リアクション
4-07 鴉
この東の谷の決戦において、もともと黒羊側の兵力として動いていたカラス兵はまったくと言っていいほど姿を見せなかった。
前回のテング山からテント山をとる戦いにおいて、その大部が討たれたから……ということは考えられた。それにしても、あれだけ、東の谷の空をときに黒く染めるほどいたカラスが。
テング山の戦いでは、天霊院の作戦と橘カオルの奮戦、そしてテングの協力によりとりわけカラス賊の大将格であったブラッディマッドモーラを戦死させた。山を守っていたカラスのほとんども、全滅したといっていい。
テント山には罠が仕掛けられていた。黒羊に従うカラスはこれを知りつつも、一部は教導団を引き付けるために山の防衛に残された。この守備隊を率いていたのがカラスの末妹ブラッディマッドモモ(ぶらっでぃまっどもも)であった。テント山の爆発に巻かれたのは、カラスだけではない、多くの動物や付近の村の獣人などもこの戦火に巻かれ命を落とした。
ブラッディマッドモモは何とか火を逃れ、東河下流域に逃れていっている。
それを聞いたのは、東の谷で本隊を離れて動いていたロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)、一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)であり、その情報がカラス兵によってもたらされたのは、彼女らがカラスの弟ブラッディマッドモカ(ぶらっでぃまっどもか)とそのときおのおのの縁あって行動を共にしていたから、であった。(これについては、前回を参照。)
「モモが……」
長兄モーラの討たれたことには触れなかった。おそらく今触れたところでどうできることでもない、のだろう。カラス兵にとってそういった類の感情は二の次にできるようであった。モモも、少なからず怪我を負っているはずだ。モカは押し黙るばかり一向に次の言葉が口にされなかった。報告に訪れた兵も黙って立っているばかりだ。
「……」
一条も、とくに感情交えす様子で次の反応を待つ。
「あの、……もし怪我をしていらっしゃるのなら」
ロザリンドが切り出すが、
「黒羊からの指示は出ているのか」
「は。出ておりません。ただ、神ジャレイラが戦死したと」
「……」
一条はごく冷静に事実として受け止めた。敵将が討ち死にした……!
「えっ」
ロザリンドは一瞬、驚きの表情を見せた。「では、戦は……もう?」
「黒羊軍はさぞ、慌てているところでしょう。慌てて、指示も回らないでいますね」
一条が言う。
ロザリンドは、どうしよう? と思う。激戦だったのではあるまいか。こんな大事なときに離れてしまった……だけど。ロザリンドは思い直して、改めて切り出した。
「妹のマッドモモさんの部隊がいらっしゃるのは、この下流域にでしょうか?」
ロザリンドは行きましょう、と言った。
「……うむわかった。モカの部隊を収拾しよう」とカラスは言った。抑揚は感じられなかった。
「マッドモカさん」
ロザリンドは少し安心した。
「我等の貴重な兵力だ。それを拾ったなら黒羊の増援に向ける」
「……! マッドモカさん……。マッドモモさんは怪我を、していらっしゃいますよね、おそらく。……」
「……行ってみねばわからん。行くぞ」
「ええ! とにかく。行きませんと」
ロザリンドとブラッディマッドモカは歩き出す。
「えーと。私は……」
一条はまだ立ち止まったまま言う。隣には、さきの伝令のカラス兵もつっ立ったままいる。
「おまえは先、陣地へ戻り残りの兵を連れ黒羊の手助けに行ってやれ。
おれひとり行く。そう遠くまでは行ってなかろうよ」
「え、と。私……が?」
「うむ、行ってやれ」
「……」
よくわからないけど面白いな、鴉賊。一条は心のなかで思った。
「ちょっと、待ってください。すでに……多くの血と命が流れました。……」
ロザリンドは今度は小さく切り出す。
「もうこれ以上失わなくても、十分すぎるほどこの地に落ちてしまっています。……」
ロザリンドは、そこで少し口ごもる。
カラスはくぐもった瞳でどこか別の方角を見ているように見える。
「どうか、……そう、せめてマッドモモさんの部隊が無事、ここへ戻るまで……!
