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 百合園女学院の家庭科室には、すでに甘い香りが広がっていた。パイの焼ける良い匂いやチョコレートの甘い香り、煮詰められたフルーツの香りが、さまざまに入り混じっている。甘い香りの充満した部屋では、乙女たちが思い思いのお菓子作りに励んでいる。
 プロ仕様のような、銀色のキッチン空間にも、色とりどりの食材が並べられているため、華やかな雰囲気の空間となっている。
 調理台に並べられた食材は、どれもツヤツヤと、陽ざしを受けて部屋をさらに明るいものとしていた。
 メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)は、調理台の上に並べられたりんごをじーっと眺めて比べていた。
「メイベル、どうしたの?」
 セシリア・ライト(せしりあ・らいと)は、メイベルの肩をぽんっと叩いて声をかけた。
「あ、セシリア〜。どのりんごさんが一番おいしいと思いますぅ?」
「ううーん、そうだね。でも、たくさんお菓子作るんだから、たくさん選んでいいんじゃないっ?」
「ああっ!セシリアはかしこいですぅ。あんな風に、ジャムを作るのも、いいですぅ」
 メイベルが指差した先には、イチゴジャムをなにやらスプーンでぐるぐるとかき混ぜているティアの姿が。
「あれは、何をしているんですぅ……?」
「ううーん。なんだろう。ジャムクッキーでも、作るのかなぁ?」
「あんなにかきまぜる必要ありますぅ……?」
「さあ??何を作るんだろうね。ジャムクッキーかなぁ?」
「ジャムクッキー、おいしそうですぅ。私たちもりんごジャムを作りますぅ」
「いいね!」
 セシリアは、さっきメイベルが見つめていたりんごの山の中から、ひょいひょいとりんごを取る。
「私も持つですぅ」
 メイベルがりんごの山を下から抱えると、よたよたと歩き出した。
「メイベル様。そんな持ち方じゃ危ないですわ」
 フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)が、カゴを小脇に抱えて、メイベルの抱えているりんごの山のてっぺんからりんごを取った。
「ふわぁ〜。前が見えなかったですぅ」
「そんなんじゃ、転んでしまいますわ」
「はぁい。でも、大丈夫ですぅ……、っうわっとととっ」
 バランスを崩したメイベルは……

 ぺちょん

 と、倒れた。
「メイベル!」
「メイベル様!……大丈夫ですか?」
「ふへぇ……だいじょうぶ、ですぅ」
「気をつけなくては、危ないですわよ」
 イチゴジャムをかきまぜていたティアが、いつの間にそばに来たのか、メイベルの身体を支えるようにして、抱き起こす。
「だいじょうぶ?ほら、気をつけないと」
 ティアがおひざに抱っこ状態のメイベルの頭をなでなでする」
「だだだだだいじょぶ、どすか!……ああ、ティアー!」
「もうっ、なによ。エリス。あたしはただ、助け起こしただけですわよ。ね?」
「はい。ありがとうですぅ」
 エリスの心配をよそに、メイベルはにこにことしている。
「まったく、あんな持ち方したら、転んじゃうでしょー」
 セシリアは、メイベルの腕を掴んで、立ちあがらせる。
「メイベル様。みんな、心配しましたわよ」
 フィリッパが、散らばったりんごを拾い集める。
「これも……どうぞでございます」
 ずいぶん遠くまで転がったのだろう、壹與比売がいくつか拾ってきたりんごをフィリッパに手渡した。
「ありがとう。ずいぶん向こうまで転がってしまったのですわね」
「大丈夫でございますよ。たぶん、これでぜん、ぶ……」
「ふやぁ……また、やっちゃいましたですぅ」
 メイベルは、拾い集めたりんごをまたもや床にばらまいていた。

