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紫陽花の咲く頃に (第1回/全2回)

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紫陽花の咲く頃に (第1回/全2回)

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第四章 裏方たち


 裏方達は、大道具と小道具担当でそれぞれ部屋に別れる前に、大道具用に借りた部屋に集まって、台本とプリントを受け取っていた。
「舞台監督だった子から、予定表はもらっているのだけど……本当に予定になってしまったわね」
 西園寺碧は、まずは舞台のイメージを掴むための台本読みを一通り行った後で、プリントを示す。
 何が必要でいつまでに作ったり練習する必要があるのか、そこにはそれぞれのチームごとに、整理されて書かれていた。元担当はかなり几帳面な性格だったらしい。このほかに美術や小道具、効果担当の生徒が作った冊子もあった。必要な道具と材料、それに製作方法等も簡単に書かれている。
「この予定通りにとはいかないでしょうけれど、大きい物は揃っているから、それほど手間はかけないと思うの。よろしくね」
 碧が解散を告げると、裏方達は各自の持ち場に別れた。


 大道具に立候補した面々は、大道具製作用の広い部屋に既に運び込まれている道具のチェックから始めた。本来いた部員達が残してくれた大道具だ。
 今回の『白雪姫』の台本は主に三つのシーンで進行する──王妃のお城の中、森、小人の住む家だ。自然と作るものも三シーン分だ。お城の石壁や柱、森の木々、それに小人の家の背景にきちんと開閉する扉といった大きな物は、角材で補強されたベニヤ板で作られ、既にペイントされていた。遠目で見たらまるで本物に見えるだろう。
「細工されてる訳でもないようですね」
 木材に打ち付けられた釘のゆるみを調べていた水無月良華(みなづき・りょうか)は、反対方向から同じように調べているパートナーのクロエ・ウンディ(くろえ・うんでぃ)と確認し合う。特にあづさが頻繁にセットの前に立ちそうな、小人の家と扉は念入りに調べたが不審なところはなさそうだ。
 こんなことをしているのも、良華は本当にあづさに対するイジメがあったのか疑っているためだ。噂が本当であるかどうか、それを調べるために大道具係に立候補したのだった。
「西園寺さん、最近大道具関連で事故とかありませんでしたか?」
 碧は腕を組んで少し考えると、
「特に聞いてないわね。部員がいなくなるまではこのセットを使って演技の練習をすることもあったけれど、ドアが綺麗に開閉できないから直しただとか、そのくらいよ?」
 良華達と示し合わせて大道具を志望した春告晶(はるつげ・あきら)永倉七海(ながくら・ななみ)白鏡風雪(しろかがみ・ふうせつ)ルディア・クロスフィールド(るでぃあ・くろすふぃーるど)の二組のパートナーも、同じように不審な点がないか確認したり、配られたプリントと実物を見比べて、特に怪しい点がなさそうだと結論づける。
「まだ……安心……でき……ない。……白ちゃん……や、みーちゃんと……毎日……点検、したり……見回り……しない……と」
 ぼそぼそと喋る晶の提案を七海が補足する。
「俺も手伝うよ。アキは人見知りするから一緒にいてやんないと」
「ナナ……ありがと」
「確かに、言うとおりじゃの」
 風雪がうんうんと頷く。
「今は何ともなくても、セットを使った稽古中や本番までに細工をされたりしないとも限らん。怪しい奴らが近づかぬか、交代で見回ることにしよう。風雪ちゃんと晶ちゃんとパートナーとで、四交代だってできるわけじゃな」
「あと……道具……詳しくない、から……作るのも……頑張ら、ない……と」
「そうじゃなぁ」
「……西園寺……さん、作るの……どうすれば……」
 もじもじしながら晶は碧に話しかける。もらったプリントに書かれている作り方だけでは、演劇部員じゃない人間には至難の業だ。
「それについては、演劇部の部室に、舞台セットについての資料があったはずよ。気がつかなくてごめんなさいね、小道具さんの方も含めて、明日にはコピーしてくるわね。けど、結構難易度の高そうな物もあったし、どうしようかしら」
 付け加えるなら、大道具係に立候補したのは、何故かか弱い女性ばかり──のように見える。見えるというのは、つまり、実は男子も混じっているからなのだが──どちらにせよ男手が足りないには違いない。
「こんなこともあろうかと」
 遅れて部屋に姿を現したのは、自ら女装した緋桜ケイ(ひおう・けい)とベア・ヘルロットだ。二人は年代物の、ビロード張りの椅子の両側を支えて運び入れる。ちょっとした玉座にも見える。
「こんな立派なもの、どうしたのじゃ?」
「いやぁ、俺……いや、わたしの学校って年代物の家具とか色々揃ってて。借りてきたんです」
 ケイの説明は簡単だった。ヨーロッパの魔術結社の開祖と現在の長がツートップを務めるイルミンスール魔法学校、そこの演劇部から百合園との部活交流にという名目でそれっぽい物を借り受けてきたのだ。
 ただし状態は良くない。倉庫で眠ってる使ってないものだったらいいということでかなり汚れてしまっている。それに、本来なら百合園の生徒が来るべきじゃないかとか、色々言われてしまった上に、
「いいよー、ケイくんが実験台になってくれるなら貸してあ・げ・る! キャハッ!」
 無茶な要求を呑むハメになるのだったが。
「みんなも、他に運ぶ物があったら言ってくれよな」
 ベアは周囲にそう言う。荷物運びに力仕事、自分にできるのはこのくらいだ。パートナーのマナ・ファクトリ(まな・ふぁくとり)も一緒だ。
 現在起きているというイジメに関しては、イジメっ子が絶対悪ではないと思うというスタンスを取っている。理解しようとして、一緒に笑いあって演劇を成功させられるなら──と考えていた。


