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あなたと私で天の河

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あなたと私で天の河
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●彼女はアゾート・ワルプルギス

 とにかく食べる。
 何が何でも食べる。
 皆がドン引きしようとも。
 皆がドン引きしようとも。
「この蜘蛛い見た目のせいで不幸ばかりですが……でも、おにく、ごくり、りゆうなんて、どうでもいいですよね?」
 そんな覚悟完了でエリセル・アトラナート(えりせる・あとらなーと)は、勇猛果敢にバーベキューに挑みかかっていた。
 食べる食べる。
 とりわけ肉を食べる。生焼けでも半生でも、いや、焼けてなくても。
(「やれやれ、護衛って疲れるわ……他の人の迷惑にならなければいいんだけど」)
 トカレヴァ・ピストレット(とかれう゛ぁ・ぴすとれっと)は半ば呆れつつも、エリセルの護衛が任務ゆえしっかりその横を守っている。なお、トカレヴァは光学迷彩で姿を消しているので、この場の誰にも姿は見えない。
 幸い、トカレヴァが危惧したような迷惑をエリセルはかけていなかった。いわゆる『ドン引き』もされていないようだ。
 なぜって、この会場には、大食漢の道にかけてはかなりのものの契約者やパートナーが集まっているのだから。エリセルの暴食はトップクラスとはいえど、非難したり眉をひそめるような者はないのである。少々のドカ食いにジタバタしない、それがクールなダディというものだろう。
(「さて肉を追加に……」)と動こうとしたトカレヴァは凍り付いてしまった。
「じー……」
 口に出して「じー」というエリセルの眼が、現在、アゾート・ワルプルギス(あぞーと・わるぷるぎす)の手元に注がれていたのだ。
「え?」
 アゾートはエリセルを見て小首をかしげた。ちょうど、朝の小鳥がそうするように。
 アゾート・ワルプルギスは、エリザベートのはとこにあたる。
 しかしエリザベートよりは、アーデルハイトのほうにより似ているかもしれない。
 エキゾチックに奥深い瞳。長く、そして絶妙の角度にナチュラルカールした睫毛。
 水晶より澄んだ蒼い眼をしている。
 気品と知性を感じさせる口元をしている。
 淡い褐色の肌はつややかで、紫色の髪は、どことなくジャスミンの香りがする。
 可愛いだけではない。どこか、ミステリアスな魅力のある容貌だった。
 彼女の眼に見つめられれば、男女の区別なく、魅入られてしまいそうなほどに。 
 さっきからエリセルと行動を共にしているアゾートだが、食べる速度はマイペースだ。取った肉を皿に乗せたところで彼女はようやく、エリセルの熱い視線が自分の手元――つまり、ウェルダン気味によく焼けたビーフの小片――に注がれていることを知ったのである。
 ギラギラ輝いているいるようでいて、その半面、ウェットな、どこか、哀れみを誘うエリセルの視線であった。ちょうど捨てられた子犬が、雨に打たれて立っているような。
(「しまった」)
 トカレヴァは逡巡した。エリセルのためこっそりアゾートから肉を奪おうにも、さすがにこれではバレバレだ。見積もりが甘かった。うっかりしている間に、このコンロの周囲から肉が消滅してしまったのである。こうなったら急いで追加の食材をもらってくるしかない、と、トカレヴァは音速でこの場を離れた。
 その頃、アゾートは理解していた。
「ああ、肉がなくなったんだね?」
 内部に赤を抱いた黒い墨で熱せられるコンロ、その上には、よく焼けた椎茸や人参ならいくらでもあるのだが、ビーフもポークもチキンもゼロだ。
 アゾートはうなずくと、エリセルに自分の皿を差し出した。
「まだ口はつけていないから、どうぞ。気にしないで。ボクは、特に肉が好きってわけでもないから」
「アゾートさぁぁぁん!」
 いい人だ、と、涙目になるエリセルだった。どうしてだろう、このところずっと、アゾートの優しさに触れるたびエリセルの胸は熱くなるのだ。
 その一部始終を目撃していた少年がある。
