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リアクション
第一章 黒く染まるヴァルキリーたち
「エド……」
高熱に苦しむエドウィンの服を脱がせて、濡れタオルで汗を拭いてやりながら、阿部 孝浩(あべ・たかひろ)は悲痛な面持ちで、少年ヴァルキリーのパートナーを見つめた。
褐色の肌が汗でじっとりと濡れている。
「阿部さん、これを……」
「ありがとうございます」
黒田 神無(くろだ・かんむ)が差し出してくれた氷嚢を受け取り、エドウィンの頭に乗せる。
「……ちゃんと寝ていますか、阿部さん」
神無の銀色の瞳に心配そうな表情が浮かぶ。
「エドが苦しんでいるのに寝てはいられません……そうだ、人肌は熱を吸うと言いますね。水浴びをしてきます」
「え? ど、どうしてですか?」
驚く神無に孝浩は思いつめた表情を向ける。
「水を浴びて体を冷やして、エドと添い寝します。そうすれば少しはエドの熱も引くかも……」
「ま、待って下さい、そんなことは……」
「そうですよ、阿部さん。そんなことをしてはいけません」
「花薙くん……」
同じ薔薇の学舎である花薙 雲丹(はななぎ・うに)に止められ、孝浩は困惑の表情を浮かべる。
「だが、私は……」
「私のパートナーは吸血鬼なので、ヴァルキリーについては詳しくありません。でも、プリーストとしてヒールしてあげることなどはできます」
僧侶としての想いが、雲丹の瞳に宿る。
「どうか無茶はしないでください。薬が来て、彼が目を覚ました時に、あなたが具合が悪くなっていたら、どうするのですか?」
雲丹の制止に孝浩はハッとする。
「私たちがヴァルキリーの皆さんの看護に当たりますから、だからどうかそんなご無理は……」
自分では頼りないかもしれないけれど、と心の中で思いながら、雲丹は正直に自分の思いを話した。
すると、孝浩は体の力を抜き、小さく息を吐いた。
「そうですね。少し熱くなりすぎていたようです。すみません」
「いいえ、大事なパートナーのことですもの。分かります」
取り乱しているのは孝浩だけではなかった。
向こうでも悲鳴に近い叫び声が響いている。
「エレオノーレ、エレオノーレ!」
待田 イングヒルト(まちだ・いんぐひると)の細長いツインテールの髪が、エレオノーレ・ボールシャイト(えれおのーれ・ぼーるしゃいと)の顔にかかる。
「エレオノーレ死なないでーっ!」
茶色の大きな瞳にいっぱい涙を浮かべて自分を見つめるイングヒルトの頬を、エレオノーレは優しく撫でる。
「そんなに騒ぐんじゃないよぉ、みんなガマンしているんだから……」
イングヒルトを安心させようと微笑みを浮かべるエレオノーレだったが、いつもに比べると弱々しい。
普段ならば楽しげに自分をからかうエレオノーレのそんな様子を見て、イングヒルトの瞳から涙がこぼれた。
「……やだ。やだよ、エレオノーレ。元気になってよ。いつものように私をからかってよ」
「無理言わないのぉ……それ、なら……薬とってきてちょうだい……」
そこまで言って、すっとエレオノーレの青い瞳が閉じられた。
「エレオノーレ!」
「大丈夫よ。疲れて眠っただけだわ」
涙を流すイングヒルトをなだめつつ、愛川 みちる(あいかわ・みちる)はエレオノーレの頭に、新しい氷嚢を乗せ、薄茶の髪が汗で張り付いてしまった顔を拭いてあげた。
「私……薬を取りに行ってきます!」
イングヒルトが涙を拭いて立ち上がる。
みちるはそんな彼女に応援の言葉をかけた。
「私たち看護もがんばるわ。だから、イングヒルトさんもがんばって」
「無理はするな」
大神 比呂(おおがみ・ひろ)がエレオノーレにヒールをかけつつ、みちるとイングヒルトにそう言葉を掛ける。
無口な比呂だから、言葉はそれだけだったが、そこには心配の思いがこもっていた。
「さあ、滋養と解熱に効きそうなものを作ってきたでー」
美味しそうな匂いが立ち込めて、橘 由良(たちばな・ゆら)がたくさんの料理を運んできた。
蒼空学園の食堂職員であり、調理師である由良は、今回の事態を聞き、症状が悪化しないように、と水分やビタミンCを多く含んだ料理を用意してきたのだ。
「これはおいしそうだ。食べてもいいか?」
「もちろんや。たくさんあるからな。エルシュもイルミンスールの図書館まで行って、お疲れさんや」
やってきたエルシュ・ラグランツ(えるしゅ・らぐらんつ)に由良は笑顔で食べ物を渡す。
「いえいえ、そちらもお疲れ様」
「なあに、戦闘は不慣れやからなあ。私に一番出来るのはこれやから……」
「それはこちらも一緒。自分に出来る最善のことをするしかないな」
エルシュの言葉に、由良も力強く頷く。
