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見果てぬ翼

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見果てぬ翼

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第2章 隠された思惑 2

「なんつーか……普通の家……って感じだな」
「そうね」
 ドラゴンの幼生と言われる割には、よほど人間より知見のあるドラゴニュート――カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)の呟きに、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は残念そうに答えた。
 周りを見回す途中でつま先がカゴに当たると、中から薄汚れた服が転び出る。テーブルの上には食されたまま放置された食器や、お情け程度に飾られた花瓶。床に放置されているのは古びたロープやツルハシの炭鉱夫らしい道具だった。
 二人がいるのは、怪鳥退治を依頼した男の家だ。勝手に侵入するのは後ろ髪が引かれたが、依頼の裏を取るためには仕方がないと割り切って、調査を開始した。なにせ、依頼にある怪鳥の生態からは、なにかと不審な点も考えられるからだ。
 しかし、いざ来てみると――カルキノスの言うとおり、不気味なほど家の中は生活感に溢れ、さほどおかしな点も見当たらなかった。
「甥っ子さんも、本当に亡くなってるみたいだしね」
 ルカはカルキノスに話すがてら、恐らくは甥っ子が使っていたのであろう部屋の扉を開けた。村人の証言でも、彼の甥が怪鳥によって亡くなったということは事実であるようだし、部屋の中も彼が寸前まで使っていたのであろう状態に残されていた。
 また、村人の話といえば、彼らが怪鳥イルマンプスに悩まされていることは確かなようであった。イルマンプスはどうやら山岳そのものを己の縄張りと認識しているらしく、姿を見られては襲われる可能性があるらしい。
 ――男の話は、嘘というわけではない。しかし……。
 不審な点も存在する。一つは、男がある時期を境に人目をはばかるようになってきたということ。この家にしてもそうであるが、ある時期を境から村人たちとの交流が希薄になってきたらしい。また時々、なにやら村人ではない誰かに、コソコソと会っているようだ。
「ん……?」
「どうした、ルカ?」
「いや、ここ、何か書いてある……?」
 甥の部屋を調べていたルカは、壁に書かれている小さなシミのようなものを見つけた。カルキノスと一緒に目を凝らしてそれに顔を近づけると……それがシミではなく文字であると知る。
「“僕は道具に過ぎないと知っていた。さりとて……愛されることを望むのは、許されざることか?”…………何のことだ?」
「さあ? 甥っ子さんが書いたのかしら? それにしては、なんだか変な内容――」
 壁の文字に手が触れる。すると、ルカは視界の端で鈍く光るものを見た。それは、文字の横に置かれているタンスの裏だ。
「これって……?」
 それは……不思議な色合いをした石だった。青と緑と赤がそれぞれ同系に混ざり合った渦のような色彩。見る者を惑わすような魅力が、その石からは発せられている気がした。
 まるで隠されるように置かれていた石。これは、甥っ子さんが隠したもの……?
「……電話?」
 ふいにポケットの中で揺れた携帯に気づき、ルカはとりあえずその石を懐に入れて携帯をとった。
「ザカコさん?」
「良かった、無事だったんですね」
「どういうこと?」
 ザカコの呼吸は荒く、声も途切れ途切れであった。それでも、彼はその呼吸の中でルカに事情を説明した。依頼人が誰かと不穏な話をしていたこと。それをビデオカメラに収めたこと。そして……炎を放った何者か。
「ルカさん、もしかしたら、そっちにもすでに刺客が送り込まれているかもしれません。気をつけてください」
「りょーかい。だけど――もう、遅いかもね」
 ルカは振り返った。獣が衣服と靴を履いてそれなりに人並みの生活を送っている。そんな印象を受ける下卑た顔の蛮族たちは、いつの間に現れたのかすでに部屋の入り口からルカを睨み据えていた。
「え、もう遅いって、ど、どーいう――」
「ごめん、とにかくいまは話してる場合じゃないかも。切るわね!」
 パタンと携帯が閉じられるとザカコの心配そうな声が途切れた。同時に、すでにルカとカルキノスは行動を起こしていた。
「我は射す光の閃刃!」
