リアクション
ゆうに3メートルはありそうな、漆黒の魔獣は、アレキサンドライト達の気配を察するや、低く唸り声を上げた。
縦にも横にも大きい。
大きいのに、鈍重そうな雰囲気がない。
「ガアアアッ!」
攻撃的な威嚇の叫びを上げ、魔獣は、北都達に突っ込んで来た。
結界内なら大丈夫だろう。
だが血は流さないに越したことはない。ここは聖地なのだ。
リカインは、なるべく慎重に、なるべく距離を置くようにしながらも、積極的に魔獣に攻めこんだ。
狙いは腕だ。
確かに、聞いていた通り、腕の太さに見合わないほどの鋭い爪が、刃物のように伸びている。
反撃が来た、と思う間もなかった。
「ッ!!」
リカインは躱したが、キューの短い呻きが聞こえて、振り返る。
「キュー!?」
「大丈夫だ、すまん」
避けられなかったこともあったが、思いの外リーチが長い。
キューの肩から腕への傷に、
「回復!」
と狐樹廊に命令されて、おろおろとしていたアレックスが慌ててヒールを掛ける。
「ミルディ!」
スカートが裂け、太腿がばっくりと割れて、ミルディアはうずくまった。
真奈が蒼白とする。
「……だいじょぶ! 痛いのは、嫌いじゃないしね!」
「だからって、無理をしていい理由にはなりません」
虚勢を張るミルディアに、真奈はすぐさま回復魔法をかける。
「――ちっ! 何だこいつ、早ぇ!」
構えた手甲がばっくりと裂かれて、白銀 昶(しろがね・あきら)はゲッ、とうめいた。
「北都、連携とらなきゃ駄目だぜ、こいつ!」
「わかってるよお」
今、そのタイミングを測っている。
魔獣の属性を確認しようと、ミア・マハ(みあ・まは)が放った炎と雷と氷の魔法は、全て躱されてしまった。
何が弱点云々以前に、敵が素早過ぎて攻撃が当たらない。
レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)は、最早方向を定めずに機関銃を連射した。
敵が素早く動くなら、もう、周囲一帯に乱射すれば、どれかは当たるのではと思ったのだ。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるんだよ!」
「味方にまで当たったらどうする、馬鹿者!」
レキのスプレーショットに、ミアが怒鳴る。
「壊れたものは叩けば直るだの、全く、下らない知識ばかり持ちおって」
「『おばあちゃんの知恵袋』だよ」
「おばあちゃんとは誰のことじゃ!」
いやいや、自分は別におばあちゃんではないのだがただの年齢不詳なのだが。
うっかり反応してしまったミアに、レキは笑う。
「ボクはおばあちゃん子だったけど別に、近くに見た目は子供、頭脳はお年寄りのパートナーがいるなんて言ってないよ」
「言っておるじゃろうが!」
「ですが、まあ、アイデアは買いですね」
朱黎明が言った。
「何じゃと?」
「おばあちゃんの知恵袋、ですよ」
言うなり、黎明は一帯にサンダーブラストを放った。
「洞窟内でッ!?」
耳に轟く魔法に、アレックスがぎょっとする。
しかし結界内では何をしてもいいと言質を取ってあるので、黎明は気にしなかった。
鍾乳石が豪快に破壊されて行くが、アレキサンドライトが気にした様子は無い。
そもそも魔獣によっても破壊されているのだし、魔獣を倒すことに比べたら、優先順位は低いのだ。
「構わねえよ。また数万年かすれば元に戻る」
と、あっさり言った。
サンダーブラストの魔法は、特に通用するとも、全く通用しないとも見えなかった。
属性は存在しないのかもしれない。
ならばとことん攻撃を加えて行くのみだと、黎明はもう一発、同じ魔法をお見舞いする。
降り注ぐ雷の魔法に、魔獣が怯む。
その瞬間を狙った。
「……かかった」
北都が呟いた。
ナラカの蜘蛛糸は、敵を斬り刻むものだが、巻き付いたそれは、魔獣の身体に食い込んで、表面に埋め込まれるだけに留まる。
だが、それが返って、魔獣の自由を奪うことになった。
ギシ、と、巻き付かれている糸に縛り上げられて、魔獣がもがく。
「今だっ!」
すぐにでも断ち切られてしまうかもしれない、一瞬の好機だが、充分だった。
この一瞬、あの爪の反撃もあの素早さで逃げられることもない。
銃撃すら外す心配のない至近距離まで一気に近づいて、周囲から全員が同時に、渾身の一撃を叩き付けた。
「――やれやれ」
アレキサンドライトが、どっと力を抜いた。
「大丈夫ですか」
ネアが案じて声をかける。
今迄、結界に集中していて、精神的にかなりの疲労をしているのだ。
「気にすんな。
助かった、ありがとよ、おまえら」
顔を上げたアレキサンドライトはもうしっかりとしていて、彼等に礼を言う。
「この魔獣、このままにして行って大丈夫ですか?」
ベアトリーチェが不安げに言った。
「まあ、この場を清めるまでは結界はこのままにして行くが……
『深淵の穴』に捨てていった方が確実かもな」
あの深い穴に落とされれば、万一ベアトリーチェの心配が現実になったとしても、そう簡単に登っては来れないだろう。
