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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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 無限 大吾(むげん・だいご)は深刻そうな顔でラナロックを見ていた。が、不意に後頭部に衝撃を感じる。
「大吾さん。貴方は何を考えているんですか」
「ちょ、急に何をするんだ!」
 衝撃の原因、その犯人は彼のパートナーであるセイル・ウィルテンバーグ(せいる・うぃるてんばーぐ)その人。彼女は気怠そうな表情で大吾を見ながら、大きく一度ため息をついた。
「確かに彼女への見る目が変わるのはわかります。わかりますけど、それは私たち機晶姫には不要です。少なくとも、私が彼女ならそう思います」
「……セイル」
「憐みは不要、と言う事です。生まれ方には誰も文句は言えません。私だって、特にそんな感情は持ち合わせていないのです」
「いや、違うんだ。そうじゃなくて……」
 彼女の言葉を遮った大吾は、何か確信めいたものを持ちながらに言葉を選ぶ。どうやら二人はラナロックから聞こえない程の距離を取って話をしているが、しかし彼は何処か彼女に気を使う様に、声を殺しながら傍らを歩くセイルに言った。
「ラナさんの出生については確かに辛いと思った。重たい話だとも、思った。でもな、俺はそんな事を考えたりはしない。彼女や俺たちに大事なのは今、現在であって未来であって、過去ではないと、思ってる」
「また、ですか」
「また?」
「確か私の時にも、似たような事を言われた気がします」
 苦笑はしかし、何処か嬉しそうな感情も乗せ、彼女の表情から大吾へと伝わる。言われた彼は「そうだったか?」などと言いながら、真剣に考え込んだ。
「でも、だったら安心です。貴方はそう言う考えの人でしたね」
「ん? ああ。そうだが」
「無駄な気苦労をせずに済みますよ」
「そうか? ハハ、褒めても何も出ないぞ?」
「褒めてません」
「う……そ、そうか」
 あれぇ、と呟きながら首を傾げる彼へと不意に、前方から声がする。
「大吾さん、と言いましたか。それにセイルさん」
「お、おう! なんだ?」
「………はい?」
「気遣っていただいてありがとう。そして、ごめんなさい」
 ラナロックの言葉。
「いやいや、そんな事は気にしなくっていい。(き、聞こえてたのか?)」
「………ごめんなさい?」
「貴方たちのその言葉は優しくて、暖かくて、とても嬉しい物です。でも、私はそう思えない。思う訳には、いかない」
「何故だい? だって過去を悔やんでも仕方がないだろう? 俺たちは過去に戻る事は出来ない。だったら今を、これからの事を考えればいいじゃないか」
「そうです。現に私も、だからこうして今此処に入れます。皆さんと協力し、ラナロック、貴女の事を――」
「『誘発すべきは現在の事象ではなく、未来へ定められた道ではなく、過去と言う積み重ねである』………。ある人の言葉です」
「……セイル、意味わかるか?」
「私たちの行動は全て、今起こってる事柄や運命めいたものではなくて、昔の出来事や記憶によって左右される。と言う事じゃないですか」
「む、難しいな……」
「生まれてすぐに悪人は居ない。生まれてすぐに聖人はいない。私たちは私たちと言うアイデンティティを確立する為に過去をもって生きています。大吾さん、貴方に守りたい方はいらっしゃいますか?」
「……そりゃあ、いるよ」
「セイルさんは」
「えぇ。辛うじて」
「その全ては、過去に何か後悔した事があって、それへの贖罪である。とは思いませんか?」
「え……?」
 大吾はおろか、セイルもその言葉には息を呑む。
「過去がなければ判断は出来ない。過去がなければ現在を歩む事は叶わず、過去がなければ未来を思い描く事は出来ない。そうとは、思えませんか?」
「それは――……」
 一概、違うとは否定出来なかった。彼は暫く考えて、やはり『違うんだ』と言いたくて、それでも彼は言葉を呑んだ。この問いに対して、自分の答えは正しいのだろうか。と、思ったから。そしてセイルもそう思ったに、違いない。だから思わず言葉を呑んだ。と――。

