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【一 事の前】

 海京西地区。
 極東新大陸研究所海京分所の所在地であることで広く知られている他、各種研究関連施設、或いは世界各国の有力な巨大企業が海京支社を置いている区域でもある。
 海京自体が海抜0メートルを基点とするメガフロートである為、海面とほぼ水平の高さしかない陸地に数多くの高層ビルが面しているという、いわばマイアミのウォーターフロントのような街並みを連想すれば、その外観をほぼ的確に表現しているといって良い。
 それら高層ビル群の一角に、天御柱学院の風紀委員出張オフィスが入居するタワービルディングがある。
 全面ガラス張りのようなミラーウィンドウが陽光に映えて眩しい中、ルージュ・ベルモントがトップを務める海京西地区管轄風紀委員オフィス内に、ちょっとした緊張が走っていた。
 風紀委員、通称エキスパート部隊の統轄夕条 媛花(せきじょう・ひめか)が態々足を運び、今回の事件に当たるルージュ以下西地区担当の強化人間達に、訓示を垂れていたからである。
 全員が入れる規模のカンファレンスルームの上手に、媛花が立つ。そして彼女と面する格好で、ルージュ以下西地区担当のエキスパート部隊員達がずらりと整列し、直立不動の微動だにせぬ姿勢で、媛花の言葉にじっと耳を傾けていた。
「知っての通り」
 媛花は、ゆっくりとエキスパート部隊員達の前を横切るように歩きながら、わざとトーンを落とした声音で、しかし殷々とよく響くように喉の奥で声帯を強く緊張させて言葉を搾り出す。
「敵は凶悪犯だ。油断せず、過信せず、慎重に行動してほしい。主任務はあくまでも要人の護衛だ。しかし、君達の命を軽んじて良い訳でもない。不足の事態に陥ったら、退く事を躊躇わないでくれ……それでは、諸君の健闘を祈る」
 エキスパート部隊員が一斉に敬礼を贈ると、媛花もきびきびとした動作で答礼を返し、以上を以って、ひとまず解散という運びとなった。

 直後、ルージュのパーソナルオフィスに足を踏み入れた媛花は、遅れて入室してきたルージュにひとりの獣人を引き合わせた。夕条 アイオン(せきじょう・あいおん)。媛花のパートナーである。
「統轄、この者は?」
「……アイオンだ。君に預ける。戦闘のサポートでも小間使いでも、好きなように使ってくれ」
 媛花からの紹介を受け、アイオンは愛嬌たっぷりの笑顔で小さく会釈を送った。
「アイオンですっ。どうぞ、宜しくお願いしますねっ」
「ルージュ・ベルモントだ。統轄の許可を得た以上、本当にこき使うから、覚悟しておくように」
 無表情にルージュがいい放った為、冗談とも本気とも取れぬ挨拶に戸惑いを覚えたアイオンではあったが、事前に媛花から、ルージュの性格をある程度耳打ちされていた為、こういうひとなのだと、すぐに納得することにした。
 ところで、と今度はルージュの方から、媛花に同様の話題を振った。
「こちらからも紹介せねばならぬ面々が居ましてな……入ってこい」
 ルージュに呼ばれて入室してきたのは、天御柱学院の制服に身を包んだ幾つかの影。媛花はそれらの面々が強化人間であると、一目見て理解した。
「新たに風紀委員西地区担当として赴任した者達です。この場を借りて、統轄にお目通りさせて頂く」
 と、ルージュ自ら媛花に紹介したのは、希龍 千里(きりゅう・ちさと)風祭 凪(かざまつり・なぎ)天貴 彩華(あまむち・あやか)ミリオン・アインカノック(みりおん・あいんかのっく)の四名であった。
 ミリオン以外は、全員女性である。この風紀委員西地区担当は、ある意味女傑一族といっても良かった。
 媛花は表情を引き締めて、新たな部下として立ち並ぶ四名の前で背筋を伸ばした。
「結構。諸君に期待はしているが、先も申した通り、決して無茶をせぬように」
 それだけいい残して、媛花はルージュのオフィスを辞した。
 その際、一瞬アイオンが媛花の後について行こうとしたのだが、媛花はそっと手で制した。以後はルージュの部下として動く以上は、ルージュの傍らに居ろ、という意図なのであろう。
 仕方なく、そのまま押し留められる格好となったアイオンだったが、その彼女の背後では、新たに風紀委員西地区担当となった四人が、思い思いの感想を口にしている。
「統轄、と呼ばれるぐらいだから、もう少し年長の方かと思っていたが……意外とお若い方であったな」
 自身も相当に若い凪が、いささか面食らったような表情で隣のミリオンに話を振ると、ミリオンも同様の感想を抱いていたらしく、同意して小さく頷く。
「常々うかがってはおりましたが、しかし流石に統轄。威厳というか、威風堂々たるや、様になっていらっしゃいましたね」
「……上司を品定めするような物いいは、控えるが吉でしょう。我らはまだ、赴任したばかりなのです」
 確かに、千里のいう通りでもあった。
 注意を受けて、凪とミリオンは思わず口元を押さえながらアイオンに申し訳無さそうな視線を送ったが、しかしアイオンは別段気にした風も無く、ただにこにこと笑ってそこに居るのみである。
 そんな彼女達の様子とはまるで別の空気を漂わせている彩華に、ルージュが自身のデスクの端に軽く腰かけながら、僅かに小首を傾げて問いかけた。
「お前の妹は、ここに居なくても大丈夫なのか?」
「あ〜、ちょっとぐらいなら大丈夫です〜。ところで、お菓子いかがですか〜?」
 一体いつの間に持ち出していたのか、彩華が小さなバスケットケースに入れたクッキーの束を差し出すと、ルージュは苦笑を禁じ得ず、やれやれと小さくかぶりを振った。
「さっきの訓示の時から用意していたのか? 見かけによらず、大胆な奴だ」
 いいながら、差し出されたクッキーに手を伸ばす。意外と甘い物はいける口のようだった。

