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はじめてのひと

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●「はじめて」のケータイで

「羽純くんとお揃い……」
 買ったばかりの『cinema』を取りだし、うっとりした目で遠野 歌菜(とおの・かな)はこれを眺めた。月崎 羽純(つきざき・はすみ)と二人で携帯ショップに赴き、じっくり選んで色違いの同モデルにしたのだ。選ぶ過程で、さりげなく何度か手が触れあったのが嬉しい。
 ところが恍惚の表情がかすかに曇る。
「はじめての通話は、羽純くんとしたいな……」
 そればかりか歌菜は、ため息ついてしまうのだった。顔を合わせている時は恥ずかしくって、『はじめての電話』について頼めなかったのだ。
(「うう、どうしよう……さっき別れたばかりなのに……いきなり電話したら、変なヤツって思われるかな?」)
 恋人同士の二人ではあるが、そうなってまだ間もない。そのあたりの初々しい喜びと、初々しいがゆえのもどかしさ、その両方を味わっている歌菜なのである。
 ところが、まるでそんな彼女の気持ちを読んだかのように、だしぬけに『cinema』が着信音を歌った。
(「……って、羽純くん!?」)
 慌てて着信アイコンを押す。
「は、はい! もしもしっ」
 少し舌を噛んでしまったが、出ることはできた。
「……元気か?」
 と、告げながら羽純はいささか苦笑していた。
「ご、ごめん、私、おかしなこと言っちゃった?」
「……違う。笑ったのは、自分に対してだ。……なんだか間抜けな挨拶だな、と思って」
 羽純の口調は普段通り冷静そのものだが、やはり彼とて、気恥ずかしくは感じていたのだろう。
「……歌菜の声が、聞きたくなった。窓の外、見えるか? 綺麗な月だ」
 テラスに腰掛けたまま、羽純は頭上を見上げる。鋳造されたばかりの銀のコインのような月が、静かに彼を――そして彼女を、見おろしていた。
「契約したあの夜の事、覚えてるか?」
「うん、勿論覚えてる。凄く綺麗な月夜だったね」
(「で、電話でよかった!」)
 話しながら歌菜は思う。なぜって彼女は、耳まで熱くなるくらい真っ赤になっていたからだ。声が聞きたくなった……なんて、初めて言われた気がする。
「歌を歌ってあげる、なんて言って……変なヤツだと思った」
「む。……それは、羽純くんが、私と契約して何か俺にメリットがあるのか? って言うから……」
 言いながらますます、歌菜は顔が熱くなるのである。今思い出すと恥ずかしい。
 しかし、そんな彼女をなだめるように羽純は笑った。
「……歌菜、歌ってくれないか? お前の歌が……聴きたい」
「え?」
「お前の歌が聴きたいんだ」
 短い一言だったが、息を呑むほどに、歌菜は羽純の心を感じた気がする。
「私の歌でよければ」

 やがて電話越しに、歌菜の優しい歌声が聞こえてきた。
 子守唄だ。魂を持って行かれそうなほど美しい……羽純はそう思った。
 瞳を閉じて、聴き入る。


 *******************

 ここは教導団の女子寮だ。
 今日は朝から街に出かけて買い物して……歩き疲れるくらい歩いて、普段に比べるとまだ時間は早いものの真白 雪白(ましろ・ゆきしろ)はベッドでまどろんでいた。同じベッドには真黒 由二黒(まくろ・ゆにくろ)も身を横たえており、寒いのか猫のように身をすり寄せてくる。
 しかし由二黒の目は、今日購入したばかりの携帯電話に注がれていた。音はしないものの指は忙しく動いている。どうやらメールを打っているらしい。
「……メール?」
 半ば眠った頭で雪白が問う。
「……うん」
 集中しているのか、由二黒の返答はぞんざいだ。
「……ずいぶん熱心だね?」
「……うん。でも、もうすぐ終わり」
 終わった、と呟くと、由二黒は携帯を閉じて枕元に置いた。
「良かったね……誰に送ったの……?」
 雪白の瞼はもう下りている。
「……年後のあなたよ」
「……え? いつ?」
「10年後」
「ふーん、タイムカプセル機能かぁ……なんておくったの??」
 しかし由二黒は答えず、身を起こして雪白にキスした。
「……んっ」
 まるで魔法のキス、眠さがピークに達していた雪白は、満足げな笑顔を浮かべると、そのまま眠りに落ちてしまった。由二黒がメールを送っていた、という記憶は、融解する意識に溶けてしまっている。
 だから雪白はおそらく10年後、この文面を読んで驚くことだろう。