 翻って小道具担当の面々は、中央に机にパイプ椅子の並ぶ部屋で、それぞれの担当に細かく別れて作業にいそしんでいた。
 セミロングの茶色の髪に優しげな容貌の百合園生は、うきうきしながらミシンやハサミを操っている。
「今までのイメージを払拭するような衣装を……」
 衣装係を買って出た高潮津波(たかしお・つなみ)は、趣味のドール衣装を作る感覚だ。『白雪姫』の筈なのに、机の上には何故かきらきらした布やつるつるした合成皮革が広げられている。できあがった部分から、ナトレア・アトレア(なとれあ・あとれあ)がラメや金箔の接着と、分担しての作業だ。
 布以外にも、ボール紙も用意されている。
「どんなのが出来上がるんですか?」
 訝しげにリカ・ティンバーレイク(りか・てぃんばーれいく)が手元を覗き込むと、津波がデザイン案を描いたスケッチブックを目で示した。
「こ、これは……本気ですか?」
 リカは絶句する。デザインが全てゴスロリだったからだ。
 ホワイトロリータで金銀きらきらな白雪姫に、エロパンクでラメラメな王妃。クラウン類は紙と布にビーズ。後は既製品で賄うつもりらしいが、燕尾服に海賊衣装。カラフルな、和服ロリの小人服。
 これじゃあ細工がされても見つかりにくそうだなぁ、とリカは思う。照明が当たったら反射して余計見付けにくそうだ。それにあづさはどう言うだろうか?
 辺りを見回すと丁度井下あづさが碧と共に様子を見に来たところだった。ついでに、後ろには、京極美貴子を始めとした碧のファンクラブの面々も付いて来ている。稽古場からは追い出されたが、できるだけ碧の側にいたいらしい。あれこれと話しかけている。
「どうですか、分からないところとかありますか?」
 あづさの問いに、リカは質問を投げる。
「あづささんは演劇だけじゃなくて、こちらにも時々来るんですか?」
「私自身も演技の稽古しないといけないけど、人手が足りないから……」
 控えめに答えるあづさの後ろで、ふんと美貴子が鼻を鳴らす。決まり悪そうにあづさは俯いて、
「私も裏方は素人と言っていいけど、少しは手伝えることがあると思って」
 あづさは百合園生のロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)と蒼空からやって来た荒巻さけ(あらまき・さけ)東重城亜矢子(ひがしじゅうじょう・あやこ)を含め、既に用意されている小道具の説明に入った。
 まず大道具との違い。大道具は主に背景・セットであるのに対し、小道具は雰囲気作りのための“小道具"であること。
「演技で示せばいいのか、見えない方がいいのか、きちんとあった方がいいのか考えるところからですね。それに大道具とのバランス。これはもう決まってるので、基本的には配った予定表にある物を作ればいいんです。裁縫したり、工作したり。紙や段ボールや木材、発泡スチロールで形を作って、塗装したり布を張ったりして作ることが多いんだと思います」
 基本的には遠目に見る物だから、それっぽく見えて、手に取る物は強度があること。そのくらいを気をつけてもらえば大丈夫、とあづさは言う。
 四人は手始めにあらかじめ用意されていた衣装や小道具を、予定表と見比べながら片っ端から手分けしてチェックする。あづさが手に取る前に一通り、何か細工されていないか調べるためだ。加えて、いつどうやって細工をすることができたのか。噂で聞いている範囲では靴に画鋲が入れられていたとの事だったが……。
「靴に画鋲が入っていたことがあったと噂で聞きましたけど……いつのことなんですか」
 ロザリンドとさけ、亜矢子の三人はあづさには聞こえないよう、碧に近寄って聞いてみる。
 碧は顔を僅かにしかめて、
「もうそんなに噂になっているのね。……そう、あれは半月ほど前のことだったわ。そこに衣装があるでしょう?」
 碧が指で示した先にあるのは、衣装の掛けられているハンガーだった。掛かっているのはどれも無地の布で作られた衣装だった。採寸をした後、高価なきちんとした布で作る前に一旦安い生地で状態を確認するために作られたものだ。その横に置かれた棚の上には靴が置いてある。
「お昼休みの後だったかしら。その時にはまだ部員は殆ど残っていたの。衣装を制作してくれた部員がこれでいいか合わせていて、上演予定の舞台に立ってみて、動きやすさとか、観客からの見栄えとかを確認することになっていたのよ」
 役者は着替えて舞台まで行った。靴は衣装係が運んでいて、舞台の上で一斉に履き替えて──その時だった、あづさが小さな悲鳴をあげたのは。一緒に履き替えていたイルマと碧が靴を脱がせると、先端に血が付着した画鋲が転がっていた。
「疑いたくはないのですが、それは誰にでもチャンスはあったということですね」
 痩せぎすの少女、ロザリンドが顎に手を当てて考え込む。
「ただ靴に近づいて、画鋲を転がすチャンスがあれば良かったということですから」
 あづさの靴をさけが手に取る。他の衣装と同じく、白雪姫の舞台ではと噂されるドイツのバイエルン州の民族衣装を元にしたものだ。足首に太いストラップの付いた白い革靴は市販の品で、変哲がない。
 念のため服の方も見てみるが、パフスリーブの五分袖のブラウスに、紐で締め上げるタイプの胸当て、ふわりとしたスカートとエプロンといった構成になっている。一番作りがしっかりしていたのは胸当てで、台本通りなら王妃が紐をきつく締め上げることになっている筈だ。
「あの場にいたのは、衣装を身につける役者は一通り、それから靴を持ってきてくれた衣装係の子ね。イルマや私のファンの人もいたわ」
「わたくしたちにできるのは、もうそんなことが起こらないように見張っていることだけですわね」
「あら、わたくしに掛かれば勿論、そんなな下衆な輩の企みなど、すぐに暴いて見せますわよ」
 亜矢子はさけに向かって自信たっぷりに言い切る。
「そうは言っても、四六時中張り付いているわけにはまいりませんしねぇ」

