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アグリと、アクリト。

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アグリと、アクリト。

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chapter.6 実験結果(5)・対戦者たちと災難 


「なんだったんだろうね、さっきの……」
「さあ……とりあえず、ここで一休みしつつ活性化実験の検証でもしましょうか」
 ビアガーデンを去った透乃と陽子は、その足でみなと公園へと向かい、程良く日差しの当たるベンチに腰掛けていた。
「そうだね、あのくらいお酒飲んで、ここくらい日当たりが良かったらばっちり試せる気がする!」
 透乃はそう言うと、用意してきた毛布を取り出し、そっと自分にかけて横になった。
「じゃあ陽子ちゃん、おやすみ!」
 そのまま透乃は、目を閉じた。陽子はそれを見届けると、本を取り出し、そばで寄り添うように読書を始めた。表紙に描かれた絵が若干アダルトチックな香りがするのは、きっと気のせいだろう。タイトルが「真夜中の女子寮―お姉様、お願いだからあたしに足を舐めさせて―」と書いてあるように見えるが、それも気のせいだろう。
 さて、ここで疑問なのは、気持ち良さそうに眠りにつこうとしている透乃が試そうとしている実験結果とは、彼女の活性化された性質とは何なのか、という点である。
 結論から言えば、その性質とは「寝つきが悪い」というものである。
 仮に、実験が成功しているなら、どれだけ整った環境――そう、酒を飲んだ後、穏やかな日差しの下で横たわる姿勢でいようとも、寝付けないはずだ。それを確かめるべく、彼女は今睡眠に挑んでいた。誰が得をするでも損をするでもない、果てしなく地味な挑戦である。とは言え、彼女たちにとっては大事な検証作業だ。透乃は、横になったままぼんやりと頭に言葉を思い浮かべた。
 あー、意識が落ちないなあ、と。
 始めはこんなことを考えているうちに眠くなるだろう、と気楽に構えていた透乃だったが、そのうち段々と色々な思考がぽんぽんと出てきて、あっという間に彼女の中の眠気を打ち消していった。
 さっきのお酒、美味しかったなあ。そういえば今夜の夕食、まだ決めてなかったなあ。何作ろうかなあ。ていうか今、横になってから何分くらい経ったかなあ。
 しまいにはどうでもいいようなことまで気になり出し、透乃はもはや眠るどころではなくなった。実験の効果は抜群だったことを、彼女は身を以て示したのだ。
 ただ、この後彼女はすっかり寝付けない癖がついてしまい、一時的に不眠症にまでなってしまったのだった。過ぎたるはなんとやら、である。



 彼女たちがいたみなと公園には、他にも同様に細胞活性化実験を受けた生徒たちがいた。
 志方 綾乃(しかた・あやの)とパートナーの袁紹 本初(えんしょう・ほんしょ)は、敷地内で互いに向かい合い、真剣な表情をしている。その手に握られているのは、バドミントンのラケットだ。
「フフ、行くぞ綾乃。手加減は無しじゃ! 力を試したいと言ったこと、後悔させてやるのじゃ!」
 ふわり、とシャトルを宙に放り、本初が腕を振り下ろす。小気味良い音が響き、シャトルは一直線に綾乃の陣地へと飛んでいった。
「袁紹ちゃん、活性化した力はそんなものじゃないはずですよね?」
 パン、と綾乃はラケットの芯で捉え、本初以上のスピードで跳ね返す。先程までの下品な飲み会が嘘のように、爽やかで清らかな午後の一幕であった。ここまでは。綾乃の一言をきっかけに、本初は爽やか路線から一転、その雰囲気をがらりと変えた。
「綾乃、何度言えば分かるのじゃ! わらわは確かに袁紹という名も持っているが、袁本初と呼べと言っているじゃろう!?」
 ボヒュッ、ともの凄い効果音を上げながら、返ってきたシャトルをスマッシュで返球する本初。綾乃がそれをどうにか本初側へ戻すと、彼女はさらに勢いを増した球を打った。
「どうじゃ!? これで呼ぶ気になったじゃろ!」
 パワーブレスによって強化されたその一球は、綾乃の顔面目がけ飛んでいく。が、綾乃はそれを想定したかのように、歴戦の立ち回りで速やかに返球できる場所へと位置取りし、エイミングにより正確な打球を返す。
「さすが袁紹ちゃん、素晴らしい球ですね!」
 おだてるように、綾乃が言う。その表情は、とても生き生きとして楽しそうだった。「細胞が活性化して感情が高ぶった袁紹ちゃんと、バドミントンがしてみたい」という願いが叶い、今こうしてキラキラと汗を流しながらスポーツに打ち込んでいることが、彼女をそんな気持ちにさせたのだろう。
 それから何度か続いたラリーは、時折本初の強い打球に押されることはあるものの、そのほとんどは綾乃のペースで進んだ。体力の消耗を避け、逆に相手の体力を奪うため左右に打ちわけていた綾乃の戦略勝ちである。
「むう、こうなったら極限までパワーアップさせた、全力の一撃を叩き込むのじゃ!」
「え、袁紹ちゃん、公園だからあまり周りを巻き込まないようにね!?」
 綾乃の言葉など耳に入っていないかのように、本初はぐぐぐ、とラケットを持つ手に力を込めた。
「わらわの波動シャトルは、108式まであるのじゃぞ……!」
 本初が、腕に全体重を乗せ、ラケットを振り抜いた。

