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【両国の絆】第四話「『それから』と『これから』」

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【両国の絆】第四話「『それから』と『これから』」
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【その後の彼らの物語――エリュシオン】



 式典も終わり、交流戦が行われてから一ヶ月という時が流れようとしていた。


 エリュシオン帝国北部、ジェルジンスク地方にある温泉宿では、選帝神ノヴゴルドの元へ挨拶を終えた後、これで凡その事後処理を終えた鈴と氏無は、その足で温泉を訪れていた。
 氏無の体が動けるようになって直ぐ、今回の件で関係した地域を回り、その関係者達との様々な、それこそ取引めいたようなものから、単純な報告等の雑事にあれこれと連れ回されたのである。自分の部下になる人間の面通しという意味もあったのだろう。中には軍にも政治にも関係の無さそうな者達も混じっていて、氏無の妙な顔の広さの一端を覗きながら歩いた旅路に、知らず溜まっていた疲労を、温泉でゆっくりと解きほぐした鈴は、打ち上げと称して取った部屋に戻りふうと息をついた。
「お疲れさん。まぁ今日はゆっくり休みなよ」
 宿の中でも一等の部屋を取ったのは、自分への労いと氏無への労いを込めてだ。もう一つ言えば、氏無が隠している本当の地位に慮っての事だが、野暮なことは口せず、鈴は氏無の猪口に酒を注いだ。
「大尉も、ゆっくり……」
「こんなところで大尉もなんもないよ、春臣さんって呼んでくれてもいいんだよぉ?」
 おどけた風に言うのに「では氏無殿」とさっくりと切り捨てて、肩を落としながらも自分に徳利を向けてくるのをありがたく受けた。
 以前、仕事中を理由に飲むのを断った事があるが、さしで飲みたいと思っていたのも事実だ。その機会が出来たのに感謝しつつ、軽く杯をあわせて視線を外へと移した。
 ノヴゴルドを出資者に、とある契約者と共に、元監獄職員にして樹隷のハーフのランドゥスが開業したというこの温泉宿は、どこからの知識が入ったのか、木造の温かみがあり窓の外は雪景色を楽しむための工夫がある。勿論極寒の地ではあるので、露天風呂を別として、暖房は完備の完備された室内から出ることが出来ないが。
「何というか、日本式の温泉宿だよねぇ。ノヴゴルド氏が地球贔屓って言うのはガセじゃなさそうだ」
 そんな風に笑う氏無に付き合って、杯を2、3重ねたところで、鈴は「氏無さん」と口を開いた。
「報告書に目は通していただけたかと思います……ので、ご指摘いただきたいんですの」
 氏無の代行として、何が足りなかったか、何をするべきだったか。そんな問いに「色気がない話だなぁ」とぼやきながら、杯に残った酒を飲み干して、氏無は少し笑った。
「後からなら、こうすべきだった、ああすべきだった言うのは簡単だ。キミは良くやってくれたと思うし、現場に居なかった人間がとやかく言えた立場じゃないから、此れはあくまで例え話、といったところになるけど、それでも?」
 僅かに落ちた声のトーンに鈴が頷くと、氏無はそうだなぁ、と話し始めた。
「あんまりあれこれ手を伸ばすと、一つところが疎かになるから、初動でやっとくといいのは現場との連携かなぁ……例えば、会場の管理者や担当者たちとは、繋ぎを作っておくと色々便利だ」
 警備体制は言うに及ばずだが、避難経路の確認、それから事後の対応を行う際に、情報が取り易いためだ。連携できていれば避難にしろ強襲への対処にしろ、お互いの足を引っ張らないですむし、起こりうる事態をあらかじめ想定して動く事が出来るからだ。そう説明しながら「まぁ……今回はちょっと予想外な動きがあったからねぇ」と氏無は苦笑した。
 本来なら、会場からの避難後、その身元を確かめ、来場者との照らし合わせた確認が行われる。それによって、被害の状況の確認を取るほか、事後調査なり必要なら口裏あわせなり、あるいは混ざっていた不穏分子なりを洗うことも出来るのだが、その前に自宅へ帰されるという珍事があったのだ。現場は頭抱えてたろうね、と、担当者とその責任を取ることになった鋭鋒の不憫に苦笑し、氏無は杯を再び傾ける。幸いエカテリーナとその協力者のおかげで、大事には到らなかったようだけど、と続けて肩を竦めた。
「ま、現場では色んなことがあるもんさ。ボクのお仕事ってのは、起こることへの対処というより、何が起きても大丈夫にしておくこと、ってのが近いかな」
 それは、表に出ることのない影の仕事だ。もしかしたら全く意味を成さないことになるかもしれない事でも、万全を期す。黒子の仕事のようなものかもね、と氏無は笑って目を細めた。
「それに、自分ひとりじゃ出来ない事だよ。英雄は剣の一つで戦えるけど、ボクらの仕事は、一つ一つを繋いで編んで網を作る作業……なんじゃあないかな」
 そんな言葉の一つ一つに、氏無のものの捕らえ方、動き方を学ぼうと腰が上がり気味の鈴に、のんびりとした口調で、暫しくだらない雑談を交わし、杯を更に重ねた頃。互いの頬が酒にほんのり色づく頃合に、氏無は不意に「まあ……結局ね、何を守りたいかなんだよ」と溢すように口に出した。
「ボクはね、本当のところ……シャンバラにも帝国にも興味ないんだ。ただ、二度と互いの間に戦争をさせたくないだけ……あいつら……仲間たちがその命を賭して守ったものだから、守りたいんだよ」
 珍しく漏らされる心情に、鈴は瞬きしてその横顔を見つめたが、氏無は視線を窓の外へ向けたまま、ただ目を細めた。
「キミも判ってるだろうけど、教導団は団長を筆頭に、各々の国益を獲得する目的が根底にある。本当のところ、シャンバラを守るっていうのはそのための一手段でしかない。その上にパラミタの事情が乗っかってきてるわけだからね。一つ目測を誤ると、何処へ転がっていくかわかんないのさ」
 鋭鋒の目的がシャンバラと沿わなくなったならば、何を敵に回すことになるかは判らない。鈴が軽く息を呑む中で「だからね」と氏無は笑って、その節ばった大きな左手を、ぽんとその頭に載せた。
「キミは早い内に見つけておきなさいね。守りたい優先順位をさ」
 失ってからじゃ、取り返しはつかないからね、と笑う氏無の横顔が、遠い過去を見ているのに、鈴は何も言わず、ただ空いた杯に静かに酒を注いだのだった。