 手の空いたあづさにメイクの顔料や小物のある場所と使い方を教わっていたルクレチア・アンジェリコ(るくれちあ・あんじぇりこ)は、あづさが別の手伝いの所に向かった時間を利用して、廊下に出た。携帯電話を開く。かけた先、いや既につながっている先は勿論パートナーのカサエル・ウェルギリウス(かさえる・うぇるぎりうす)だ。今頃執事の格好をして、学校の前を巡回している筈である。
「不審な人物ですか? 見かけましたよ」
 あっさり言うカサエルに驚いたのはルクレチアの方だ。
「ど、どんな方ですの?」
「百合園に入りたそうにしている他校の男子生徒が、謎のホットパンツと獣耳の二人組に路地に連れ込まれて、そこから女の子が出てくるんです」
「そ、それは……不審ですわね。でも事件とは関係ない気がしますわ」
 全体で集まったとき、何となく男じゃないかなぁという人間が多数いたことを思い出す。誰がやったのかは分からないが、潜入させるのが目的だったようだ。
「それではもう一つ。校門には、百合園の生徒さんの帰りを待っている執事が沢山いるのはご存じでしょう?」
「ええ、勿論」
 だからカサエルに執事の格好をさせたのだ。
「あの方達から聞いたんですが、今日変わった人物が入っていったそうです。『白雪姫』の主役を射止めたシンデレラガール・井上あづさを取材をしに来た、イギリスの新聞記者、らしいですよ」
 何でもイギリスの新聞記者が、こんなところで、部員が放棄して崩壊し掛かっているような部活の取材にと不審がられているらしい。校門であづさの情報を道行く女生徒に聞いたりしているという。

