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消えゆく花のように

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消えゆく花のように
消えゆく花のように 消えゆく花のように

リアクション


●Η、Ι

「真司、僕は……」
 やや言いにくそうにイオリ・ウルズアイは切り出した。
「こんなことに巻き込んでしまって……その……」
「いまさら遠慮しているのか」
 柊 真司(ひいらぎ・しんじ)はイオリの言葉を、ごく平然と聞いている。
 その落ち着き払った態度が気にくわなかったのか、それとも他に理由があるのか、ぶすっとイオリは頬を膨らませていた。
「悪いか」
「悪い」
 今度も簡単に返されて、イオリはますます膨れ面になる。
「僕は……!」
 しかし一気に頭に血が上ったせいか、なかなか言葉が出てこないようだ。
 すると真司は、風なき日の鎮守の森のように穏やかに言ったのである。
「イオリ、俺たちは契約を交わしてから、家族であり運命共同体だ。……遠慮する、しない、の問題じゃない。イオリの抱えているものは、俺や、リーラたちもともに抱える。イオリが事件に巻き込まれたのなら、俺たちも一枚噛ませてもらう……それだけのことだ」
 イオリのなかで、色々な感情がしばし渦を巻いていたようだ。彼女はしばし口を閉ざした。
 だが、やがて、
「僕は信じるよ……」
 それだけ、いくばくか早口で告げた。
 真司は黙ってうなずくと、セレンフィリティ・シャーレットに合図を送った。
 長い髪を短くまとめ、セレンフィリティは冷たいコンクリートに背をつけて静かに息をしている。
 ――ディメンションサイトの利きが悪い……ような気がする。
 なにか特殊な力が作用しているのだろうか。空気にザラザラしたものが混じっているようにも感じられた。
 このとき、後方に位置していた柊真司が手を上げたのが見えた。
 先行する、という合図だ。了解、の意味の合図を返す。
 Ιのクローン体、いわゆるΙc(イオタ・クローン)の実力については、いくら警戒してもしすぎることはないだろう。屈指のスナイパーだったというデータが残っている。
 だがむしろ、真に怖れるべきはΗc(イータ・クローン)のほうではないだろうか。
 なぜなら戦場は、見晴らしの悪い高層ビル群だからだ。
 しかし街に、生気はまるで感じられない。すべてが死に絶えているのだ。人っ子一人いやしない。ビルはすべて廃墟だ。窓ガラスは散々に割れ、あるいは抜け落ち、かつてオフィス街だったであろう形跡は、風が吹くと紙屑が舞い散る点だけだった。
 ただの洞窟がどうしてこういう景色へと転じたのか、セレンには理解できない。しかしこの状況が、スナイパーには決して有利な状況でないことは、わかる。
 Ιcは跳弾の名手のようだが、二度跳ね返る跳弾を標的に当てることは事実上不可能だ。ならばその狙撃は陽動ないし牽制、メインは接近線主体のΗcと見るのが妥当だろう。
 ――といっても、ディメンションサイトがいまひとつ役に立たないようだから、地形の把握は簡単じゃあいけど。
 だがこれくらいのことは予想済みだ。セレンは短く深呼吸すると、背を屈めて廃墟の合間を駆けていく。
 乾いた銃声が、鳴った。
 チュン、と音がして数メートル先の地面に弾丸が突き刺さった。Ιcからの挨拶であるのは間違いないだろう。しかしセレンに命中させるのは難しいようだ。あるいは、こうやって少しずつプレッシャーを与えるつもりか。
「プレッシャーね……与えられる側というのは好みじゃないな」
 とまで呟いたところで、目の前の地面が突然盛り上がった。アスファルトが千切れて空に飛んでいく。アスファルトだけではない。周辺の硝子の破片も、塵も、空気さえも万有引力の法則を忘れたかのように空へ向けて吹き飛んだのである。
 ――!
 よろめくようにして、角を曲がって少女が歩いてくる。
 顔色は病的なまでに白い。年齢は16歳くらいだろうか。
 瞳は大きいが、愛らしいという以上に人形劇の登場人物風で不気味な印象もあった。
 パジャマを着ている。それも、歳不相応に幼いプリントのなされたパジャマだ。パジャマが桃色なのも異様な少女趣味のように映った。履物はサンダルで、焦げ茶色の長い髪をしていた。ヘアスタイルは独特のウェーブがかかっているが、アールデコ調と言うこともできようか。赤ん坊ほどもあるフワフワしたクマの縫いぐるみを両手で、後生大事に抱きかかえている。
 フォースフィールドを発動した状態で、セレンは少女……Ηcの前を横切った。
「そこに誰か……いるんですか……!」
 不安そうな声をΗcは上げたが、とった行動はそれとは正反対だ。
 重力を変化させ浮き上がらせたアスファルトやガラスの破片が一気に、礫のようにセレンを襲ったのだ。
 礫は最初、猛烈な勢いだった。だがある程度飛んだところで勢いを失い、あとは慣性に任せて飛んだように見えた。といっても、その大半はビルの背にめり込み、残った窓を砕いていたのだが。
 ――やはり。
 真司はこれを目にして確信した。
 イータの重力攻撃の範囲はせいぜい二メートル程度だ。その範囲を外れると、重力を操作することはできない。できたとして、威力はかなり落ちるようだ。これはかつて、魍魎島で行われた戦闘記録から導き出した推論である。
 だとすれば――真司は計画通り物陰から駆けだした。
「イオリ、頼む」
 セレンとは別の方向からΗcに迫ると、二メートルぎりぎりの範囲外から真司は真空波を放つ。
「いやっ! やめてください……!」
 泣き声か悲鳴のようなものを上げ、Ηcはまた重力を操作してこれを打ち消した。
 このとき真司を止めたのは、Ηcの攻撃ではなく銃弾だった。
「っ!」
 跳弾が膝を掠めた。かなり近い。
 だが真司はそれ以上の銃撃に見舞われることはなかった。
「真司!」
 イオリが銃弾を次々と放ち、Ιcを牽制したのである。すでにイオリから伝説的狙撃能力は失われているが、狙撃手としての勘は健在だ。なにより相手は自分のコピーなのである。狙うべき場所はある程度想像がつく。
 真司は次弾が来るより先に物陰に身を隠した。
「イオリのおかげで命拾いした……か」
 呼吸を整え、傷を見る。
 軽く掠めただけだと見えたが、思いのほか重症だ。傷口が燃えるように熱い。
 真司は超人的肉体の持ち主ゆえ当分は保つだろうが、こういった被害がつづけばそうも言ってはいられまい。
 傷口にいくらか乱雑に布を巻き付け、真司は呼吸を整えた。

