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リアクション
3章
茅野 菫(ちの・すみれ)にとってのカナン遠征は、必ずしも戦闘を意味しない。
誰が治めようと、国は豊かでなくてはならない。
――まず、食うものがあり、兵が強いこと。
それは、悪であろうと善であろうと関係ない、国というものにとって絶対の理だ。
だから今のネルガルのやり方には、違う意味で我慢がならない。
人質についても、懐柔するほうが余程効率がいいではないか。
――だから、彼女は手紙を書いた。
「あとは、こいつをネルガル軍の誰かに届けるだけだが――」
パートナーの相馬 小次郎(そうま・こじろう)が、眼鏡に指をやりながら言う。
「休憩中の今、行くべきであるな。行軍中は斥候と衝突する可能性が高いし、戦闘が始まれば手紙どころではなくなる。今なら隙もあるだろう。神官軍を見つけられれば、だが」
「ん。じゃ、それで」
菫と小次郎は手紙を携え、行動を始める。
本能寺 飛鳥(ほんのうじ・あすか)がマーゼン・クロッシュナー(まーぜん・くろっしゅなー)の元へ戻ったのは、それから数刻してからのこと。
「どうだった、飛鳥」
「うん、二人」
アム・ブランド(あむ・ぶらんど)が意外そうな顔をする。
「もっといるかと思ってたわ」
「向かった先は、分かりますの?」
そう尋ねるのは早見 涼子(はやみ・りょうこ)。
「北へ。今の延長線上だね」
「――そうか。戻ってこない可能性もあるのだな」
マーゼンは眉根に指を当てた。
同じ契約者を疑いたくはない。が、過去の苦い経験がそれを覆い隠し、彼を冷徹な憲兵としていた。
「では、行こう。飛鳥、案内頼む」
「私は取調べ係ね」
アムが呟く。
「みなさん、ショックでしょうけれども、言わないわけにも参りませんものね」
涼子が目を伏せた。
「そうだな。涼子、事後処理を頼む」
マーゼンはそれだけ言い残すと、飛鳥を連れて菫の後を追う。
追っていった先に見いだした人影は、三つだった。
菫と小次郎、それから、意外な人物が立っている。
「――メルカルト、殿」
「マーゼン・クロッシュナー殿。お役目、まことに痛み入る」
メルカルトは二人に一礼する。
マーゼンが口を開いた。
「彼女らは、密通者の疑いがあります。どうかお引き渡しを」
「マーゼン殿。シャンバラからおいでなされた方々は、皆が軍人ではありますまい」
「――」
「先程、お二人と話をさせて頂いた。確かに方法は違えど、カナンの幸福を考えておられた。この地に関わったが故に、お二人が罪科を問われ、処断されることなどあらば、何より私の胸臆が穏やかでいられぬ。どうかこの度は私に免じ、お二人を解放してやってもらえまいか」
「メルカルト殿」
確かに軍人でない以上、彼らは何の罪も犯していない。
ならば。
「では、――二人が実際に我らに仇なすものとなった場合は、如何いたします」
それは判官のものではなく、マーゼン個人の問いである。
「その時は、私の一命に代えても、この責任を取らせていただきましょう」
マーゼンはしばらく押し黙っていたが、メルカルトにそこまで言われては引き下がる他はない。
何より、判官はシャンバラの法の守護者である。ここはカナンの地であり、相手はカナンの人間だ。もし彼らが裁かれる時が来ても、軍法でない限り、それはカナンの法による、という意識がある。
「――承知しました。今のお言葉、お忘れ無きよう」
マーゼンは踵を返すと、ふたたびキャンプに戻っていく。
菫がメルカルトを見上げる。
「いいのか、おっさん」
「俺はあまり頭が回らんのでな、あなた方のやろうとしていることが善か悪か分からん。だから、いい」
「おい、カナン人てのはみんなこうなのかよ」
「はっはっは!」