「シロシロ、私の初めてを捧げたあなたへ。
 
 あなたと最初に出会ったのは三歳の頃ね。
 さみしくて泣いていたところに私がアリスキッスをしたのが最初の出会い。

 男兄弟しかいないあなたは私の存在を喜んでくれた。
 あなたの家族も私のことを快く受け入れてくれた。新しい家族が増えたって。
 すごく、うれしかったのよ。

 あなたに会うまで私は5000年間孤独だったんだから。

 10年後のあなたは生きてる?
 7才で志願兵になるような娘だもの。あぶなっかしいのよ。
 私をまた孤独にするなんてゆるさないんだから!

 だから、生きていてね。

 あなたは大切な私の妹。それはずっとかわらないわ。

 クロクロより」



 *******************

 購入した携帯電話の、電源を入れてじっと見る。
 とりわけ、そのアドレス帳を。
 五十音順に並んだ登録名の、一番上が『山葉涼司』である。『や』ではじまる涼司がなぜ一番上か? 理由は簡単、その読み仮名を『あいするりょうじくん』と振っているから。
 その一番上の登録者に向けて、火村 加夜(ひむら・かや)は電話した。
 先日のアクシデントを思い出すと、それだけで顔が赤らむ。
(「涼司くんの足につまずいた拍子に、不可抗力の突然のキス……」)
 まさしく事故、『事故チュー』とでも呼べばいいのか。それでも、唇と唇はしっかりと重なった。今でもその感触を覚えているくらいに。
(「恥ずかしくて逃げちゃったけど、本当は嬉しかったんですよ。でももしかしたら誤解されちゃったかも……」)
 顔を見て伝えるのは照れるから、買い換えたばかりの携帯電話で思いを伝えようと思う。
 今なら本当の気持ちが伝えられそうな気がする……。
 コール音が何度もこだまする。涼司は出ない。
 あと一回コールして出なければ切ろう、いや、せめてあともう一回……そんな風に待っていると、やがて涼司が返事するのが聞こえた。
「涼司くん、あの……遅くにごめんなさい」
「ああ、別に構わない」
 心なしか声が疲れているように思えた。無理もない。彼は今、蒼空学園の校長なのである。天才的な経営手腕を有する御神楽環菜なればこそ、無事務められていた重責だ。不慣れな涼司が単身こなすにはあまりに厳しいのだろう。
「どうしても伝えたいことがあって、その……。この前……キスしたこと覚えてますか……? あ、あの時、逃げちゃって……ごめんなさい……」
「……気にしなくていい」
 学園生活に事故はつきものだ……と、涼司はどこか、生気を欠いた返答をした。
「で、でも、本当は……ドキドキが止まらないほど嬉しかったんですよ。……今もまたドキドキしてきちゃいました……」
「そうか」
 やはり涼司は、心を遠くにさまよわせたような声で答える。
 そんな彼に想いをぶつけていいのだろうか、と加夜は思わないでもなかった。しかしどうしても、伝えずにはおれなかった。決意して告げる。
「涼司くん……これからも傍にいていいですか? 涼司くんの傍はドキドキするけど安らげるから大好きです」
 涼司は暫時無言だった。迷惑に感じているのでは……と加夜は不安を覚える。ただでさえ忙しい身の彼に、余計な負担を追加してしまったのでは――と。
 しかしむしろ、それは逆のようだ。
「ああ、頼む」
 いくらか活力を取り戻したような声で、彼はそう告げたのだから。
「いいんですか……」
「加夜と話していると、心が安らぐ」
「えっと、あ、ありがとうございます……! それじゃ、おやすみなさい」
 駆け足気味に断って、加夜は電話を切った。「ゆっくり休んでね」と告げたかったのだが控えた。涼司の様子からして、まだまだ仕事が山積みなのは容易に想像がついた。それでも、「心が安らぐ」と言ってもらえたのは僥倖だ。
「頑張って下さい。涼司くん……」
 だから電話機の向こうの彼に、そう呟くにとどめたのである。
 それにしても照れてしまった。電話を終えてなお、心臓が飛び出しそうである。
 それでも、今夜はいい夢が見られそうだ……。