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リアクション
第二章 白雪姫と7人の小人
「では改めて自己紹介をしましょう」
碧が進み出て、一礼をした。
「西園寺碧、百合園女学院高等部二年です。お聞き及びでしょうが、現在この劇は危機的な状況にあります。部員の殆どがこの劇と関わる事を止め、別のチームに入ってしまいました。ですがこのまま上演を取りやめてしまっては、将来演劇部全体に禍根を残すことになるでしょう。ですから必ずやり遂げたいのです」
その場にいるだけで周囲が華やかな雰囲気に包まれるような美少女だったが、今は厳しい顔をしている。続いてイルマが、
「ヴァルキリーのイルマ。碧と同じく二年、演劇部では男役を務めている。碧が足をくじいてしまっているから、演技指導は私とあづさでやる。碧には事務手続きと、大小道具等の方を主に見てもらうつもりだ」
「わ、私は井下あづさです。宜しくお願いします」
あづさは怯えたようにぺこりとお辞儀をした。
「では次は他の役の人たちに自己紹介をしてもらおうかな」
イルマが首を向けた方向には、百合園の女生徒達が七人、固まっていた。それも一人を除き皆身長が150センチ前後にしか満たない小柄な少女ばかりだった。その中でもひときわ小さい少女が、
「あたしは小人役の秋月葵(あきづき・あおい)だよ。役者には立候補したけどちっちゃいから小人っていうのはちょっと不本意のような気も〜」
「まぁまぁ、可愛らしくていいじゃないか」
「じゃあ次は身長順で。私は高務野々(たかつかさ・のの)です。演劇が好きなので成功させたいと思っています」
「御国桜(みくに・さくら)。こっちは命姉……パートナーの白雪命(しらゆき・みこと)。宜しくね」
桜の横に立つ、小人役では一番背の高い少女がお辞儀をする。
その次は、同じくらいの身長の少女二人だ。互いに譲り合った後、真崎加奈(まざき・かな)が先に挨拶をした。
「今回演劇部に入部した真崎加奈です」
「僕は山田晃代(やまだ・あきよ)だよ。演劇の経験ってあんまりないけど、よろしくねっ」
続いて声だけがして、晃代はびっくりして後ろを振り向いた。
「橘柚子(たちばな・ゆず)といいます。みなさん、よろしゅう」
あまりに小さくて、陰に隠れて見えなかったのだ。何と言っても身長が130センチしかない。役者に立候補はしていたが、特に小人を希望した訳でもない。が、これは必然だろう。王子の従者が男装の小姓に見えても色々マズいし。
これで小人は丁度7人。
白雪姫を逃がしてくれる狩人役はこちらも百合園の桐生円(きりゅう・まどか)が担当する。彼女も柚子とどっこいどっこいの身長しかない。
そして、ここからは他校生が担当する。王妃の鏡の声役にイルミンスールから遠野歌菜(とおの・かな)が立候補。
彼女たちが主要メンバーとなって練習することになる。
と、急に扉が開いた。百合園の制服を着た彼女は大量に抱えた印刷物の束を机に置くと、
「とりあえず70部追加しました。これで良かったですか?」
「ええ、ありがとう」
「西園寺さんも、足くじいて外部を入れてまでしなくっても。こんな劇早く降りても次にすぐ主役が……」
「それ以上は言わないで」
ぴしゃりと言う。同じ演劇部員らしい少女は決まり悪そうに頭を下げると、
「済みません。じゃあこれで……」
部屋からまたすぐに出て行った。
あづさは微妙な空気を振り払うように努めて明るく、
「一人一部ずつ、台本を持って行ってください。西園寺先輩、私これを裏方の皆さんに持って行きます」
「ええ、お願い」
あづさが部屋を出ようとしたのとすれ違いだった。複数人、いや十数人ばかりの足音が近づいてきて、扉が無造作に空いた。
「あっ……」
こわばった顔のあづさが、胸に台本を抱きしめ、壁を背に付ける。その横を次々と、生徒達が抜けていった。全員が部屋に入り終わると、あづさはぱたぱたと廊下を駆けていく。
十数人の女生徒達は、部屋に入ると碧とイルマをそれぞれ取り巻いた。
「碧さん、お怪我をなさってまで部活をされているなんておいたわしいわ」
碧を取り巻くいかにもお嬢様然とした集団の中でも、更にお嬢様風の雰囲気をまとった少女が声をかける。京極美貴子(きょうごく・みきこ)、西園寺碧のファンクラブの筆頭だ。
対してイルマを取り囲んでいるのは、彼女たちよりも年下の少女だった。こちらは若さ故の情熱があふれている。黄色い声援を送る。
