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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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【カナン・4】


 曙光がアガデを照らすと同時に、騎士30名で構成された特攻隊は外門を抜けて人形の軍勢へ突貫した。
 彼らの背後、最後の1人がくぐると同時に門は固く閉ざされた。帰り道はない。
 くさび型陣形をとり、先端となって敵前衛を切り崩すのは西カナン領主ドン・マルドゥーク(どん・まるどぅーく)と東カナン12騎士のセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)である。彼らが切り開いた道を、やはり12騎士のカファサルーク・イシュレイマ・アーンセト、シャウル・イスパリト、イェクタネア・ザイテミル・エスタハ、ゼス・コルクト・フォラスとそれぞれの家に仕える騎士たちがさらに押し広げる。彼らの主君、東カナン領主バァル・ハダド(ばぁる・はだど)はカイン・イズー・サディクやその騎士たちとともに後方についていたが、後方だからといって安全というわけではなかった。
 これが人やモンスターであるならば、斬られれば痛みにひるみ、距離をとろうとする。敵と自分の力量の差を測り、かなわないと悟れば逃げもするだろう。しかしこの自動人形たちは魔法で生み出された存在だった。痛みを感じる感覚はなく、恐怖を感じる感情もなく、ただ命じられたままに攻撃するのみである。下がらせたければ力づくで押しやるか蹴り飛ばさなければならない。それも、石の塊を無理やり押しやるのだ。これによる疲労は人間の兵士を相手にするときとは比べものにならなかった。
 加えて、ドームじゅうに蔓延している瘴気だ。
 風に吹き流されることもなく漂う穢れた空気はひと息吸うごとに彼らから剣を持つ力を奪い、生きる気力を奪おうとする。
 周囲を何重にも囲まれて、目を向ける先すべてに敵がいて。城の弓兵からの補助が届く域はとうに抜けている。城へ戻る道もない。すでに騎士の何人かは斃れた。これからも死者は増え続けるだろう。敵大将のいる場所までは遠く、たどり着けそうにない。自分たちは、もうここで死ぬしかないのだ。なら、もうあきらめてしまえ。これ以上抗ってどうなる? どうもなりはしない。それならいっそ、さっさと死んで楽になる方がよくないか――そんな弱気が騎士たちの考えにどこからともなく差し込んできたときだった。
「うるさい! こんな所で、あきらめてたまるかあーっ!!」
 マルドゥークの激しい一喝がとどろいた。それは疲弊しきって判断の鈍りかけた騎士たちの頭を掴み、激しく揺さぶる。
 彼らの注目を浴びるなか、マルドゥークはグレートソードをその剛腕でもって振りきり、眼前の人形たちをはじき飛ばした。人形たちは後ろにいる仲間を道連れに、一部ドミノ倒しとなって崩れる。
「オレはな、決してきさまの所業を許さん! この命と引き換えてもだ! きさまを殺し、イナンナ様や神官さま、ザルバ、メートゥそしてエンヘドゥを元に戻すまで、絶対に死なんぞ!」
 遠くに浮かんで見えるイシドールに指を突きつけて言うと、開けた空間に「よし」とうなずく。ガクガクとひざの笑いかけた足で、それでも一歩踏み出そうとしたそのときだ。
 真上から、ひらりひらりと白い羽が1枚舞い落ちてきて、マルドゥークのほおをかすめて地に着いた。

