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凍てつかない氷菓子

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凍てつかない氷菓子

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【八 始まりの跡】

 クドがそんな窮地に陥っていることなど最早眼中に無い様子で、あゆみはさっさと高層マンション内に足を踏み入れていた。
 目的は、津田俊光のパートナーだったという機晶姫と、話をする為である。
 実はその機晶姫と面会を求めているのは、あゆみだけではない。他にも数名、あゆみに同行してその機晶姫が保護されているというマンションの一室に向かおうとしていた。
「あれ……リカっち、なんであゆみと一緒に居るんだっけ?」
 エレベーターに乗り込む際、あゆみの隣に立っていたリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)はそう問いかけられ、妙にばつの悪そうな顔つきで頭を掻いた。
「えぇっと……そんなに大した用事じゃないんだけど……その機晶姫さんを、蒼空歌劇団に誘っちゃおうかなぁなんて思っちゃったりなんちゃったり」
「うっ……いっちゃ悪いんだけど、ほんとに大した用事じゃないね……あ、違うよっ! 今いったのは、あゆみのレンズだからねっ! あゆみはリカっちが暇人だとか空気嫁だとか、そんな風に思ってないからねっ!」
 あわてていい繕うとするピンクレンズマンだったが、時既に遅し。
 そうこうするうちに、エレベーターは最上階に到達した。
 リカインの機嫌を取ろうと必死になっているあゆみを尻目に、和泉 直哉(いずみ・なおや)和泉 結奈(いずみ・ゆいな)のふたりが廊下を先行し、件の機晶姫の部屋へと向かった。
 直哉がインターホンの呼び鈴を押すと、程無くして、中から返事の声が。
『……どなた?】
 意外にも、それは男の声だった。何となく、陰気で湿っぽい雰囲気を漂わせる声音だった。
 直哉と結奈が事前に聞いていた話では、機晶姫の名はマデリーン・クルスという。どう解釈しても、女性の名前に他ならなかったのだが、これは一体、どういうことであろう。
 ともあれ直哉は回りくどい説明は省き、単刀直入に、殺された津田俊光について聞きたい旨を申し入れた。すると、ややあってインターホン越しに再度、あの陰鬱な響きを伴う男の声が返ってきた。
『お引き取りください』
 それは、予想だにしなかった、拒絶のひとことであった。当然ながら、簡単に引き下がる直哉ではない。
「何故だ? 俺はただ、被害者が殺害された時の状況や、被害者を殺そうとするような奴に心当たりが無いか、そして機晶姫自身のパートナーロストの影響を聞きたいだけだ!」
『……あんた、本気でそんなことをいっているのか? デリカシーの欠片も無い奴だな。そんな奴を、今のマデリーンと会わせる訳にはいかないな』
 直哉は思わず、言葉に詰まった。
 自身の疑惑をぶつけるのみという、己の思考に凝り固まり過ぎていた為、パートナーを失って悲しみにふける機晶姫の心理など、まるで考慮していなかったのだ。
 流石に拙いと思ったのか、結奈が直哉の袖を軽く引いた。
「兄さん……ちょっと、ぶしつけ過ぎたかも……」
 直哉は、悔しそうに唇を噛んだ。彼自身は、実に様々な推論を頭の中で組み立てていたのだが、いかんせん、方法に問題があり過ぎた。少なくとも、被害者の身内に対してこれから聞き込みをしようという者の心得を、全く持っていなかったのが失敗だったといえよう。
 結奈が不安げに見詰める中、直哉がぎりりと奥歯を噛み締めていると、そんなふたりの前をリカインがすり抜けていき、インターホンの前に立った。
「あのぉ〜、蒼空歌劇団の者なんですけどぉ」
『あんた達しつこいよ』
 どうやらリカインは、直哉の同類と思われてしまっていたらしい。ものの見事に、門前払いを食らってしまった。
 その様を見ていたあゆみは、出直した方が得策だと考えた。実はあゆみにも思うところがあったのだが、今のこの雰囲気では、とても確かめられる状況ではなかった。

