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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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【カナン・6】


 自分の元へ東カナン領主率いる特攻隊が向かっていることはイシドールも気づいていた。しかし、奮戦してはいたが、あの様子では到底ここまで到達するのは難しいだろうとの結論にすぐに達し、自分の出る幕でもないと傍観者の姿勢を崩すことはなかった。
 西の方で何やら騒ぎが持ち上がっていることに気づいてはいた。一度見に行って、取り残された兵士が悪あがきをしているだけと判断した場所だ。騒ぎが大きくなったことで注視していたが、進行が遅い。あの速度では彼らが城かここに到達するまでに勝敗は決しているだろうと判断してからは、さほど重要視していなかった。
 そこに、忽然と契約者たちが現れた。
 ドームが破られた気配はなく、彼らがどうやってここに入ってこれたかは分からなかったが、そういった細かいことにはこだわらない男だった。結果として、彼らは今あそこにいる。どうしてそうなったかの過程はこの際どうでもいい。
「やぁーっと歯ごたえが出てきたってとこだなぁ」
 合流したことであきらかにスピードとパワーが増した特攻隊を見やって、イシドールは満足げに胸の前で腕を組む。
 そうして彼は、新たな何かを投入する様子も見せず、ただ彼らが自分の足下へたどり着くのを待っていた。


「イシドール!」
 激怒した女性の声で名を呼ばれて、イシドールはそちらを見下ろし片眉を上げる。
「よくもニンフくんを石化してくれたわね! 彼女を返しなさい!」
 視界に入って邪魔な人形をこぶしで粉砕しながら叫ぶ。
 奈落人アバドンに体をのっとられ、愛するカナンを騒乱の渦中へ突き落とす先鋒になるという過酷な状況から解放されてからも、今度はアバドンによって虐げられた人々への贖罪という道をあえて選択した神官 ニンフ(しんかん・にんふ)。彼女を特に大事な友人として大切に思っているリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は、彼女が石化されたことを知ってからずっと激昂していた。
 激怒したリカインはもとから顔立ちが端正なこともあって、美貌がさらに鋭さを増す。しかしイシドールの関心を引いたのは、その後ろに半分身を隠し、庇われるように立っている禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)の方だった。
 河馬吸虎は周囲で起きている戦いへの恐怖からぎゅっと目をつぶり、リカインの服のすそを両手で握り締め――あまりの強さにその手はぶるぶる震えていた――、ただもう必死に護国の聖域をしている。その健気さがイシドールの目にとまったらしい。河馬吸虎はリカインとは違ったタイプの美少女でもあった。
「ほう」
 とつぶやく。その視線に嫌な予感を感じて警戒するリカインのそばで、ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)がはっと息を飲んだ。
「あの人、髪と瞳の色が陣と同じ……。もしかしたら、彼こそ陣の実のお父さま!?」大急ぎクレセントアックスを背中に隠し、髪を指で梳いて整える。「あのっ、お父さま! はじめてお目にかかります! 私、実は陣の婚約者で――」
「んなわけねぇだろ! あと、おまえと婚約なんかしてねえ!!」
 即座に陣のツッコミが入る。
 ばかばかしくも、ついそちらに目を奪われてくつくつ笑っているイシドールだったが、すぐさま魔法の発動を感じ取って表情を険しくした。
 リカインのそばに、自分が金剛石の像に変えた女性がいる。しかも……清楚な紫の神官服とは180度違う、肌を露出させた派手なボンテージファッションで。
 そのあまりの変貌ぶりに目を瞠った次の瞬間「ああ」と思いあたる。これはかつて仮面を通して魔法世界から彼らを見ていた際に目撃した魔法だ。
「これまで石化された人たちと同じように、あなたも石化される気持ちを味わってみるといいわ!」
 リカインの宣告とともにアバドンの腕が上がり、その手のひらから巨大な魔法が撃ち出される。我は科す永劫の咎だ。本来のアバドン――魔法に卓越した才能を持つニンフの力であれば、それは強大な魔法としてイシドールを追い詰めたに違いないだろうが、夢想の宴という魔法自体が発動者であるリカインに大きく左右されるため、そこから生み出されたアバドンもまた、本来のアバドンを再現しきれてはいなかった。
 イシドールは向かってくる片手で難なくはじき飛ばす。
「ビョルケンヘイムの嬢ちゃんたちと同じ魔法……能力かぁ?」
 はっきりとは分からないが、それに類するものだろうと結論づけ、地上へ下り立ったイシドールは、自分を囲った者たちをざっと見渡し
「こちらの世界は美女が多くて、実に楽しめそうだ」
 と茶化すような言葉を発した。