 想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)、栗色の髪をしたイルミンスールの男子学生だ。
 彼は箸を持つ手を止め、ただほんわりと、口を半開きにして見とれていた。
(「アゾートさんって、魅力的なばかりじゃなくて優しいなぁ」)
 いいなあ、と思う。
 それは少年が、しばしば年上の少女に抱く憧憬の気持ちだ。
 それは恋なのだろうか。
 それとも、背伸びしているだけなのだろうか。
 はっきりとはわからないが、望むことはわかっている。
(「ああ、アゾートさんと親しくなりたい!」)
 声をかけて友達になりたい。気さくに笑いあいたい。
 しかし、いざ行動に移ろうとすると、夢悠の両脚は石と化し、口は鋼鉄のマスクがつけられたようになってしまうのだった。
(「まったく、初々しすぎて微笑ましいわ」)
 彼の姉にしてパートナー想詠 瑠兎子(おもなが・るうね)は、くすぐったい気持ちで弟を眺めていた。
 ずっとこのまま、そわそわむずむずさせておいてもいいのだが、それはさすがに気の毒だ。瑠兎子は夢悠の背をポンポンと拳でたたいて押して、アゾートの方へ送り出した。
「わっ、ど、どうしよう!?」
「どうしようって? 名乗ったら?」
 そうこう言ってる間にアゾートは目の前だ。夢悠は意を決した。
「あ、アゾートさん! はじめまして! オレ、想詠夢悠といいます! おお、オレも賢者の石に興味あって、最近勉強し始めたんです! 一緒に研究していけたら嬉しいです! よろしくお願いします!」
 つっかえつっかえだが必死でこれだけ言って、右手を差し出す。
「賢者の石に興味があるんだね。よろしく」
 アゾートは軽く、彼の手を握った。
 絹のような手触りだ……と、夢悠は思った。
「オ、オレ、コミュニティで錬金術や地質学を勉強してるんだ! いつか時間があるときにでも、ま、魔法や賢者の石について話せたら良いんだけど!」
「ずいぶん気合いが入ってるんだね」限界寸前の彼の緊張感を、アゾートは好意的に解釈してくれているようだ。うん、楽しみにしてるよ」
 そこに、ひょっこり瑠兎子が顔を出す。
「ワタシは瑠兎子。義理だけど夢悠の姉なの。よろしくね」
 知り合った記念に、と断って瑠兎子は、夢悠とアゾートが同一フレームに収まるようにデジカメのシャッターを切った。
 カシャカシャと瑠兎子は、カメラで皆を撮影しはじめた。アゾートと夢悠だけではない。食材が追加され再び肉を頬張りはじめたエリセルも撮り、
「あなたも輪に入る?」
 と、白瀬 歩夢(しらせ・あゆむ)にもカメラを向けた。
「あ……はい」
 歩夢ははにかんだ笑顔を見せた。歩夢は、白瀬 千代(しらせ・ちよ)白瀬 みこ(しらせ・みこ)という二人のパートナーとともに、アゾートと一緒のコンロを囲んでいるのである。
 デジカメにせよシャッター音というのは、不思議と人をリラックスさせる効果があるらしい。瑠兎子がくるくる巡って撮影を行い、
「はい、笑って笑って♪ きれいに映った写真はあとでプレゼントするからね−」
 と、呼びかけるに従って、夢悠はもちろん、歩夢もつられて自然な笑顔が出るようになっていた。
 みこは、ふぅむ、と指を自分の顎に当てた。
(「うーん、あの瑠兎子って人、なかなかやるね。弟くんをうまく、アゾートと会話させてる。歩夢も会話には参加できてるけど、ちょっと外周って感じだなあ」)
 しかし指をくわえて見ているだけではだめなのだ。なぜってみこは、歩夢の恋の応援団長を自負しているのだから。
(「どうも歩夢って、アゾートの事が本気で好きになったみたい……。個人的には応援してるけど、白瀬の掟がね〜」)
 白瀬の掟……それは主に、『常に巫女らしく』という事。
 この掟に逆らえば白瀬の援助はなくなる。
 そうなれば、まだ子どもの歩夢やみこが生きていく事はとても難しいだろう。
 それでもやれることはやっておきたいと、みこはご飯をよそって配りながらチャンスを窺った。
 その間に、瑠兎子はもう一言、夢悠のために口添えた。
「そうそう、アゾートちゃん。夢悠は『ユッチー』って呼ばれたら喜ぶから、呼んであげてね♪」
「ちょ……いきなりなんてことを! 恥ずかしいってば!」
 夢悠は大照れだ。その照れまくりは、次の瞬間頂点に達した。
 アゾート・ワルプルギスが、小首をかしげつつ述べたのである。
ユッチー……?
