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リアクション
【葦原島・2】
再び階段を、堕ちないようゆっくりと進む。平太は顎を伝う汗を拭った。
「ベル、大丈夫?」
「はい。へーたは? 少し休みますか?」
「ううん。へーき、だよ」
「瘴気――とやらのせいですかね」
ニケも唾を飲み込み、気分の悪さを流そうとした。じわじわと何か黒い空気が、上から浸透してくるようだ。ルカルカの聖者の導きのおかげで多少はましだが、当の彼女は歩くのも覚束なくなっている。何ともないのはダリルとベルナデットだけだ。ダリルはマインドシールドがあるから分かるとして、ベルナデットは、と考えた平太は小さく声を上げた。
「『漁火の欠片』――」
あれはまだ、ベルナデットの体内に残っている。他人に化けたり嘘を見破ったりすることは出来ないが、彼女は以前よりも丈夫になった。疲れるということが、まずない。
便利だなあと思いつつ、平太はそれを口にしたことがない。うっかり影響して、ベルナデットの中の漁火が蘇っても困るからだ。
ずしん、と何度目かの地響きが起きた。咄嗟に平太は振り返った。
「走れ!!」
ダリルが怒鳴った。
「わあああ!」
逸る気持ちに体がついていかない。急いで、一歩、また一歩と速足で下りていく。
「ああもう!」
ニケが苛立たしげに平太の身体を担ぎ上げた。
「えっ!? ニケさん!?」
細身の割に力がある。ベルナデットが何か言いかけたが、ニケやルカルカ、沙耶の必死の形相に口を閉ざし、すぐさま踵を返して駆け下り始めた。
「火を消せ!!」
ダリルの声に、沙耶が氷術を放った。二階の灯篭の灯が、灯ると同時に消える。更にダリルは、アブソリュート・ゼロで氷の壁を作り上げた。
「由紀也と暮流は!?」
「後で考えろ!」
灯篭が消えているため、傀儡の忍者は現れない。だが、いくらLEDランタンや光術を使っても、周囲の暗さの方が勝っている。
そして氷の壁が、ずしん、と鳴った。
「まさか」
ルカルカが青ざめる。
二度、三度、氷の壁は震え、小さなヒビが入った。そのヒビが次第に大きくなっていく。
「馬鹿な! イコンの装甲並みだぞ!?」
いつも冷静なダリルすら、愕然とした。軽やかな音を立て、氷の壁は砕け散った。明かりをぼんやり反射して綺麗だなーと平太は呑気に考えた。
現れたファラは、右の拳を強く握り締めていた。その周囲に風が渦巻いている。
「――なるほど。拳に空気を凝縮して、パワーアップか」
「由紀也と暮流は――」
「この短時間にやられるようなタマか?」
沙耶は二人の顔を思い浮かべた。些か心配ではあるが、そこまで弱くはない――はずだ。
「――大丈夫でしょう」
「なら、今は俺たちの心配を」
沙耶は頷いた。
「ダリル」
「ん」
ルカルカはシリンダーボムをダリルに手渡し、『※星辰剣『神喰』』を構えた。ロイヤルドラゴンも『聖獣:真スレイプニル』も、この狭さでは使えない。
その時、ニケの耳元でそっと平太が囁いた。一言、二言。ニケは驚き、――頷いた。
ファラが動き出した。
「おどき……」
「させない!」
ルカルカの火門遁甲・創操焔の術が発動する。同時に、彼女の背後でシリンダーボムが炸裂する。ダリルのフラワシが背後に回ったのだ。洞窟の壁が崩れ、階段を吹き飛ばした。
「ベル!」
ニケの背から飛び降りた平太が、ベルナデットの手を掴んだ。
「行こう!!」
「へーた!?」
ベルナデットは目を丸くしたが、平太に言われて否やがあろうはずもない。彼女は頷き、平太と共に三階目指して走り出した。
先程までのへっぴり腰はどこへ行ったのか、平太は軽やかに階段を下りていく。それも二段抜かしで。
ファラは爆発を受け、いったんは膝を突いたが、すぐさま立ち上がると平太たちを追おうとした。
「お待ち!」
「化け物ですの!?」
「風で自分の周りに鎧を作っているんだ。露出度の割りに、ずっと防御力が高いんだろう。――ルカ、大丈夫か?」
「平気」
ルカルカは微笑んで見せたが、やはり顔色は相当悪い。瘴気の影響を受けていることは間違いない。長時間の戦闘は不可能だ。だが、
「時間稼ぎを」
ニケが小さく言った。ダリルが思わず見返すと、ニケが頷いた。最も避けるべき状況を敢えて選べと言うのか?
