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東カナンへ行こう! 2

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東カナンへ行こう! 2
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■アナト大荒野〜サンドアート展開催(3)

「これは……すごい」
 東カナン領主バァル・ハダドは、アナト大荒野に到着して早々、感嘆の息をもらした。
 続々と人々が詰め掛けている盛況ぶりもそうだが、彼の目に入ったのは、サンドアート会場に沿って作られた砂のアートだ。腰ぐらいの高さで築かれた壁が、ぐるっと3分の2程度をおおっている。途中で崩れたように終わっているようだが…。
 馬上から降り、グラニの手綱を脇に控えていた供の物に預ける。随伴してきた東カナン12騎士を従え、バァルはそのサンドアートの説明をしているらしい男に後ろから歩み寄った。
「――つまり、この『万里の長城』は、秦という国の、国土の守りを悲願として造られた建造物なんです。敵兵が乗り越えられない壁を築き、国を守ろうという統治者の思いから派生して造られた守りの壁。しかしその願いとは裏腹に、その建造の過程は人民に犠牲を強いる過酷なものでした――って、うわっ! バァルさん!」
 ふと後ろから差した人影に何気なく振り返ったトマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)は、それがバァルだと知った途端あわてた。
「い、いつの間に来られたんですかっ?」
「つい今しがただ。かまわないから説明を続けてくれないか」
「は……いえ、その……ここからは、実際に、希望者に参加してもらって長城を作ってもらおうと思っていまして」
 すっかり畏まったトマスの後ろの方で、それを示すようにミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)が観客たちに声をかけた。
「皆さーん、こっちへ移動してくださーい。今から長城の壊れた所を修復していきたいと思いまーす」
 頭上に上げた手には、砂の入ったコップが握られており、これを用いるのだと言いたげに振られている。
「修復?」
「はい。この長城は、長い年月の中で破壊と修復を繰り返されてきたのです。それを体験してもらおうかと…」
 その意味もあったが、一番の思いは別にあった。
 コップに入った砂は、濡らせばひと握り分しかない。1人ひとりにできることは小さく、あるいは少なくとも、大勢でそれを行えばこの長城を完成させることだってできる。それを体感してほしかった。イベント開催期間中に、このイベント会場をぐるっとおおえるほどになればいい。それがトマスやそのパートナーたちの願いである。
 ミカエラからやり方の説明を受け、コップを受け取る者たち。そのほとんどは、やはり子どもたちだった。楽しそうに手を濡らし、砂を練って、テノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)があらかじめ匠のシャベルを用いてやりやすいように下地を作ってあった箇所にぺたぺたくっつけていっている。子どものすることだからヘタだし、重なってボコボコのこぶになってしまっていたが、それも味だというように、テノーリオたちは笑って見守っていた。
 目を輝かせ、手についた砂をこすり落とそうとする子どもたち。顔についてしまっている子もいる。
「しゃーねぇなぁ。ホラ、おまえこっち向け」
 テノーリオが、自分のタオルで顔の汚れをぬぐってあげた。
「ありがと、タヌキさん」
「タヌキじゃねぇよ。タヌキじゃねぇが……まぁ、いーか」
 ぐいぐい耳を引っ張ってくる男の子に、苦笑いで返す。あの年ごろの子どもは遠慮がないから相当痛いだろうに……バァルの口元に笑みが浮かぶ。
 トマスは、これは言ったものか逡巡していたのだが、そのやわらかな笑みの浮かんだ横顔を見て、意を決した。
「――この建物は、ずっと人民を苦しめてきました」
「そう言っていたな」
「何千人という人々の生血を吸ったこの長城は、長い間、人々の憎悪と恐怖の対象でしかありませんでした。ですが今では、観光資源のひとつとして人々を潤しています。長らく災いの象徴であったものさえも、人間は、やがては自分の生きる糧へと変えていく…。