 その彼の名はエドワード・ショウ(えどわーど・しょう)。新聞記者になりすまして校内に入ったまでは良かったが、不慣れな他校内で迷い始めていた。近くを通る女生徒にあづさの情報を聞いても、一年だからか、彼女自身の名を知るものも滅多にいないし、上演すら正式に決まっていない演劇部の劇を知る者もない。もう一つの目的、警備員の配置の調査に至っては、うかつに誰かに聞くわけにもいかない。通りがかった職員に、事務室で取材の許可をきちんと取るように校門で言われなかったかと問い直されて、怪しまれて偽装社員章を見せる。
「『WeeklyExpress』……? 聞いたことはないけど、ゴシップ誌か何かかしら?」
 女性職員は不審者を見る目つきでエドワードを見据えた。女好きで、男子禁制の女学院に入れる絶好のチャンス! という不純な動機でここに来たエドワードとしては、しどろもどろになるしかない。
「どうか、トラブルになる前に帰っていただけますか?」
 女性職員は彼を校門まで丁重に引っ張っていくと、校門の外に押し出した。

「その不審者の行動が知り合いの予定に似ているような気もしますわね……勘違いだとよいのですけれど。引き続き巡回をお願いいたしますわね」
 携帯をカサエルとつながったままポケットにしまって、ルクレチアは部屋に戻る。
「あづさ様、続きの舞台のメイクの仕方を──」
 言いかけたところで、ずきん、と胸が痛んだ。この感覚には覚えがある。
 当のあづさは、津波と話しながら、彼女の採寸を受けていた。ナトレアがビーズのティアラの骨組みを被せて、大きさを確かめている。碧もデザイン画と見比べながら、せっかく作ってる途中だけどもっと大人しいデザインの方が〜と津波に言っている。手伝いの人間達が、材料とプリントを見比べて、食器などの作り方を相談し合っている。
 そして京極美貴子が、他のファンに何事かささやいて、ささやかれたファンが二人、津波が用意した衣装の方に動く。さりげない動きだ。一人が壁になる。もう一人の手元は見えない。だが、腕が動いたのは分かった。
 津波がそれを手に取る前に、ルクレチアはさっと生地をさらう。果たして、そこにはまち針が刺さっていた。
「アンジェリコさん、もう少し待ってくださいね。メイクの方も今行きますから」
 気遣わしげに微笑んだあづさの首元から、銀の鎖に緑の装飾が施されたネックレスが覗いた。それはルクレチアが実体化した“禁猟区(サンクチュアリ)"だ。
 そっとまち針を抜いて、彼女も微笑み返す。この真相を誰に話すのか、考えながら……。


