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【三 悪魔の爪】

 蒼空学園の大型飛行船用離陸場では、ちょっとした悶着が起きていた。
 初期ブリーフィングの際には、救援部隊のイコンは全て、教導団から借り受けた空母式大型飛行船ファブルブランドのイコン用ハンガーに搭載、或いは曳航して、墜落現場まで空輸するという段取りになっていたのである。これは参加イコンの全体的な航行速度と航続距離を考慮した上での決定であった。
 ところが、伏見 明子(ふしみ・めいこ)ラストホープグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)シュヴァルツが、ファブルブランドのキャビン内ハンガーに積み込まれる前に、単独で出撃してしまったのである。
「やれやれ、先走りおって……まぁ、はやる気持ちも分からんでもないがな」
 タンクトップにカーゴパンツ姿という動き易い服装に着替え終えていた正子が、ファブルブランドのイコン用ハンガー脇に設置された控え室にて、強面の口元を僅かに苦笑の形に歪めて小さくかぶりを振った。
 実は、この他にもファンブルブランドに先行してドロマエオガーデンを目指そうとしている面々が居た。クェイルを搭乗イコンとして用意していたレリウス・アイゼンヴォルフ(れりうす・あいぜんう゛ぉるふ)ハイラル・ヘイル(はいらる・へいる)の両名であった。
 レリウスは以前、グラキエスと戦場を共にした経験があり、今回も偶然顔を合わせたことで、グラキエスの友を助けたいという強い想いに応えようと考えていたのだが、最初にグラキエスのシュヴァルツが出撃した後、レリウスのクェイルが出撃に手間取ってしまったのが災いした。
 たまたま隣のハンガーで、搭乗イコン黄山の携行武装に対する最終チェックを行っていた叶 白竜(よう・ぱいろん)世 羅儀(せい・らぎ)に見つかってしまい、何をしようとしているのかと問い詰められていたところを、正子に見られてしまったのだ。
 勿論正子とてレリウスのクェイル出撃を咄嗟に悟ったらしく、即座にハンガークランクを固定させてしまい、クェイル出撃を完全に阻止してしまった。
 もうこうなると、レリウスとて観念するしかない。
 渋々操縦席を抜け出すと、重たい足取りでボーディングプレートに乗り、ハンガーデッキで待ち受ける正子達のもとへと引き返すしかなかった。
 レリウスとハイラルがハンガーデッキに到着すると、正子は何もいわないのだが、代わりに白竜が、諭すような口調で語りかけてきた。

「確か……グラキエスさんのご友人を助けたい、とおっしゃっていまいたね」
 流石に教導団少尉である白竜に問いかけられては、レリウスとて無視する訳にはいかない。杓子定規に几帳面な程の綺麗に整った敬礼を贈ってから、レリウスは正直に言葉を繋いだ。
「おっしゃる通りです。既にグラキエスは自身のイコンで出撃してしまいました。彼の肉体は今、強度の負担には耐えられない状態です。にも関わらず、友の為に身を投げ打って助けに行こうという気概に、俺は深い感銘を覚えました」
「気持ちは分かるが、先走った行為は得てして、ろくな結果を生まねぇぞ」
 レリウスの弁明に対して答えたのは、白竜ではなく羅儀だった。
 すっかり恐縮してしまっているレリウスだったが、ハイラルは食ってかかるという程のものでもなかったが、彼は全く臆することなく、レリウスの為に声を励まして弁明の言葉を紡ぎ出した。
「恐れながら少尉殿。今回このレリウスは、いつになく自分から能動的に動こうという意志を見せました。それは、グラキエスが友の為に身を投げ打って戦おうという意図を見せたからであり、その気概にレリウス自身も大いに感じるところがあったからであります」
 いつもなら乱暴な口調で相手にガツンと一発食わせるところだが、流石に少尉相手にそれは出来ない。
 それでもハイラルは最大限に精神力を張り詰め、必死の思いでレリウスの気持ちを代弁してやろうと強く決意していた。
 そんなハイラルの気持ちが通じたのか――それまで黙って聞いていた正子が、不意に唇を開いた。
「うぬらのクェイルの足では到底、このファブルブランドの航行速度を上回ることなど出来ぬ。大人しく乗ってゆけい。その代わり現地到着の際には、出撃順を最初に廻してやる。グラキエスとその友人の発見に手間取ることは、絶対に許さんぞ」
 正子の通達に、レリウスとハイラルは居住まいを正して敬礼を贈った。そして正子が踵を返してその巨大な体躯を控え室方面に向けた際には、ふたり揃って日本式のお辞儀で敬意を表した。
 あの鉄人組の組長は、容貌こそ凶悪でいかつい風情を見せているのだが、ひとの心を察する繊細な感覚には非常に長けているようであった。

