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第30章 後半――守護神、そしてホイッスル

 眼前を覆うカレーボールはいよいよ重くなり、突進する勢いを増していた。
 ずりっ、と足元から音がした。また自分の位置が後退したのだ。
 この手を離すわけにはいかない。離したら、カレーボールはゴールネットに突き刺さる。
 横に放り出す事もできない。ボールにかけられている重力干渉は凄まじく、横に出した瞬間やはり真後ろのゴールネットに突き刺さる。
(けど――このままじゃ、結局押し負ける!)
 万策尽きたか――いや、まだ方法が残っていた!
「……ヴァーナーさん! お願いがあります!」
 赤羽美央は叫んだ。
「私のSP、回復させて下さい!」
 さすがに「キスして」と口に出すのは憚られた。
「う、うん! 分かった!」
 小さい体が駆け寄ってくる気配。懐に何かが潜り込んで、首に腕が回された。頬に柔らかな感触。二度、三度。
 ――回復確認。
(次!)
「ヴァーナーさん、私のポケットに手を入れて下さい! 中に何かありますでしょう!?」
「うん! えと……これ!?」
 太腿の上、腰のちょい下、もぞもぞと何かが動く感触。
「そう、それ! 私が合図したら、ひっくり返して!」
「分かった!」
 深呼吸。心臓の鼓動と、ダメージが体中にまんべんなく行き渡っているのを自覚。恐らく自分は立っていられる時間は、あとわずか。
(でも、1秒もあれば十分――この重力シュートを止められる!)
 精神集中完了!
「ヴァーナーさんっ!」
「はいっ!」
 「黒檀の砂時計」がひっくり返された。
 ――時の流れが緩慢になる。
 ボールを挟む両手を離す。
 後退る足を、数ミリだけ踏み進める。
 勢いがついた。その勢いを両手に伝える。
 最終スキル発動。
(「ランスバレスト」・双掌挟撃式!)
「はァッ!」
 左右から掌による「ランスバレスト」が、叩き込まれた。
 対方向から同時に打ち込まれた衝撃は、カレーボール全体に伝わり、そのボディを震わせる。
 ――このボールは、前半後半を通じて、どれほどのダメージを蓄積してきたのか。
 何百回何千回と蹴り回され、叩きつけられ。
 スキルをかけられては時には燃え、凍てつき、帯電し、衝撃波を浴び。
 それでも「彼」は――物言わぬこのカレーボールは、その任務をまっとうし続けてきた。球技において、ボールの存在は最大の前提であり、在って当然のものだったから。
 しかし、ついに限界が来た。
 決定的なのは、「メテオドライブ」だったのか? それとも「1728億シュート」か、あるいは赤羽美央の「ランスバレスト」なのか?
 黄色と黒の模様の中に、亀裂が入った。
 ザカコの「奈落の鉄鎖」による超重力と、赤羽美央の双掌に挟まれていたカレーボールは、瞬く間にその亀裂を全身に走らせた。
 バンッ!!!――
 破裂音がして、切れ切れになったボールの破片が飛び散った。

 ――止まった。
 それを悟った瞬間、赤羽美央の全身から力が抜けた。
 倒れ伏す彼女が耳にしたのは、ヴァーナーが自分を呼ぶ声と、試合終了のホイッスルだった。

《ついに試合終了! 90分にわたる死闘に、ついに決着が付きました! 第一回蒼空杯サッカー大会、その結果は2−2の引き分け!》
《……最後のは絶対ゴールする思うたんやけどなぁ……まさかあんな方法があったなんて》
《選手それぞれの鍛えた力、積み上げた経験、習得したスキルの成果を見せつけた、主旨を見事に達成した蒼空サッカー! 物凄い、実に物凄い戦いでした!》
《蒼空サッカーとかけまして、平屋と解きます》
《その心は?》
《二階はないでしょう》
《……》
《……あのー》
《……むぅ》
《……お願いですから何かリアクションして下さい》
《……うぅむ》
《すんません。自分が悪うございました。取り消します》
《二回と二階をかけたわけですね? なるほど》
《冗談抜きで傷つきますんでギャグの解説は勘弁して下さい》
《いえ…こんな熱戦、確かに何度もできるものではありませんからねぇ?》
《えーと、それはフォローのつもりですかいな?》
《いえ、素直に感心しているだけです。上手い事を言うなあ、と》
《つまらんならつまらんと、素直に言うたって下さい……》
《本気で言ってるんですがね》

「美央」
 名を呼ばれた。
 苦労して仰向けになってみると、マイト・オーバーウェルムが優しい顔で微笑んでいた。
 さしのべられる手。つかまろうとして、手さえ挙げられない事に気付く。
「……すみません。ちょっと、身動きもできなくて……」
「いいさ。無理すんな」
 脇と背中に腕を入れられた。「うんしょ」と言いながら、ヴァーナーが抱え起こしてくれたのだ。
「美央。お前、試合前に俺に言った事覚えているか?」
 頷いた。
「完敗だ。結局俺は、お前のゴールに、まともにシュートを決める事は出来なかった」
 首を横に振った。
「? 前半最後のアレか? あいつは、こっちのもうひとりのマイトが最後に補正をしてくれて――」
「そうじゃないです……部長」
 やっと赤羽美央は、口を開いた。
「私ひとりでゴールを守れたわけじゃありません……みんながいたから……だから結局、私と部長とでは、勝ちも負けもないんです」
「……そうか」
「あと、紅チームのみなさんに……お礼を言わせて下さい」
「何て言うんだ?」
「最後まで手を抜かずに……戦ってくれて、ありがとうございます」
 赤羽美央は、試合開始からの事を思い出した。
「……紅のFWのみなさんのシュート攻勢はやっぱり怖かったです……優梨子さんの『アボミネーション』は、本当に心が折れそうになりました……前半終了間際のボール2個同時シュートは――」
「美央」
 マイトは人差し指を赤羽美央の口に押しつけた。
「今は休んでいい――その後で詳しく聞かせてくれや。な?」
「……はい、部長」

 ――終わった!
 試合終了のホイッスルが鳴った時、芦原郁乃は地面に倒れ込んだ。
「……郁乃様!」
 文字通りに飛んできた秋月桃花の足元で、芦原郁乃は仰向けになって「ふぅぅ」と息をつく。
「郁乃様、大丈夫ですか!?」
「んー……疲れた」
 秋月桃花は安堵の息をつく。
「驚かさないで下さい。何かあったのかと、心配したじゃありませんか」
「何かだったら、もうずっとあったよ」
 芦原郁乃は眼を閉じた。
「あの時……蒼空学園の受付窓口で、『選手で出る』って言った時からずっと、『何か』が続きっぱなしだったよ」
「……そうですねぇ」
「信じられないなぁ。私、一応最後までやれたんだね。すごいね、私って」
「きっと、皆さんのおかげですね」
「うん、そうだね……白の人達と、あと、紅の人達」
 眼を開けた。
 眼に見えるのは、いつものように優しい顔で自分を見ている秋月桃花と、そして――
「ねえ、桃花」
「何でしょう、郁乃様?」
「空が蒼いねぇ」
「――そうですねぇ」
「知らなかったよ。空ってこんなに大きくて、蒼くて、深かったんだ――」
 こんな空の下で、自分達はサッカーを――色々と常軌を逸していたけど、サッカーをやっていた。
(そうか。だから、「蒼空サッカー」って言うんだ)
 芦原郁乃は納得した。