 場所は大道具部屋に戻る。
 照明担当の風森巽(かぜもり・たつみ)と同じく照明兼天井からの効果を担当するミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)は、使用する機材の説明をイルマに受けていた。
 稽古でも実際発表する予定だった舞台が使えるかどうかも分からない状況になってしまったが、予習は大事だ。
「セットも衣装も、勿論人の顔も照明の当て方一つで全く違って見えるからね。宜しくお願いするよ」
 音響と同じくタイミングが命の仕事だ。
「舞台っていうのは、何処を使う予定だったんです?」
 ミルディアがイルマに尋ねる。半分本心、半分嘘を混ぜて、
「やっぱり、本物の舞台を見て感覚を掴んでおきたいなーって」
「ああ、舞台と観客席のある、小さな舞台があるんだよ。うちは行事やミサを講堂で行うことが多いから、入る機会がなかったのかも知れないね。どうする? 見ておきたいなら案内するけど。今はうちの部の別チームが練習してるはずだからさ」
「行きたいです! えっと、ちょっと待ってくださいね。──真奈も舞台行く〜?」
 ミルディアが廊下に首だけ出して声を上げると、廊下で通行人をチェックしていた和泉真奈(いずみ・まな)は静かに首を横に振った。
「私は為すべきことを為さねばいけませんから」
 演劇部の主要メンバー三人の護衛が、ミルディアから頼まれた仕事だった。今のところは来てないが、部外者を入れないよう、ファンがプレゼントを持ってきたときにはチェックして管理できるよう務めていた。とは言っても、プレゼントはファンクラブを通してイルマの護衛もしなければならないが、碧やあづさがこちらにいる以上、イルマも戻ってくる以上は持ち場を離れない方が得策だろう。
「我も行こう。ティアは行くな?」
 パートナーに確認する。ティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)は頷いた。
 イルマと三人は、演劇部員が稽古をしているという舞台へ向かった。ふかふかした座席が銀杏の葉の形で並ぶ観客席とその先の舞台は、ちょっとした映画館のようでもあった。舞台の上では、演技をしている役者数人とスタッフがいた。
「ちょっといいかな? 照明機材を見せて欲しいんだけど」
 イルマが顔見知りの演劇部員に話しかけると、お下げ髪の彼女は戸惑いながら、
「ええ、勿論イルマさんの頼みならいいですよ」
「ありがとう。……天井裏でいいんだよね? 高いから気をつけてね」
「身の軽さには自信があるから大丈夫っ」
 後ろ髪をゴムで縛って、ミルディアは明るく返答してイルマの後に続く。巽は着馴れないスカートの裾を踏まないように注意して上がる。ティアは地上に残る。用事は別の所にあったからだ。
 舞台袖から続く階段を上がる。縦横に張り巡らされた手すり付きの簀の子──一人が通るのがやっとの幅の鉄骨の通路が渡してある。通路と通路の間には落下防止用の安全ネットが巡らされていた。この鉄骨は通路兼突っ張り棒で、照明を始め布の背景とか、色んな物を吊すのだ。
「基本は台本に沿ってスイッチを入れたり切ったりかな。まずは機械の操作と、色番号を覚えてもらうよ」
「色番号って?」
「演劇に使う照明は、こっちで切り替える必要があるだろう。赤とか青とか沢山の似通った色があるから、番号で呼ぶことになってるんだよ。でも今日はそこまで行かなくても、安全に歩いたり、この高さとか距離感を掴んでもらおう」
「確かに、万が一でも落ちたくはないものですね」
 巽は照明の一つに近寄る。吊り下げるための通路だけあって、通路の真下にはネットはない。
 自分はだが、まだいい。真下に落ちるなんて器用なことはそうそうできないし、ネットに引っかかるだろう。だが重いモノ──たとえばこの照明が舞台に落下したら。天井裏に響く、稽古に励む部員達の声と足音を聞きながら、舞台上を俯瞰して、用心しなければと考える。その思いはミルディアも同じだった。

 地上に一人残ったティアは、舞台脇で稽古を見ている演劇部員に、さりげない風を装って話題を振った。
「あのさぁ、『白雪姫』なんだけど、元々は沢山の部員が関わってたんだよね?」
「あなた達が来なければ、イルマさんも碧さんも、上演を諦めたのにね」
 先ほどイルマと話したお下げの部員は、大きくため息を吐いた。
「そんなにそのー、よくないなの?」
「始めはみんな乗り気だったのよ。ありふれた脚本をどれだけ演出と演技で面白くできるかやってみよう、って」
 だが主役である碧が練習中に足をくじいてあづさに変わってから、志気が落ちたという。入学したばかりの一年生なんてと反発する生徒も勿論いた。雰囲気が悪くなった。あづさがわざと事故を起こしたんじゃないかと言う者すらいた。
 それから間もなく、あづさに対するイジメらしきものが始まったという。
「靴に画鋲が入ったり、服にピンが刺さったり、とにかく気持ちが悪いのよ。知らぬ間に起こってるんだもの」
「誰がやったとかいう噂とかあるの?」
「見当もつかないわ。けど部員じゃないと信じてる。いくらなんでもそんなことする人間は部内にいないわ。それに、誰がやってたとしても正体を暴いてやろうなんて思わないわよ。みんなそう思ってる」
 部員は、周囲の仲間を見渡した。自分に言い含めるような口調だった。