 この長城は悲惨な歴史の象徴であるけれど、同時に、人間のたくましさ、強さの象徴でもあると、僕は思うんです」
「……そうか」
 トマスの言わんとしていることを受け止めて、バァルは頷く。
 そこにミカエラが戻ってきた。
 次の観客が順番待ちをしているのを見て、おや? と片眉を上げる。
「まだ説明してなかったの?」
「あ、ごめん。今すぐ――」
「いいわ、トマスは休んでて。朝からずっとで疲れたでしょ。そこのぐーたらを起こせばいいだけなんだから」
「寝てませんよー。休んでるだけです」
 少し離れた所で折りたたみイスに腰かけ、ジュース飲み飲みくつろいでいた魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)が答えた。
「あら、起きてたの。ひと言も話さないからてっきり居眠りしてるんだと思ってたわ」
「ひどいですねぇ。そんな嫌味言わなくてもいいじゃないですか。私だってちゃーんと働きましたよ? 設計図引いたのだれだと思ってるんです。今回ばかりは、肉体労働は勘弁してくださいよー」
 戦闘用ビーチパラソルを挿して日陰を作り、折りたたみイスに腰かけて冷たい飲み物をぐびぐびする優雅な姿に、日なたで汗を流して働いていたミカエラはカチンとくる。
「いいからこっちへ来なさい! 長城について一番詳しいのはあなたでしょ! お客さんに説明して、質問に答えるの!」
「やれやれ」
 ふーっと息をつき、子敬は目をぐるんと回すと、どっこらしょ、と重い腰を上げたのだった。



 トマスたちと分かれ、門の方へ回ったバァルたち一行を待っていたのは、門の左右に設置されたバァルとアナトの巨大砂像だった。
 まさかこんな物があるとは思いもかけず、絶句してしまったバァルの後ろで「アナト?」という声が上がる。アーンセト家の若き騎士エシム・アーンセトだ。姉の姿をこんな場所で、こんな形で見たことに、驚きを隠せないでいるらしい。とまどっている彼に何事かを言わんとしたとき。
「バァルさん、いらっしゃい」
「ようこそ、サンドアート展へー」
「……おまえたち…?」
 まさに見たかった顔が見えたと満足げな顔つきで、遙遠をはじめ砂像を製作した者たちが砂像の影から現れた。

「それで、ひとを驚かせるのはこれだけか?」
「んー、どうでしょうね?」
 会場をすでにひと周りし終えていた遙遠は、あいまいに言葉を濁した。気を抜くと、笑ってしまいそうだった。
 ぜひ、自分の目で見て回ってもらおう。
「それにしても、ずいぶん遅かったんですね。もうお昼近いですよ?」
「先にザムグへ寄ってきたんだ。あと回しにするとうるさい輩もいる」
 だれとは言わないが、町議会の重鎮とか。正面きって文句は言わないが、すねられると今後何かと面倒な相手だ。
「そうですか。
 じゃあ回りましょうか。このラインに沿っていけば、ぐるっと1周できますよ」
 その言葉に、バァルは首を振った。
「いや、まずあれが見たい」
 それは、この会場に入る前から見えていた物。バァルの好奇心を強く刺激した異境の建物だった。



「おう、バァル。来たのか」
 巨大な建造物の前、近づく気配を察知して振り返ったのは本能寺 揚羽(ほんのうじ・あげは)だった。
「どうじゃ? わらわの渾身の一作は。すばらしいであろう」
 見ろ、とばかりに手を振り上げる。そこにあるのは、安土城天主だった。
「見事だ」
 バァルは一度も目にしたことのないその形に驚き、目を奪われながら歩み寄る。
 その言葉、表情。彼からの手ばなしの称揚に、揚羽はしたり顔で両腕を組んだ。
「これは、シャンバラにあるのか?」
「いや。地球にある……あった、というべきか。今はもうないが、昔たしかに存在した城じゃ。それを忠実に、3分の1スケールで造った」
 さすがに45メートル級の城をそのままの大きさで再現するには、場所も、時間も、人手もなさすぎた。それが揚羽には心残りだったが、仕方がない。
「これで3分の1か。王城並に巨大だな」
「まさしく、これぞ王のための居城よ」
 ため息のようなその言葉は、どこか、憧憬にも似た響きが込められていた。
 こんな砂の城ではなく、本物を打ち建てたかった、そんな思いのこもった声。
「岩を切り出して組んでいるのか」
