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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

リアクション

 市場やロータリーは少々騒がしすぎるので、道を1本はずれた場所にある適当な料亭に入り、彼らはそこへ腰を落ちつけた。
「ねーねー? ほんとにいいの?」
 スク・ナが期待にわくわくしながらテーブルに両手を投げ出してティーを見る。
「何でも好きな物を注文してください」
「わーい! やったぁ!!」
 メニューを開き、さっそく注文する。がっつり食べ物を注文したのはスク・ナだけで、もうお昼をすませているティーやイコナ、ティエンはケーキと飲み物のセットを、鉄心や陣たちは飲み物だけにとどめた。
 注文をすませたティエンは、テーブルがあるからと紙とペンを取り出して、何か書き始める。
『バァルお兄ちゃんへ
 お元気ですか?
 今、雲海にある壱ノ島でこの手紙を書いています。
 びっくりした?
 百歳のお祝いに、カナン1周旅行に連れてきてもらったの。
 でも途中で雲海の浮遊島へ行く船が出るって話を聞いて、ちょっと寄り道することになっちゃった。
 カナンに戻ったらアガデに行きます。
 その時はお知らせしたい事があるし、浮遊島群のお土産を持っていくから楽しみにしててください。

                                          ティエンより』
「ん? バァルへの手紙か?」
 最初の1行目だけ読んだ陣が訊く。
「うん。
 さっきポストらしいの見かけたから、これ出してきていい? すぐ戻ってくるから」
「ああ、行ってこい」
「うん!」
 ついでに島のポストカードがないか、見てみよう。あったら入れて送れるし。
 そんなことを考えながら、ティエンは店を出て行った。
 料理が来るのが待ちきれないのか、上機嫌で鼻歌を歌うスク・ナの横で、冷水を口元へ運ぶナ・ムチと、彼らを観察するように見る鉄心の目とが合う。
「何か?」
「……いや。あなたたちはナ・ムチとスク・ナというんだな、と……。俺たちはシャンバラから来た観光客ですが、本来はその下の地球からこのパラミタへ来ているんです。その地球の、日本という国の神話に、あなたたちと同じ名前の神様が登場するんです。己貴と少名毘古那という……。もちろん偶然でしょうが、日本人として、不思議な縁を感じたりしますね」
 そう言われても、地球も日本も知らず、その神話の神も知らないナ・ムチとしてはどう返しようもない。だから「そうですか」と無難に返すにとどめた。
 鉄心は自分たちがこの島へ旅行に来ようと考えた動機や、船であったことなどを話題にして、2人と打ち解けようとする。
「――それで、突然大きな鳴き声が聞こえて。雲海から大きなヘビが現れてびっくりしました」
「カカですね。雲海の魔物で一番多い種族です」
「船員もそう言っていました。この島を取り巻く雲海ですが、あそこにはああいった魔物が多いんですか?」
 答えたのはスク・ナだった。
「たくさんいるよ! もっともっと獰猛なワニとか、ニギとか。オレの父さんと兄ちゃん2人も、あいつらに食べられちゃった」
「え?」
 ティーは一瞬聞き間違いでないかと思った。だってスク・ナはあまりにあっけらかんと、家族が魔物に食われたと言ったから……。
「島ではごく普通の出来事です」ナ・ムチがそれに気づき、説明をする。「雲海へ出る漁師は高確率で魔物に遭遇します。生きて戻ってくる者は少なく、ほとんどの漁師は10年と生きられません。生き延びても、五体満足である者はさらに少ないのです」
「オレももうじき漁に出るんだ。もう14だし、ほんとは出てもいい歳なんだけど、学校は出なさいって母さんや小兄ちゃんがうるさくて」
「それは……。怖く、ないんですか……?」
「うーん。怖くないかって言われたら、怖いけど。でも、そうしないと食べていけないし。それに、必ず死ぬってわけじゃないし。
 オレ、早く漁に出たいんだ。そうしたら働き手が増えるから、今よりもっとおいしー物、おなかいっぱい食べられるようになるもんね!」
 屈託なく話すスク・ナのとなりで、ナ・ムチは何も口を挟まなかった。
 自分たちの間で、この話はもう何年も前に結論が出ている。援助を申し出たナ・ムチに、スク・ナとスク・ナの母、兄たち全員が拒否した。漁師には漁師としての誇りがある。漁師仲間のつながりもある。先祖代々こうして生きてきた。それは他人の力に頼って変えていいものではない、とのことだった。
「……雲海には、龍が生息しているそうですね」
 沈黙のあと、鉄心は話題を少し変えた。が、これはまずい判断だったと、直後に思った。
 目に見えるように、あきらかにナ・ムチの警戒心が強まった。
オオワタツミのことですか」
