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【十 目指していたもの】

 臓殺房に突入していた司、エース、メシエ、エオリアの四人は、スキンリパーを相手に廻して相当な苦戦を強いられていた。
 後で知ったことだが、スキンリパーの戦闘力は、七人の悪魔の中では頭ひとつ抜け出している。
 しかしながら、この臓殺房内の戦況はというと中々ひと言では表現するのが難しい。
 どちらが明確に押している、ともいえないような状況が、戦闘開始直後から延々と続いているのである。互角の勝負を演じているといえば聞こえは良いが、実際に戦っている者にとっては、終わりの見えない戦いを強いられるのは想像以上に精神を消耗するものである。
「何とも、掴みどころの無い相手だな……何が苦手で何が得意なのか、皆目分からん」
 愛用の槍で防御の構えを作りながら、司は険しい面をより一層、厳しい色に染めて唸った。
 彼がいうように、スキンリパーは変幻自在な、と表現するよりも、まるで一貫性の無い攻撃を繰り出してくる一方、防御に際しては効いているのかいないのか、それすらもよく分からないような反応を示しており、正直なところ、やり辛いことこの上無かった。
 その一方で、四人のコントラクター達は然程の打撃を受けている訳でもないのだが、かといって有効打を打ち込めている訳でもない。
 いってしまえば、不毛な長期戦をだらだらと惰性で戦っているような状況であり、強いていえば、精神的な辛さだけが徐々に折り重なってきているのである。
 エースも珍しく仏頂面をぶら下げて、攻めあぐねている自分を罵りたい気分に陥っていた。
「こういう敵が、一番厄介なんだよね……中途半端、っていうのかな、気疲れする戦いこそが一番辛い戦いだってことを、改めて認識させられるよ」
 かといって、投げ出す訳にもいかない。
 何としてでも撃破しなければならないのだが、押しても引いても、展開的に大した変化が無く、四人揃ってどうしたものかと悩んでしまう有様であった。
「明確な選択、明確な結果が目に見えない状況というものが、如何に厄介で扱い辛いものであるか、よく分かったことだろう」
 スキンリパーは、相変わらずの淡々とした調子で余裕の構えを見せた。
 一切の表情が無く、苦痛も闘志も何ひとつ感じさせないというのは、それだけで相手に消耗を与えるということを、よく知っているのかも知れない。
「こちらも、ラムラダ氏の防衛に力を注ぐ用意ばかりしていたから、いざ戦闘になると、決定打を出せないのが歯痒いね」
 メシエも普段あまり見せない渋い表情で、スキンリパーの不気味な容貌をじっと凝視する。その傍らでは、エオリアが同じく、困り切った様子で相手の出方を窺ってばかりいた。
「僕も、回復系をメインに考えてましたから……でも、戦闘が始まってから、まだ誰ひとりとして負傷もしてないですし……何というか、悶々とした気分ばかりが溜まっていきます」
 しかし、エース達のラムラダ防衛という方針は、別段これといった間違いがあった訳ではない。単純に第二班の他の面々との兼ね合いで戦術的な防御という色合いが強くなっただけであるし、もっといれば彼らが臓殺房に挑むことになったのも、他に担当する者が居なかったからであり、それこそ運が悪かったというひと言に尽きるだろう。
 だがともかくとして、四人としては余り認めたくはなかったが、客観的に見れば、この場は完全な膠着状態に陥っていた。
 このまま何時間も、この臓殺房内で不毛な戦いを強いられるのか――何となく嫌な予感を覚え始めた四人であったが、彼らの絶望感は、背後から飛んできた野太い声によって解放されることとなった。
「手間取っておるようだな」
「おお、これは有り難い……最も心強い方が、援軍に来てくれるとは」
 振り向いて応じたのは、メシエである。その視線の先に、出刃包丁と牛刀を二刀流で携えた正子と、木製バットを肩に担いでいる菊の姿があった。
 スキンリパーから目を離せるだけの余裕が無かった為、他の三人は相変わらず前方の敵に視線を据えたままであったが、それでも正子と菊の登場を知るや、幾らか表情が緩んだようにも見えた。
 その一方で、菊は相手がスキンリパーと知るや、露骨に不機嫌そうな声をあげて鼻先に皺を寄せた。