 そんな真司たちの様子を、個室に置いたモニター越しにリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)が見ていた。
 真司が撃たれたときは叫び声を上げそうになったリーラである。
 だが自分で自分の口を覆って、彼女はそれをこらえていた。
 ――私はそこにいないけど、気持ちの上ではあなたたちのそばよ……真司、イオリ。
 だったら取り乱すわけにはいかないではないか。
 今朝、リーラは誰よりも早起きして、二人を送り出した。
 出発前、黙ってイオリを正面から抱きしめると、
「いってらっしゃい」
 そう言って彼女を解放し、背を押したのだ。
「無事帰ってきなさいよ? 帰って来たら一緒に遊びに行くんだから」
 そう約束もした。
 だからリーラは待つ。彼らが勝利するのを、待つ。

「さて……」
 セレンは隠れ場所から何度か銃撃を行った。
 Ηcを狙ったものだ。当てるのが目的ではないので、よく狙いもつけずに何度も撃つ。
 ただし、別の場所に隠れている真司とも協力して撃つ。
 そうした銃撃のアンサンブルが繰り返されたのち、セレンが悟ったことがある。
 ――やっぱりね。
 真司からもたらされた事前情報だが、間違いではなかったようだ。
 ――やはりか。
 真司も情報の確かさを確信していた。
 これも元はといえば、魍魎島での戦闘データから導かれたものだ。
 Ηcの重力制御装置は、同時に複数の重力操作を行うことはできない