 突撃したカルキノスが蛮族たちの動きを封じた隙に、飛び上がったルカの手からイナンナの力を授かった光の刃が降り注いだ。咄嗟のタイミングでさがったカルキノスの目の前で、刃が無数の旋風と化して蛮族たちを切り裂く。
 その隙に、二人は部屋を飛び出した。
「ったく、なんだっての、あいつらっ!」
「金で雇われた野良蛮族ってところだろ。どうやら、この依頼を調べようとしてる奴らを排除しようとか考えてるみたいだな」
「ははっ……その通りだぜ、ドラゴニュート」
 転瞬――目の前で糸のような剣線が垣間見えた。その時にはすでに、床が爆発でも起きたように破壊されていた。二人が立ち止まっていなければ、剣撃の餌食になっていたことだろう。
「……やるな。俺の刃を避けるとは」
 冷気を孕んだ哄笑の声が聞こえてきた。そいつは、先ほど破砕した床の向こう……家の玄関からゆらりと悠然に現れた。ただ、一人ではない。両側にいるのは二人の子供だった。それだけを見ればまるで保護者か親のようにも見えるが――彼らの瞳に宿る光は冷たい殺意だ。外見は子供と言えども、あなどれぬ相手だというのは理解できた。
「何者……!」
「どうせ、顔を見たっててめぇらはここで死ぬ運命なんだ。名乗るだけ無駄だろ?」
 二刀の刀を携えた男は、冷笑を浮かべた。そんな彼の着物の裾を引っ張って、隣の虚ろな目の少女がぼそりと聞く。
「鍬次郎……アレ、壊していいの?」
「ああ、存分にな。それが俺たちの仕事だ」
「く、鍬次郎さん……そんなひどいこと……」
 天神山 葛葉(てんじんやま・くずは)はビクビクと震えながら男を上目遣いで見たが、男――大石 鍬次郎(おおいし・くわじろう)に睨まれて、すぐにその善意の抵抗はむなしく終わった。
「悪ぃが、こっちも仕事でね。死んでもらうぜ」
「すがすがしいほどの宣言ね。だけど……こっちもただでやられるわけにはいかないのよっ!」
 ルカとカルキノスはすぐに肩からさがっていたベルフラマントに身を包んだ。隠れ身となって姿を消す二人。しかし――鍬次郎の刀は爆炎を放った。
「な……なんてむちゃくちゃを……!」
「隠れようったって無駄だぜぇ!」
 更には雷撃と氷。無数の自然現象を起こす剣線が走り、建物の中を破砕してゆく。崩れる建物内でベルフラマントがはがれると、すぐに隠れ身は効果をなくした。
「今度はこっちの番だぜ、ハツネ!」
「うん……」
 虚ろだった表情が不気味な笑みを浮かべた。少女――斎藤 ハツネ(さいとう・はつね)は光学迷彩で姿を消してルカたちに飛びかかる。鍛え抜かれた打刀がルカたちを捉えた。
「ぐっ……!」
 寸前のところで打刀の煌きに気づいたルカは飛び退るが、腕の皮をえぐるように切られる。更には、窓の向こうからレンズの反射が見えた。
「ルカッ……!」
 咄嗟にルカの前に飛び出したカルキノスの肩が、銃弾で撃ち抜かれた。遠く――窓の向こうに見えた高台の上から狙撃手がこちらを狙っているのだ。
「はっ……さすがだな、新兵衛」
 恐らくは今頃も、無表情のまま淡々と銃弾を装填しているであろう東郷 新兵衛(とうごう・しんべえ)に対して、鍬次郎は呟いた。このまま機を逃さねば仕事は完了だ。……奴は手ごわいが、たった二人では俺たちを止めることなど出来まい。
「終わりだ」
「くっ……」
 鍬次郎は勝利を確信したような笑みを張りつけた。そしてルカたちも、現状を打破する方法が見つからずに苦悶の表情を浮かべる。だが――
「はっはっはっはっ! そこまでだ!」
 聞こえてきたのは、無駄なまでに威厳を含んだ声だった。声の聞こえた背後にルカが振り返ると、そこにいたのは……
「ヴァルっ!?」
「待たせたな!」
 きらびやかな王者の装いをしたヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)が、マントをばさっと翻して鍬次郎たちの前に降り立った。いや、彼だけではない。ヴァルほど目立つような降下は見せないが、二階の廊下から学者然とした怜悧な若者が降り立ったのである。更には、彼らのパートナーたちまでもが、それに続く。
「エッツェル! 遅いぞ、何をぐずぐずしていた!」
「これでも十分に間に合ってますよ。私はあなたのように無駄な動きを好まないだけです」
「む……減らず口を」
 エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)が肩をすくめると、ヴァルは不機嫌そうに顔をしかめた。そんな彼らに、パートナーたちのフォローが入る。
「エ、エッツェル、そんこと言っちゃダメだってば」