これ以上……」
「うむ」
カラスは言った。「陣地にて待機するよう伝えよ。モモが戻ってから決める」
「はいわかりました」一条が言う。隣のカラス兵に、「行きましょうか」。「うむ? 行こうか」やっと喋った。
「じゃあ、ロザリンドさん、ごめん。私はちょっとカラスの陣地も見学したいので」
「は、はい。大丈夫です……!」
「その代わり、部下の騎狼兵を一足先に伝令に出して、カラスはすでに敵ではない。
ということを先行部隊に連絡しておきますので」
「一条さん……! あ、ありがとうございます」
*
「え、なに? パンツ? んなこたぁどうでもいいじゃねぇか」
ランス・ロシェ(らんす・ろしぇ)。獣人だ。テント山の爆風に巻き込まれとばされた。そこで、この山に布陣していたブラッディマッドモモと偶然に出会ったのであった。
二人とも、手負いであった。
マッドモモの部隊の多くは死んだか、もう立ち上がれない重症であった。
マッドモモは両腕に火傷を負い、爆風でとばされたときに頭を打ち、血を流しているひどい状態であったが、なんとか歩けた。
ロシェはパンツまでふっとばされた。気にしてはいないが。
「大丈夫か? 助けてやるぜ」
ロシェは話しかけたが、マッドモモは無言であった。部隊を収拾するでもなく、燃え移ってきている火を逃れ、ひとまず河伝いに歩く。
パンツのせいかな。この子、無言なの。……。ロシェは、他にも続々と、河沿いに水を求めて火の山を下りてくる動物たちと、下流を目指した。
「下流か……おいあっち行こうぜ。オレしばらく世話みてくれっところ知ってんだ。
そこへ向かってたんだ。アイツなら信用できるぜ?」
「……」
カラスのその子はようやく、ちらとロシェを見た。
「な。人の命に敵も味方もねぇよ。
オレもそこのマーさんに一度助けてもらったからな!」
「オマエ……パンツはけ」
「……安心しな。行こーぜ」
やっぱりパンツだったか。
「はぁ、はぁ。ひどい……こんなの、あまりにひどいです」
「ん?」
見ると、銀の甲冑を纏った人間の女性がふらふらと、辺りを見渡しながら近付いてくる。
「おー。そこの騎士っ娘。
もしモモっちに手出しするんなら容赦しねぇぞ」
「は、はい。モモっち……? もしや。モ、モカさん! モカさんこっちです!」
「ちっ」
甲冑の女子め。仲間を呼んだようだな。そう思いロシェは人の姿に変わるとくくりつけてあったブロードソードを抜いた。「モモ、後ろに隠れてろ」
「マッドモカさん、あちらの鴉のおかた、マッドモモさんでは……
はぁっ」
ロザリンド、何かに驚愕する。
「モモか……」「兄」ともあれ、ここにブラッディマッド兄妹の残された二人が再会した。
「女子はいったい、どーしたんだよ。何を驚く?」
ロシェが倒れたロザリンドを心配して近付く。
「(ぱ、ぱんつ・・・・・・)」
「え、ああ。ぱんつ? まぁどうでもいいじゃねぇか」
*
カラスの陣地に入った一条は、彼らの文化をまずはじっくりと見学したのであった。
教導団に引き入れた際、彼らの生活の場所をこしらえてやる必要がある。
「ふぅん。なるほどね」
さきのやりとりについては、一緒だった伝令の兵がきちんと説明してくれたようだ。人間がマッドモカを救ったようだとも。
「教導団……? 敵じゃなかったのか?」
「ええ。今はもう」
一条は、戦で大量の働き手を失ったカラスたちに対し援助を申し出た。
まず、歩み寄る態度は見せないと、と。
それをカラス賊が以降、黒羊郷に味方しないこと、この戦いから残りの部隊を退かせることを約束してもらう、見返りとして。
実際のところ、教導団にカラスを兵力として養う余力があるかはわからず独断であったのだが、一条が求める目的のためなら多少のこれまでの私財を投資してでも。と思うことではあった。
こうして、ロザリンドがカラスの一将を救ったことは思わぬ方向に転がり、一条の歩み寄りもあって、カラス兵はこの戦いではもう黒羊郷の兵としての機能を失い、一条は第四師団における空戦部隊の結成という目的に一歩近付いたのである。
ロザリンドも、気を取り直し、惨状のなかで治療を開始した。カラスたちはどこか不思議そうにそれを見ていたが。
カラスの方たちの今までの価値観から見れば奇異に映るかもしれません。ですが……と、ロザリンドは強く思う。――一人でも助けることが、戦争を止めるために少しでもできるのでしたら動くことが……どうかお願いします。
「失われようとしている命を救うために力を貸してください」
ロザリンドは、カラスらの立ち尽くすなか、火を逃れた動物たちにひとり、決死の救命を行った。いや、ロシェも走り回っている。
カラスから、マッドモモがロザリンドに歩み寄った。
「マッドモモさん……?」
カラスは曇った瞳で見ていたが、ふとロザリンドに手を差し伸べるのであった。「わ、私に……? え、ええ。私はまだ大丈夫。これが私の戦いなのです」