空京大学へ

天御柱学院

校長室

蒼空学園へ

魔に魅入られた戦乙女

リアクション公開中!

魔に魅入られた戦乙女

リアクション

 必死で走った。
 髪を振り乱し、カラカラの喉の痛みを堪えながら。
 大きく肩を揺らす身体は、空気を吸い込もうと必死で。
「あっ」
 樹の根に躓いて、横たわる身体の上を影が通過する。
 ごろりと仰向けになって見上げた空には、真っ黒な女神が自分を見下ろしていた。



第一章 動き出す人々

「大変であります!!」
 ジャタの森の中をすさまじい勢いで駆け抜ける小さな影……エミリー・グラフトン(えみりー・ぐらふとん)は必死で走っていた。
 傍らに、付き添いで来ていたはずのパートナー湯島 茜(ゆしま・あかね)の姿はない。
「茜がさらわれたであります!!」
 ――時は数分前に遡る。
 二人は偏見を晴らすべく、情報収集のためジャタの森にいる友人を訪ねていた。
「ジャタ族がみんな人さらいだと思ってもらっちゃ困るのであります」
 小柄な身体で精一杯大股に進むエミリーの少し後を、茜が散歩するような足取りで続く。身長差のためか、二人の距離は一定で保たれている。
「血塗られた女神ってのを信仰する部族とか、心当たりある?」
「そんな部族、聞いたことないであります」
 ブンブンと腕を振り回して主張するエミリーに、茜もうなずく。
「あたしも知らないな。けど、言葉の響きだけで連想したら、まるで……」
 その時、何かに気づいた様子でエミリーが足を止めた。

 ザワッ

 茂みが揺れるのと同時に、複数の人間が姿を現した。複数、なんてものではない。
 普段ならば比較的安全とされるルート。斧や鉈、ショートボウで武装した面々はお世辞にも友好的には見えず、「まるでこれから人でもさらいに行くみたい」だ。
「……いきなり当たりを引いちゃったかな」
 スラリと剣を抜き放ち、敵に構える茜。背中を合わせるようにして、エミリーは右足を軽く引いて次の所作に備えた。
 敵が、動く。
 二人はほぼ同時にダッシュをかけた。茜は敵側へ、エミリーはそれとは逆方向に。
「ちょ、え?エミリー?!」
 住民相手に分が悪いと判断したエミリーとは対照的に、戦う気マンマンだった茜は急に方向転換ができなかった。戸惑ったのは一瞬。しかし切り替えると、半ばヤケでジャタ族の面々に突撃した。
「でぇぇえぇい!!」
 慣れない森の中で多勢に無勢。頑張りもむなしく、茜は囚われの身となったのだった。
 事態に気づいたエミリーが助けを呼びに疾走するのは、この数コンマ後の話。



 同時刻、イルミンスールの森・ジャタの森境界付近。
 ジャタ族の衣装に身を包んだ白銀 昶(しろがね・あきら)が、気絶した清泉 北都(いずみ・ほくと)を担いで周囲を伺っていた。二人とも顔がばれない様、布で覆っている。
 ……無論、気絶は「フリ」だ。
「うまく会えりゃいいなだけどなー!」
「……僕は今気絶してるんだから話しかけちゃ駄目だよぅ」
「へーい」
 境界は静寂を保ち、人気もない。ぽつりと北都が呟く。
「ここでじっと待ってたら逆に怪しいかもねぇ……」
「じゃぁいっそもうジャタの森に入っちまおうぜ」
 昶はずんずんと境界を越えて歩き始めた。ジャタの森は普段と比べても異様にピリピリしている。不穏な様子に、北都が昶を静止しようと小声で――
「ちょっと、不用意に踏み入るのはあんまりよくないんじゃ……」
 ――言いかけて、はっと口をつぐむ。近くに自分たちとは別の気配を感じたからだ。軽口を叩いていた昶も表情を引き締める。
 相手は二人。……勝てない数ではない。現れた人物を前に昶は気楽な口調で、しかし油断なく言ってのけた。
「一人連れてきた」
と。そう、彼らは人さらいの仲間のフリをしてアジトに潜入するつもりだった。
 堂々と足を踏み入れたのが幸いしたのかもしれない。蛮賊の一派と思われる二人は、ニヤリと笑ってうなずいた。
「俺たちもこれから戻るところだ」
 ……よく見ると、彼らの足元には動くズタ袋が二体ほど転がっていた。
 道すがら、北都の耳に蛮賊の気になる呟きが聞こえた。
「女神様のお気に召すといいんだけどな」



