の片隅にも、苛烈な陽差しを投げつけてくる。
まったく、どれだけ暑くなれば気が済むのだろう。地熱が吹き上がって視界はゆらゆら、蜃気楼のように揺れている。温度計なんてもう見るのも嫌になるくらいの酷暑だ。深く帽子を被っていなければ、たちまち熱射病にやられて干からびそうな状態であった。
それでも緒方 コタロー(おがた・こたろう)は上機嫌なのである。特製の麦わら帽子をかぶって、
「た、ねーたんといっしょに、おやしゃいの水やりしてうれす!」
なんて鼻歌まじりで農作業に従事していた。
農作業といっても、土を耕す重労働ではない。ざっと水やりしつつ、大地の実りを収穫するという楽しい作業だった。
「ねーたん、きゅーりれきてうー。今とってくれすー」
「キュウリか……」
縁側に座っているのは緒方 樹(おがた・いつき)だ。
彼女はすでに身重だった。八ヶ月。それも双子である。正直、動くのも苦しい。
といっても樹としては、書物やパソコンである程度の忍術の勉強ができるとはいえ、動かないと体力が衰える一方であり悩ましいところだった。
「ねーたん、あい、きゅーり!」
コタローは小さな手に、瑞々しく育ったキュウリをつかんで戻ってきた。
良い色だ、と褒めて樹は問う。
「そっちになっているミニトマトは取らないのか?」
するとさっきまでの快活さはどこへやら、困ったようにコタローは下を向きもじもじとしはじめたのだった。これには樹も苦笑せざるを得ない。
「やっぱりトマトはまだ好きではないようだな」
そこへ、
「樹様ー、ミニトマトのコンポートできましたよー♪ こたちゃんにも……ってあらあら、キュウリの収穫中でやがりましたか」
と、透明な皿を手にジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)が姿を見せた。コンポートというのは夏の冷製デザートだ。ほんのり甘いが出しゃばりすぎない味であり、妊婦にも食べやすいので実にタイムリーである。
これを見てコタローは表情を一変させた。
「あ、じにゃのこんぽちょーら!こた、こえ好きー♪」
と歌うように、手を伸ばしてコンポートをパクパクと食べ始めたのである。
樹もありがたくいただくことにする。
「ああ、ジーナ……今日のも美味しくできたのか?」
「ええ、今日のもばっちりで御座いやがります」
相変わらず慇懃なのだか無礼なのだかその両方だか、特殊な口調ですまし顔のジーナだった。どことなくその様子は、優雅で勇敢、しかしひとたびレースになれば一騒動起こすたぐいの競走馬を思わせるものがあった。
差し出された皿の上の赤い実りを樹は軽くつまんで、
「そうか……ふむ、トマト本来の甘さがいい感じに残っているな。これならすぐ栄養になりそうだ」
とうなずいて見せた。
「どういたしまして♪ きっちり食べて、バンバン栄養を届けてあげて下さいましね」
栄養を届ける、という話で気になったのか、コタローはぺたぺたと樹に近づいてその腹部を眺めた。
「ねーたん、ぽんぽんおっきくなったれすねー。こた、ねーたんになうの、もーすぐれすか?」
「ははは、そうだな……うむ、あと二ヶ月程度で生まれる予定だ。そういえば、自分より年が下の存在ができるのは、初めてだったなコタロー」
ここまで言ったところで、樹もなんだか外へ出たくなったものらしく、
「さて、私も少し作業を手伝うとするか……」
と履物を探しはじめたとき、
「いーいいいいい樹ちゃんっ! ダメでしょ、絶対安静って医師として僕が言ったでしょ!」
この世の終わりを告げるように緒方 章(おがた・あきら)が飛び込んできた。その勢いたるやまるで火球、両腕をブンブン振り乱しつつ、まるで祭の会場に爆弾を発見した機動隊員のごとき表情だった。
「あっちこっち動き回ったせいでちょっと危ないことになってるんだから! 一人じゃなくて命三人分なんだから! そこをわかってもらえ……」
それに水を差すように、ジーナは呆れ口調で声を上げた。
