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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話)

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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話)
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●リデンプション
 固まった血のような色を帯びる空、そこから吹く生温かい風に黒いコートを翻し、柊 真司(ひいらぎ・しんじ)がトレーラー(ラックベリー)の前に降り立った。
「龍の舞……俺にできるだろうか」
 真司は先日、アルセーネ・竹取(あるせーね・たけとり)から直接の指導を受けて舞を修得した者の一人だ。
 待ち構えていた日がついに到来した。
 大蛇の復活。その襲来の日。
 龍の舞は八岐大蛇とその眷属を鎮めるための舞とされている。修練のとき見出した無我の境地のような心境、あの高みに到達できるかが、舞の成否をわかつ鍵となるだろう。
 真司のかたわらには、彼の想い人があった。
 ユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)だ。いまさら『想い人』と表現するのも面映ゆいが。
「舞の習得に付き合わせた挙句こんな危険な事を頼むのは正直心苦しいが、こんな事を頼めるのはお前しかいない」
 彼は彼女に向き直った。
「ユマ、一緒に舞ってくれないか」
 本日、ユマはまた巫女の装束に身を包んでいた。既製品の衣装だったが、切れ長の一重瞼という純和風な面持ちの彼女には、あつらえたようによく似合った。衣装が舞を左右するものではないのだが、ユマによれば修得のときに着ていたこの服装が落ち着くのだという。
「はい。及ばずながら、できる限りのことをさせていただくつもりです」
 ユマの表情には言葉以上の何かを訴えかけてくるようなものがあった。
 クリスマスの夜以来、確実に彼女は変わった。なにか決意があるかのように見える。
 それは――と真司は言いかけたが、やめた。
 一歩下がって譲ろう。いつまでもユマを独占する権利は自分にはない。
 真司は顔を上げて、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)に道を開けた。トレーラーを確かめるため、二十歩以上距離を取って背を向けた。
「あら? 恋のライバルにアピールチャンスを与えるわけ? 私ならそこまでフェアにはしないな〜」
 真司の肩に肘を乗せ、リーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)がクックと笑った。言葉とは裏腹に、非難がましいところはなかった。
「それはリーラの考えだろう。俺は俺の考えでいく」
「結構。まあそういう正々堂々たるところ、真司の長所ね」
 リーラの言葉に嫌とも応とも言わず、真司は独白するように言った。
「……舞の修得にあたっては、彼を出し抜いたようにも思っている」
「あら? でもそういうものでしょう?」
 それ以上この話題を続ける気はないのだろう。真司は口調を変えた。
「一度説明したと思うが、龍の舞には極端なまでの集中力が必要となる。周囲が見えなくなるほどの」
「わかってる。その間のユマと真司の護衛を頼む、ってことよね?」
「俺たちだけではなく、龍の舞に挑む全員のだ」
「どうしても、っていうときは真司じゃなくて『ユマだけでも守ってくれ』って言うんでしょう? わかってるわよ言いたいことくらい。付き合い長いんだから」
「……頼んだ」
 ぺん、とリーラは真司の背を叩いた。
「任せなさいって。真司とユマの舞を見守るのは私の娯楽。そして、娯楽を邪魔する奴こそ私の敵! このリーラ姉さんはね、敵には容赦しないの」

