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リアクション
■第四章
日の傾き始めた、夕刻。
ハリボテの樹に集まる蝶は順調に数を増し、彼ら自身が仄かに帯びる桜色の光によって、桜の樹はほんのりと輝きを帯びていた。
「せ、拙者、花見なんて初めてでござるよ……!」
不意に、何も無い所から上がる声。すぐ傍にいた榧守 志保(かやもり・しほ)は驚くでもなく、くつくつと喉を鳴らして笑声を立てる。
「あんまりそわそわするなよ、骨骨。まずは挨拶だ」
「そ、そうでござるな!」
志保の傍ら、先程声のした場所で、何かの頷く気配があった。声の主は、骨骨 骨右衛門(こつこつ・ほねえもん)。光学迷彩で姿を隠した、他ならない志保のパートナーだった。二人は主催者であるヴラドとシェディの共へ歩み寄ると、声を掛ける。
「よう、初めまして」
「おや、初めまして。屋敷へようこそ」
笑顔で迎えるヴラドと一言二言交わした後、志保はおもむろに「えーと」と言い淀んだ。
「説明しておきたいことがあるんだ。骨骨、出てきてくれ」
「承知したでござるよ」
志保の言葉に応え、骨右衛門がぱっとその場に姿を現す。突然現れたガイコツの姿にヴラドはぱちぱちと目を瞬かせたが、吸血鬼という種族故か、それほど驚く素振りも見せなかった。シェディもまた僅かに眉を持ち上げたのみで、怯む事もない。
「良かった。骨骨は大抵は隠れてるけど、もし庭で骸骨を見掛けても驚かないでほしいんだ」
「大丈夫ですよ、むしろ身を隠すなどなさらなくても……」
首を傾げるヴラドに、志保は「いや」と首を軽く振る。
「夜にうっかり見えちゃったりすると、見慣れてる俺でもドキッとするからさ」
その言葉に、光景を想像したのであろうヴラドも頷く他になかった。骨右衛門はそれを気にした様子もなく、むしろ楽しそうにかたかたと骨を鳴らして笑うと、再び背景へ溶け込むように姿を消してしまう。
「じゃ、そういうことで宜しく頼むよ。行こう、骨骨」
言って、志保はヴラドたちのもとを後にした。
(お花見か……平和だった日本の暮らしを思い出すなぁ……)
その頃、不安げに辺りを見回しながら、屋敷の庭へ向かう皆川 陽(みなかわ・よう)の姿があった。彼の傍に日頃常に付き従っていたパートナー、テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)の姿は無かった。とある一件で彼のプロポーズを断って以来、二人の間にはどこかぎくしゃくとした空気が流れていた。
(流石に、気まずくて誘えないよ……)
とぼとぼと一人歩む陽は、気付けば間近に迫ったハリボテの樹を見上げる。きらきらと淡い光の瞬く蝶が、陽の目には酷く眩しく映った。
(いつも、こういう時にはテディが傍にいたんだ)
騎士を名乗り、陽を主としていたテディ。賑やかな彼によって騒動に巻き込まれたことは何度もあった。そしてそんな騒々しい日々に戸惑いながら、以前の何も無かった日常とは違った日々を、どこかで楽しいと感じていたこともまた確かだった。
それが、今の自分は独りだ。驚愕や歓喜に代わって、不安と、そして寂寞が胸中を満たしている。
(……いけないいけない。こんな気持ちでいたら、桜蝶さんたちが逃げちゃう)
ふるふると首を振って、陽は一人表情を引き締める。彼を心配するかのように、一匹の桜蝶がその眼前へと舞い降りた。驚いて軽く仰け反った陽の周りを一周して、桜蝶は樹へと戻っていく。
「ひょっとしたら、ボクと同じように、一人で来ている人がいるかもしれない……」
蝶に勇気づけられるように、陽は足元へ向けていた視線を前へと向け直す。賑やかで穏やかな花見の風景を見回して、戸惑いながらも足を進めていく。
(今まではずっと、テディがボクを引っ張ってくれた。でも、今度は自分で足を踏み出さないと)
全身から不安を漂わせながらも、必死に足を進めていく陽。そんな彼の姿を、少し離れて見守る影があった。
(……陽)
それは他ならない、テディだった。陽に見付からないようにと気を配りながら、彼を危険から守りたい一心で、こっそり後を付けてきたのだ。彼のその行動を促すものは、しかし騎士精神だけではなかった。
戸惑い、彷徨う陽の姿が映る。自分が彼に代わって、彼を背に庇って、大事に守ってあげたいと、心から思う。しかし、それは今となっては叶わない。否。
(僕のそういう行動が、陽に『自分では何もできない』と思わせてしまっていたんだ)
大事に想うあまり、少しでも彼が苦痛に思うであろう事の全てを、彼が手を出す前に肩代わりしてきてしまった。彼は何もできないのではない。自分が、何もさせなかったのだ。
(僕は陽のことを、本当は何も見てなんていなかった。考えてなんていなかったんだ)
自分は彼の騎士だから。その言葉を盾に、自分のエゴを貫き通してきただけだ。その結果が、現在の事態。
テディの視線の先では陽が、一人桜餅と抹茶を愉しむ志保へ歩み寄り、恐る恐るといった様子で声を掛けている。ほら、彼は一歩を踏み出した。自分の足で、踏み出すことができた。
では、自分は?