 さて、先行して飛び出していった明子のラストホープとグラキエスのシュヴァルツはといえば。
 実はラストホープはファブルブランドから先行して、既にツァンダとシャンバラ大荒野との境界地点にまで差し掛かろうとしていたのだが、シュヴァルツは遥か後方を平均的な航行速度で飛行しているに過ぎなかった。
「あ〜あ……だからやめときゃ良かったのに」
 明子は心底呆れた様子で、レーダーの範囲外に消えつつあるシュヴァルツの機影を、短い溜息混じりに眺めていた。
「それは、仕方無いよ。彼は彼なりに、必死だったんだから」
 明子と共にラストホープのサブパイロットとして乗り込んでいるサーシャ・ブランカ(さーしゃ・ぶらんか)が、妙に庇うような調子で苦笑の声を漏らした。
 対する明子はそれ以上は何もいおうとはせず、ただ肩を竦めるだけである。
 ラストホープの航行速度は、通常のイコンから見れば、約1.5倍程の速さを誇る。これだけのスピードが出せるのであれば、ファブルブランドを飛び出して先行するだけの意味があるのだが、シュヴァルツは同じ飛行手段を持つイコンとはいえ、所詮はイーグリット・アサルトである。
 とてもではないが、ラストホープの航行速度に比する程の性能を発揮出来るとは思えなかった。
 それでも尚、グラキエスが無茶を承知で飛び出してきた理由はただひとつ、何としてでも友を救い出したいという、その切なる想い一点に絞られる。
 実際グラキエスは操縦席の中で、何度も意識が遠のきそうになる程の疲労に見舞われていたのだが、その都度彼のパートナーであるベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)アウレウス・アルゲンテウス(あうれうす・あるげんてうす)が、何とかグラキエスの消耗を防ごうと、それぞれ力を尽くして頑張っていたのである。
「それにしても、レリウスの出撃が叶わなかったのは少々痛いな。私達が如何にグラキエスをサポートしようにも、このシュヴァルツが孤立してしまっては、あまり意味が無い……で、グラキエスの調子はどうなのだ?」
 副操縦席でぼやくベルテハイトの声に、グラキエスの襟元から、明らかに本人とは異なる声が即答する。
「今のところは問題無い……しかし、イコンの操縦席内というのは、こんなにも温度が跳ね上がるものなのか。これは、長時間の行動は拙いかも知れん」
 実はこの声は、魔鎧としてグラキエスに装着状態中のアウレウスのものであった。
 しかし、そんなふたりの心配を他所に、グラキエス自身はレーダーに映し出される熱源反応の様子を、食い入るように見詰めている。
 敵を発見したのか――いや、そうではなく、徐々に引き離されていく明子のラストホープの驚くべき速さに、ただただ感心していただけであった。
「凄いな……驚異的な速さだ。俺のシュヴァルツもあれだけ速ければ、ロアが危機に遭遇する可能性も、少しは減らせるというのに……」
 だが、友人を想う気持ちは誰にも負けるつもりは無い。
 とにかく今は、一刻も早くドロマエオガーデンに到達することだけを考えるしかない。そして友人の救出を確実に果たしたい――だが皮肉にも、グラキエスのそんな願いを嘲笑うかのように、遭難者達には更なる危難が迫りつつあった。

