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善悪の彼岸

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善悪の彼岸

リアクション

 ――決着――



「ポップコーンが破裂しておかしな事態になる前にケリをつけたい。手短に行こう。まずはこれにサインを……」
 突然訪れた静寂の中、ミュラーはヴィシャスに歩み寄り、1枚の紙切れとペンを出した。
 ――竜の涙の所有権をユルゲン・ミュラーに譲る――
 そう、書かれていた。
「何を馬鹿な……ッ!」
「おや、ただの簡易な契約の紙切れじゃないか。それにあんたは、商人として信用も契約も屁でもない商人だと聞いたが。実際そうだろ? 目の前に転がる金と、大事な客との信用だったら、あんたは金をとるんだろ?」
「ふ、ふざけるな、こんなつまらん脅しに! きょ、脅迫だぞ!?」
「あんたには俺と同じ土俵に乗ってもらった。幼き大事な女の子の命がかかった、同じ土俵にね。あんたはどうする? 俺は助けるために何でもするね。いや、してる最中だが」
「パパァ……」
「りゅ……竜の涙だぞ。その価値数億ゴルダの、竜の涙だぞ! ワシの結晶じゃ! ワシの象徴じゃ!」
「なら、後ろであんたを呼ぶ女の子は、あんたの何だい?」
「……貴様……」
「……もう一度。その契約にサインしろ」
「できんッ!」
「娘が死んでも?」
「で……で……」
「これが、あんたの商売のやり方だろ? あんたは脅迫だと言ったな。だが、これはあんたの商売と、契約を迫る時と同じやり方だ。大商人ヴィシャスさんよ……。なあ、これは商人同士のやり取りさ。よくある光景さ。よーく天秤を見て、決めてくれ」
「………………」
「あんたはこうやって、何人泣かせてきたんだい? いや、今日ようやくあんたの気持ちがわかったよ。楽しいね、こりゃ」
「………………」
「時間だ」
「ッ――!」
 ――シャッ!
 それは紙に文字を書く音だった。
 元々時間なんてありはしないし、そんな取り決めもなかったが、有効過ぎる一言だった。
 ヴィシャスは署名し、判として血判を押した。
「さて、これで俺は竜の涙を盗む必要なんてないわけだ。あそこにあるのは俺の物だからな、好きにしていいんだろ?」
「……グッ……勝手にしろ……」
「で、今の竜の涙はいくらよ? 具体的な数字で頼むよ」
「……4……億……ゴルダ……」
「……おいっ」
「5億5千万ゴルダだ!」
「よろしい。素直になるってのはいいもんだ。さて、俺は悪徳商人にはちょっと成りきれなくて困ってるんだ。どうしても竜の涙が欲しいって泣いてる大商人がいてさ……。おお、これはこれはヴィシャス様、私、貴方様が欲しがっていた『竜の涙』をようやく手に入れたのです」
 ヴィシャスが青ざめていくのがわかった。
「現在の価値ですと……竜の涙は5億5千万ゴルダ。いやいや、こんな値段馬鹿げている。というわけで私、ヴィシャス様と今後とも御懇意にさせていただきたい! これで、どうですか?」
 ミュラーの指が2本立った。
「もちろん、買われますよね?」
 それは、ヴィシャスの後ろで人質にとられているアンゼリカを一瞥しての言葉。
 力なく、ヴィシャスが頷いた。
「ありがとうございます。では、こちらから即入金の手続きを」
「――ッ! どうしてここを知っているッ!」
「……入金を……」
 小さなノートパソコンから開かれたサイトは裏の金持ち御用達の銀行だった。
 そして、ヴィシャスが金を預けている銀行でもあった。
 震える手で暗証番号を押し、入金金額を入れ、送金が押された。
 ノートパソコンを取り、全てを確認し終えたミュラーは、全てをやり終えたと手を差し出した。
「良い契約を行えました」
「……アアッ……」
 こんな結末、馬鹿げているとヴィシャスは呪ったに違いないし、契約者達も、その場にいる警備員達も唖然としていた。
 竜の涙は盗まれてはいない。
 ショーケースからも動いていない。
 そして竜の涙を護衛するという契約者達の任務も遂行された。
 なのに、ミュラーはエリザを救うための手術代だけをまんまと手に入れた。
 この敵地の真ん中で、大勢の敵に囲まれながら。
 これが決着。
 何より商人として、同じ交渉で――ヴィシャスは負けたのだった。