 彼女たちがバドミントンで白熱した勝負を展開している頃、同じ公園内ではリリィ・クロウ(りりぃ・くろう)とパートナーのマリィ・ファナ・ホームグロウ(まりぃ・ふぁなほーむぐろう)が、何やら殺伐とした空気を発していた。その空気の出所は、間違いなくマリィの持っている血煙爪であった。よく見ると、刃の部分に赤いものが付着している。
「せっかく不意打ちしたのに、避けるなんてしぶといヤツめ」
 危ない笑みを浮かべながら、マリィが漏らす。その正面には、衣服の背中部分が破けているリリィがいた。
「もう少しで直撃するところでしたわよ……一体どういうつもりでこんなことを?」
 どうやらリリィは、背後から急に血煙爪による襲撃を受けたようだ。彼女の肌にはうっすらと赤い線が浮かび上がっており、コメディだということをすっかり忘れてしまいそうにすらなる。目と鼻の先では爽やかにバドミントンをしている人たちがいる一方で、このようなスプラッタシーンがあるとは誰が想像できただろうか。
「どういうつもりって、あたいがパラミタに来た理由を思い出しただけだよ!」
 マリィは、公園のほのぼの感などお構いなしに再び血煙爪を振りかぶる。恐らく彼女は、細胞の活性化により、「姉貴を殺したい」という目的が肥大化してしまったのだろう。彼女たちの間には、何やら深いわけがあるらしい。
「あなたはわたくしの妹なのですよ? そもそも、契約相手の命がなくなればどうなるか、分かっていますよね?」
 マリィの斬撃を紙一重でかわしつつ、リリィは説得を試みる。その間、グレーターヒールで傷を回復させることも忘れない。
「いいから、大人しく切られろっ! 避けられなくなるまで、何度でも何度でもやるよ!」
 しかし、マリィの猛攻はいつまでも続きはしなかった。あらかた傷を癒したリリィが、血煙爪にメイスをぶつけ、血煙爪のモーターの力を利用することでそれを弾き飛ばしたのだ。武器をあさっての方向へと飛ばされたマリィは、思わず声を上げる。
「きゃあっ、あたいの血煙爪……!」
「立場が逆転しましたわね。調子に乗り過ぎたのが敗因ですよ?」
 す、と喉元にメイスを突きつけ、リリィが尻餅をついたマリィを見下ろしながら言う。
「や、やだなぁ、本気なわけないじゃん?」
 笑って誤魔化そうとするマリィだったが、リリィの目は笑っていない。流血までしている命懸けの姉妹喧嘩の場面に居合わせてしまった公園内の人々は、もっと笑っていない。むしろ完全にひいている。買い物やご飯を楽しみに来たのに、突然真っ昼間から血煙爪を振り回している女性を目撃したのだ。無理もないことである。
「さて、どう反省させましょうか」
 そんな周囲の目を気にすることなく、リリィはじりじりとマリィを追いつめる。
「あ、警備員さん、こっちです!」
 その時、公園にいた客たちが呼んだ警備員が現れ、ふたりはラルクに続き警備室へ連れて行かれた。後に警備員は、「これが現代社会を生きる少女たちが抱えた闇か……」と社会評論家のようなことを語ったという。