(……やっと、気付いたんだ)
テディの元へも、蝶は一匹舞い降りる。ひらひらと踊る蝶の煌めきを眩しげに眺めながら、誰にも聞こえない程度の微かな声で、テディは蝶へと語り掛けるように呟いた。
「今更、やっと。……本当に陽が好きなんだって、気付いたんだ」
勿論、その言葉が陽に届くことはない。陽に声を掛けられた志保は始め驚いたように目を瞬かせたが、すぐに双眸を細めると、桜餅を彼に勧めた。並んで腰掛ける陽の、未だ緊張した様子を悟ってか、見えない骨右衛門とアイ・コンタクトを交わす。
「て、てぃーたいむを共にしても宜しいか?」
突然姿を現した骸骨に、陽はびくりと肩を竦めた。しかし、逃げ出すようなことはない。骨右衛門の手にしている桜餅と、和やかな花見の雰囲気がそうさせたのか、拙いながらも言葉を交わし始める。
「拙者一人では、花見なぞ考えもしなかったでござるよ」
「そうなんですか……」
「こうして人々と共に甘味を味わうなど、夢のようでござる」
「俺も、暫く花見なんて贅沢してなかったからなァ。それも花でなく蝶だなんて、なかなか粋なことだ」
桜餅を食べる志保の手は、早い。陽も幾らか緊張が解れてきたのか、奇妙な二人組と共に桜餅を食べ、蝶を眺める。
「綺麗、ですよね。夜になると、もっと綺麗なんだろうなあ……」
パートナーだったら、はしゃいで蝶を捕まえてくるだろうか。そんな事を思って、陽は振り払うように首を振った。
そこを、一人会場を歩き回っていたアーヴィン・ヘイルブロナー(あーう゛ぃん・へいるぶろなー)が通り掛かる。奇妙な組み合わせに惹かれるように彼らの元へ歩み寄ったアーヴィンは、三人を順に眺めて一礼した。
「やあ、俺様も混ぜてくれないだろうか?」
「おや、骨骨に怯まないとはまた珍しい御仁だ」
からかうような志保の言葉に、アーヴィンは「ゲームで見慣れているからな」とうそぶく。
「あなたは……?」
恐る恐る問い掛ける陽の言葉に、アーヴィンは一拍考えるような間を挟む。
「そうだな……俺様は、一般的な腐男子だ」
「フダンシ?」
躊躇いも無く言い放たれた聞き慣れない単語に、骨右衛門が首を傾げる。
「うむ。例えば、彼らを見てほしい」
そう言ってアーヴィンが指差したのは、何も知らずに桜餅を食べるヴラドとシェディの姿。一同の視線が彼らに向いたのを確認してから、アーヴィンは重々しく口を開く。
「例えば彼ら。あれは敬語受けに違いない」
「め、眼鏡受け?」
またも聞き覚えのない単語。きょとんと眼を瞬かせる陽へ、アーヴィンは頷いて見せた。
「うむ。つまり、敬語の彼が挿れられる側と言うわけだ」
「挿れ……?」
「だから、つまりナニをアレにだな……」
疑問が深まるばかりの陽や骨右衛門とは対照的に、志保は大まかなところを理解してしまったらしい。あー、と言い淀む彼へ向き直り、アーヴィンは顎に手を当てた。
「ちなみに。キミたちでカップリングを考えるなら、」
「そ、それより。桜餅、食べるかい」
それ以上言わせるか、とばかりに、志保はアーヴィンの眼前へ桜餅を差し出した。眼をぱちぱちとさせたアーヴィンは、しかし満足そうに「頂こう」と餅を受け取る。
そうして当たり障りのない会話を始める二人に、陽と骨右衛門は顔を見合わせて首を傾げた。
「桜蝶かあ……」