     * * *

 ルージュが、新たに部下として加わった計五名を引き連れて自身のオフィスから出てくると、西地区担当の風紀委員達が、それまでのくつろいだ姿勢から慌てて居住まいを正そうとするのを、ルージュはさっと掌を挙げて制した。
 そのままで良い、という意味である。
 許可を受けた風紀委員達も、一瞬互いに顔を見合わせたが、すぐにそれまでのくつろいだ姿勢に戻った。
 そんな中、ルージュが共通オフィス内の自身のデスクに向かおうとすると、早速アイオンが幾つかの影を引き連れてルージュの前にやってきた。
「管区長、お客様です」
 そういってアイオンがルージュに引き合わせたのは、月詠 司(つくよみ・つかさ)シオン・エヴァンジェリウス(しおん・えう゛ぁんじぇりうす)ウォーデン・オーディルーロキ(うぉーでん・おーでぃるーろき)パラケルスス・ボムバストゥス(ぱらけるすす・ぼむばすとぅす)の四人であった。
「こんにちはっ! 是非お手伝いさせて頂きたく、大所帯で申し訳無いですけど、お邪魔させて頂きました! ところで早速質問なんだけど、好きなタイプは? 彼氏とか居る?」
 シオンのほとんど特攻隊の如き突撃インタビューに、オフィス内は一瞬、緊張に満ちた空気が支配し、えもいわれぬ妙な沈黙の幕が下りた。
 風紀委員達の面々が、司達に戦々恐々とした視線を送ってきているのが、よく分かる。
 ところが、当のルージュはいささかも表情を崩さず、然程気分を害した様子も為しに淡々と応じた。
「好みは白寿より上、彼氏は一昨日、墓の下に埋められた。以上」
 シオンとウォーデンが呆けた表情で互いの顔を見合わせていると、パラケルススが口元を僅かに抑えて苦笑しながら、シオンの肩にぽんと手を乗せた。
「一本取られたな。流石に管区長殿、こういう手合いのあしらい方は、よくご存知だとお見受けする」
「いやぁ、お見事ルージュくん。まさかシオンを手玉に取るご婦人が居らっしゃるとは」
 司も感心してみせるが、ルージュはまるで素知らぬ風を装っており、手にした資料にじっと視線を落としている。
「諸君のチーム漫才はまた改めて披露してもらおう。それより、どの方面での協力を頂けるのかについては、この書面にある通りで宜しいか?」
 司達が協力を表明している行動については、先に書面で申請が為されており、ルージュはその内容を先程から凝視していたのだ。
 司達としても、最初からそのつもりで来ている。今更訂正する意図は無かった。
 するとルージュは、先程媛花に紹介したばかりの四名のうち、千里、ミリオン、凪の三人を手招きして、自身のデスク前に集めた。
「着任早々で悪いが、お前達三人には今からいう班を率いてもらう」
 曰く、捜査部第二班長には千里、パワードスーツ機能調査第一班長にはミリオン、護衛第二班には凪をそれぞれ任命し、この三人の下に司達四人を配置するのだという。
「では私の下にシオンさんとウォーデンさんを引き受けます。お二方、宜しいですな?」
 捜査部第二班長を下命された千里の言葉に、シオンとウォーデンがややぎこちない表情で頷く。ルージュに色々とちょっかいをかけて楽しもうという目論見が早々に崩れてしまったのが、どうにも不満らしい。
 護衛第二班を受け持った凪の下には、医療技術に長けたパラケルススがつくこととなった。
 そして司だが、彼はミリオンのもとで盗まれた試作パワードスーツに関する情報を収集・分析する任を担当することとなった。勿論彼ひとりで全てを背負い込むのではなく、大勢居るパワードスーツ機能調査班の中のひとりという位置づけである。
 ここで、司が興味本位でルージュに質問をぶつけてみた。
「それでルージュくんは……どこを担当するのですか?」
「特に決めてはおらん。敢えていえば、そこらじゅうに顔を出す。管区長がひとつの方面にかかりっきりになるのは、組織としては非常にお粗末だからな」