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リアクション
研究室の窓から
少し雨脚が強まったのだろうか。
さあっと音を立てて窓ガラスを雨が叩く。
見るともなく、窓ガラスを伝う雨に視線をあてていたアルゲオ・メルム(あるげお・めるむ)だったが、
「よし、休憩にしよう。アル、コーヒーをいれてくれ」
研究の手を止めてそう言ったイーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)の声に、慌てて振り返った。
イーオンが休憩を取ると言ったのは、3日ぶりにもなろうか。
寝食を忘れて研究に没頭するイーオンだけに、こういう機会は大切だ。
いつでも提供できるよう、準備は整えてある。あとはコーヒーをイーオンの好みに淹れるだけだ。
湯を落とすと、ゆっくりとコーヒーの香りが漂い始める。
すうっと吸い込まれてゆく湯と、立ち上る香り……そんな一瞬に、アルゲオは昔の思い出に引き込まれた。
――アルゲオは地下で深い深い眠りについていた。
もう二度と覚めぬのではないかという封印の眠り……。
けれどそれは、あの瞬間に覚めた。
目が覚めて、顔のすぐ前にあったのはイーオンの顔。その赤い瞳は、きつい……探るような……試すような……警戒した眼つきを向けてきた。
それが怖かったのではない。けれど自然と涙がこぼれた……。
その涙を抱きしめて止めてくれたイーオンの温もりを、自分は一生忘れないだろう――。
アルゲオが『その時』を思い出している間、イーオンも同じ時を思い起こしていた。
――家の地下で深い眠りについていたアルゲオ……。
これまで保たれてきた封印が、自分の代で解けた理由……そして彼女がイーオンを選んだ理由……。
本人が分からぬというのだから、正解など求めようもないのだけれど、いまだ納得できる解さえ見いだせない。
「どうぞ」
芳醇な香を立ち上らせるコーヒーを置きながら、アルゲオはイーオンに微笑みかけた。
「今……イオと出会った時のことを思い出していたんです」
俺もだ、と言う代わりにイーオンはふんと鼻を鳴らした。と同時に、アルゲオの細い腰を引き寄せ、膝に乗せる。
「お前も、たまにはゆっくりしろ」
研究につぐ研究。考え抜かないことのない毎日には、充実感と喜びを覚えるが、ただそれでも疲れはする。
アルゲオはそうして自分が研究をしている間、そっと側に控えていてくれる。いつでも彼の要請に応えられるように。けれどそれだって、疲れないはずはない。
そんな気持ちから発した言葉だったのだけれど、アルゲオは笑った。
「それは私のセリフです」
いつも前を見て走り続ける毎日は、それはそれで価値あるものだけれど、たまにはこうして休息を。
そう、優しい雨が降りしきる、その間だけでも。
雨の日遊び
雨の休日。
冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)はヴァイシャリーにある崩城家の別邸に遊びに来ていた。
崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)が妹たちの世話をするというので、その手伝いがてらみんなで一緒に遊べたら、と訪問したのだ。
「最近色々忙しくて構ってあげられなかったし、こういうときぐらいはね」
妹たちの為に、亜璃珠はビーズアクセサリーの為の用具や裁縫道具、布類等を準備した。雨も降っていることだし、今日はこれで手芸でもして遊んでみようというのだ。
「やすみの日しかとか姉としてどーなのよ」
そんな憎まれ口をききながらも、崩城 ちび亜璃珠(くずしろ・ちびありす)は布類の山の中から、ふわふわしたボアを引っ張り出した。
型紙をあててチャコペンシルで印を付けてゆくちび亜璃珠の手元を、崩城 理紗(くずしろ・りさ)がじっと眺めている。その視線に気づくと、ちび亜璃珠はふふんと得意げに笑った。
「ほら、理紗や亜璃珠とちがってぬいぐるみぐらいかんつんにつくれるもんねー」
そう言うだけあって、ちび亜璃珠の手は早い。
「正直わたくし、おさいほーやらはさっぱりです……」
理紗の方はといえば、好きな色の布を探したところで手が止まっている。
「なんだったらおしえてやらんこともないぞ」
「うむー」
ちび亜璃珠の方が上手だからそうするのがいいとは思うのだけれど……お姉さんとしてはちょっと悔しい。うなった理紗に、小夜子がぬいぐるみの本を開いてみせる。
「裁縫道具でしたら前に扱ったことがありますので、私もお手伝いできますわ」
最近はさっぱり裁縫をする機会からは遠ざかっていたけれど、と小夜子は大和撫子を目指して自分を磨いていた頃を、懐かしく思い出した。忘れているのでは、とも思ったけれど、動かしてみれば手はスムーズに針を運んだ。こういうものは身体が記憶しているらしい。
「では小夜子お姉様に教えてもらうのです」
妹に教えてもらうよりはそちらの方が姉としてのプライドも傷つかない。理紗は小夜子の隣にぺたりと座って、簡単なぬいぐるみを教えてもらいながら作り始めた。
「それなら私はちびちゃんに教えてもらおうかしら」