「帝王も、いまはむくれてる場合じゃないッスよ」
 緋王 輝夜(ひおう・かぐや)シグノー イグゼーベン(しぐのー・いぐぜーべん)。二人にいさめられて、帝王と学者然とした男はとりあえず口論を後回しにした。とにかくいまはルカを助けるためにも、目の前の障害をなぎ払うことが先だ。
「てめぇら……何者だ?」
「なに、ただの通りすがりの……帝王だ!」
 鍬次郎の恫喝に臆せず、ヴァルは答えになっているのか分からない返答で答えた。魔術のように現れた刀は、すでに手の中に納まっている。鍬次郎の振り上げた刀とヴァルの刀がぶつかり合った。
 甲高い音が、まるで戦いの始まりを告げるように鳴った。それに呼応して、エッツェルも動き出している。奇形ともいえる瘴気に犯された左腕から、一振りの刃が這いずるように抜かれた。いや……一振りではない。それは幾多の刃を肉のような瘴気の塊で繋ぎとめた、連接剣だ。
「ぬああああぁぁ!」
「邪魔……です!」
 二階にいた鍬次郎の仲間である蛮族たちが、こぞってエッツェルへと襲いかかる。しかし、エッツェルの連接した奇剣――オールドワンは、それを一閃のうちに切り裂いていた。蛇のように蠢く剣が、意思あるものの如く蛮族たちを次々と屠る。
「強いお人形……これ、壊すの」
「エッツェル、来るよ!」
 フラワシを己の周囲に浮遊させていた輝夜が叫んだ。光学迷彩で姿を消したとは言っても、それは完全無二の消失を意味しているわけではない。輝夜の声に反応してすぐに、エッツェルは自分の周り――すなわち床を破砕した。粉塵となった破片は風圧でたたき上げられる。すると、ほとんど音もなく鳶のように近づいてきていたハツネの姿が視認された。
 子供の純朴な造形に張りつく、狂気の笑み――それを捉えたとき、エッツェルの唇が酷薄に吊りあがる。……邪魔をする者は、子供でさえも容赦はしない。
「エッツェル!!」
 輝夜のフラワシ――ツェアライセンが弾丸のように飛んだ。エッツェルのことをよく知るのは彼女に他ならない。彼は、自分の興味を邪魔しようとする者には時に容赦のない殺戮者となる。ある意味では、それを制御する役割も自分にはあるのだ。
 エッツェルが刃を振り上げるよりも早く、輝夜の放ったツェアライセンは風となってハツネを切り刻もうとする。
「ギャハハハハ! ハツネを殺ろうったってそうはいかねぇぜ!」
 すると、葛葉――いや、戦いの恐怖に引っ込んだ葛葉の代わりに表へと出てきた別人格、玉藻が、それまでの葛葉とはまるで違う狂気と殺戮の意思を宿した顔で、銃の引き金を絞った。飛来した弾丸の雨は、姿は見えなくともツェアライセンとハツネの間に物理干渉を起こす。
 その隙に、ハツネはその場を後退した。エッツェルたちから距離を取って、自分の身体に走ったいくつもの傷を呆然と見下ろす――そして、昏き常闇の瞳で、傷から流れる己の血を舐めた。
「いけないお人形さんたち……」
 およそ人とは思えぬ異様な邪気。これまでにない憎悪が迫ろうとしていた。しかし、ヴァルの刀から飛び退った鍬次郎が、前に歩みだそうとしていた彼女を押しとどめた。
「待て、ハツネ」
「なに……?」
 すでに、仲間の蛮族たちは続々と地に伏していた。このままでは、こちらも分が悪くなるのは必至だ。鍬次郎には、それを判断できるほどの理知はあった。
「退くぞ」
「…………」
「やれ、玉藻!」
「ギャハハハハハ! じゃあなクソ野郎ども!」
 ハツネはこれからというところの興をそがれて不満げな表情であったが、玉藻が銃弾の横雨を撃ちこんだのを合図に、鍬次郎に従った。
「くっ……待て!」
 ルカたちが追いかけようとするが、そこに煙幕の煙が立ち上る。ハツネが翻りざまに投げ込んだものだ。視界を奪われ、敵の姿を見失う。
 すると、外からペガサスの鳴き声となにやら機械――恐らくは小型飛空艇のものであろうとヴァルが判断したが――の飛び立つ音が聞こえてきた。
 ようやく煙幕が充満した家から飛び出したヴァルたちは、すでに遠く飛び去っている鍬次郎たちを見た。今からでは、小型飛空艇に乗っても追いつけまい。
「うぅむ、逃がしてしまったな」
「向こうは逃走手段を既に用意していたようですし、仕方ないですよ」
「そうね。まあ、この依頼に何か裏があるってことがハッキリしただけでも儲けものだわ。それに……」
 ルカは期待を込めた笑みでヴァルたちへと振り返った。
「ヴァルさんたちが来たったことは、何かあるってことでしょ?」
 そうでなくては、彼らがこうしてタイミング良く動いてることもあるまい。彼女の期待に応えるかのように、ヴァルははっきりと頷いた。