 石垣として描かれた砂を見ながら言う。
 東カナンの建物もほとんどが石積みだが、曲線を多用する優美なアガデの工法とは構造が全く違っていた。どちらかというと荒々しく、それゆえ力強さを感じる城だ。
「石垣と第一層は八角形に造られておるのじゃ。そして、下三層と上二層で棟の向きを直角に変える。三層の矢倉の上に二層の望楼を乗せる、これすなわち五層の望楼式天守と言う」
 すっかり感銘を受け、目を奪われているバァルに対し、得々と話して聞かせる揚羽。
 そこに、ばたばたと姫宮 みこと(ひめみや・みこと)が走ってきた。
「揚羽、ずるいですよっ!! ボクにばっかりお客の相手させて、自分はバァルさんのお相手してるなんて!」
 観客を集め、ツアーさながらに周囲を1周しながら安土城天主の説明をしていたのは、みことだった。初めて見る異国の建物に驚き、ひきもきらず飛んでくる質問に答えていたのもみこと。
 なぜなら、数少ない資料を読みあさり、かつて地球で一部復元されたときの写真や「大天守之図」などを用いて設計図を作り、工兵の指揮をとり、完成に多大な貢献をしたのはみことだったからだ。揚羽は提案と監督をしていただけだ。
「おぬし程度の知識でも十分であろう。平民の相手は任せたぞ、さる」
 などと言って、観客の相手まで全部押しつけて…。
 ――やっぱりずるい。
「なんじゃ、その目は」
 最初は勢いで文句をつけたものの、揚羽のひと睨みを受けた途端、言葉が続かなくなってしまう。あとはただ、恨みがましい目で揚羽を見つめるだけのみことだった。



「これ、すっごくきれい……ねぇ? おにいちゃん」
 少女は小さな手でおそるおそる台の上にあった球を持ち上げた。砂の上に砂利石が敷き詰められ、水があり、植物があるそれを、光で透かし見ながら案内係の赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)を振り返る。
「そうですね。とてもきれいです」
 霜月にほほ笑まれて、少女はぱっとほおを赤く染めた。手の中の球に目を戻しつつも、口元が緩んでいる。
 そんな少女を見て、霜月はかわいいと思った。自分にも女の子ができたら、こんなふうなのだろうか。こんなふうに会話を楽しみつつ、買い物をして、手をつないで歩くのか…。
 ぼんやりとそんなことを考えつつ、一歩離れた後ろで少女を見守っていると、この店の主人らしき男が近寄ってきた。
「いらっしゃいませ。どんな物をお探しですか? 用途別にいろいろな大きさで取り揃えております。きっとお望みの物が見つかるかと思いますが?」
「いや、自分は付き添いで、この子の両親から頼まれただけですので」
 霜月は少し申し訳なく思いながら答えた。ひやかしと言ったも同然だ。
 しかし店主の男――実は笹野 朔夜(ささの・さくや)の体を借りた奈落人笹野 桜(ささの・さくら)なのだが――は笑みを絶やすことなく「そうですか」と少女に向き直り、目線の高さを合わせるためか、しゃがみ込んだ。
「それが気に入りましたか?」
「うんっ」
 少女は店主を見て元気よく答え、そしてまたうっとりと手の中の球に見入った。
「この葉っぱさん、同じとこから4つも出てる。不思議ね」
「四葉のクローバーというんです。花言葉は『私のものになって、私を想ってください』」
 心に想う方に渡してみては? と、ほかの客であれば付け足すのだが、さすがにこの少女にはまだ早いかと、そこで言葉を止めた。
「クローバーさんが言うの?」
 花言葉を、お花からの言葉、と受け止めた少女が目を丸くする。そして、自分にも聞こえるだろうかと一生懸命少女が球を耳に押し当てるのを見て、2人はこらえきれずくすくすと笑った。
「あたし、この子ほしい。それで、いっぱいいっぱい想ってあげるの!」
 ぎゅうっと球を胸に抱きこんだ。もう片方の手で、ポケットを探る。
「あたし、お小遣い、これしかないの。これで足りるかなぁ…?」
 小さな手に乗った、コインが4つ。
「十分ですよ」
 店主がそのうちの2枚をつまみ上げるのを見て、霜月は、うそだと思った。あの球はこの店の商品の中で一番小さな物だが、それでもあんな金額では買えるはずがない。おそらく、ガラス代にもならないだろう。だが「あげる」と言っては少女の負担になる。だから2枚だけ、代金として受け取ったのだ。
 霜月がそう考えたのを見抜いて、店主はにこっと笑った。