「はいーバカ餅の親バカ樹様バカが始まりやがりましたよ!」
「にゃにおう!」
なにを言う、と言いたかったのだろうが、章の口調は滑りまくっていた。対するジーナは冷ややかに、
「そろそろ出産に向けて体力を戻さなければいけませんですし、栄養面の管理はワタシがばっちりしやがってます。初産だからってそこまで神経質にならなくても……」
しかし水をぶっかけたつもりのジーナの言も、むしろガソリンを投入する結果になったらしい。ますます章はいきり立った。かけている眼鏡が溶けてしまいそうなほど熱くなって言う。
「神経質になるんだよバカラクリ! 僕の子どもたちなんだから! それに樹ちゃんだって……歳なんだから……。色々とリスクがあるから僕は心配で……」
さっと両手を伸ばして、章とジーナの間に割っては入ったのはその樹だった。
「アキラ、そんなに血相変えなくても……。お前が言った『絶対安静3日間』はもう過ぎたんだ。これ以上寝ていたら、寝床にカビが生えてしまうし、起き出して縁側で一息つくくらい、大丈夫ではないのか?」
章に言いきかせると、すぐにジーナに向き直って、
「えっと、あの、その、じ、ジーナ? そんなに矢継ぎ早に言ってしまったのでは、アキラに対してケンカを売っているように……」
「そうだ! 絶賛販売中だ! 僕はこのような挑発には断固応戦するっ!」
「……ああっ、アキラ、アキラもケンカを買うな! たしかに心配してくれるのも嬉しいんだが……」
ここでやや、声の調子を落として樹は続ける。
「毎日のこのケンカが体調不良の原因だとわかってくれないかな?」
樹の窮状をたちまち察して、コタローがやや大きな声を出した。
「う! あきも、じにゃも、けんかはめーれす! あかたんに聞こえうれす、かっこ悪いれすお!」
赤ちゃんのことを言われると弱い。
「ハイ、スイマセン」
「ハイ、スイマセン」
ぴたっと二人とも、同じ言葉で争いをやめた。
「ふぅ、助かったコタロー」
場が収まったと知ってコタローも胸をなで下ろす。
「あい! れも、そーしたらこた、ねーたんのこと、なんて言えまいーれすか?
「ああそうか、いつまでも『ねえさん』ではまずいからな……うむ、私は『おかあさん』で良いだろうな。そうすれば子どもたちに示しが付く」
とはいえ照れ隠しなのだろうか、樹はついつい、腕を胸の前で組んでしまっていた。それを上手くフォローするのは章の役目だ。
「うん、その流れで言うとたしかに僕は『おとうさん』だね。はい、樹ちゃん緊張しない緊張しない♪」
などと茶化しつつ、彼女の肩を抱き寄せたのである。
「今からおかあさんって言われなれておくといいんじゃない? ってことで、コタ君、練習をお願いするよ♪」
「『おたーたん』、ねーたん、こたの『おたーたん』? らったら、あきは、こたの『おとーたん』?」
「えっ、アキラが……いやまああの、確かにその理屈で言えば章はそうなるのだががが……」
思わず樹は章を見た。目を合わせる。この一言は、章の自覚も促したらしい。
「……そうか、僕……認識し直してみると、うん……頑張らなくちゃ」
などと言って、彼はちょっと真顔になるのだった。同時にジーナも眉間にシワを寄せて章を見ていた。
「む、たしかにそうでやがりますね……って、バカ餅?」
どうもこの展開、素直になりきれないジーナなのである。
「はーあっついあっつい!」
などとわざとらしく言って、コンポートをぱくつきつつ、手で自分を扇いだりする。
一方でコタローも誓いを新たにしていた。
「う、こた、『おとーたん』、『おたーたん』ってよぶの、がんばう! じゃ、おたーたん、らいにぇんは、こた、ちびたんたちつれれ『すぷやっしゅへぶー』に行きたいれす!」
そんな未来のことを想像し、コタローは胸を熱くするのであった。
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