 再び、高層マンション一階ロビー。
 依然として組合理事相手に丁々発止のやり取りを続けていたルージュだったが、同行していた美羽がそろそろ暇を持て余し始めた頃、ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)の携帯が着信音を鳴らした。
 慌てて応答に出てみると、あゆみから、マデリーンとの接触に失敗した旨の報告だった。
「あ、そう……ま、仕方無いがないか」
「ただ、どういう訳か、応対に出てきたのは男のひとだったそうですよ」
 携帯をポケットに仕舞いこみながら、ベアトリーチェは訝しげに小首を傾げた。聞いていた話では、マデリーンに津田俊光以外の保護者など居ない筈だったのだが。
 考えたところで、よく分からない。ふたりが腕を組んで悩んでいると、やっと組合理事から解放されたルージュが、いささか疲れた様子で美羽とベアトリーチェのもとへ戻ってきた。
「全く、余計なところで時間を食わされた。だがとにかく、許可は取り付けた。先行して津田の殺害現場に上がらせている連中に、実地検分開始の連絡を入れてくれ」
「はい、了解しました」
 答えながら、ベアトリーチェは再び携帯を取り出し、指定の番号をダイヤルする。
 その間、美羽はマデリーンとの接触が不発に終わった旨をルージュに報告した。ルージュはといえば、苦笑を禁じ得ない様子である。
「……全く、結奈がついていながら、何をやっとるんだ……」
 どうやらルージュは、直哉の真っ直ぐ過ぎる性格をあらかた見抜いていたらしく、この結果も想定の範囲内だった模様である。
 尤も、一緒に上がっていたリカインが何故か蒼空歌劇団の話を持ち出していたというのは、流石に予想外だったらしいが。
 しかし、ルージュはすぐに真顔に戻った。マデリーンの室に居て応答に出てきたという、謎の男の存在がどうにも引っかかるらしかった。
「あまり気は進まんが……もう一度、あの組合理事に話を聞いてみるか。何か知っているかも知れん」
「うっ……ご愁傷様」
 心底嫌そうな表情のルージュを見ていると、美羽はルージュが随分と可哀想に思えてならなかった。

     * * *

 一方、最初の被害者である津田俊光の殺害現場では、海京警察立会いのもと、風紀委員と協力者達による実地検分が始まっていた。
 協力者のひとり御凪 真人(みなぎ・まこと)は、被害者達の資料片手に、意外と破壊の範囲が小さく収まっている殺害現場を、訝しげに眺めている。
「これはまた……随分と、おとなしめに襲ったものですね」
 破壊の痕跡が、破られた窓と、被害者たる津田俊光が殺害時に座っていたソファーのみという、考えられない程の規模の小ささに、真人は難しい顔でひたすら唸っている。
 アイスキャンディの心理が、今ひとつ分からない、といった様子であった。
 すると、名も無き 白き詩篇(なもなき・しろきしへん)がそれまで凝視していた窓から真人へと視線を転じ、ふと素朴な疑問をぶつけてみた。
「津田俊光は、何で殺されたんかの?」
「何故って……それは、殺したアイスキャンディにしか分かりませんよ、今の時点では」
「違う、そうではないわい……わらわが問いたいのは、津田俊光に対する殺害方法じゃよ。この規模を見る限りでは、少なくとも爆発を伴う武器は使っておらん筈じゃろう?」
 そのひとことで、真人は思わずあっと声をあげかけた。次いで彼は、破られている窓ガラスをじっと凝視し、それから真っ二つに破壊されたソファーの無残な姿に視線を転ずる。
 この時、真人はある事実に気づいた。
「窓ガラスの破壊範囲は、直径およそ50センチの円形。対してソファーの受けた破壊の痕跡……これはどう見ても、光輝属性による焼け跡……確かストウの装備にはレーザーガトリングがあった筈、ですね」
 つまりアイスキャンディは、最初に津田俊光を殺害する時に限って、爆発を伴うミサイルやロケット弾は一切使用していなかったのである。その代わり、レーザーガトリングのみを用いて、津田の頭部のみを消失させてしまっている。
 これには一体、どのような意味が隠されているのか。
 真人が尚も、被害者達の資料を次々にページを繰りながら見ていると、白き詩篇が横から覗き込んできて、いきなり真人の手を止めさせた。
「どうしたのですか?」
「いや……ちと、津田俊光の司法解剖結果が気になったのでな」
 いわれて、真人は海京警察から提供を受けた司法解剖結果の項に目を落とす。この時、彼の表情は見る見るうちに驚愕の色へと変じていった。
「何ですか、この……脊椎消失、というのは」
 今までは全く気にも留めていなかったのだが、ここで初めて真人はその文言の孕む異常さに気がついた。
 司法解剖結果には、津田俊光の頭部は攻撃を受けた際に高熱の弾丸を集中的に浴びた為、蒸発して消失したとされているのであるが、同時に何故か脊椎までが欠損して失われている、と書いてあったのだ。