「イルマお姉様っ、頑張って〜!」
眼をきらきら輝かせて、加藤春菜(かとう・はるな)が叫んだ。
「ウルサイのよあなたたち!」
「えー、いいじゃない」
お互い余り仲は良くないのか、いつものことなのか、その間を馴れたようにイルマが割って入る。
「見学するなら、壁際で大人しくしてくれないのかな。ほら、君たちはあっち」
ファンクラブはお互いにそっぽを向くと、教室奥の壁際に、たっぷり間を置いて立った。
あづさが戻ってくると、入れ替わりに碧が予定通り、裏方の方へ回ると言って部屋を出て行く。
「それでは稽古を始めようか。まず体操と発声練習から」
基礎稽古の次は演技の練習に入る。
今回の『白雪姫』の台本は、いわゆるオーソドックスな物語だった。白雪姫と名付けられた王女の物語だ。白雪姫の継母の王妃は自分が世界で最も美しいと信じており、魔法の鏡に自らの美を確認する日々を送っていた。しかし白雪姫が7歳になったある日、その地位が白雪姫に奪われたことを知る。王妃は猟師──狩人に白雪姫を森で殺せ、証拠に肝臓を持ってこいと命じる。狩人は白雪姫を哀れに思い、イノシシの肝臓を王妃に差し出して白雪姫を逃がす。
森で白雪姫は7人のドワーフ──小人に出会い、共に暮らす。しかし王妃は魔法の鏡によって白雪姫の生存を知り、自らの手で殺そうと罠を仕掛ける。最後の罠、毒リンゴを食べて眠りについた姫を王子のキスが目覚めさせる、というものだった。グリム童話の残酷な部分や味気ない部分はカットされている。
「オーソドックスで誰もが知っている筋だからこそ、演出と演技で全く違うものにも見せることができる」
演劇部がこの上演を許したのは挑戦心があったからこそだったが、今の状態では逆に、普通の劇に仕上げるだけでも一苦労に思われた。何しろ、ほとんど初対面、複数の学校の人間が集まっているのだから予定を合わせるだけでも大変だ。
「台詞、一字一句同じじゃなくてもいいよね? やっぱり棒読みとかはダメだと思うし」
小人役の晃代の質問に、イルマは多少の変更はやりたいようにやっていいと答える。
「台本の台詞も演技もあくまで自分と摺り合わせた上で個性を出して欲しいんだ」
「ありがとう」
答えて台詞に目を通しつつ、どうやって喋ろうか考える。演技の経験はあんまりないけど素を元にして頑張ろう。同じ学校の生徒が困っているなら助けてあげたい。それと。
上級生のお姉様方を眼で探しつつ、どうやらこの場にはいないと判って少しがっかりする。ここにはイルマとあづさ、それに学内と学外の部外の協力者。それにファンクラブの人間だけ。
勿論本当は演劇部員がいない方が──いや、いた上で何にもない方がいいのだ。上級生のお姉様の嫉妬によるあづさのいじめを、晃代は疑っていたから。
「ばーん」
「うわっ」
晃代の目の前で指を銃の形にして言ったのは、狩人役の桐生円。
「意識を集中したまえ。ぼんやりしているとボクに狩られるのだよ」
円は、ずいぶんと楽しげだ。役柄が美味しいから飛び入り参加する気が満々だ。小人にも負けず劣らず小柄な体で、大胆な解釈のダンディズムあふれる狩人を目指しているらしい。
逆に高務野々はやる気は同じくらいあっても、別ベクトルだ。元々演劇が好きで、希望した役に付けたのではりきっている。参加しなかったら失敗どころか劇そのものがなくなりそうなのだから、自分が参加して成功させたいと思っている。役者としてだけでなく、手が空いたときには衣装など小道具作りも手伝うつもりだ。小人に立候補した秋月葵のパートナー、エレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)も同じ衣装作成係だ。アガリ症だから舞台には立てないけど、葵に自分の作った衣装を着てもらいたいためだ。
葵はさっきまで何処かに行っていたが、戻ってきて首を一人横に振った。台本をコピーして持って来た演劇部員を追いかけていたのだ。
「貴方達、演劇部員が自分たちの舞台を放置して日和見してていいの? こんな時に仲間を信じれないの?」
部に戻って欲しい、その一心からの説得だったが、部員は俯いて、怖いんです、と言った。
「怖いって、まだ残ってる人がいるじゃない」
「こんな不気味なことばっかり続いて、私たちまで狙われり、疑われたら……。関わりたくないんです」
そう言って、部員は駆けていった。
「これでいいですかっ?」
真崎加奈は、台詞を朗読し終えて、あづさに振り向いた。