 バドミントンを楽しむ者や、姉妹喧嘩に命を懸ける者がいる中、イーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)は紙にメモを取りながら、パートナーのアルゲオ・メルム(あるげお・めるむ)と公園を歩いていた。
「悔いの多い事件ではあったが……その副産物は面白いな」
 特性を発揮させるという、アクリトの特殊装置。開発者が少し前に関わった事件のことを思い出しながら、イーオンは呟いた。
「ある者は感情が高ぶり、ある者は攻撃的になる……良い結果ばかりが出るとは限らないようだが、資料としては後々役に立ちそうなデータになるだろう」
 その口ぶりから、彼がメモしているのは被験者の観察記録であると思われる。学術的な見地から、彼はこの研究に興味を抱いたらしい。なので当然、パートナーであるアルゲオにも彼は、装置を試させていた。しかし、今のところ彼女にまだ変化は見られない。イーオンが彼女の性質は何だったかと思い起こそうとしていた時だった。
 ごう、と風を切る音が突然背後から聞こえ、イーオンは振り返る。彼の視界に映ったのは、凄まじい回転を続けながら空気を切り進むバドミントンのシャトルだった。
「!?」
 あまりに唐突な出来事に、イーオンは避ける間もなくシャトルの直撃を受けた。そのまま彼の体は5メートルほど飛び、目の前にあったフェンスへと貼り付けになった。
「だ、大丈夫ですか」
 アルゲオが慌てて駆け寄る。イーオンは何事もなかったかのように体をぽんぽんと払うと、「問題ない」とだけ告げた。フェンスの有り得ない曲がり方からすると、どこか負傷していてもおかしくないほどだったが、彼はアルゲオの手当てをやんわりと拒んだ。
「まさか、ここまで球が飛んでくるとはな」
 イーオンが呼吸を整え直そうとした次の瞬間、またもや彼は不吉な音を聞いた。
「……上か?」
 同じ轍は踏まない。イーオンは音のする方角を正確に察知し、一歩下がる。しかし、直後彼の頭上から落下してきたものは、彼の想像を遥かに超えた物騒なものだった。ぐさ、とさっきまでイーオンがいた場所に刺さったのは、なんと血煙爪だったのだ。
「……」
 思わず言葉を失うイーオン。言うまでもなく、先程から彼を襲っている流れ弾は、本初の放ったシャトルとマリィの手から離れた血煙爪である。立て続けに起こった不幸な事故と、隣にいる活性化実験を受けたアルゲオ。そのふたつから、イーオンはある結論を導き出す。
「そうか……お前は、不幸を招くと言われ隔絶されていたのだったな」
 彼の言葉が示す通り、アルゲオが特化させてしまった性質は、「不幸を招く」ことだった。それが特性とは、それこそ不幸だな、とイーオンは心の中で苦笑する。その様子と、自分のせいでトラブルに巻き込まれているイーオンを見て、アルゲオは考えた。
 やはり、私といてはイーオンに不利益なのでは……?
 それを口に出そうとした彼女だったが、声を発する前に、イーオンが彼女の思考を察し、先に言葉を告げる。
「お前の招く不幸など、俺には何ほどのものでもない。迷わずついてこい」
 その言葉に、アルゲオは静かに笑みを浮かべ目を伏せた。
「さて、被験者の観察を続けるぞ。あそこにいるのも、恐らく対象の者だろう」
 イーオンが目線を送る。その先にいたのは、緋山 政敏(ひやま・まさとし)とパートナーのカチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)だった。ふたりは公園のベンチで肩を寄せ合い、甘い雰囲気を醸し出していた。
「政敏……あまり得意ではないけれど、頑張ってつくりました。食べてくれますか?」
 政敏に向かって、カチェアがすっと可愛らしい弁当箱を差し出す。中に入っていたのは、タコさんウインナー、鶏つくねの獅子唐添え、卵焼きとなんともカラフルなメニューであった。
「ま、まあ、せっかく作ってくれたんなら食べるけど」
 そっけない口調ながらも、ややはにかんだ様子の政敏。当のカチェアに至っては照れているのか、頬を真っ赤に染めている。端から見れば、誰もが恋人同士の甘い一時だと思うだろう。しかし、このふたりがこのようなことになっていたのは、もちろん細胞活性化のためである。
 政敏は「舌が鈍い」性質を、カチェアは「猫舌」の性質をそれぞれ顕著にしようと実験を受けた。しかし、装置が一時的にトラブルを起こしたのか、どうも変異性の症状が現れてしまったようだ。猫舌が表面化するはずだったカチェアは、どういうわけか「猫化」という性質が発芽してしまっていた。さっきから政敏にやたら甘えた素振りを見せているのは、猫としての愛情表現の手段であった。風で膨れた髪すらも猫の耳があるように見え、その仕草と相まって愛くるしい猫そのものになっていた。
「おいしいですか?」
 政敏に体を擦り付けながら、カチェアが耳元で尋ねる。匂い付けのつもりなのだろうが、通行人には昼間から公園でイチャついているバカップルにしか見えない。
「ちょっ、い、息がっ」
 急に密着状態になり、声でくすぐられた政敏は軽く体を震わせた。本能的に彼は、「危険だ」と察する。このままでは、男として反応すべき部分が反応してしまう、と。
 しかし、彼の光条兵器は発動しなかった。
「……え?」
 思わず自分の股間に目をやる政敏。至ってフラットな状態だ。
「そんなはずは……そんなはずはない!」
 政敏は嫌な予感を打ち消すように首を振ると、思い切って真横にいるカチェアを自分の方へと振り向かせ、抱きしめた。膨らんだ胸からへその方へと手を滑らせ、そのまま弾力のありそうな太ももまで持っていく。が、そこまでしても、政敏の光条兵器は発動する気配がない。
「もしかして……俺は、こういうことでは反応できないタイプだったのか!? これでダメなら、他に思いつくのは……逆のパターンか!」
 政敏は、己の性癖が通常のそれとは違うのではないか、と危機感を募らせた。甘えられることの逆と言えば、真っ先に思いつくのは叱られ、なじられるパターンだ。
「俺の……俺の運命の女王様はどこだ!?」
 大声で際どいことを口にしつつ、政敏はカチェアとの抱擁を解き、立ち上がると同時に走り出した。それをきょとんとした表情で見ていたカチェアだったが、飼い主の後をついていく猫のように、政敏をすぐに追いかける。
「俺に必要なのは、なじってもらうことだったんだ!」
 涙を堪え、政敏は走る。放っておくと、地平線まで駆けていきそうな勢いである。しかし、彼はひとつ勘違いをしていた。彼の光条兵器が発動しなかったのは、性癖のせいではない。実験のせいである。カチェア同様、政敏も変異性の性質を発芽させていた。本来「舌が鈍い」はずだった彼は、装置の勘違いで「下が鈍い」ことになってしまったのだ。俗にいう、駄洒落である。