 「ならば、過去がない場合はどうなるんだ?」

 声がした。コア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)の声。隣には馬 超(ば・ちょう)が、何とも面白くなさそうな顔をして歩いている。
「私には明確な過去がない。どころか、過去そのものがない。この世界に来てから、私はたくさんの経験を重ねているが、以前の物はないにもない。ならば私は、今を生きていけないと? ならば私に未来はないと、そう言う事なのか?」
 叱責の念はない。純粋な疑問を、コアはラナロックに投げかけていた。
「いえ……それは、違います。違うと思います」
「私は過去に何をしていたのか、それはわからないんだ。もしかしたら、大勢の人間に迷惑をかけていた可能性もある。それこそ、凶悪な何かだったかもしれない。でも私は今、誰かの為に、皆の為に、困っている全ての為にこの身を捧げたいと思っているんだ。そしてそう出来る様、動いているつもりだ」
「ハーティオン……」
「コアさん」
 馬超、大吾が思わず口を開いた。
「私の過去がどうであろうと、私は今の私が大事だと思う。大吾、君の言う言葉は私に力をくれたみたいだ。私も過去は知りたい。知りたいが、しかしそれは自分の原点を知りたいだけなのだ。自分が何者であるのか、知りたかっただけだ。それを知ったからと言って、今の私がどうなる訳ではないと、思う」
「なら、聞きたいものさ」
 そこでラナロックの口調が変わった。はっきりと、顔を見ずともわかる声色の変化があった。だから自然、彼等は足を止めて身構える。
「コア、と言ったわね。あんたは過去を持っていない。知らないっていう事は、良くも悪くもその過去に縛られる事はないって事だ。そうだろう?」
「……確かに、そうなる」
「しかしこの女は、そして私たちは違う。鮮明過ぎる過去を持ち、過去に縛られ、過去に押しつぶされそうになる。現に今回、それが故に押しつぶされた。あんたの言う過去の定義で言えばそのルーツ。起源。それを理解し、そしてそれを理解し過ぎている。私等は大勢の人間を殺す為に生み出された、そしてそれさえも大義名分であって、本来はもっと別のところにあった。それを実行しなくては、私は、私等はその存在価値を失う。人間は知ってるだろう? 価値を失った物の終着地点を。何処に向かっていくのかを。そう、ゴミ箱だ」
「ち、違う! 俺たちはそんな事は――」
「しない、と言えるかい?」
 大吾の否定を否定して、彼女は言葉を連ね続ける。
「例えばあんたが持っているその武器。銃であり、盾であり、闘志そのもの。ならば問うよ、争いのない世界。人を殺す為の、人を守る為の兵器が意味をなさない世界で、あんたはその武器を持ち続けるかい?」
「それは………」
「あんた等が食べる食べ物を包装している包み紙。それは内容物を食べれば捨てられる。捨てずに取っておくかい?」
「…………」
「存在価値を失えば、そこに意味は伴わない。幾らでも御託は並べられるがしかし、所詮それは論理(ロジック)に過ぎない。だったらわかるわよね?」
 その言いに、大吾は何を感じたのだろうか。コアは何を感じたのだろうか。二人は突然の様に足を前に進め、そして彼女の前に回り込んだ。
「ハーティオン……貴様」
「大吾、貴方――」

 大雨が降る。    それは大粒の雨だった。

 例えばそれは涙だったかもしれない。     例えばそれは、憤りだったかもしれない。

 でもそれは、断定して言える事は       言葉だった。

「ラナさん。君はどれほどに寂しい思いをすれば気が済むんだ。俺は思う。確かに俺たちは物を捨てる。利用価値がなくなれば捨てる物も出てくるだろう。でも、人間はそんな事だけをするわけじゃない! 貰った物、嬉しかったものは、他人がどう思おうと取っておくし、その価値は俺にしかわからない!」
 大吾の雨は、希望だった。
それは人が思う思いやりであり、それは人が大切にすべき何かだった。
理論ではなく、定理ではなく、人が人である、と言う最も根幹の部分だった。
「私は君との付き合いは長くない。でも一つ言える。私は人間かはわからない。しかし、こう教えて貰った事がある。命を、生命を宿した段階で、利用価値は存在しないと! 命は命として生き行く物だ、だからそれは尊ばれる物だ。だから私は守りたいと思った。だから私は守らねばならないと思った。命に価値は――あってはならない!」
 コアの雨は、希望だった。
命を物と等価と見てはならないと言う、最も人間が慈しむ物だった。
感情を、思いを、何よりも人を想う事の必要性だった。それもまた、人の根幹の一部であった。
「ラナさん、君の価値を、君自身で決めてはならない。だってそうだ、此処にいる皆、協力してくれる皆。その皆が君を、そして君たちを守ろうと思った。きっとそうだと思う。そしてそれは、既に価値なんて物を考えずに行動できる事なんだろうから。俺は、そう思う。困っていれば、助け合えばいい。俺はそれだけでいいと思ってる」
「ラナロック、君がどれほど辛い過去を背負っていたとしても、だからみんなで乗り越える必要性があるんだ。私はそう思う。私は大勢、皆に助けられていると思う事があるんだ。そしてそれは、恐らく君も感じる事があるだろう。無理だから、一人では背負えないから、私たちは共に支え合っているんだと、私は思う」
 夕立の様に。通り雨の様に。でもどこか――にわか雨の様に。その言葉は晴れ晴れとしていて、柔らかな何かで。聞く人に優しさを分け与えるそれだった。

 即ち――原点回帰。

雨は大地を潤す恵み。 雨は全てを流す優しさ。 彼等の雨は、何処までも雨だったのだろう。
「……そうね。面白いわ、あんた等って。わかった、私は此処でお暇するよ。困った事があれば呼ばいい。私の名を呼び、私を求めれば私は、あんた等の行く末を見てやるよ。その言葉の意味を、体験させてくれるならね」
 雨は伝播し、彼女の両目から零れ出た。
「そう――私の名を呼べばいい。私の名は――」
 名乗り、彼女の頭は項垂れた。そのすぐ後にいつものラナロックが戻る。彼女はふと、何かが視界に入った事を理解し顔を上げる。
目の前、彼女の顔の前には何やら白い布が、あるはずもない風流れている。
「ん……」
 不思議そうな彼女の横、その布を掴んでいるセイルが何処か恥ずかしそうに声を掛けた。
「機晶姫が泣いてどうするんですか」
「……ありがとう」
「……おい、おい。セイルとやら。……おい!」
 涙を拭くラナロックと、そして彼女が涙を拭っている布を持つセイルに向かい、馬超の声がする。
「何故私の服の裾を差し出す」
「や、だって丁度いいのがなかったので」
「ラナロック! 貴様もそれで涙を拭くな!」
「あら、ごめんなさい……」
「馬超、少しくらい良いじゃないか」
「ハーティオンまで……っ! くっ……好きにしろ」
 尚も零れる涙を顔一杯に、ラナロックはにっこりと笑って馬超を見上げると、容赦無用で鼻をかんだ。