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アタック・オブ・ザ・メガディエーター!

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アタック・オブ・ザ・メガディエーター!

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【四 黒い通路】

 天御柱学院内に幾つも存在するイコン研究施設のうちのひとつ。
 その中の、通信設備付きのとある個室にて、和泉 猛(いずみ・たける)は壁際に設置されたディスプレイに釘付けとなっていた。
『どうだ、分かるか?』
 ディスプレイ脇のスピーカーからは、孝明の声が聞こえてくる。猛は、視線の先をディスプレイに固定したまま、マイクを取った。
「こいつは……アロコペポーダだ」
『なんだそれは?』
「メガディエーターに巣くう寄生虫だよ。それも、飛び切り凶暴な類のやつだ」
 スピーカーの向こうから、息を呑む緊張に満ちた気配が漂ってくる。猛の傍らに立ち、トレイに熱いコーヒーの注がれたカップを乗せて運んできたルネ・トワイライト(るね・とわいらいと)も、ディスプレイに表示される奇怪な姿にじっと見入ってしまっていた。
 コペポーダ、或いはカイアシ、ともいう。
 節足動物門甲殻亜門顎脚綱カイアシ亜綱に属する生物を総称する呼称であり、その多くはプランクトンとして生存する微小な甲殻類である。
 基本的には動物性プランクトンであるが、中には底生、寄生性、陸生の存在も認められるという。日本ではケンミジンコと呼ばれるケースが多いが、一方で学名のアルファベット読みでコペポーダとも呼ばれる。
 アロコペポーダとはつまり、異なるコペポーダ、という程度の意味であった。
 その外観はソフトボール程の大きさで、全体的に黒っぽく、フナムシ、カブトガニ、ザリガニをかけあわせたような容姿で、どこか不快感すら感じさせた。
 二十以上の対からなる節足が腹部にずらりと並び、頭部付近から伸びる一対の鋏状の足が、手の役割を果たしていると見られる。
 猛はごくりと唾を飲み込んでから、静かにひと息入れて、再度口を開いた。その声は若干ながら、緊張に強張っているようにも感じられた。
「メガディエーターの口腔内、或いは皮膚の隙間などに寄生しているようだ。そして宿主たるメガディエーターの食べ滓や、或いはメガディエーターの古くなった皮質などを餌にしているらしい。だがな、宿主から離れた場合は極めて凶暴な性質を発揮するぞ。自分よりも大きい相手であろうとも、お構い無しに襲いかかってくる、とんでもない奴だ」
『分かった、ありがとう……もしまた何か分かれば、すぐに連絡をくれ』
 そこで通信は一旦途切れた。
 ややあって、ルネがコーヒーカップを猛の前にそっと置きながら、溜息混じりに問いかけてきた。
「皆さん、大丈夫でしょうか……?」
 だが、猛は答えない。答えようが無かった。
 メガディエーターが姿を現したのは、パラミタが日本領海上空に出現して以後、初めてのことなのである。誰ひとりとして、その正確な対象方法を知らないのだ。
 ましてや、更に情報が少ないアロコペポーダなどに、どのように対応すれば良いというのだろう。

     * * *

 アロコペポーダに関する情報が、管制室に居る孝明から一斉同報という形で、各コントラクターの所持する携帯電話やHCなどに伝達されたのはその直後のことであった。
 ただでさえ巨大にして獰猛なる鮫、崩落寸前の展望塔、無力な一般人達という幾つもの危機が彼らを取り巻いているというのに、更にこの新たな脅威の登場である。
 誰もが一瞬天を仰ぎたくなるような気分に陥ったのは、致し方無いといったところであろう。
 だが、泣き言をいっている場合ではない。
 上部第二層で観光客達を最上層へと誘導していた叶 白竜(よう・ぱいろん)神崎 翔太(かんざき・しょうた)キリエ・エレイソン(きりえ・えれいそん)セラータ・エルシディオン(せらーた・えるしでぃおん)といった面々が、誘導作業を展望塔のスタッフに任せ、大急ぎで下部第三層への非常階段へと続くエレベーター脇の廊下に飛び出してきた。
 一切飾り気の無い、白い壁や床、天井だけで構成される殺風景な廊下であったが、その突き当たりにシールドが施された金属性の扉が見えた。
 一同、互いに顔を見合わせてから、意を決したように頷き合う。そうしてそれぞれが腹を括ると、白竜が先頭に立って下部第三層へと降りるシールド扉へと向かった。
 途中、白竜の脳裏に声が響いた。空中展望塔の外壁付近をヘリファルテで飛行し、損傷具合と脱出経路を外部の視点から確認していた世 羅儀(せい・らぎ)が、呼びかけてきたのである。
(白竜……さっきの同報連絡だが)
(今、丁度その現場に向かっているところです)
 精神感応は、単純にお互いの意思を通じ合うだけではなく、その感情や思考の際に発する緊張なども相手に伝わるケースが多い。
 この場合などはまさにその典型であった。白竜、羅儀、共に神経が極度に緊張しているのが、お互いによく分かった。
(それで、外部はどうなのですか?)
(さっぱり駄目だ。一応、清掃や定期点検の為の外壁通路なんかもあるにはあるが、そこかしこで足場が崩れていて、とてもじゃないが使い物にならん。外を通っての避難は、やめた方が良い)
 そこで、羅儀からの声は一旦途切れた。
 既に四人はシールド扉の際にまで到達しており、ここから先は目の前の事象に集中しなければならないのである。呑気に精神感応で会話を交わしている場合ではなかった。

