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リアクション
第9章 舞台下の恋
午後七時。
大広間にいた貴族たちは、メイドらに誘導されて隣の部屋へと移動していく。
「皆様、まもなくオペラの開幕となります。どうぞこちらへ」
今日の招待客にとってはこれも楽しみの一つだ、逃す手はない。それにオペラ鑑賞を趣味とするアレッシアに取り入ろうとするのに、わざわざ興味がないポーズをする人物もいなかった。
続く部屋の奥には、臙脂色の幕が下ろされた舞台と、半円状に観客席が用意されている。お茶やお酒、お菓子がつまめるようにと、テーブルの周囲に椅子が用意され、一見結婚式場のようでもあった。
外周部にはホステスアレッシア・バルトリ、護衛役の桜井静香(さくらい・しずか)と引率された生徒たちがいる。
とはいえ、全員が護衛をするのではなく、中には護衛とは関係なくオペラを鑑賞する生徒たちもおり、百合園らしく、仲良く寄り添う少女たちの姿もあった。
「オペラの、内容は……女の騎士の人の……話、なんだっけ……?」
如月 日奈々(きさらぎ・ひなな)に訊ねられ、パートナーの冬蔦 千百合(ふゆつた・ちゆり)が頷く。
「女王に永遠の忠誠を誓ったんだって。えっとね、これこれ」
配布されたパンフレットを千百合は開き、盲目の恋人のために読み上げる。
「……古王国時代。ツァンダの騎士の家に生まれ、男兄弟に混じって自身も騎士として育てられたヴェロニカ・バルトリに政略結婚の話が持ち上がる。相手はヴァイシャリーの若きバルトリ家当主・ジェラルド。しかし、彼には美しい恋人がいた。
先代である父に抗えないジェラルドは、恋人と別れ花嫁を快く迎える決意をするが、花嫁ヴェロニカは、女王にのみ忠誠を誓っていたのだった……」
そこまで読み上げて、彼女は日奈々の顔を伺う。
「オペラ鑑賞……来て、良かった……?」
「ええ、オペラなら……メインは歌ですからぁ。見えなくても……十分、楽しめますぅ。千百合ちゃんこそ……付きあわせて、ないですかぁ?」
「ううん、そんなことないよ。悲劇よりは喜劇の方が好きだけど、共感できることもあるかもしれないなって、楽しみにしてたよ。あたしも誰かを守りたいって気持ちはわかるから」
二人は顔を見合わせて、小さく微笑みあった。
やがて明かりが落とされ、舞台の幕が上がる。
日奈々と千百合は、ハラハラする場面では手をぎゅっと握り合い、ロマンスな場面では視線をからめあっている。
そんな仲睦まじい様子を近くに見て、神楽坂 有栖(かぐらざか・ありす)は小さな小さな吐息をついた。
(素敵なオペラです……できたら、ミルフィと一緒に観たかったな。……こんな時にミルフィったら、急用で参加できないなんて……)
二人を見ていると、パートナーのことをどうしても思い浮かべてしまう。
いや。彼女たちでなくても。
口にこそ出さなくても、聞こえなくても、ラブラブな雰囲気を漂わせているカップルはそこかしこにいる。後方にある百合園女学院用の席からは、どの位置にいたって目に入ってしまうのだ。
いけないいけない、と有栖は首を振った。
楽しめたらいいな、と思ってはいるし、実際楽しんではいるけれど。
(『万が一』の事態に備えての護衛だもの。アレッシアさんだって──)
目をやる方向には、護衛対象のアレッシア・バルトリ。
(──アレッシアさんだって、寂しそうに見える気がするけど……ううん、ダメです。何考えてるのかな)
もう一度、首を振って。彼女は本来の任務、“ディテクトエビル”で周囲に注意を払うことに集中する。
「えーと、これとこれもくださいー」
メリッサ・マルシアーノ(めりっさ・まるしあーの)は、通りがかりのメイドに、お皿にお菓子を乗っけてもらうと、にこにこ顔を友人に向けた。
「綺麗だねー。舞台もお菓子も、キラキラしてるよー」
獣人の村出身のメリッサには、あらゆることが“社会勉強中”。特に上流階級の社交は普段接点がないだけに興味津々だ。きょろきょろ。くんくん。
それからはっと気づいたように舞台と友人の間できらきらした視線を往復させて、
「ねーねー、ヴェロニカさん最後は幸せだったのかなー? あと、お話しの中じゃなくて、実際はどうだったのかなー。……どうしたのー?」
問われた友人テレサ・エーメンス(てれさ・えーめんす)は、うん、と生返事をしてから、
「えーっと、ウチが前にいた頃だよね。……あかん、記憶がぽーんと抜けてるから、まったく知らないや」
「なんだー、残念」
テレサはまた、視線を戻す。舞台の上ではなく、隣にいる地球人のパートナーに。
ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)は今、舞台を見ていたが、どうやらその意識はもっと別のところにあるようだった。
ぼんやりとした視線を追えば、いや追わなくてもテレサには分かる。彼女はすぐ隣のテーブルで、先ほどまで護衛をしていたアレッシア──のその横にいる校長・桜井静香を見ているのだった。
(ヴェロニカさんにはお会いしたことがあります。「信頼の重みに潰されるな、誇りを持て」でしたよね)
舞台上の女優は人好きのする笑顔の美女で、精巧な作り物の鎧を着て凛々しくも美しかったが、本人はもっと、硬い印象の人物だった。
(私は潰れかかっていたのでしょうか。10しかできないのに20も30もやろうと、自分はやらないといけないと勝手に考えて。無理だと投げそうになって……。校長はどうなのでしょうか)
ロザリンドは、何度か考えたことがある。いつも笑顔で、時々涙するその人は、周囲に弱音を吐かず、人知れず重圧に耐えているのだろうか、と。
(校長のことが好きです。同じ道を歩み、支え合い、間違いを正し、共に成長していこうとすることができたらいいと思います。だから私は10の中で全力を……、そして皆と力を合わせて、いつか、20や30や……100の力を出せるように)
ふと──いや、熱心に見つめる彼女に気づいたのだろう。静香と目が合った。
ロザリンドの頬がさっと赤くなる。
静香は微笑して、手をほんの軽く上げると、再び視線を劇に戻す。
「あ」
ロザリンドは小さな声を上げた。
自分の決意は通じていたのだろうか──静香の右手指には、いつか贈った銀の指輪が光っていた。
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