「なんだかこのりんごさん……へこんでますぅ」
 ヘリシャ・ヴォルテール(へりしゃ・う゛ぉるてーる)は、ぺこぽこふわふわしている、りんごの黒くなった部分をつんつんしながら言った。
「大丈夫だよ。りんごジャムにするから、ダメになった部分は取っちゃおうね」
「んーと、こう、ですかぁ?」
「うんっ、ヘリシャなかなか上手だね!」
「せっかくだから、写真に撮っておきますわ。ほら、メイベル様も」
「ほらっ、メイベル!いつまでもへこんでないで、フィリッパが写真撮ろうって!」
「はぁい」
 少しべそをかいていたメイベルも、フィリッパのカメラのレンズにやっと笑顔を向けた。
「可愛く撮れましたわ」
 フィリッパは満足そうに、撮った写真の画面を見せた。なんだか少し困った笑顔のメイベルが、写っていた。
「ほら、メイベル。あーん」
「ん。あーん、ですぅ……」
「ほら、りんご美味しいでしょ?」
「おいしいですぅ……。ね?」
 メイベルは同じように、あーん、してもらったヘリシャと一緒ににこにこした。その笑顔にフィリッパはもう一度、カメラを向けた。うん、今度はイイ笑顔でバッチリと写っている。
「せっかくだから、他のみんなの写真も撮りに行くですぅ……」
 フィリッパが見せた写真にメイベルは満足そうに、にこにこして言った。
「メイベル!お菓子作りはどうするのっ」
「もちろん、ちゃんとするですぅ。みんなに喜んでもらいたいですぅ」
「まあまあ、でも、いいじゃありませんか。みんなの記念にもなりますわ」
 フィリッパも、デジカメを構えてにこにことしている。お茶会は明日だけど、せっかくのお菓子作りの様子も、撮っておくのも良いかもしれない。
「もぉっ、じゃあ早く帰ってきてねっ!」
 セシリアはてきぱきと、小麦粉や砂糖の分量を量りながら言った。
「セシリアさん。私がお手伝いするですぅ」
 ヘリシャがなにか手伝えることはないかと、調理台の上を見回しながら言った。調理台のへりに、へちょんとあごを載せて、青い瞳をきょろきょろとさせている。
「ありがと、ヘリシャ。そうだなぁ……じゃあ、この卵を黄身と白身に分けてくれるかな?」
「分ける、ですぅ……?」
「うん、ほら、この卵の黄身分け用の、うん。ここに割り入れると、真ん中の部分に黄身が残って、白身が下に落ちるから、お皿の上でね。残った黄身はこっちのボウルに入れてくれる?」
「はいですぅ!」
 ヘリシャは、不器用な手つきながら、一生懸命に卵を割りはじめた。フィリッパはさっそくその様子を、カメラに収めた。

「うわぁ。葵ちゃん、おいしそうですぅ」
 葵がクリームをホイッパーで泡だてている様子を、メイベルは目を輝かせながら見つめた。白い液体状のクリームがどんどんときめ細かい、ふわふわとしたクリームへとなっていく。メイベルはそーっと、近くにあったボウルの中のクリームを舐めてみる。
「これらは、カスタードクリームですわね。葵さん、ダブルクリームのするんですの?」
「うんっ。ダブルクリームのミルフィーユは本当においしいからねっ♪」
「エリスちゃんのこれは……クッキー?早く焼けるといいですぅ」
 メイベルは、ハート型のくりぬいた生地と、ハート型の中に小さなカートをくりぬいた生地を見比べて聞いた。
「そうどす。中にジャムを詰めるので、赤いハートができるんどすよー」
「とっても可愛くできるはずだよっ」
 作り方を教えている葵も胸を張って答えた。
「ティア。ジャムはどうどす?」
「これにあとは……グラニュー糖をかければ良いのですわよね」
「うんっ、そうだよー!グラニュー糖は、そこに置いてあるからねっ」
「ありがとうですわ」
 みんなの、ほのぼのとした雰囲気をフィリッパはカメラに収めた。白い粉をイチゴジャムにふっているティアに声をかけた。
「ティアさんも、こちらを向いてくださいな」
「あら……。はぁい」
 ティアは、持っていた白い粉のケースを、そっと後ろ手に隠すと、ファインダーに向かって笑顔を浮かべた。