笑うメルカルトに見送られて、二人は一行を離れる。
――しかし、結局のところ、手紙はネルガルの元へ届かなかった。
その結果によってはネルガル陣営につくことも考えていた菫であったが、面識もないシャンバラ人の手紙を預かる神官を見つけることは不可能であった。
次の機会を待つか、あるいは引き返すか。
彼らは再び岐路に立ちつつ、今回の遠征は幕を閉じることになった。
レロシャン・カプティアティ(れろしゃん・かぷてぃあてぃ)は、目の前に注がれた液体を凝視していた。
――ここは砂漠の中に点在する、小さな居住区のひとつ。
周囲を砂と岩山に囲まれているなか、ちょっとしたオアシスを形成しており、中には質素ながら酒場もあった。レロシャンは迷わずその扉を開け、マスターにミルクを頼んだところである。
だが、この香り。明らかに牛乳ではない。
「――マスター、これ、何のミルクですか?」
「ああ、パラミタラクダさね」
「!!」
引きつる。
「栄養満点だぜ。ぐっと飲ってくんな」
「あー。あの、よく考えたらサイダーにしたいんですけど」
「お嬢ちゃん、ここで炭酸ったらビールしか無えよ」
「ううう――そ、そうだ。マスター、この辺に働き口ってあります?」
本来の目的である情報収集を始めたレロシャンだが、話題を変えたようにしか見えないのが辛いところだ。
「ああ、冒険者(アドベンチャラー)がいるからな、仕事はあるぜ。景気はもちろん良くないがね」
どうやら、細々とはいえ、流通と経済は死んではいないようだ。
「こんな砂漠で店を出せるのも、まあ半分は奴らのおかげさ。そのミルクも発注してるんだぜ。割と苦労して手に入れるって話だな」
「なるほど、――わかりました」
それを聞いて残す訳にはいかない、と思った。
意を決して、ミルクに口をつける。
「――」
「どうだ、案外いけるだろ。ん?」
体中を吹き抜ける異国の風にじっと耐えながら、レロシャンは、涙目で微笑んだ。
「完全に砂ばかりじゃないとはいえ、厳しいですね」
時を同じくして、ジーナ・ユキノシタ(じーな・ゆきのした)は、居住地の近くの土地を調べていた。
「ユイリ、何か感じますか?」
ユイリ・ウインドリィ(ゆいり・ういんどりぃ)は目を閉じ、流れてくる空気に意識を向ける。
「いえ、今のところは何も。静かなものです」
静かなもの、か。
ジーナは地球のことを思い出した。
そうだ。あそこでは「豊穣の恵み」などないのが当然だった。
「イナンナさんの加護がなくても、大地の力は死なないはずです。たとえ、砂地でも」
「――ジーナよ、女神様に対して、もう少し敬意を払わぬか」
二人の周囲を間断なく警護していたガイアス・ミスファーン(がいあす・みすふぁーん)が、ジーナをたしなめる。
「あ、――ごめんなさい。イナンナ様、ですね」
「他意がないのは分かっておるが、あまり馴れ馴れしいのも、この地では無用な諍いの種となりかねん」
ガイアスの言うことはもっともだった。ジーナは素直に頭を下げる。
「――あ」
その時。ジーナは砂の上に、ある植物の幻を見た。昔、地球の砂浜で見た、食べられる植物。
そうだ。あれなら、育ってくれるかもしれない。
「ユイリ、パラミタにハマボウフウはありますか?」
「ハマボウフウ??」
いかなユイリでも、博識のスキルを備えたドルイドに植物の話を振られて、即座に対応できるわけもない。
「すみません、分かりませんが――見当がついたのですね?」
「ええ! うまくいけばいいんですけど」
ジーナは笑顔を見せると、さっそく宿営地の方へ駆けだしていった。
ユイリは思う。
パラミタの民とは違う道を見つけ出す地球の人々。
彼らがもたらす驚きと喜びに、改めて感謝しなくては、と。
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