 クローラは正式な軍装だ。この服装が一番落ち着くためである。襟の徽章は水平で、位置に一ミリの狂いもない。
「ほら、ユマのところに行かないの? 『大丈夫、ユマのことは俺が守る』って言って安心させてあげないと」
 平素とかわらぬ笑みをたたえて、セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)が呼びかけた。
「ユマのこと『も』だ。龍の舞が作戦の行方を左右する。俺は職務として……」
「自分でも意思が揺らいでいることを、断言するのはよくないよ」
 虚を突かれたように、クローラはパートナーを見た。
「ほら図星。仁科くんみたく正直になりなよ。別に僕だってクロを、『任務最優先でユマのことを二の次にする男』だなんて言わないよ。目標は『愛する女性と国の両方を、人として軍人として守る』……それでいいだろ?」
 何度かの出会いを経て、友人と言えるほどに親しくなった仁科耀助のことをクローラは思い出す。
 最後に耀助と会ったときクローラは、「大切な者、愛する者を護る為に、戦場は異なるが互いに力を尽くそう」と言って別れたのではなかったか。
「いいんだよ。軍人としての本分と、人としての自分が矛盾したって。今日はそんな事態にならないことを祈ってるけど、究極的にどちらかを選ばなければならなくなったら、クロはユマを選んで」
 にこりと微笑んでセリオスは言うのである。
「そうなったら『職務』のほうは僕が果たすからさ。安っぽい言い回しかもしれないけど命を賭けて、ね。忘れてない? 僕もシャンバラ教導団の団員だよ」
「……すまん」
「わかったらさっさと行った行った。ほら、もう時間がなくなるよ」
 セリオスはクローラの背を押した。
 多少、躓きそうになりながらクローラはユマの前に立つ。
「その……今日は、ユマを護衛させてもらう」
「お願いします。クローラさん」
 花が咲いたようにユマが笑った。頼ってくれている。
 クローラの胸に温かいものが広がった。

 ホワイトボードに書かれた言葉は、『行かないほうがいいよね?』。
「そうだね」
 と琳 鳳明(りん・ほうめい)藤谷 天樹(ふじたに・あまぎ)に頷いた。
『……でも、いいのかい?』
 ホワイトボードに文字が躍った。
 つづけて、
「彼女は……親友なのだろう?」
 ひとつひとつ言葉を文字にするのは手間だからか、天樹は精神感応で呼びかけてきたのだ。
「だからだよ」
 鳳明は目を細めた。
 鳳明と天樹の視線の先には、ユマの背中があった。
「二人とも優しいから、私以上にユマさんを励まし、その心を護ってくれるはずだよ……なら私はただ黙って、ユマさんの背中を護ればいい。お互いにその存在さえ感じていれば、共に戦えれば、それだけで十分だろうから」
「……そういうもの……なのかい?」
「少なくとも私は、そう思ってる」
「……鳳明らしいね……」
 天樹は視線を鳳明に移すと、独白するかのように念を呟いた。
「……以前、自分が存在している意味が見出せないと言っていたユマ……。
 ……でも、彼女は自分の意思で……この戦いに身を投じてる。
 もう……答えは出ているのかもね……あとは、彼女自身が……ソレに気付くだけ。
 耳にできるのはきっと、この戦いが……終わった後。
 この答えが聞きたいから……僕も戦おう」