「はあ……はあ……」
 ひとしきり公園を走りきった政敏は、小さな木陰に腰を下ろすと、何かを悟ったように呟いた。
「人生ってのは、自分の可能性を追い求めたその先で、限界を知っていくことなんだろうな」
 どうやら彼は、自分に起きたあらゆる変化を受け入れることにしたらしい。
「夢を追いかけ続けた青臭い日々……懐かしく思う時が来るのかな」
 遠くを見つめる彼の背中には、カチェアが相変わらずべったりと抱きついている。と、その時だった。
「ん……?」
「え……?」
 変異性ゆえの症状だろうか。他の者より短時間で、彼らの症状は消えてしまった。顔を見合わせた後、自分と相手の状況を見比べるふたり。途端に、カチェアの顔が真っ赤になった。今度は、照れではなく怒りで。
「な、何をしているんですか!!」
 持っていた木刀を、政敏の背中に叩き付けようとするカチェア。が、彼を追ってずっと走っていた疲れが蓄積されていたのか、すぽんとカチェアの手から木刀は抜け、遥か後方へと飛んでいってしまった。宙を舞う危険物。それは、どこかで見た光景だった。もう言うまでもないかもしれないが、その木刀が飛んでいった先にいたのは、イーオンである。
「っ!?」
 頭に木刀の直撃を受けたイーオンは、よろめいた後がくりと地面に膝をついた。さすがに不安になってきたアルゲオは、イーオンに尋ねる。
「……この特性は、いつごろ従来のような落ち着きを見せるのでしょうか」
 答えの代わりに彼らへともたらされたのは、空から落ちて来た鳥の糞だった。