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消えた愛美と占いの館

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梅木毅の憂鬱『決心』
 教室の中央、椅子に座った毅を見るなり、千代のまなざしが鋭く変わった。
「はァん。あんた、自分を想ってくれてる子が行方知れずだってーのに、仲良く談笑とはいいご身分だね」
 千代はつかつかと教室を横切り、毅の前に立つや左手を振り上げた。
「ちっと歯ァ食いしばんな!」
 鋭く振り下ろされた千代の平手を、横から手を出したトライブが掴んで止めた。
「なんだい、あんた」
「トライブ・ロックスター。便利屋だ。姐さんよォ……事情が事情だ、キレる気持ちもわからねえじゃねーが、頭ごなしはいけねぇなァ!」
 眉根にしわを寄せたトライブと、鼻を鳴らした千代が、こぶしをきつく握りながらにらみ合った。
「すみませんお二人とも、退いてください」
 そんな二人を、片手であっさり押しのけて、ハーレックが毅の目の前に立った。
 ぴしりと伸びた背筋、まっすぐ毅を見下ろす瞳、有能さを体現する凄腕SPのような風格が、その場に居並んだ全員に息を潜めさせた。
「最初にひとつ伺わせてください。ここに留まっておられる事には、なにかお考えが?」
 咎める響きも、蔑む響きもない。ただ事実を問うだけの静かな口調に、毅はゆっくりとうつむいて、さっき、北都たちに話したとおりのことを、もう一度話し出した。
 毅が言葉を切ると、教室には張り詰めた緊張が満ちた。
 話の間中、姿勢一つ崩さなかったハーレックが、いまだにまっすぐ、毅を見下ろしている。
 毅以外の全員が、息を詰めて、ハーレックを見据えていた。
「……恋人が踏み込んでいいラインが、わからない」
 ハーレックが静かにつぶやいた。毅が頷く。
「恋人……コイビト……」
 口の中で唱えつつ、ハーレックはゆっくりと、その場にしゃがみこんだ。
「……ハーレック?」
 千代が心配そうに首を伸ばした。ハーレックは毅の机にかじりついて、うめく。
「ハーレックの頭の中に、該当する引き出しがありません……」
「あー、オッケ。ハーレック、バトンタッチ」
 ハーレックがふらふらと持ち上げた手を、千代がぱちんと叩いた。
「ンな訳でさ、梅木毅。ちょっと、ねーさんの話を聞きな」
 ハーレックが譲った毅の前に、千代が座った。
 千代は机にひじをついて、片手を毅の目の前まで近づけた。
「どうだい? 触れられてないのに威圧感があるだろ」
 毅が頷くと、千代はいたずらっぽく笑った。
「パーソナルスペースって知ってるかい? 人には誰しも「自分の縄張り」にあたる距離があるのさ。野生の動物と同じように、人間も、その「縄張り」に外敵が入ってきたら警戒する」
 千代は今度は腕を組み、椅子の背をそらした。
「だから人は、他者との距離を常に考えながら人と接する。自分がそいつにとってどれだけ近い存在かによって踏み込める距離は変わるから、絶えず自分に問いかけながらね。「自分は、こいつのこのラインには入ってもいいのか?」「自分は、こいつのこのラインには入っちゃいけないんだ」って」
 必死に頭をひねらせている様子の毅に、満足げな頷きを返して、千代は続ける。
「だが若いうちは、その距離感を読み間違えてケンカになったり。逆に距離を開けすぎて疎遠になったりする。……それがまあ、いまの君が悩んでいることの正体だ」
 千代はジャケットの内ポケットに手を突っ込み、タバコの紙箱を取り出した。一本口にくわえて、火をつけようとして、「おっと」とあわてたように手を止める。
「……だがね、私に言わせりゃ、今の君はふがいないだけだね。確かに距離感で悩むのは大事だ。けど、だからと言って動かなきゃ、何も分からない。実際にぶつかって傷ついてみなきゃ、何にも分からない」
 火のついていないタバコを指ではさんで、千代はまた腕を組んだ。
「どんなに経験豊富でも、たかだか中高生じゃ傷つけることも傷つくこともあるだろうさ。んでも、今は大いにそうするべきだ。私らの歳になったとき、なるべく誰も傷つけない人間になれるようにね?」
 千代は毅のあごを掴んで、ぐいと顔を上げさせた。
「そうやって、ぶつかったり離れたりしながらラインを探ってく、あんた達みたいな歳の大事な時間を、大人たちがなんて呼んで羨んでるか知ってるかい?」
「いえ……」
 毅が言うと、千代はどこか切なげに微笑んで、また火のついていないタバコを咥えた。
「青春……さ」
 言って、千代は照れくさそうに笑った。
 毅のあごから手を離し、勢いつけて立ち上がる。
「さァ、行こうか梅木! あんたの恋人とぶつかりに!」
 力強い千代の手が、毅の肩を掴んだ。
「心配しなくっていい。模索してんのはあんただけじゃない、小谷愛美だって同じ想いさ。それなのに片方がくすぶったままじゃ、埒が明かないってモンだろ?」
「ッ……はい!」
 毅は立ち上がった。
 がたんっ、と椅子がなる。
 千代が微笑み、ハーレックが静かに頷く。トライブが鼻をすすって、一媛が肩をすくめた。
「さあて、まずはどっから探そうか――……」
 どかんっ、と激突するような音を立てて、朝野 未沙が教室の入り口に飛びついた。
 教室に居並んだ全員の視線が、体中に蛍光グリーンの文様を浮かせた未沙に集中する。
「梅木毅! 占いの、館……にッ……。愛美さ……未……那ッ――……」
 未沙の全身を這い回っていた文様が、肌の中に浸透するようにして消えた。
 完全に硬直した未沙が、ごとりと重たい音を立ててその場に倒れる。
「彼女は僕らが! あなたたちは早く占いの館へ!」
 北都、昶、翡翠が未沙に駆け寄り、ハーレック、千代、トライブ、一媛、それに毅が、顔を見合わせて頷いた。