ダリルには理解不能だった。だが、敢えてそう言うならば――、
「考えがあるんだろうな!?」
ダリルは、『羅神鞭『断空』』を振り回した――。
平太とベルナデットは、三階まで一気に駆け抜けた。
灯篭には灯が入っているが、傀儡は現れない。中央の社祠を指差し、平太は言った。
「総奉行の話だと、あの中に入れば“向こう側”に着くらしい――」
「どういう仕組みでしょう?」
「さあ? 後で訊いてみようか。まずは無事に届けないと」
「はいっ」
頭上から、大きな音が何度も降ってくる。ベルナデットは思わず見上げたが、平太は気にする風でもなく、扉を開けた。
「暗い――というか、中が見えないな。大丈夫かな?」
「私が先に行きます!」
「うん、そうだね」
ベルナデットは背負っていた剣を下ろし、胸の前に抱えた。動きづらいが、平太に持たせるわけにはいかなかった。そして、這うようにして社祠を覗き込み、進んだ。
「すごい――外から見たより、広いです、へーた。多分、本当に“向こう側”に行けます」
「そう? なら、もうちょっと進んで。このままじゃ、僕が入れないから」
「はい」
「その後に続くからね」
ベルナデットはそろそろと進んでいった。一分もしない内に、光が見える。
「へーた! 出口です!」
ベルナデットは顔を輝かせ、振り返った。――だがそこに、平太の姿はなかった。ただ闇だけがあった。
「……へーた?」
不意に、今まであった木の感触が、手の先から消えた。ふわり、とベルナデットの身体は宙に投げ出された。
どさり。
「へーた!?」
剣を抱えたまま、慌てて立ち上がる。掌の感触は木ではなく、土だった。柔らかい光が顔に注がれている。
「ここは――?」
「おお、ベルナデット嬢ですな?」
顔を上げると、見たこともない男が手を差し伸べていた。――龍騎士だった。
*
――二度、三度、ダリルは『羅神鞭『断空』』を振り回した。
ダリルの意思に従い、鞭の先端はファラの前後左右、ありとあらゆる角度から攻めるが、風が邪魔をして届かない。
ファラは次第に近づいてくる。
「させませんわ!」
沙耶が奈落の鉄鎖を使った。ファラの動きが鈍くなる。と同時に、足元にヒビが入り、パラパラと地下へ欠片が落ちていく。橋の強度を考えると躊躇われる術だったが、今は仕方がない。
「いくわよ!」
ルカルカは『※星辰剣『神喰』』を振り上げた。【二重(ふたえ)の力】で倍増した重さと切れ味が、ファラに襲い掛かる。
「くっ……!」
ファラは右手でそれを堪えながら叫んだ。
「邪魔するんじゃないわよ!!」
ファラに殴り飛ばされ、ルカルカの身体がバウンドした。
「ルカ!!」
何度目かの攻撃で、鞭の先端が突然、分裂した。【重複の衝撃】だ。文字通り、無数に。細く、鋭く尖った先端が風の鎧を掻い潜り、次々に突き刺さる。
「くうっ!!」
ファラの上半身から血が噴き出す。
「今だ!」
背後の声に反応したのは、ニケだった。
放たれたワイヤークローが、ファラの全身に巻き付いた。
「こんな物――なぜ千切れないの!?」
「されてたまるか!」
【縒(よ)りそう者】――平太が、彼の手で作られた、私のための力だ。これを今使わずして、どうしようか。
「よくやった」
すれ違いざま、平太が笑う。――いや、彼ではない。
宮本 武蔵(みやもと・むさし)だ。ニケの背で気絶した平太に代わって、こう囁いた。
「時間を稼ぎ、奴を拘束しろ」
と。
武蔵を好きなわけではない。彼よりも平太に傍にいて欲しい。だが、瘴気、乏しい戦力、時間を考えれば――武蔵の力は貴重だ。そして化け物のようなファラ相手に、何か考えがあるというなら、それを信じよう。
平太のふりをした武蔵がベルナデットと共に三階に向かったのは、まず任務を遂行するためだろう。戦いを第一に考える彼にしては、成長したものだ、とニケは思った。一人で戻ってきたのは、ベルナデットを送り届けたから。
だから、合図通りに攻撃した。
だが、まさか。
「術を解け!」
次に言われた沙耶が、素直に従ったのは、彼女も相当疲れていたからだろう。自信満々の武蔵の声に、抗う理由はなかった。
「後は任せたぞ!」
言い捨て、平太(武蔵)はファラに抱き着いた。そのまま地面を蹴り、橋の欄干を蹴り、宙へ舞う。
「平太さん!?」
その瞬間、ニケの脳裏に浮かんだのはパートナーである
メアリー・ノイジー(めありー・のいじー)。彼女と同じく、平太も失ってしまうのだろうか?
……そして、大きな地響きが洞窟内に木霊した。
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