「まあ亜璃珠がどーしてもっていうのならおしえてやらんでもないけど」
亜璃珠は縫い物よりは性に合っていそうなビーズを選び、ちび亜璃珠に手ほどきを受けながらテグスに通していく。本を見ながらやれば教えてもらわなくても出来そうだけれど、遊びのことは遊び慣れた子供に聞くのが一番。そうして話しているうちに、普段、自分が百合園女学院に行ってしまっている間、妹たちがどうしているのかも聞けたりするし。
「あの先生ぜんぜん人のはなしきかないし、しけんの点でしかはんだんしないけど、私のみどころはもっとほかにあるっ!」
家庭教師への不満をぶつけるちび亜璃珠に、思わず笑みがこぼれる。先生というものは、学校の教師であれ家庭教師であれ、そんな風に言われてしまいがちなものであるのだろう。
ぬいぐるみを作りすすめてゆくうちに、妹たちは雑談も忘れて縫い物に熱中しはじめた。
亜璃珠は作りかけのビーズブレスレットを膝に置くと、丁寧な針目でぬいぐるみを作っている小夜子に話しかける。
「ごめんなさいね、こんなのにつき合わせちゃって」
「そんなことないですよ。久しぶりに針を持つのも楽しいですから」
チョキ、と小さな音を立てて小夜子は糸を切り、また新しく玉結びを作った。その手元を見るともなく見ながら、亜璃珠は呟く。
「去年の今頃は小夜子にも会ってなかったっけ……本当、1年で色々あったわね。……はじめの頃は好き放題してたかっただけなのに、いつの間にか白百合団の一員になって、分校まで任されて……おかげで休みの日も貴重になったものだわ」
「出会った頃のお姉様は頼もしい人で、私にとって今もそれは変わりません。でも確かに最近はドタバタして、休みの日は少なくなりましたよね」
「そうなのよね。あんまり疲れも取れないし……んー、言ってたら眠くなってきたかも……ちょっと横になっていい?」
膝を貸して、という亜璃珠に、小夜子は私で良ければ、と照れながらも膝枕をした。
豊かな黒髪を優しく撫でているうちに、亜璃珠は眠りの中へ。こんな風に甘える亜璃珠は珍しい、と小夜子は膝にかかる重みを愛しく思う。
「およ、おねーさま寝ちゃったのですね」
「……ひざまくら、だと……? こッ、このやろう小夜子のぶんざいでなんてことを……わたしもあんまりされたことないのに!」
理紗の声に気づいたちび亜璃珠は思わず叫んだ。が、慌ててつんと首を逸らす。
「い、いや、うらやましくなんてないぞ、ないからなッ!」
「ちびちゃん、ここはゆっくり休ませてあげるのがやさしさですよー」
そう言った自分の言葉がお姉さんぽく聞こえて、理紗は嬉しくなった。
亜璃珠が眠っているうちに……と、小夜子は気になっいてたことを亜璃珠の妹たちに尋ねてみる。
「……お姉様は小夜子のこと、普段どう思っているのか知りませんか?」
「ふんだ、小夜子なんかにおしえてなんかやらねーもん、っだ!」
ちび亜璃珠はぷんとむこうを向いてしまった。どうやらすっかりヤキモチを焼かせてしまったようだ。理紗は、亜璃珠が言っていたことを思い出そうと首を傾げる。
「えっと確か……そう、大人ぶってるけどかわいー子だって言ってました。後はー……ちょっと心配してました。最近色々思いつめてるみたいだからって。でも、小夜子お姉様はお強いので大丈夫ですよ、私が保証しますっ!」
理紗の答えに小夜子は思う。
(……猫被ってても、やはりお姉様にはお見通しなんだなぁ……)
「そう……教えてくれてありがとう」
教えてくれた理紗に笑顔を向けると、小夜子は再び亜璃珠の艶やかな髪を撫でるのだった。
虹を探しに
白い布にまぁるく綿を詰めて、ぎゅっと縛って。
顔を描くのは雨があがって晴れになってから。
だから、のっぺらぼうのまま、頭に吊す為の紐をつけて。
てるてる坊主の出来上がり。
「レム、これでいいか?」
虎鶫 涼(とらつぐみ・りょう)が出来上がったてるてる坊主を見せると、レアティータ・レム(れあてぃーた・れむ)はそれを嬉しそうに受け取った。
不意に、虹が見たいと言い出したレアティータの為に、涼は朝からずっとてるてる坊主作りの手伝いをしていた。
たくさん作ったてるてる坊主を部屋の外にずらりと吊り下げれば、雨があがって欲しいというお願いの用意は完了だ。
「さてと。外に出るか」
「うん……虹……見られる……?」
「さあな。てるてる坊主に期待するしかないだろう」
「お願い……虹を見せて……」
レアティータはもう一度てるてる坊主に願いをかけると、涼と共に外に出た。
虹が見られそうな見晴らしの良い場所を、涼は既に幾つか探してあった。実際行ってみなければ解らない部分もあるので、雨があがるまでの間にそこを回ってみて、一番虹が見られそうな場所を見つける予定だ。
いつ雨が上がるのか、あるいは今日は上がらないのか、それは空の機嫌次第。けれど、虹が見たいと言うレアティータの為に、あれこれやってみるのも一興だろう。
見上げる空はどんよりとした灰色。太陽が顔を出す気配はない。
けれど、2人は虹を探しに出発した。
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