 慎重に、小さく声を絞って発したのだが、しっかり聞きつけたとなりのテーブルの男が突然酒の入ったグラスをテーブルにたたきつけた。
「おい、そこの!! 不吉な話をするな! 呪われたいのか!!」
 そしてあらかた飛び散ってグラスの底に残った酒をぐっとあおった。
「あら」
 と、向かいに座っていた女がからかうような声を発する。
「私もぜひお聞きしたいですね。雲海の龍には前々から興味があったんです」
「カーリー」
 と、となりのマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が制止するように名前をささやく。しかし、年末年始を除いてほぼ月月火水木金金と全く休みなしで働いてきた水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は、ヒラニプラから遠いこの異国の地へ旅行に来た開放感から、今身につけているスリット入りの挑発的なミニドレスと同じくらい、大胆に動いてもいい気分になっていた。
 グラスを回してからんと氷のすべる音をたて、愛らしく唇をとがらせながら訊く。
「その、オオワタツミ? それが雲海の龍の名前なんですか?」
「……そうだ。最凶最悪の化け物、雲海の魔物たちの親玉だ。あいつに遭遇して、生きて戻れた者はいない」
 男もまた、なんらかのしがらみを過去に負ってきているのだろうか、苦々しい表情で口にすると、じっと手のなかのカラのグラスを見つめる。
 ゆかりはそっとボトルをとりあげ、グラスに酒を足した。直後、男はそれを壁に向かって飛ばした。
「すべて、あの男のせいだ!」
 ぴしゃり。
 酒は壁に貼られていた指名手配の紙を濡らす。ナ・ムチ以外、全員の目がそれに流れた。
 それは古い物だった。四隅を止めたテープは黄ばんでいるし、縁はところどころ破けている。書かれた文字も載せられた写真も色あせ、ほとんど見えない。60過ぎの男であると分かるだけだ。
 やっと店員が騒ぎに気づき、あたふたと壁を伝って流れる酒を拭き始める。
「何もかも、あの、ヒノ・コのせいで……」
「やめましょう」こぶしを震わせる男に、目を伏せてナ・ムチが言う。「他国人に聞かせる話ではありません」
 直後、ガランガランとドアベルを鳴らしてティエンが店に戻ってきた。
「ただいま、お兄ちゃんたち! ――どうかしたの?」
 陣の元へ駆け戻ったティエンは、張りつめた空気に気づき、なぜこんなことになっているかとまどいつつも声をひそめて訊く。
「ふむ。それがな――」
 木曽 義仲(きそ・よしなか)がこしょこしょと耳打ちで、ざっと事のあらましで説明をする。
 男は酒に酔っていたが、完全に常識を失っているわけでもないようだった。ティエンや義仲の姿に、自制を働かせ、口を閉じる。そして店員にか、それともナ・ムチとテーブルについているシャンバラ人に向けてかは分からないが、ひと言「すまなかった」とつぶやくと、ドアへ向かった。
 ゆかりがハンドバッグを手に支払いをしている男の横につき、支えるように背中に手を回す。
 親しげに慰めを口にし、寄り添っている姿にマリエッタが目をむいて驚いたが、「しっ」と口元で人差し指を立て、ウィンクをすると、まるで「あとはよろしくね」と言うような表情を向け、そのまま男と一緒に店を出て行ってしまった。
「……もうっ。カーリーったら。あれはどう見ても朝まで戻りそうにないわね」
 ふーっとため息をついて肩をすくめる。
 しかたない。ゆかりは過去の失恋の傷をいまだに引きずっているきらいがある。だから影のある、ああいう傷ついた人間が放っておけないのだ。――まあ、単に好みの男だから、というのもあるかもしれないが。
「こうなったらあたしもどこかそのへんでイイ男引っかけて、ひと晩限りのアバンチュールでも楽しもうかしら」
 本気とも冗談とも判断のつかないつぶやきを残して、マリエッタも店をあとにした。
「ふーむ! あのヘビより大きいというのか、雲海の龍とやらは! では、いかに俺の腕を持ってしても、釣り上げるには多少手こずるかもしれんのう」
 義仲が、愛用の釣り竿を出して、突然道化じみたことを口にし始めた。
「……ばっか。おまえ何言ってんだよ」
 すばやく義仲の意図を掴んで、陣が返す。
「そんなんじゃ無理に決まってるだろ」
「何を言う。釣りを決めるのは道具ではない、釣り師の腕ぞ! 古来よりそう言うではないか! 歴史が証明しておる!」
「いや、そりゃ地球規模の魚の話でだな……。
 って、そもそもあれ、ヘビじゃねえか」
 魚ですらねえ。
「おまえ、魔物を釣りたいのか?」
 運ばれてきたできたて熱々の料理を幸せそうに食べていたスク・ナが、身を乗り出して話に加わってきた。
「うむ」
「そっかー。その道具じゃ沖でブッコミ釣りは無理だけど、岸からの投げ釣りならできるかもよ? ちょっと見せて。
 ……こりゃ、魔物は無理かもなぁ。でも、魚なら釣れると思うよ。なんなら夜にでも埠頭に行ってみる?」