 一方、こちらはエリュシオン北西部カンテミール地方。
 シャンバラから帰還し、式典まで先延ばしになっていた、交流試合での代行権限の行使等の報告を兼ね、ユグドラシルからオケアノスまでを回り。その後も留守中に山積した仕事を片付けてようやく一息をついたティアラは、計ったようなタイミングで顔を覗かせた小次郎に、ティアラは溜息を吐き出した。
「全く、監視カメラでもくっつけたんですかぁ?」
「まさか。偶々の偶然です」
 ちゃっかり来客用のソファに腰し掛けながら、にっこりと笑う小次郎に、ティアラは肩を竦めた。
「相変わらすですねぇ」
「ティアラ殿もお変わりなく、と、ありがとうございます」
 そんなティアラが手ずからお茶を注いでくれるのに頭を下げ、まずは一口二口と喉を湿らせて息を吐き出し、小次郎は「それで」と世間話のような気安さで口を開いた。
「その後、如何です?」
 お変わりありませんか、と続く言葉が含んだ音に、ティアラは目を細めて「そうですねぇ」と軽く首を捻る仕草をすると、にっこりと笑って見せた。
「あんまり変わってはないですねぇ」
 その言葉で、今の所大きな動きはエリュシオンには無いらしい、と小次郎は目を細めた。
 旧演習場での事件の後、カンテミールの持つ技術力と、エカテリーナの情報網、そして契約者の助力によって、今回裏でしぐれに協力していた、或いは踊らされていたと見られるエリュシオンの反セルウス、反シャンバラの洗い出しが行われ「対処」されたと言う。ピュグマリオン少年の遺体も、様々な要因によって氏無が秘密裏に“保護”されていた少女ナナシも共にオケアノスへと還り、万事解決した、と言うのが公式見解だ。
「表向きは、そうでしょうね」
 小次郎の声が含んだ色をしているのに、ティアラは「そりゃあそうですよぉ」と応じる。
「その表向きってのが大事って言うかぁ、表に出ちゃってからじゃ手遅れだし?みたいな?」
 今回の事件にしてもそうだ。露見してからは後手として対応に追われざるを得ない。対策は先手でしか意味がないからだ。つまり、ティアラの変化なしとは水面下のそれも含めてだろうと解釈し、小次郎はひと息をついてお茶を飲み下した。
 出されたお茶菓子と共に暫し気張らない沈黙を楽しんで、あくまで世間話と言った調子で、小次郎は再び口を開いた。
「まぁしかし、一度あった事が二度と無い、とは限りませんしね」
「そうですねぇ。でもそれはぁ其方も同じって言うかぁ、寧ろ結構ヤバくない?みたいな」
 からかうような口調ではあるが、その目にはちくりとした針がある。
 力が全て、という強い性格を持つエリュシオンは、皇帝がその力を示し続けていれば、反勢力は衰えて反シャンバラも政策に倣うだろうが、シャンバラは今、シャンバラ人のみで構成されていない。価値観の違う者同士が混雑し、契約者が大きな力を持っているのだ。
「どんな形って、第二、第三のしぐれが出てこないとも限らない……と」
「それこそ得体の知れない人が目の前にいますしねぇ?」
 暗に貴方がそうなのでは、と、探っているのか冗談なのか判りづらい声が笑うように言ったのに、小次郎もわざとらしく大袈裟に肩を竦めて見せる。
「滅相もない。私はあんな派手な真似はしませんよ」
 とこちらもまた真意の掴みがたい物言いをしてにっこりと笑う。
 そうやって、相変わらすの調子で、ディルムッドの呆れ顔を肴に、二人は会話を楽しんだのだった。