 一方その頃。カフェテリア『宿り樹に果実』。
 【キメラウィステッパー】の鷹野 栗(たかの・まろん)は、キィちゃんをはさんで崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)と向かい合って座っていた。
「え、えっと……何か……?」
「別に」
 亜璃珠の真紅の双眸に無言で見据えられて、栗は首をかしげる。
 ……何か、睨まれてない?
「クルルル……」
 キィちゃんが力なく喉を鳴らす。病院で処方された薬でぼんやりしているのか、されるがままじっと動かない。栗は気持ちを切り替えると、再び傷を診ることに専念した。
 キィちゃんの半身は、矢傷や切り傷でいっぱいだった。
 栗は元気のないキィちゃんのたてがみをそっと撫でる。途端、ピクリと亜璃珠の肩が揺れた……ような気がした。また、鋭い視線でじっと見られる。……ちょっと、怖い。
「えっと……、私、愛の宿り木を持ってきたんです。ドルイド魔術を組み合わせたらもう少し治療が出来ると思います。ちょっと向こうの部屋から取ってきますね」
「ええ」
 涼しげな亜璃珠の声に見送られ、栗はそそくさと隣の部屋に置いていた愛の宿り木を、荷物ごと持った。……が、ふと部屋に戻ろうとする足を止める。中から、妙な声が聞こえてきた気がして。
 おそるおそる覗いた視線の先に、キリッとしたお姉さまの姿はなく……
 代わりに、顔中を緩ませてキィちゃんのたてがみをモフモフしている亜璃珠がいた。
「ああああぁぁん、もう!やっぱりキィちゃんは可愛いですわ〜〜!!」
 うっとりとキィちゃんの身体に顔を埋め、ヘビの尾を首に巻いてみたり、かと思えばたてがみをブラッシングしてふわふわにしてから撫でてみたり。抵抗されないのをいいことに、耳をすませば小声でずっと「可愛い可愛い可愛い」と呟いているのが聞こえる。

 モフモフモフモフモフ。

「血塗られた女神だか何だか知りませんが、いっそミリアさんを葬ってくださばよろしいのに。ミリアさんが死んだら是非ウチにおいでなさいね」
 ……なんだか、すごくいい笑顔で怖いことも言ってるけど。
 キィちゃんに唸られて一瞬しょんぼりしたものの、すぐにモフモフを再開する亜璃珠。何だか幸せそうだ。
 ……ここで入るのも悪い気がする。気づかなかったことにして、部屋に入る前に一声かけておこう。栗はひそかにそう決意した。
「えーと……。亜璃珠さん、持ってきましたよー!」
 その瞬間、キリッと表情を引き締める亜璃珠。幻だったかに思えるほど早変わりは完璧だったが、たてがみの上の手は名残惜しげに動いていた。

 モフモフモフモフモフ。

「……」
「そう、そんなとこ突っ立ってないで、早く治療を進めましょう」
「…………はい」
 ……睨んでるように見えたのは、大好きなキィちゃんを前に顔が緩まないよう我慢してたからだったのか。
 可愛い人だな。同じ動物好きとして、栗は少し好感をもった。

 カタン

 と、カフェテリアの奥から微かに音を立てて、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)中原 鞆絵(なかはら・ともえ)ヴィゼント・ショートホーン(びぜんと・しょーとほーん)が現れた。
 彼らは事件の痕跡がないか部屋を調べに……というのは建前で、実はミリアがさらわれたことに疑惑を持ち、身辺調査に来ていた。その表情はあまり冴えない。
「もしかしたら痕跡が残っているかと思ったんだけど、ここには何もないね」
 部屋にはミリアが普段生活を送る中で、必要なものしか見つからなかった。超感覚を働かせてここ数時間調べてみたものの、事件への関わりを示すものも、特別狙われる原因となるものも見当たらない。
「ここまで何もないと逆に疑わしく思えてしまいますねぇ」
「しかし何も出てこない以上、今回は被害者の一人として巻き込まれたと判断するしかなさそうですぜ」
「あのミリア君がそう簡単にさらわれたりしないと思ったんだけどなぁ……」
 などとヒソヒソ小声で言葉を交わしつつ、リカインは治療をしている二人に声をかけた。
「そっちは何かわかった?」
「そうね……。多人数を相手にしたってことかしら」
 亜璃珠が答える。獣医の心得がある彼女の診察には迷いがない。
「一つ一つの傷を診れば、大した攻撃ではありませんの。問題は、その数ですわ」
「私も、キィちゃんを相手にしても問題にならないくらいの集団で人をさらっていると考えるのが妥当だと思います」
栗の言葉にうなずくと、亜璃珠はふと口を尖らせてキィちゃんのたてがみを優しく撫でた。
「それに、きっとキィちゃんはミリアさんを庇おうとして怪我を負ったんですわよ。でなければキィちゃんがこんなに傷つくはずありませんもの」
 憮然とした亜璃珠の言葉には、ミリアへの嫉妬が見え隠れしていた。気がついたのは栗だけだったが。鞆絵が顔を上げる。
「……逆ってことはないでしょうか」
「? どういうことですか」
「怪我を負ったキィちゃんを庇って、ミリアさんはおとなしくさらわれたって考えです」
「……」
 一同は顔を見合わせた。
 長いため息のあと、亜璃珠がますます面白くなさそうに言葉を投げた。
「きっと両方ですわね」
 その時、リカインの携帯が鳴った。事件の新着情報がまわってきたらしい。通話しながらリカインは短く皆に伝える。
「さらわれた人たちは、どうやら何かの儀式のために集められているみたい。……対象は無差別。イルミンスールやジャタの森近辺が一番被害が多いって。それから……」
 なぜか一瞬言葉を詰まらせて、リカインはこちらでわかった情報を付加すると通話を終了した。
「何かわかったんですか、お嬢」
 複雑な表情のリカインは、ヴィンセントにそう尋ねられてこう付け加えた。
「攫われる対象は無差別だけど、どういうわけか処女の方が儀式的に価値が高いんだって」
「……」
 一同、再び顔を見合わせる。
「ミリアさんって、処女?」
「自分に聞かれましても……」
 女性陣の素朴な疑問をぶつけられて、ヴィゼントは答えに窮し、頭を掻いた。