「小さく切った野菜とか、卵豆腐とかどれも体に良さそうですね」
「ああ、そういうつもりで作ったんや」
ディオロス・アルカウス(でぃおろす・あるかうす)に褒められ、由良はうんうんと頷く。
エルシュは料理を運ぶために用意されたトレイを見て、由良に小瓶を見せた。
「ちょうどいい。料理を配る時に、一緒にこれも付けてくれるか?」
「これ?」
「うん、先生たちにも聞いて、少しでも呪いに効きそうなものを作ったんだ」
しかし、エルシュの顔に笑みはない。
「鏖殺寺院のことは分からないって言ってたし、本をひっくり返しても、それらしいものが見つからなかったから、有効かはわからないけれど……」
少し不安そうなエルシュを見て、みちるは励ましの言葉をかけた。
「お疲れ様、エルシュさん、ディオロスさん。大変だったね。ゆっくり休んで!」
「いえいえ、そうもしていられません。これから古城の方にも行かないといけないので……」
「古城?」
「はい、もしかしたら、守護聖人の方にも効くかも知れないので……と、すみません、持っていくお膳に、これも付けてくださいー」
ディオロスが食事のトレイの上に、小瓶を乗せていく。
由良は料理を持っていく人たちに配膳をしてあげながら、声をかけた。
「好きなもの持っていくとええ。ネギとかショウガ入れた卵粥もあるで! 食べたいものがあるなら作ってくるから、遠慮なく言うてや!」
果物のフレッシュジュースだけを口にするもの、ゼリーだけを口にする者もいる。
由良は食欲のなくなった人たちを心配しながら、小さく呟いた。
「……とんでもない事になったなぁ……さすがに死ぬのはあかんやろ」
万が一の感染を心配して、由良はヴァルキリーである自分のパートナーを置いてきている。
しかし、優しい由良は他の人のパートナーであるヴァルキリーさえも、自分のことのように心を痛めた。
「あー、誰でもええから薬頼むでほんま! ……薬が嘘やったら許さんぞ、あの魔女」
由良は厳しい顔つきで、窓から見える空を睨んだ。
「ま、まってくださーい!」
イングヒルトが慌てて追いかけると、アレッサンドロ・ヴィスコンティ(あれっさんどろ・びすこんてぃ)と話していた香川成美が振り返った。
「あなたは……」
「い、一緒に連れて行って下さい!」
エレオノーレを助けたい。
そんな真摯な思いを瞳に秘めたイングヒルトを見て、成美は小さく頷いた。
「分かったわ、一緒に行きましょう」
成美が了承すると、アレッサンドロもイングヒルトを励ました。
「うちのフィオーレも翼が黒くなってな……高熱で苦しんでいる」
「まぁ……」
「俺はフィオーレを助けたい。そのために俺がどれだけ傷つこうと構わない……。共に行こうぜ、仲間よ」
アレッサンドロはイングヒルトへの挨拶のように、ワインの入ったスキットルを軽く目線くらいまで上げ、飲んだ。
「お酒はほどほどにしてね、アレッサンドロ!」
キリっとした目を向けてくる天恵 真癒巫(てんけい・まゆみ)にアレッサンドロは、ちょっと寂しさの混じった笑いを見せる。
「そんなに飲まないさ。呑む相手がいないんでね……」
フィオーレの偏食ぶりが気になってはいたが、それでも毎日一緒に飲み明かしてくれた彼女がいないとやはり寂しいとナポリの伊達男は思っていた。
「その呑む相手を助けるために、がんばりましょう!」
神地 地球(かみじ・てら)の言葉に、アレッサンドロと成美は真剣に頷く。
その一方、目を覚ましたエレオノーレは、みちるにイングヒルトが旅立ったことを聞き、ビックリした。
「まさか本気で行くなんて……」
ウェーブのかかったシャギー入りのボブヘアが揺れ、エレオノーレは起き上がろうとする。
「あああ、駄目だわぁ! やっぱ気になる!」
「動いてはダメ、熱がまだ高いのよ!」
「邪魔しないで! 私、イングヒルトを助けに行くわぁ! って、あらぁ?」
体を制御できず、倒れかけたエレオノーレを、比呂が抱き支える。
無言で自分を見つめてくる比呂を見て、エレオノーレは観念して、もう一度、寝転がった。
「帰ってきたら思いっきり抱きしめてあげるんだからぁ。……だから、無事に帰ってきなさいよぉ」
みちるたちが看護をがんばる中、ヴァルキリー達に薬を配布し終えたエルシュとディオロスは、そのまま城へと向かった。
「私の古い記憶にもなかったのが残念ですが……」
ディオロスはそう呟きながら、エルシュと共に行く。
「疫病も呪いも、薬の確保と配布が戦術的勝利への近道になる」
少しでも真実に近づけたら。
緑の瞳の魔法使いはそう真剣に思っていた。
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