「ここの売上げは全てカナンの復興にあてていただくんです。これは、カナンの砂を利用してできたテラリウムですからね」
 少女の手からいったん球を受け取って、箱に移し、袋に入れる。
「お嬢さんからいただいたこのお金は、大切に使わせていただきますね」
 はい、どうぞ。
「ありがとう!」
 少女はそれを両手で受け取り、大事そうに胸に抱え込むと霜月のそばに戻った。
「では、これをください」
 先の少女の物より少し大きめのテラリウムを指し、そこに書かれていた代金を渡す。
「贈り物ですか?」
「ええ。妻に」
 妻、と口にするとき、少し誇らしげな響きがしたのを店主は聞き逃さなかった。
「さあ、ご両親の所へ戻りましょう」
「うんっ」
 はぐれないよう手をつなぎ、人混みの中へ消えていく2人の背を見送る。
 理想的な親子だったと、せっかくいい気分でいたというのに。次の瞬間、それを台無しにするような事が起きた。
「ここ! ここですのよ! ここがわたくしのお店なのです!」
 嬉々としたはずむようなアンネリーゼ・イェーガー(あんねりーぜ・いぇーがー)の声が聞こえてきて、何気なく、そちらを向いたらば。
 数人の男を後ろに引きつれ、得意満面顔のアンネリーゼの姿があった。
 しかも、その後ろにいた人たちは――――
 ピシィッ! と頭の中に稲光が走った思いで硬直する。
「さあ皆さん、ご覧になって、よかったらご家族にお買い求めくださいませ〜♪」
 固まって動けないでいるその横をすり抜け、アンネリーゼは男たちをテラリウムの台の前に連れて行った。しかも、高価な物が並んでいる台の方へ。
「……ちょっとこっちへ来なさい」
 物色している男たちをにこにこ笑いながら脇から見守っていたアンネリーゼを、裏のバックオフィスに引っ張り込む。
「あーちゃん……あの方々がだれか知っていて、連れて来たんでしょうね?」
 東カナン12騎士の方々じゃないですかッ!!
 桜はもちろん知っている。口をきいたことはないが、以前領主の居城へ行った際、見かけた面々だった。
「まさか見た目が好みだからと、それだけで連れてきたのでは……よもや何か暴言を吐いたり粗相をしたりはしなかったでしょうね?」
「あら。いいじゃありませんか。いかにもお金をたくさん持ってそうな方々ですし。それに、ちゃーんとこれはカナン復興に全額寄付します、って主旨説明はしてありますわ。……もちろん、わたくし好みの殿方ばかりで、うれしい役得も少々いただきましたが」
 思い出し、ぽっと頬を染めるアンネリーゼ。
「――一体……何を…」
 絶句し、ますます青ざめる。その背に向かい、笹野 冬月(ささの・ふゆつき)が声をかけた。
「気にするな。単に、手にキスをされただけだ。主旨説明で、高潔なお嬢さんだと褒められて」
「そ、そうですか…」
 それなら、まだ。
「ああ……すばらしいキスでしたわぁ。こちらの手を取られ、持ち上げられて、こう、わたしの目を見ながら軽く唇で触れられたのです。さすが生粋の騎士さま方。乙女の心を掴むコツを存じていらっしゃる…」
「その騎士さまたちがおまえを呼んでいるぞ。買う物が決まったようだ」
 うっとり夢見心地の表情のまま「はぁい」と答え、アンネリーゼはいそいそと表に出て行く。
 そして同じく表へ出て行こうとした冬月の腰に、客引き用にと吊るしてあった小さなテラリウムの球がないことに遅ればせ気づいた。
「冬ちゃん、球はどうしたんですか?」
「――領主に、やった」
 冬月は短く答えた。それ以外に答える言葉がなかったからだ。
 会場を回っていた彼は、巨大な城の前でバァルたち一行とはち合わせした。そして言葉少なに会話をかわし、その中で彼がパートナーたちと一緒にお店を出していることを話し――自分にうまく説明できるとはとても思えなかったので「これを売っている」とそれを見せ、そのまま彼にあげたのだった。
『ありがとう。とても繊細で、美しい物だね。部屋に飾らせてもらうよ』
 バァルはそう言って、あの穏やかな笑みを彼に向けた。
 あれを向けられると、冬月は妙に落ち着かない気分になって、どう返せばいいのか分からなくなる。無言で頷いて、去ってきてしまったが…。
「あ、あんな小さなテラリウムをバァルさんに?」
「本人は喜んでいたぞ」
 再び固まってしまった彼を残し、今度こそ、冬月はバックオフィスから出て行った。