「まあ、お魚釣りですの? ここではどんなお魚が釣れるんですの?」
 さらに興味津々顔でイコナが加わって、雲海で釣れる魚や、それを用いての漁師飯などで盛り上がる。
 義仲のおかげでテーブルの空気が戻った。
 いきいきとした表情で夜釣りの計画を話し合う3人の姿に、ティーはにこにこ笑って運ばれてきたケーキをほおばる。陣は、やれやれと背もたれに背中をつけて、あらためて壁の指名手配の貼り紙へと目を向けた。
「俺ぁよ、あんたの言うとおり他国人だから、何も知らない他国人として言わせてもらうんだが、一体あの男は何をしたんだ? さっきの野郎の雰囲気だと、相当なことをしでかしたみたいだが。
 それとも、これはどこ行っても口にしちゃいけない禁句ってことなのか?」
「そういうわけではありません。ですが、すべて7000年も前に終わったことです。ただ、雲海の魔物によって愛する者を失った者たちは大勢いますし、先の彼のように、わだかまりを捨てきれない人は多いでしょう。耳にして気持ちのいい話ではありません。
 そもそもヒノ・コは2年前、通報により捕縛されています。あれは古い手配書です」
(つまり「話したくない」ってことだな)
 どうやらナ・ムチ自身、そのわだかまりというものを持っていそうだと感じつつ、ジュースを飲む。
「それにしても、見たところお若いのにずい分博識のようですね」
 鉄心の言葉に、てっきり話に夢中になっていると思ったスク・ナがくるっと向き直った。
「うん! ナ・ムチはすごいよ! 伍ノ島でも5本の指に入る……えーと、くっ……くっし?」
「屈指、です?」
「それ! 屈指の名家の跡取り息子って有名なんだ! 若いのにコト・サカさまにも気に入られて太守の館にも自由に出入りできて、えーと、あと、スサ・ノ・オさまの、けいふにぞくする、って」
「系譜に属する、ですわね。血を引く子孫という意味ですわ」
 どうやらどこかから聞きかじってきたらしい、意味を理解しないまましゃべっているようだと思って、イコナが優しく言い換えて説明をする。
「傍系です。おれのような者は伍にはいくらもいます」
「きみたちはこの島の人ではなかったんですか」
「オレたち、伍ノ島から着いたばかりだよ。ここへはツク・ヨ・ミを捕まえに――」
「スク・ナ!」
 しゃべりすぎだと、あわててナ・ムチが遮ったが遅かった。
「ツク・ヨ・ミ? それも指名手配犯なんですか?」
「へえ。おまえ、そんなちっこいのにバウンティハンターなのかよ」
「ばうんてぃ……?」スク・ナは初めて耳にしたのか、首を傾げる。「分かんないけど、ツク・ヨ・ミはヒノ・コの孫娘だよ。それが逃げ出しちゃったから捕まえないといけないんだ。捕まえたら50万くれるっていうし。50万あったら船が100個買えて、漁がすっごく楽になるんだ!」
「スク・ナ、もうそろそろ行きましょう」
 ナ・ムチが席を立った。あきらかに鉄心や陣たちを警戒している。
「え? ちょっと待って」
 スク・ナは驚き、あわてて皿に残っていた料理をかっこむ。
「まあ待てよ。袖すり合うも多生の縁と言うし。なんだったら俺たちがそれを手伝ってやろうか? 捜索なら手は多い方がいいだろ?」
「――そんな言葉は知りません。それに、おれたちで十分間に合っています。あなた方はどうぞ予定どおり島の観光を楽しんでください」
(うーん、手ごわい)
 軽く頭を下げてテーブルを離れて行くナ・ムチの横顔に、陣はふーっと息を吐く。その横で、がたん、と椅子を揺らして、ティエンが立った。
「スク・ナくんっ」
 まだ口をもぐもぐさせながらナ・ムチのあとについて行くスク・ナを呼び止める。そして、持っていた紙箱を差し出した。
「これ、カナンで買ってきた、シャンバラのお菓子なんだ。よかったらあとでナ・ムチさんと2人で食べて。おいしいから」
「うわあ、ドーナツ! ありがとう!!」
 スク・ナは店を出る前にさっそく1個口にくわえて、うれしそうに手を振って去って行った。
「……あれは、どう見てもいわくありげでしたね」
 鉄心がつぶやく。
「ああ」
 だがそれがヒノ・コという男に対してなのか、それともその孫娘というツク・ヨ・ミに対してなのか。あるいは両方か。
 どんな日々を過ごしてきたのか、まだ少年だというのにスク・ナと違い、終始冷め切った大人びた表情を浮かべていたナ・ムチからはそれを読み取ることはできず、判断がつかないままだった。

 考え込む彼らの後ろで、静かに席を立って店を出ていく高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)ティアン・メイ(てぃあん・めい)に気づく者はいなかった。



 余談ではあるが、男と消えたゆかりはマリエッタの予想どおりホテルへ戻ってきたのは翌朝で「首筋にキスマークがついている」と、さんざんからかわれたようである。