「いいと思います。次は感情を込めて、簡単な振りを入れてください。……演劇部、楽しいですか? せっかく入部してくれたのに、こんな状態で……」
「楽しいですよっ」
演じるのは初めての経験だけど、演じるのもちょっと快感だ。
「先輩の演技を見て勉強できますし。おっきな舞台だったら、きっとすぐに演じることも、こうやって教わることもできなかったと思いますもん。えっと、こんな感じかな。『もしもあんたが家の中の家事を引き受けて、飯を作って寝床を整え、洗濯や縫い物に編み物をして、家をすっかりきれいにしてくれるなら、わしたちは……』」
「この台詞は長いから、イントネーションに気をつけてくださいね。聞いている人が想像できるように」
あづさが手振りを加えて台詞を読んでみせて、それを加奈が真似てみる。あづさは、一見地味な少女にしか見えないが、演技をしているときはまるで別人のようだった。ちょっとした台詞でも、登場人物が息を吹き込まれたように生き生きとする。
御国桜と白雪命はその演技を見ながらも、周囲に油断なく眼を配っている。部員や不審者が怪しい行動をしないか、稽古の中も前後も見張るためだ。これは役者に立候補した理由の半分だった。
それは橘柚子も同じだった。彼女の場合はこちらの方が主目的だ。あづさを守るためになるべく側にいるつもりだった。
最近読んだ本の主人公が、女生徒の護衛のために女装して女学園に潜入する、という内容だったので、それに影響を受けたのだ。本の主人公みたいにぱぱっと解決とはいかないだろうが、性別を偽る必要はないだけこっちの方が楽のように思える。
あづさは今、体操服にジャージの上下を着ている。靴も室内用の運動靴だ。
しばらく彼女は全員の稽古の様子を見ていると、一旦止めて、お手本を見せ始めた。全部の台詞を読んでいくのだ。特に動きも入れず読んでいくだけだったのだが。柚子はふと、その台本の紙質が自分のものと違うことに気付いた。勿論、彼女たち演劇部の台本は先ほどコピーしてもらったものとは違うのが当然だが──
「『鏡よ鏡、国中で一番醜いのは誰?』『白雪姫、ここではあなたが一番──』っつ」
あづさの顔がさっと青ざめる。ふらふらとよろけて、ぺたりと床に座り込んだ。
「井下さん!? 命姉、お水を持ってきて」
「うんっ」
「あづさ、あづさ! どうしたんだ?」
近くで他校の生徒に演技指導をしていたイルマも、血相を変えて駆け寄る。台本を覗き込んだ彼女の顔がこわばる。
「……あづさ、少し休んだ方がいい。誰か、彼女が落ち着いたら、カフェテリアにでも連れて行ってあげてくれないか?」
命が持ってきたペットボトルの水をあづさはふらふらと口に運ぶと、首を振る。
「大丈夫です。休憩時間まではやります。時間がないですから……」
そして手からこぼれ落ちた台本は。台本は、それは、一見、全員に配られたものと同じように見える。しかし、シールで修正された上の台詞は、悪意に満ちたものに書き換えられていた。そして、その次のページには赤い文字で、
『主役を降りろ』
と殴り書きされていた。
周囲の人間が言葉もなく立ち尽くす中、静寂を破ったのはファンクラブの声だった。
「イルマ様〜、そんなに近づかないで」
びくりと、あづさの肩が震える。イルマはあづさから離れると、それぞれのファンクラブに振り返った。
「申し訳ないけど、他校からわざわざ参加してくださってる人たちがいるんだ。君たちも今日は帰ってくれないかな」
「え〜」
「え〜、じゃない。今日は帰ってくれ」
怒りの含まれる強い口調だった。ファンクラブ達はぶーぶーと文句を言いながらも、部屋を出て行く。そこでようやく、あづさが水を飲み干して、
「私の台本は……何処。あれだけ書き込んだのに……」
声はまだ僅かに震えていた。
「判らないけど、後で探してみよう。……それにしてもこの台本、うちの部のじゃないな……」
イルマが返答する。その後の呟きを聞き取って、訝しげに桜が問った。
「うちの部のものじゃない、というと?」
「うちの部で使える印刷機は、使える用紙の種類が決まってるんだ。備え付けのは部費で買っている。この紙は別のところでコピーしたものだね。もしくは紙を持ち込んだか、だが。……あづさ、みんなにはエチュードでもやってもらってて、こっちで一緒に練習に付き合って。そろそろ碧も一旦戻ってくるし」
「はい。済みません」
「いいよ。一緒にいよう」
イルマは優しく微笑んで、新しい台本を手渡した。