「……何はともあれ、これで一安心なんだよ」
聖水ゲットだね! と、レキが笑う。
少し先に進むと下り坂があって、暫く降りた先に、聖水がある、とアレキサンドライトが道を示す。
「これって崖って言うんだよ!!」
その下り坂を見たレキは、一同を代表してそう叫んだのだった。
◇ ◇ ◇
それは、広大な地底湖だった。
静謐な湖は、手前から、遙か先まで続いている。
巨大な鍾乳石の柱が、湖面から天井を貫いている。
あれが、この聖地の要である”柱”だろう。
「この地底湖の水が、聖水?」
「そうだ」
問いに、アレキサンドライトが頷く。
「――あーもう、すっかりびしょ濡れだよ」
文句を言いながら、カレン・クレスティアが、コハクの姿を見付けて表情を明るくした。
ブルーレースから、”結晶”を持って、ここへ追いついて来たのだ。
鍾乳洞内部に入って行っていると聞き、待つよりもと、追いかけて中に入って来たのである。
「借りてきたよ、”結晶”。これで揃ったね?」
取り出した”結晶”を見て、カレンは目を見張った。
コハクも驚いて、自分が持っている”結晶”を取り出す。
それは、本当に微かな、けれど暗い鍾乳洞内では確かな光を帯び、ちかちかと小さな光を弾いていた。
「はい、コハク、これも」
コハクは、レキの手から、女王器、導きの羅針盤を渡された。
いつの間にレキの手に渡っていたのだろう。
これは確か、黒崎天音の手に託したはず。
「今さっき、黒崎さん、ここに到着したんだよ。
コハクに届けて、って、頼まれたんだよ」
「ありがとう」
礼を言って受け取り、何とはなしに、”結晶”をその箱に中に入れる。
「ここの”結晶”は、あの柱に埋めこまれてる。
ま、行けば解るだろ。てめえで行って来い」
アレキサンドライトに言われ、コハクは翼を広げ、地底湖の上を一気に”柱”まで、到達する。
確かに、埋め込まれている”結晶”はすぐに見付けることができた。
他の3つと同様に、微かな光を帯びていたからだ。
それはしっかりと埋め込まれていたが、指で引っかくと思いの外あっさりと外れた。
それも箱の中に収めて、コハクは湖岸へと戻る。
「さあ、水を」
ベアトリーチェに促され、箱を湖に浸して、聖水を掬い上げた。
”結晶”の、光が増した。
激しい光ではなく、ふわりとした、優しい光が、周囲を照らしつつ、浮かび上がる。
蹲っているものがゆっくりと起き上がるように、小さな光が膨らんでいくにつれて、それは、形になっていった。
「……コハク?」
浮かび上がったその姿を見て、美羽が呟いた。
光の幻想は、コハクの姿をしていた。
コハクは、ふわりと優しく微笑みかけて、目の前に立つコハクに手を差し延べる。
コハクの胸に、そっと手を触れた。
”君はもう、解っている”
「…………!」
コハクは、目を見開く。
そんなコハクにもう一度微笑みかけて、光のコハクは、ふわりと浮かび上がり、空気に溶け込むように、薄れて行く。
その姿が最後に一瞬、別の人物のものに変わって、カレンは、あ! と声を漏らした。
あの姿に、見覚えがある。
隔たれし浮き島、聖地セレスタインで、見た。
年齢は違っているけれど、島で見たよりも、あの姿はずっと若いけれど、その面影は変わらない。
「……ハウエル?」
あるいは、カチエルだろうか。
幻影は微笑んだ。
”後を託します”
女王が再び必要とする時に、必ずその下へ集うと誓った。
肉体は滅びたが、その誓いだけは遺され、想いはずっと、密かに、コハクの血の中に、受け継がれていたのだろう。
果たされる時が、ついに来た。
コハクは、強い意志を以って、消えて行く幻を見送る。
――故郷の島は、とても自然の厳しいところだった。
険しい岩山は、翼を持つ種族にとって移動には困らなかったが、痩せた土地は、生命を育むことを拒んだ。
伝え聞く、シャンバラ大陸本土の昔話では、そこは緑豊かな美しい世界で、コハクも、他の者達と同じように、その楽園を夢に見た。
この島からは遥かに遠いその大陸に、行く術は無い。
それでも、いつかきっと、と。
しかしシャンバラは、夢に見て憧れた、緑豊かな楽園ではなかった。
荒廃した大地には、魔物がはびこり、邪悪な思想が蔓延して、世界を滅ぼそうと望む存在が暗躍していた。
希望を託して蒔いた花の種は未だ芽吹きすらせず、何度も何度も、滅びの危機を迎えて、世界が軋みを上げ、悲鳴を上げているような気がする。
コハクは、この大陸に来て日が浅く、過ごした日々も短い。
だが、それでも、沢山の絆を得、沢山の大切なものを得た。
できることがある。
大切なものを、人を、世界を護る為に。
洞窟内を照らしていた光が、ゆっくりと薄れて行く。
コハクは微動だにせず、それを見送り、目を閉じて、開いた。
感触などなかったのに、自分の姿をしたあの幻に触れられた胸が温かい気がする。
自分が、変わったのが解った。
今迄見えなかったものが、見える。
何が変わったわけではない。
ただ、たったひとつのものが、見えるようになったのだ。