五月葉 終夏(さつきば・おりが)の呟きに、傍らのセオドア・ファルメル(せおどあ・ふぁるめる)はうんうんと頷いて見せる。掃除から逃げ出したセオドアを追って屋敷に至った終夏は、ヴラドの説明を受け、ハリボテの樹の前に佇んでいた。ひらひらと時折羽を動かしながらもじっと樹に集まっている桜蝶たちは、まるで本当の桜の花のようだ。
「はっはっは! 楽しい雰囲気に集まってくる蝶なら僕の出番だねッ☆」
高笑いするセオドアの様子とは裏腹に、彼の周囲に桜蝶が集まる気配はない。どこかそわそわと落ち着かないセオドアを横目に捉えながらも、終夏はおもむろにヴァイオリンを取り出した。
「終夏君、弾くのかい?」
「私が楽しい雰囲気を作り出せるのは、やっぱり音楽だからね」
言って、終夏は静かに目を伏せる。彼女の操る弦が穏やかな音を奏で、周囲へ旋律を響かせ始めると、騒いでいた周囲の人々も黙して耳を傾け始めた。
中でも音楽を好むフランツと、同じくヴァイオリンを奏でた貴瀬は興味津々といった様子で視線を注いでいる。静かな音色を背景に、セオドアは緩やかに桜蝶の樹を振り仰いだ。そこには終夏の演奏に導かれたかのように、ますます多くの蝶が集まり始めている。
(……楽しいから笑っている、それは本当だよ。でもね、時々虚しくなることがあるんだ)
楽しそうに笑みを浮かべ、その気持ちを乗せた音楽を奏でる終夏の姿へと視線を移し、セオドアは心中で独白した。
(話せずいる事への後ろめたさからなのか、魔法失敗の副作用なのか……勿論、いつかは話そうと思ってはいるのだけどね)
ふう、と一息、彼女の周囲を踊るように舞い遊ぶ桜蝶たちへ、羨望めいた視線を送る。
(楽しい雰囲気……か。桜蝶は、僕の元へは……)
「……いや。折角だから、蝶の周りに光を浮かべたらもっと綺麗なんじゃないかな!」
思考を打ち切る言葉と共に、セオドアはぐっと杖を掲げる。そうして彼が光術を放つと、淡く穏やかな光が終夏と、彼女の周囲で舞う桜蝶たちの周りに浮かび上がり始めた。くるんくるんと調子に乗って杖の先を回すセオドアの動きと共に、光球が踊る。そしてそれを追うように舞う桜蝶たちは、いつしかセオドアの周囲にも集まり始めていた。
「セオ、もっと!」
目を開いた終夏が、辺りに広がる美しい光景に歓声を上げた。周囲からも、おお、と声が上がる。それに促されるようにセオドアは笑みを深め、より多くの光球を現していく。
後ろめたさ、虚しさ。それらが消える日が、彼女に全てを打ち明けられる日がいつくるのか、それは分からない。ただこうして刹那感じている楽しさは、決して偽りのものではない。それを証明するかのように、桜蝶は一匹二匹、彼の元へと舞い降りる。
夕焼けを背景に踊る光の軌跡と蝶の翅。優雅に溶け合うその光景を眺めながら、セオドアは幾らか気が軽くなるのを感じた。
「帰ったら掃除が待ってるから、今のうちに楽しんでおいてよね!」
そう釘を刺す終夏の言葉に、苦笑など零しつつ。
「……ほら、クラウ。これが花妖精って種族なんだよ」
メープル・シュガー(めーぷる・しゅがー)を掌で示しながら告げられた天司 御空(あまつかさ・みそら)の言葉に、クラウディア・ウスキアス(くらうでぃあ・うすきあす)はフンと鼻を鳴らした。
「なんだその眼は。個人差だ、と言っているだろう」
「クラウさんは大きいんだね」