「新しき盟約の下に! シャンバラはロスヴァイセ家より【天空騎士】リネン、助太刀する!」

 頭上より、堂々たる声で高らかと口上が上がる。

「古き盟約の下に! カナンはオルトリンデ家【天馬騎士】フェイミィ、助太刀する!」

 それまで見上げる余裕もなかった空をふり仰ぐと、そこには宙空に立つリネン・ロスヴァイセ(りねん・ろすヴぁいせ)とペガサスにまたがったフェイミィ・オルトリンデ(ふぇいみぃ・おるとりんで)の姿があった。
 彼らに気をとられたマルドゥークの背中に向かって振り上げられた人形の剣を矢がはじき飛ばす。
「助けに来たわよ、みんな! 英霊になるには10年早いっての!」
 向かいの屋根の上から、アロー・オブ・ザ・ウェイクを手にしたヘリワード・ザ・ウェイク(へりわーど・ざうぇいく)が軽快にウィンクを飛ばしてきた。
 彼女の背後から――そして隣接する家屋の屋根から、反対側の屋根からも、ぐるりと取り囲み、見下ろすかたちで、次々と契約者たちがその姿を現す。そして武器を手に次々と地に降り立った彼らは目の覚めるような技で人形たちを砕いて、疲弊した特攻隊の者たちと人形たちの間に割り入って遠ざけた。
「おまえたちか……」
 マルドゥークは切れ切れの息の下、かすれ声でそう言うと、乱れた息を少しでも整えようと深呼吸をしようとする。その姿に、
「なに悲壮な顔してるの! 存亡の危機を2度も切り抜けてきた英雄が情けない!」
 と発破をかけるように言いながら地上へ降下したリネンは、マルドゥークの傍らに降り立つやいなや近づいてくる人形たちに向かい聖剣カエラムをふるった。
「さあ人形たち、今から私が相手よ! 私たちが来たからには、おまえたちに彼らをこれ以上傷つけさせたりしない!」
 あちこちで契約者たちと人形がぶつかりあう剣げき音が起き始める。周囲を見渡していたバァルはふと、近くで戦っている十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)の姿に目を止めた。
「きみも来てくれていたのか。ありがとう」
 バァルの言葉に宵一は神狩りの剣をたたきつけていた手の動きを止め、そっけなく肩をすくめて見せた。
「俺はしがない賞金稼ぎ。大将首のイシドールを打ち倒したら、報奨金を出してくれればそれでいい」
「そうか」
 うなずき、人形を砕くことを再開した宵一の背中に、バァルは苦笑する。
 下に下りた彼らがそうする間も、屋根に残った者たちはともに声を合わせて幸せの歌を歌うことでこの場から瘴気を払って遠ざけていた。
 やがて下から瘴気が消えたのを確認して、ティエン・シア(てぃえん・しあ)がエンシェントから特攻隊の真ん中へと飛び降りる。まだ何が起きているのか分からないといった表情のバァルと目を合わせてにこっと笑うと、ティエンはおもむろに両手を胸の前で組み合わせ、目を閉じて集中を始めた。
 空を仰ぎ、まるで祈るようなティエンの姿が天から降りそそぐやわらかな光に包まれた。光はティエンを中心に周囲へと広がり、内側にいる人間たちを回復させていく。
 ティエンが身につけた二つ名【癒しの木漏れ日】の能力だった。
 セテカが血のにじみ出た己の脇腹を見下ろして服の上から手を押しあてた。痛みが引いていくのを不思議に思い、確認しているのだろう。その姿を見ることができて「よかった」とつぶやくと、ティエンは揺れる視界によろめいた。
「ティエン!?」
「おっと」
 前に出たバァルが伸ばした手より早く、エンシェントの高柳 陣(たかやなぎ・じん)が掴み止めた。
「ティエン、よく頑張ったな」
「お兄ちゃん……僕、なんだか眠い……」
「もう少し頑張れるか?」
「うん」
 眠そうに目をこすりながらもちゃんと自分の足で立っているのを見て、陣は手を放す。そしてバァルを見た。
「バァル、おまえはこっちだ」
「いや。わたしはここに残る」
 そのきっぱりとした態度に、みんなが戦っているのに1人安全圏にいるような男ではないと陣も考え直して、それ以上説得を続けることはしなかった。
 そしてそのかわりと言っては何だが、イシドールは自分たちに任せてくれ、と切り出す。
「アガデを襲われてこんな事になっちまったんだ、おまえの気持ちも分かるが、あいつにはこっちもひと言じゃ言い切れない、長くて重い、数々の因縁があるんでな」
 それが何かはバァルもアレクから聞いていた。
「……分かった」
 陣の言うとおり、多くの犠牲者を生んだこんな事件を起こされたことに対する腹立ちはあるが、この際、あの敵はどっちのものかなどと取り合いをして、これ以上無駄に騎士や兵を殺されたくないという思いが強かった。失われた命は戻らない。これ以上1人の犠牲者も増えず、イシドールとあのいまいましい人形どもがこの世界から消え去ってくれればそれでいい。
「悪いな。
 ティエン、ほら乗れ。なかで休んでろ」
「ん……ごめんね、ちょっとうとうとしてるだけだから……」
 陣の手を借り、ごそごそエンシェントに乗り込んだティエンはそこに落ち着いた。
 一方、たしかに治っていると確認を終えて手を放したセテカは、近づくフェイミィにそちらを向く。
「ったく。ハワリージュが心配してんぞ。元婚約者にまで迷惑かけてんじゃねぇよ、馬鹿野郎。
 てめぇは死んでもいいかもしれねぇが、死なせちゃやらねぇからな。覚悟しとけ」
 かなり本気の顔で、おどしのこもった言葉だった。天馬のバルディッシュで人形を砕いている姿に、もしかしてああしたいのは自分の方ではないかと勘繰って、セテカは微妙な笑みを浮かべるものの、いやきっとこれは自分を発奮させようという不器用なフェイミィなりの配慮だと思い直した。
「ありがとう。おれも今死ぬのはごめんだからな。そうなりそうになったら素直にきみに頼むことにするよ」