「あいにくと、お硬いのは趣味じゃないのよ。
 私はだれの自由にもならない!」
 打てば響くといったようにリネンが返し、聖剣カエラムを振り上げて斬りかかった。イシドールはこれを避けず、手で受ける。
「ふゥん。……まぁあんた、たしかに美人ではあるよな」
 剣を握り締めた手をぐいと引いてリネンを引き寄せ、間近からジロジロと遠慮なく全身に値踏みするような視線をあてた。
「リネン!」
 ヘリワードはすぐさま矢をつがえたが、角度が悪かった。
「く……! 放しなさい!」
 剣を引き抜こうとするがびくともしない。刃はわずかも手のひらに食い込む様子はなく、むしろ石に刃をあてているような感触が伝わってきた。
 金剛石でできたドーム、金剛石でできた人形……彼は金剛石の使い手だ。
 もしやとリネンがその腕そのものに注目したとき、彼女の心の内を読んだようにイシドールが片目をつぶった。
「俺の【金剛の皮膚】はお気に召してくれたかな?」
「! 何を――!」
 反射的、飛びずさるリネンに合わせてパッと手を開いて剣を放し、豪快にわははと笑う。退いた先で体勢を立て直したリネンは、すぐさま地を蹴って再度攻撃に移る。
(本人の言うとおり、彼の皮膚も金剛というのなら……)
「本物の金剛石(ダイヤモンド)は、『割れ目』があるっていうけど」
 今度は斬り技でなく、突き技を主体に剣を繰り出す。剣を振るのは近寄らせないときだけだ。
 リネンの考えはすぐに見ている者にも伝わった。ヘリワードは目や耳穴、口内などといった部位を狙ってのピンポイント狙撃へと切り替える。常に動き続ける人間を相手に、限定された、しかも小さな部位狙いが成功する可能性は低かったが、もちろんそれはヘリワード自身も承知の上だった。
「当たればラッキーよね」
 金剛の皮膚は矢を弾き返す。イシドールも彼女を脅威とみなしてはいなかったが、そうして顔面に向けて放たれる矢は疎ましい。イシドールは視線を人形たちへと流し、目で合図を送る。人形たちはイシドールの命令に従い、すぐさまヘリワードに向けて矢の雨を降らせた。
「ととっ」
 攻撃をやめたヘリワードは屋根を転がって回避に移る。ヘリワードが逃げる先々へ矢が飛び、下から槍が突き上げられた。
 その様子を背中で感じつつも、リネンは決して振り返らなかった。敵を前にそんな隙は見せられない。ヘリワードを信じて今は攻撃に集中しなくては。
 正中一閃突きによる攻撃はやめた。同じ場所への連撃をしてみても、ほとんど効果らしい効果が見えない。
「これなら!」
 大きく息を吸い込み、止めて、最速で息を整えたリネンは頭上高く跳んだ。空で身を反転させた彼女は、落下に移ると同時に空中できりもみを始める。敵を貫くコークスクリュー・ピアースだ。
 イシドールは剣を突き出して落下してくるその攻撃をクロスさせた腕で受け止めた。
 ガキッと音がして、腕と腕の間に入った剣は、そこから先、1ミリも進まない。
 攻撃を阻まれた瞬間、リネンは無念に眇めた目でイシドールの赤い瞳を見返した。
「く……フリューネ抜きじゃムリそうね…。でも、まだまだあきらめないわよ、私たちは1人じゃない!」
「はたしてそれはどうかな?」
 宙で一回転して距離を取ろうとしたリネンの着地点に向け、イシドールが走り込もうとする。それを邪魔するかのように、次の瞬間2人の間に何かカードのような物が投げ込まれたのが見えた瞬間、赤い炎でできた天使がその場に出現した。クコ・赤嶺(くこ・あかみね)の投擲した炎のルーンカードだ。
「いまよ、やって!」
 炎の天使はクコに従いイシドールに火炎を放出する。身を包む火炎そのものより、突然目の前に現れた炎の天使自体がイシドールの足を止め、驚かせていたようだった。
「うっとうしい!」
 まとわりつく火炎を払いのけるように腕を振る。火炎が消え、戻った視界に見えたのは、跳躍で一気に間合いを詰めた赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)だった。
 その手に握られているのは魔剣『孤狐丸』。イシドールが目にするのは初めてだったが、それが並ならぬマジックアイテムであるのはひと目で見抜けた。
 もはや避けるだけの距離はなく、イシドールはカウンターを狙って左フックを霜月に向けて繰り出す。
「うぉらああっ!」
 その反射速度、スピードは大男という外見を裏切るものだった。
 軌道から相手の意図を見抜き、霜月は瞬時に攻撃から防御に切り替えた。ただの相手ならば一撃もらってもどうということはないが、相手は金剛の皮膚を持つ男だ。その大きなこぶしの持つ威力は計り知れない。
 はたしてイシドールのこぶしを孤狐丸で受けた霜月は、宙ということもあり、軽く飛ばされる。
「霜月!」
 その様子を見ていた戦闘舞踊服 朔望(せんとうぶようふく・さくぼう)は、幸せの歌を歌ってこの場の瘴気を払っていたのを一時中断し、シャドウリムを発動させた。
 戦いはまだ怖い。きっとこの怖さを感じなくてすむ日はこないに違いない。
 だけど、戦わなくてはならないときくらい、自分にも分かる。
(霜月を守らなくちゃ!)