 同じ頃、エリュシオンは北東のオケアノス地方。
 その中心地から僅かに離れ、荒地の多いオケアノスの中でも緑に恵まれた一角に建てられた、選帝神ラヴェルデ・オケアノスの私邸には、その景観にそっと寄り添うような、美しく静かな旋律が満ちていた。
 先日の遺跡での折、クローディスからの伝言を受けたのか、アベルを通じての経緯でだろう、いつでも来て構わないと言う言葉に甘えて、そのラヴェルデを訪れた呼雪だ。リュートが爪弾く旋律に乗せて、この事件の顛末――かつてこの地に起こり、歴史の影に隠匿された悲劇と、それに連なる憎悪の生んだ暴走。そして両国が手を取り合って過去の亡霊の意思を砕き、両国の絆を改めたこと――そんな経緯を旋律と詩にして歌い上げる。その中に、さり気なくラヴェルデの取り計らいについても触れて、礼賛する下りにはラヴェルデも満足そうに表情を緩ませた。
 そうして、個人的に味わうのは贅沢に思われる演奏が終わると、ラヴェルデとヘルが控えめながら拍手を贈る。それに対して恭しく頭を下げる呼雪に、ささやかな褒章だと冗談めかし、ラヴェルデは二人へ紅茶を菓子を用意させた。
 呼雪が地球人なのに併せてなのか、エリュシオンで見かける菓子類とは違うケーキに貿易都市らしい一面を垣間見させつつ、ゆっくりと紅茶とその時間を味わいながら「しかし」とラヴェルデは苦笑した。
「わざわざ敵の手中へ赴くとは、無茶をしたものだな」
 クローディスからの伝言からでも幾らか事情を聞いていたのだろうが、歌の中で随分としぐれに肩入れしている部分を聞き取ったのだろう。自分でも無茶をしたのは理解しているのだろう、肩を竦める呼雪は微笑を深くした。
「何がしかの波紋が起きた時、そこに救わなければと思う存在を見出したならば、思うよりも先に動いてしまうのです。例え手が届かなくとも」
「ほーんと、こういうことがあると、直ぐ無茶をするんだから」
 その言葉に、普段の様子を思い出してか、ヘルも肩を竦める。
「それがなくなったら呼雪が呼雪じゃなくなっちゃうけどね」
 呟くヘルの言葉に、ふとかつての継承問題での折のことを思い出してだろうか、苦笑を深めるラヴェルデに「かの世界樹の件も……」と、呼雪はそっと口を開いた。瞬間、僅かに眉が動いたのに呼雪の声は静かに囁くようなそれに変わる。
「アールキングもまた、更に大きな存在に利用されているに過ぎず……結局その最後に残された生命力をこの身に宿す事しか出来ませんでした」
 ラヴェルデはラヴェルデで、その独自の情報網から幾らかは知っていることだったのだろう。アールキングに関わる様々なことは、自身にとっても他人事ではない。協力と言う名で利用されていた反面で、ラヴェルデにとって彼の描く世界に共鳴していた部分があったからこそ、その足元に縋る心地で尽くしたのだ。事件が終わり、時が過ぎて再び選帝神らしい貫禄を取り戻しつつはあっても、まだどこか、アールキングと言う存在へのわだかまるものがあったのだろう。そんなラヴェルデの背中を、呼雪の掌がそっと撫でた。
「ですが……ラヴェルデ様が今もご健勝であられるのは、私にとっても救いであるのです」
 それを解きほぐすように、呼雪の声はラヴェルデの耳に滑り込む。ふう、と息を吐き出したラヴェルデは「そうか」と静かに息をついた。
 それから暫しは、ゆったりとお茶を飲み、方々で得た歌を披露しながら、穏やかに時間を過ごす中「頻繁には参れませんが、またお会い出来ると嬉しく思います」と呼雪が口にすると、ラヴェルデはふっと表情を緩めた。
「また君らから旅の話しを聞けるのを、楽しみにしている。特に……」
 一度言葉を切ったラヴェルデは、くつと面白がるように喉を鳴らした。
「君のことだ。また無茶をするのだろうからね」
 時々顔を見せて無事を確認しておかなければな、と冗談めかすのに、ヘルと呼雪は顔を見合わせ、続けて、三人で思わず声をあげて笑ったのだった。