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リアクション
第二章 対立
【マホロバ暦1192年(西暦523年)1月】
東方(あずまがた)――
先ヶ原の合戦で勝利を収めた後も、鬼城 貞康(きじょう・さだやす)は目まぐるしく働いた。
戦の処理と新しい国づくり、が彼の肩に重くのしかかっていた。
もはや、自らが背負い込んだものか、背負わされたものなのかはわからなかった。
ただ一つ、確かなのは、貞康は『天下泰平(てんかたいへい)』への執念を持ち続けたことである。
それは鬼気迫るものがあった。
「皆が平和で暮らす新しい国づくり。それにはまず、わしがこの国を守る武家を束ね、武家の棟梁とならねばならぬ。すなわち……マホロバの将軍となること」
貞康の頭に、天下人日輪 秀古(ひのわ・ひでこ)の顔が浮かんだ。
秀古はその絶大な権力を握ったにもかかわらず、将軍にはならなかった。
いや、なれなかったのだと貞康は考えた。
もっとも天子に近い地位にいた時の最高実力者が、どのような気持でいたのであろうか。
貞康の胸は痛んだ。
「長く苦しく、哀しい戦国乱世を終わらせる。わしが、なんとしてでも!」
そして、ついに上洛を決意する。
一地方でなく、マホロバ全土を作り変える。
それには、既存の枠を越えた新しい幕府を開く必要があった。
貞康の足どりは重く、鬼城家の屋敷に向けられた。
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「そろそろ来られるだろうと思っていました。仲間を犠牲にして天下をつかむ、その気分はいかがですか」
それが、鬼々一族の母、鬼子母帝(きしもてい)の第一声だった。
貞康は首を垂れる。
「母上が何のことをいっておられるか、わしにはわかりませぬ」
「そなたは、古代から脈々と受け継ぐ純粋な鬼の血が流れています。それを絶やしてはなりませぬ」
鬼子母帝は厳しい口調で言い、貞康に詰め寄った。
「数千年の長きにわたってこのマホロバの地を守ってきたのは、人ではなく、古代種である鬼なのですよ。人は争いの種を持ち込むだけ。それがなぜ、わかりませぬか。なぜ人の世をつくろうとなさるのか?」
「母上、もはやマホロバは鬼一族だけのものではありませぬ。彼らも生きているのです。マホロバ人として、長い時間が、人と鬼と彼らを作り出したのです。そして、彼らの力なくして、マホロバの天下泰平は成しえませぬ」
「おだまりなさい」
鬼子母帝は怒りに我を忘れたのか、頭の角隠しを取った。
髪飾りが落ち、彼女の頭に鬼の象徴である角が二本見える。
黒いしなやかな髪が、みずみずしい白い頬の上に落ちた。
息をのむような女の美しさであった。
貞康はこのような母の姿を見たことはなかった。
「絶やしてはなりませぬ。鬼の血を。純粋な鬼がいなくなれば、この世の末。この地も……終わり」
鬼子母帝の赤い唇から熱い吐息がこぼれる。
貞康は蛇に睨まれた蛙のように、一歩も動けなかった。
「母上……なにを」
「純血を……我とそなたであれば……きっと」
白く冷たい女の手が男の頬を包んだ。
その場に倒れ込む。
「――貞康、無事か!?」
事前に屋敷に忍び込んでいた風祭 隼人(かざまつり・はやと)は、ありったけの力を込めて、ふすまに体当たりした。
何か強力な壁のようなものが立ち塞いでいる。
幾度目かの衝撃で、彼は部屋の中に転がり込んだ。
隼人は部屋の中央で、立ち尽くす貞康を目の当たりにした。
「しまった。遅かったのか!?」
足元には血まみれの鬼子母帝が倒れている。
彼女は、かすれた声でしきりに子の名を呼んでいた。
「貞康、さだやす……我の願いを聞き遂げてくださらぬか。天下人とおだてられ、人間の欲にのせられるか……!」
「わしは……わしは」
「やめろ貞康……お前、泣いているのか」
隼人が止め間もなく、貞康は両手に力を込め、鬼子母帝に突き刺さっている刀を引き抜いた。
隼人は、再び貞康に問いかける。
が、貞康は糸の切れた人形のようにその場に座り込んだ。
彼らの足元では、鬼子母帝が小刻みに震えていた。
「このままじゃ、まずい。鬼子母帝を死なせるわけにはいかない。しっかりしろ、貞康!」
隼人は貞康の刀の血をぬぐい、鞘に納め、貞康の腰元に納めた。
貞康は、茫然自失といった様子で、しきりにうわごとを口走っている。
が、その姿が、徐々に鬼の姿へと変わっていた。
日焼けした肌が朱く染まり、髪の毛は逆立ち、口元からは牙が生える。
鬼の象徴である二本の角がゆらゆらとほのめき、目は燃えるように輝いていた。
地響きのような唸り声の振動で、空気が震えた。
「呪われた血……罪滅ぼし……捧げる」
「貞康、落ち着……チッ……聞こえないのか!」
身の危険を感じた隼人は舌打ちし、とっさに瀕死の鬼子母帝を抱えて裏庭に飛び出した。
幸い、貞康が親子水入らずと称して、人払いをしていたのが功を奏した。
この姿を人に見られることはないだろう。
大急ぎで物陰に身を隠し、【降霊】を行う。
鬼子母帝の傷を治癒するためだ。
「貞康が俺のことをどう思っていようが、俺は貞康のことをこの時代の友達だと思っている。古くて懐かしい。そんな感じだ。だから、友達もその母親も見捨てるわけにはいかないんだ」
隼人の目の前の友の母を救いたいという一心が形となってあらわれ、鬼子母帝の傷ついた身体を温かく包む。
隼人は、せめてこの瞬間だけでも、貞康に見つからないようにと祈った。
「俺は俺で家族の絆を守る……!」
鬼は陽炎のように彷徨いながら庭を一周すると、絶望的な咆哮を上げ、姿を消した。
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