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リアクション
●礼儀や文化にとどまらず
百合園の女生徒が番傘を直している。
毛氈に重しを乗せている姿もほうぼうで見られた。
袱紗が一枚、もみくちゃにされながら天に吸い込まれていく。
「風が出てきましたね……」
非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)の長い銀髪も、強風にあおられて浮き上がり躍った。髪質がいいのでばさばさにはならないものの、風そのものになったかのように、長い髪は自在に舞い踊るのだ。
(「弱りました……あいにくと、今日は束ねる紐を持参してません」)
今日のために制服をクリーニングして来たのは良かったが、これはうかつだった。
「髪留めになるもの、何か持ってきてません?」
近遠はユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)に問うも、
「えっ、でもあたし、自分のカチューシャくらいしかありませんわよ」
彼女は小さく首を振るのだった。ユーリカも風には難渋しているようで、白いゴスロリ風エプロンとその下のスカートがばたばたとはためくのを、両手で懸命に押さえていた。
「我の髪留めを使うか?」
イグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)がそう申し出てくれるのだが近遠は首を振った。
「いえ、そうするとイグナさんが今度は困ることになります」
「まあ、困ると言えば困るが、我は制服をアレンジしているのでな。スカートの面倒はない」
なるほど確かに、イグナはイルミンスールの新制服をアレンジしており、スカート部をキュロットスカート状にしているのである。おかげで、現在スカート姿の者が陥っているトラブルとは無縁だ。
「そうは言われましても、ボクだってスカートでないのは同じですし、やはり迷惑をかけるわけにはきません。なんとかします」
「左様か、しかし、遠慮はせずともよいぞ」
「いずれ風も収まるでしょうから……」
しかしどうしたものか。押さえる近遠の手をおしのけるようにして、あるいはその指の間から、シルクのような銀髪が溢れ出てくるのだ。そのとき、
「これ使う?」
と、少女が一人、金のヘアバンドを彼に手渡してくれた。これと前後して風向きが急転し、髪が近遠の視界を覆い、近遠は相手を確認できなかった。なので、
「あなたは……」
その相手に最初に気づいたのは、アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)であった。
「校長さん、でございますね? ありがとうございます」
アルティアはぺこりと頭を下げた。ほっとしてアルティアは自分のスカートから手を放している。
このとき風が、はたとやんだのだった。まるで、桜井静香に道を譲ったかのように。
「困ったときはお互い様だよ。普段僕が使っているやつだけど、よかったら使って」
まさしく静香は華だ。静香がいるだけで、空間は明るさを増し、空気に甘い香りが混じるようだった。
髪をアップにした状態で近遠は目を丸くした。
「こ、校長先生とはいざ知らず……」
ご無礼を、といったことをあたふたと口にし、急いで名乗りとパートナーたちの紹介を終えて深く頭を下げた。
「このたびは、この様な場に私(わたくし)めの様な者を御招き頂きまして誠にありがとう御座います」
「そんなへりくだらなくていいからいいから、これも何かの縁、友達になろうよ」
「いや、そんな、ボクなんか……じゃなくて私めなんかに、勿体ないお言葉をー」
「いいっていいって。さあ、風もおとなしくなったみたいだし、お茶でも飲んでいかない? こっちの釜の前に座って」
明るい口調で静香は近遠たちをいざなった。
ところがその光景を見て、またも近遠は面食らうのだった。
その座には、薔薇の学舎校長ルドルフ・メンデルスゾーンがすでにおり、ちょうど姿を見せた同校理事長ジェイダス・観世院と談笑していた。
さらには教導団団長にして国軍総司令官の金鋭鋒が、ものものしい軍人たちと一角に座っている。鋭鋒は、白い輪を左腕にとりつけた少女となにやら話しているようだ。
もちろん百合園女学院の校長である静香と、事実上の百合園女学院のトップたるラズィーヤ・ヴァイシャリーも一緒だ。
絢爛すぎるメンバーではないか。他にも、見覚えのある者がちらほらあった。女性ばかりではないのが唯一の救いだが、誰でも知っているような有名人ばかりといえよう。
「このような立派な席にボクなんか畏れ多くて……」
畏まった口調も崩れつつ近遠は遠慮するのだが、
「まあそう言うな、少年。逆に、滅多にない機会だとでも考えるんだな。その辺りに座るといい。四人くらいのスペースがある」
仮面の男ルドルフ自らが席を示してくれた。
「彼の言う通りであろう。近遠よ、畏れているばかりでは何も学べまい」
イグナも近遠の背を押した。
「でも……」
まだ迷う近遠に先んじて、
「そうさせていただきますわ」
と、ユーリカがすたすたと進んでそこに座った。
「あら、可愛いお客様ですわね」
ラズィーヤは歓迎して、簡単ながら茶の作法について教えてくれた。
「いいですか。受け取ったらこういう感じで回して……」
「このようにするのでございますか?」
さっそくアルティアは動作を真似ている。
おずおずと近遠は席に着いたが、どのVIPも彼に噛み付いたりはしない。近くで見ても礼儀正しい人ばかりだった。公的な場所とはいえ政策会議をするわけでもないので、リラックスした様子である。唯一、鋭鋒の眼光の鋭さだけはどうにも落ち着かなかったが、いずれそれにも慣れた。
(「薔薇学や百合園の人って、異世界の人みたいで近寄りがたいイメージがありましたが、そうでもないかも……」)
点てた抹茶の良い香りがする。静香は椀を手に、ちょっと眉を下げる。
「さあ、ひふみよい……ひふみよいむ……ええと」
「あ、呼びづらければ近遠で結構です」
「うん。なら、僕のことも『静香』って呼んでいいからね」雨上がりの太陽のような笑みを静香は見せた。「では、改めて近遠さん、お茶を点てたよ。どうぞ召し上がれー」
近遠は静香から茶を受け取った。
泡立つ抹茶はクリームのような舌触りだ。苦いと言えば苦い。しかし同時にこくのある甘みもあって、なによりも香りがいい。口に含んだ直後より、飲んで数秒してからのほうが印象が良くなったのも特筆すべきことだろう。これが『深み』というものなのだろうか。胸の中に緑色のそよ風が吹き込んできたかのようにも思えた。
「良いものでしょう?」
静香が、優しい顔で近遠の反応を待っていた。
噂に聞いたことがある。『彼女』は本当は男性で、ある事情でこのような姿をとっているのだと。
それが事実だとして、近遠の目の前にいる桜井静香は異常な人物だろうか。近寄りがたい存在だろうか。
「美味しい……です」
迷いを振り切ったように近遠は答えた。
「このお菓子も、とっても美味しいですわ」
葉っぱを模した焼き菓子に、ユーリカは目を輝かせていた。ほっぺが落ちそう、とでもいうかのように、白手袋の手を頬に当てている。
「もうひとついただいてよろしいでしょうか、静香ちゃん」
いつの間にかユーリカが使う呼称も、『校長さん』から『静香ちゃん』に変わっていた。
一方でアルティアは、
「こうやって……回して……」
「そうそう、お上手ですことよ」
作法をラズィーヤに褒められ、
「姿勢が美しいし覚えも早いようだ。アルティアくんと言ったね? 本格的に茶道を学んでみてはどうかな。すぐ上達すると思う」
と、ジェイダスからも温かい言葉をもらっていた。
少し、離れた席から近遠、ユーリカ、アルティアの姿を眺めつつ、イグナは思った。
(「三人とも、礼儀や文化にとどまらず、色々と学ぶことができたようだな。参加した価値はあったようだ……それは、我にも当てはまることだが」)
彼女は閑かに、口元に笑みをたたえてもいた。
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