 居合の刀を手に現れたもう1人の自分と一緒に、朔望はイシドールに向かって行った。前後から挟み、堕冥殺を発動させる。
「朔望……」
「あーあー、シケた面しやがって」
 飛ばされた先で、着地した姿勢のままその様子を見ていた霜月に、アイアン・ナイフィード(あいあん・ないふぃーど)が近づいた。小さな角とコウモリ羽がある以外は霜月とそっくりな外見をしているが、霜月を深く知る者であれば遠目からもこの2人を間違えたりはしないだろう。霜月であれば決して浮かべない、見下した愉悦の笑みで見下ろしている。
「弱虫魔鎧にかばわれている、今の気分はどうだ?
 ククッ。てめーはそうやってここで這いつくばって、ゆっくり休んでいろ。あいつは俺様がしとめる」
 朔望は気弱だが、決して弱くはない。その朔望の2人がかりの攻撃を児戯のように退けているイシドールの強さを見て、挑みたくなったのだろう。
「どきやがれ魔鎧! 巻き込まれても知らねーぞ!!」
 アナイアレーションを発動させ、皇剣アスコルドを手に向かうアイアンの横を、そのとき霜月が走り抜けた。
 高速で抜刀された孤狐丸がイシドールの胴を打つ。普段ならば人の胴など断ち切る技を受けても金剛の皮膚は1センチも食い込ませない。反対に、激しい反動を受けたのは剣を握る霜月の手の方だった。
(……くっ)
 まさに岩に斬りつけるも同然。腕を伝ってくるしびれに、しかし霜月はひるむことなく同じ場所を狙って斬撃を打ち込む。が、同じ場所を攻撃し続ければ、それは逆にイシドールにとっても対処がとりやすい攻撃となる。フッと短い呼気とともに霜月の持つ武器の破壊を狙って出された腕に、背後に回っていたアイアンが煉獄斬がぶつけた。
 それもまた、イシドールを傷つけるには足りない。
 ち、と舌打つ姿は、狙いがそこでなかったことを意味する。
「霜月、てめーがそこでガチャってるせいではずしちまったじゃねぇか! おとりはおとりらしく、もうちっと考えて動け!」
 霜月はおとり役になった覚えは全くないのだが。アイアンに反論しても無意味だと、霜月は内心苦笑するにとどめる。それよりも、アイアンの煉獄斬だ。予期せぬ場所からまともに入った一撃による衝撃がイシドールの体を強張らせた。
 その一瞬を見逃すクコではない。
「霜月、伏せて!」
 彼らの戦いに人形たちを寄せつけまいとして戦っていたクコが、突然今雷霆の拳で肩を吹き飛ばしたばかりの人形を両手で掴み、ぶん投げた。
 人形は遠心力を伴ってクルクル回転しながら飛んでいき、しゃがんだ霜月の背後からイシドールにぶつかる。
「うお!?」
 うり二つの朔望、それにアイアン、霜月による挟撃よりも、おそらくこれが一番イシドールを驚かせたに違いない。
 目を瞠るイシドールに人形はまっすぐぶつかり、粉々に砕けて飛散する。
「やった!?」
 相手は金剛同士、金剛に金剛をぶつければダメージは相当のはず。
 思わず期待の声を上げるクコだったが、粉塵の向こう側から現れたイシドールは、がっちり両腕で頭や胸をガードしており、その腕がはずれたあとの面にも、かすり傷ひとつ走っている様子はなかった。
 同じ「金剛」の名を冠してはいても、魔法で生み出された大量生産品とイシドールとでは存在そのものが違う。
「これでも駄目なんて……やっぱりあいつを傷つけることは無理なのかしら」
 いら立ち、牙をむくクコの近くで、フェイミィが気炎を上げた。
「いいや! そう見えねえってだけだ。これだけ契約者の攻撃を浴びて、何も感じないやつなんざ、そうはいねぇ。
 あいつはきっと足にきてる。オレたちもダブルで行くぜ、グランツ! あいつをめいっぱい振り回してやろう!」
 フェイミィの言葉に、ペガサスナハトグランツはいななきで答えた。かろやかに空を飛び渡ったナハトグランツがイシドールを挟んで着地するのと同時に、フェイミィはバーストダッシュでまっすぐ間合いに飛び込むや、長大な柄の大斧、天馬のバルディッシュを振り抜く。刃がつぶれることは覚悟の上の打撃戦だ。
「勝負だ! イシドール!」