 ひゅっと鳳明の槍が風を切った。穂先を下にして構える。
 戦いは、もう間近だ。

「ユマ・ユウヅキ! ……で、いいんだっけ? 今は」
 鋭い声が鞭のようにユマを打った。
「それともクランジΥ(ユプシロン)でいい? 前みたいに」
 はっとして彼女は振り返る。そのとき音もなく真司が駆け戻り、クローラとともに来たる者に身構えた。
 ユプシロンと呼ばれた瞬間、触れられたくない領域に触れられたかのようにユマは険しい表情になったが、それは現れたと同時に消失していた。
 本来の穏やかな顔つきで、ユマは相手に一礼した。
「お世話になります。パトリシア・ブラウアヒメルさん」
「パティでいいわ。Π……クランジ パイ(くらんじ・ぱい)って呼ばれたってあたしは気にしない」
 ふぅん、と挑発的な目つきでパティはユマを見た。
「パティ、そんな言い方しなくても……」
 彼女の恋人にして同行者七刀 切(しちとう・きり)がとがめるように言うが、パティはトレードマークの吊り目をいささかも下げることなく、
「こういう言い方しかできないの。あたしは」
 開き直るように言いのけてユマに近づいた。
「あんたとはあまり仲良しじゃなかったわよね、今まで」
 仲良しどころか、一時期ユマとパティは本格的に敵同士だったこともあるくらいだ。運命の悪戯か、それともこれが必然だったのか、そんな二人が今、同じ目的……ツァンダの防衛のためにこの場所にいる。
 隙あらば殴る、とでも言わんばかりの表情をするパティだが、対するユマは正反対に、両腕を拡げんばかりにしてやわらかく微笑んだのである。
「ええ、ですがこれからは、仲良くしませんか? 姉妹(シスター)同士なのですから」
「な……!」
 パティが眉を吊り上げるのが見えた。口を半ばまで開ける。得意の音波砲でも浴びせようとするかのように。
 しかしこのとき、
「パイ〜♪ もっと素直になるよ?」
 ひょいとパティの体を背後から、すくいあげて抱きかかえる者があった。
「ロー! ちょ、放しなさいよ!」
 じたばたじたばた。まるで持ちあげられた仔猫だ。パティは身をよじってローラ・ブラウアヒメルクランジ ロー(くらんじ・ろー))の抱擁から逃れようとする。
「ユマごめんね。パイのこの強がり、本当は『ユマと友達になりたい』って意味だからね? ワタシ、知ってるよ」
 なお、ローラはずっと前からユマと和解している。
「な、なに言ってるのよ!」
「そうそう、ローラの言う通りにしたほうがいいぜ」
 いつの間にか柚木 桂輔(ゆずき・けいすけ)も来ていて、明るい声で言った。
「俺、ローラと違ってパティのことはあまり知らないんだけど、今の見ていて思ったなぁ……『これってツンデレ?』って」
「ツンデレ言うな! あたしは物事には順序があるって話を……」
「ああ、なんだ。そういうことか」
 どうもパティがらみのことだと単純すぎるくらい単純にその言動を信じちゃうなあ――と内心反省しつつ切も笑った。
 ローラも変わったものだ……真司はふと思った。かつて『Π(パイ)』に異存しきり、彼女がいなくなればパニックになっていた『クランジΡ(ロー)』はもういない。むしろ今は、そのローラがパティを先導している。
「ならパイ、自分の言葉で言うね?」
 あやすような口調でローラはパイを下ろした。
「うるさいわねっ!」
 しっ、しっ、と手でローラの腕を払いのけるようにして、パティはもう一度ユマに近づくと、
「……ビーフジャーキー。食べる?」
 懐からビーフジャーキーの包みを取り出し、ユマに差し出したのである。
「それが……順序なのか……?」
「ありがとうございます」
 ユマはこれを受け取った。ユマ・ユウヅキとビーフジャーキー……奇妙な組み合わせではある。
 あっけにとられる切に「これでいいの!」と答え、
「ユマ、あたしたちが守ってやるから存分に舞いなさい! 以上!」
 と言い捨てて、パティはなんだか大股に歩み去ってしまった。
「ごめんな、ああいう子で……いや、わかってると思うけど」
 慌てて切が会釈すると、ユマはまた春の木漏れ日のような微笑を浮かべた。
「いいえ。パティさんがあんな風だから、切さんは、パティさんが好きなんですよね?」
「い、いやあ、ま、まあそうなるな……ていうか俺たちが付き合ってること知ってた!?」
 後頭部をかきながら切はパティを追った。
「やれ、世話の焼ける……。まあパティ相手ならあのぐらいでいいかもしれんな。自分を想って頑張ってくれているというのも悪い気はせんだろう」
 などと言いながら、少し遅れて切のパートナー黒之衣 音穏(くろのい・ねおん)がついて行くのが見えた。
「じゃあ、ワタシたちも独自の行動に移るネ」
 ローラが手を振って、桂輔とともに来た道を戻っていく。

 どことなく長閑なのもしかし、このあたりまでだろう。
 八岐大蛇、そして百鬼夜行が、ツァンダを呑み込むべく近づいていたからだ。