「それじゃ、開けますよ」
 翔太が、若干緊張に震える手でシールド扉の取っ手を握り、力を込めてスライドさせる。
 白竜、キリエ、セラータの三人はさっと身構えた。シールド扉の向こうから何が飛び出してくるのか分かったものではない。不本意ながら、戦闘態勢を取らざるを得ないのは、この局面では仕方の無いところであろう。
 やがて、一同の前に奇怪な光景がその姿を現した。
「うっ……何ですか、これは」
 思わずセラータが呻いた。
 シールド扉の向こうには、更にもう十メートル程の廊下が伸びており、そこから下部第三層へと降りる非常階段が続いているのだが、その非常階段に至るまでの床、天井、壁のありとあらゆる場所が、黒光りする物体でびっしりと覆い尽くされていたのである。
 一部、廊下の壁が破損しており、そこから激しい気流が流れ込んできているのだが、黒光りする物体も同様にその破損箇所から、次から次へと塔内部へと流れ込んできているのである。
 と、それまでざわざわと蠢いていた黒光りの物体の群れの動きが、ぴたりと止まった。その直後、シールド扉脇の四人は前方から注がれる無数の視線が全身に浴びせかけられているのを、殺気と共に感じた。
 拙い。
 ここに居る四人が、同時に思った。
「閉めてください!」
 白竜が叫んだ。
 が、それよりも早く、翔太は全身全霊の力を込めて、重いシールド扉を押し戻し始めていた。
 閉じつつあるシールド扉の向こうでは、黒光りの物体が整然たる動きで、一斉にこちらへと向かってくる。甲殻類の硬い爪先が床を叩く音が、細波のように押し寄せてきた。そのスピードは、驚く程に速かった。
「くそっ! 早く閉まれ!」
 意外に重いシールド扉に苦戦しながらも、翔太は何とかふたつの廊下のシャットアウトに成功した。が、シールド扉のエッジ面が壁と接するその直前、ひとつの黒光りする物体が隙間をすり抜け、こちら側の廊下内に飛び込んできた。
 決して避けられない跳躍ではなかったが、虚を衝かれた為、回避行動が一瞬遅れた。その黒光りの物体、即ちアロコペポーダは白竜の左の二の腕に飛びついた。
 その勢いに押され、白竜の体躯が床に叩きつけられる。
「うっ……!」
 白竜の左肩から先全体に、激痛が走った。見ると、アロコペポーダが飛びついてぴたりとくっつている箇所の被服表面から、白い煙のようなものが舞い上がり始めていたではないか。
「させません!」
 セラータの振るう刃が一戦し、アロコペポーダを床に叩き落した。直後、翔太の放った火術が黒光りするその全身を紅蓮の炎で包み込み、あっという間にこの凶暴な寄生虫は絶命した。
「大丈夫ですか!」
 キリエが慌てて、白竜の左腕に治療を施術する。彼の治癒技術が無ければ、白竜の左腕はしばらく使い物にならなくなる程のダメージを受けていた。
「この痛みは、硫酸でも浴びたような感じですね。恐らくあの寄生虫は、非常に強力な酸性の唾液を以って獲物を溶かし、そのまま食するのでしょう」
「あんなのが全て、いずれかのフロアに雪崩込んできてしまったら、いくら私の治癒技術といえども、到底追いつきませんよ……」
 施術を終えたキリエが顔面蒼白になって、ゆっくりと立ち上がった。
 だが、下部第三層からの最も強固で確実な足場を誇る脱出経路は、この非常階段しか存在しないのである。
 であれば、誰かがこの地獄のような黒光りする廊下に足を踏み入れ、あの凶暴な寄生虫どもを始末しなければならない。
 では、誰がそれをやるというのか。非常に重たい課題であった。