 いま、夢悠は自分の頭が、パーティで使うクラッカーのように破裂した気がした。
「う、う、う、嬉しいよ! ほんと!」
 あわあわと慌てた彼は、大皿に積まれた生肉を、どばどばとコンロに投じてしまうのだった。
「お、ダディクールね、夢悠! アゾートちゃんも言ってあげて。縁起がいいわよ〜」
ユッチー、ダディクール……で、いいの?」
 良いも悪いも、もう頭が沸騰してしまって夢悠は、気恥ずかしさと嬉しさと幸福感で胸一杯となり、一瞬意識が飛んでしまったのだった。
 そのとき、みこが待ち望んでいた『チャンス』が訪れた。
「あ、歩夢〜」みこは呼びかけた。「アゾートの口元にご飯粒付いてるよ? 取ってあげなよ〜」
「え?」
「もちろん、取ってあげた後は……わかるよね?」
「ちょ、ちょっとそれどういう……? あ、本当だ」
 歩夢も気づいた。アゾートのつやつやしたほっぺに、白いご飯粒がひとつ、てん、とくっついている。
 おずおずと歩夢はアゾートに話しかけた。
「あの……アゾートちゃん……」
 乙女にとっては恥ずかしいこと、と判断し、こっそりアゾートの腕を引き歩夢はうまく彼女と二人きりになった。
「ほっぺにご飯つぶが……」
 と小声で告げて取り、紅潮しつつそれを口に含んだ。
「ありがとう」
 照れくさげにアゾートは微笑した。
 このやりとりを見てみこは拳を握りしめた。
「フフッ……かーわいい☆ よーし、ここからずっと歩夢のターン!」
「なんだ、『ターン』って……?」
 これまで黙していた千代が、微妙な表情でちらりとみこを見た。
 だが千代とて、歩夢の幸せを願うことに変わりはない。
 だから千代も、船を見つめる灯台のように、黙って歩夢を見守ることにした。

「あの……アゾートちゃんは、パラケルススの家の使命で『賢者の石』を創ろうとしてるんだよね」
 コンロから数メートル離れただけとはいえ、二人きりになれた今、歩夢は堰を切ったように、アゾートに心情を吐露していた。
「頑張り屋さんなのは知ってるから……気を悪くしたらごめんなさいだけど、そういうの……辛くないのかなって。少し心配になっちゃって……」
 しかしアゾートは首を振った。
「大丈夫だよ。ボクは、好きでやってることだから。強いられてじゃないし、ましてや、嫌々やってるわけじゃない。だから心配しないで」
 アゾートは瞳を上げて歩夢を見た。「まだ言いたいことがあるんだよね?」と言っているような視線だった。
 それが呼び水となった。歩夢の口から、素直な言葉が出た。
「私も……白瀬家って巫女の家系で巫女のお仕事は好きだったの。誰かをお祓いして幸せな気持ちになってもらったりとか。だけど……とても厳格な家で、色々な掟があって……」
 アゾートは口元だけ微笑して黙っている。歩夢を促しているかのようだ。
「あのね……その掟の為に私、みんなに……そしてアゾートちゃんにも隠している事があって……。それを知ったら……私を見る目は変わると思うし、もしかしたら……嫌いになってしまうかもしれない」
「もういいよ」
 アゾートは、歩夢の両肩に手を置いた。
「もう、いいから。……辛いんだよね? それを言うのが」
 言葉を失った歩夢を抱きしめるように、アゾート・ワルプルギスは優しく告げた。
「言うつもりだとしても、告白できる勇気ができてからでいい。話したくなったら、いつでもボクに言ってよ」
「ありがとう…………でもごめんね……訳分からないよね……でも……いつかきっと……」
 すっ、とこのとき、一条の流れ星が二人の、コンロの周囲の夢悠やエリセルたちの、そしてダディクール祭に集まったすべての人の頭上をかすめたのだった。