メープルとクラウディアを見比べながら驚いたように零すのは、水鏡 和葉(みかがみ・かずは)だ。方向音痴の彼女の家に御空が迎えに行き、四人は共に花見会場の屋敷を訪れた。
夕暮れ時の桜蝶の樹には、既にたくさんの桜蝶が集まっていた。歓声を上げる和葉を微笑ましげに眺めながら、御空は庭の一角へシートを広げた。四人でそこへ腰を下ろすと、御空、和葉、メープルの三人はそれぞれに持ち寄ったお弁当の容器を取り出した。御空と和葉の面持ちは、緊張気味に強張っている。
「えーっと、くれぐれも期待しないでね?」
まず、御空が弁当の蓋を開く。ココット、豚肉のアスパラ巻き、大根サラダ、おにぎり、と無難なメニューの取り揃えられた弁当が広げられ、和葉は嬉しそうに覗き込んだ。代わりにと、自身の弁当を御空へ手渡す。
「頂きます」
声を揃えて挨拶をして、早速御空が箸を伸ばす。ドキドキと鼓動を高鳴らせ見守る和葉の視線の先、焦げ茶の面積の多い卵焼きを口にした御空は、じゃり、と口内で立つ音に思わず一拍動きを止めた。
「……うん、美味しいよ」
しかし、決して笑顔は崩さない。不安げに覗き込む和葉の視線に応えるように口内の卵焼きを飲み込むと、御空は極力自然な声音を繕って感想を述べた。途端、和葉の面持ちが安堵に和らぐ。
「良かった! 今度はもっと美味しいの作るね?」
「う、うん」
次いで口にした唐揚げの刺激的な味に密かに喘ぎながらも、御空は必死に笑みを保って頷いた。冷やかな笑顔を湛えて見守るクラウディアの視線には、気付かない振りをして。
そんなクラウディアの視界に、ふと弁当箱が差し出される。その主へ目を向けると、そこにはメープルの姿があった。
「私の手作りで申し訳ないけれど……食べる?」
「……頂こうか」
同族に勧められたものならば、とクラウディアもまた箸を手に取った。数度の咀嚼の後、感心したように僅か瞼を押し上げる。
「ほう、その風体で大した物だ。……ん、むしろその風体の方が大した物、と言うべきか」
バツが悪そうに目を逸らすクラウディアを宥めるように、メープルが「個人差よ」と茶化す言葉を添える。クラウディアは数度箸を付けると満足したように頷き、おもむろに別の箸をメープルへと差し出した。
「お前が作った料理を、俺ばかりが食すのも妙な話だろう。……茶を淹れてくる」
そう言って返事も待たずそさくさと背を向けるクラウディアの背中へ、メープルは「ありがとう」と声を掛けた。
「クラウさんは照れ屋さんなのねぇ……」
くすくすと笑声を零し、自身の弁当を口に運ぶメープル。彼女の正面では、御空が箸で掴んだ豚肉のアスパラ巻きを和葉へと差し出していた。
「じゃ、こっちが俺のね。はい、和葉さん」
「え、ええと……」
暫し恥ずかしそうに頬を染めてアスパラと御空の間で視線を泳がせていた和葉は、やがて意を決したようにぱくりとそれを口にした。それと同時に、御空は口を開く。
「一緒に来れて、嬉しい」
「美味し、……!?」
咀嚼し、感想を零し掛けたところで聞こえた御空の言葉に、和葉は思わず丸く目を見開いた。一層頬を赤らめ、「ボクも嬉しいよ?」と微かな声量で零す。
「良かった。また一緒にどこかに行こう」
歓談を始める二人を眺めながら、メープルは微笑ましげに「青春ね」と呟いた。
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