     * * *

 遭難者としてドロマエオガーデンの危機に遭遇しているグラキエスの友人ロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)とそのパートナーレヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)は、樹上には登らず、地上での迎撃組に加わっていた。
 樹間から次々と飛び出してくる鳥のような輪郭の大きな蜥蜴頭が、鋭い牙で空を切りながら、様々なフォーメーションを駆使してロアとレヴィシュタールを翻弄している。
 幸いにも重い一撃は喰らっていないのだが、全身至るところに無数の切り傷が生じており、それらの細かい痛みが集中力を殺いでしまっているのは否定出来なかった。
「くそっ、罠を仕掛ける暇も無かったのは痛いな……こんな奴ら、クェイルにでも乗ってりゃあ一網打尽なのによ」
 周囲でけたたましく響く耳障りな咆哮に顔をしかめながら、ロアが低くぼやく。するとレヴィシュタールは、腰を落とした態勢で身構えたまま、ふと暗鬱な表情を浮かべた。
「イコンといえば、よもやグラキエスは、シュヴァルツを出撃させているのか?」
 つい先程、ロアがグラキエスに対してHCで連絡を取った旨の話をしていたことを、レヴィシュタールはいっているのである。その際グラキエスは、シュヴァルツを駆り出して救出に来るようなことをいっていたのを、レヴィシュタールは覚えていた。
 このレヴィシュタールの指摘に、ロアは前後左右に展開する無数の気配に意識を集中させながらも、酷く心配そうな口調で小さく呟き返す。
「もしかして……逆に、来たらヤバイかな?」
「かも、知れぬ」
 しかし、もう伝えてしまったものは仕方が無い。とにかく今は、救助されるまでは何としてでも生き延びることに専念するしかなかった。
 それにしても、この化け物共は一体、何者であろう。
 昔の有名な恐竜映画に、今ロア達が遭遇している化け物と似たような恐竜が登場していたのを覚えている。あれは確か、ラプトルという種類ではなかったか。
 ロアがそんな内容の疑問をパートナーにぶつけてみると、レヴィシュタールが答える前に、別の方角から渋い声音で肯定する返事が飛んできた。
「ほぅ、よく知ってるじゃないか……そう、こいつらはラプトルさ。正確にはドロマエオサウルス科に属する種だがね。名前はデイノニクス。鋭い爪、という意味さ」
 ところが、ロアとレヴィシュタールが振り向いた先には、バイクに跨った少女しか、そこに居ない。思わず顔を見合わせてしまうロアとレヴィシュタールだが、更に先程の声が、少女の跨るバイクのヘッドライト付近から流れてきた。
「両足の中指に要注意だ。一本だけ跳ね上がったあの鉤爪で、獲物の肉を切り裂いたり、突き刺して動きを封じたりと、色々活用してくる厄介な武器だぞ」
「ありがとう、クロ。今はそれだけ分かれば、十分よ!」
 喋るバイクというのも中々驚きだが、実はこのバイクは機晶姫ブラック ゴースト(ぶらっく・ごーすと)である。そしてその上に跨る魔法少女は、紅の魔法少女こと永倉 八重(ながくら・やえ)
 魔法少女のバイカーというのも、少し珍しい。ロアとレヴィシュタールは一瞬周囲の状況を忘れて、可憐にして勇ましいその姿に、見惚れてしまっていた。
「皆さん、絶対に生き残りましょう! 永倉八重……参ります!」
 八重は愛用の得物を鞘から抜き放つと、ブラックゴーストが放つエンジンの爆音を響かせて、目前に迫る一匹のデイノニクス目掛けて、猛然と殺到していった。