「おいおいおい、どういうこったい。あたしゃマッスルブレイズのモツ野郎をぶちのめしに来たってぇのに、この刃物野郎を相手にしろってかぁ?」
「何をいうておる。臓殺房を希望したのは、うぬであろう」
 正子に軽くいなされ、菊は、そりゃまぁそうなんだけど、などと口篭った。

 しかし結局、菊がスキンリパーを殴るという機会は遂に訪れなかった。
 どうやら数の不利を悟ったのか、正子と菊が姿を見せたのとほぼ同時に、スキンリパーは宙空に消え入るようにして姿を消してしまったのである。
 しかも、単に逃げただけでは終わらない。
 この臓殺房は、被験者の腹を切り裂き、止血した上で生きたまま内臓をひとつずつ摘出するという拷問を施す為の施設であるらしく、内臓を取り除かれたままの無残な遺体が、壁際に幾つも転がっていた。
 ところが、スキンリパーが姿を消すや否や、これらの凄惨な拷問の犠牲者達も同様に、立体映像がぼやけて消失するようにして、瞬く間に見えなくなってしまったのである。
 臓殺房に突入していた面々が出口扉を抜けて回廊に出ると、先に突破を決めていた第二班の仲間達が出迎えたのだが、その中でもルカルカやザカコなどは、変な顔を見せていた。
「どうした?」
「それがね……オブジェクティブ・オポウネントの認証コードがついさっき、消えたの」
 正子の問いに、ルカルカが小首を捻りながら答える。
 次いでザカコが、矢張り訝しげな表情で歯切れの悪い台詞を口にする。
「しかも、奇妙な話なんですが……先程、ほんの一瞬だけ、世界がデジタル信号に覆われていたような光景が見えたのです。そう、視界全体がデジタル信号で構成されていたかのような……」
 だが、それも気のせいかも知れないということで、ザカコは余り強くはいえず、悶々とひとりで悩んでいるような仕草を見せるばかりである。
 と、そこへ。
「おぉ〜い!」
 回廊の向こうから、円の声が響いた。
 全員が一斉にその方向に視線を転じると、円とサクラコが、左右からラムラダを挟む格好でこちらに近づいてきている。
 ラムラダは若干衰弱しているようで、円とサクラコに両肩を支えられるようにして歩いているのだが、第二班の仲間達の姿を認めるや、その面には幾分、明るい表情が浮かんでいた。
 スイートルームを突破した全員が、円、サクラコ、そしてラムラダのもとへと走り寄り、ある者はほっと胸を撫で下ろしながら、ある者は本当に嬉しげな表情を見せて、三人の無事を喜んだ。
「全く、無茶をする奴だ……しかし今回は、本当によくやった」
「えへへ……」
 司に褒められ、サクラコは気恥ずかしそうに、はにかんだ笑みを浮かべた。
 自分でも相当な無茶をしたものだと思ってはいたが、こうして司に褒められると、それまでの苦難も全て良い経験になったとプラスに考えられるようになったのだから、現金なものである。
 対する司も、サクラコがラムラダ救出に一役買ってくれたのは嬉しい誤算だった。
 ラーミラから絶大な信頼を受けて今回のラムラダ護衛に就いた彼としては、ラムラダがフェイスプランダーに拉致された時には気が遠くなるような思いを抱いていたのであるが、そんな彼の窮地をサクラコが救ってくれたのである。
 嬉しくない筈が無かった。
 勿論、サクラコひとりの頑張りでラムラダの救出が成った訳ではない。
 矢張り何といっても、円の存在感が大きかった。
「しかし、よく気付いたもんだね」
 エースが素直に、円の洞察力を賞賛した。
 円がフェイスプランダーの存在にいち早く気付いたからこそ、サクラコを孤立させずにラムラダ救出を成功に導いたといっても過言ではない。
 やや照れそうに頭を掻きながら、円は苦笑を浮かべた。
「まぁね……オブジェクティブとは、何だかんだと因縁あるから」
 この後、スイートルーム手前で待機していた第二班の残りの面々が合流してきた。
 最大の障害であった七人の悪魔とスイートルームの拷問施設が無力化された以上は、人工解魔房へと一直線に突き進むのみである。
 とはいえ、警戒を怠って良いという訳でもない。
 この中では、最も鋭い感覚を持つ日奈々が歩と共に先頭に立ち、人工解魔房への最後の通路を進む。
「どう? さっきまでのような、違和感みたいなのは感じる?」
 日奈々の手を取って目の代わりの役を果たしている歩が、日奈々の感覚の邪魔にならぬよう、幾分声のトーンを落として問いかけてみた。
 対する日奈々は、やや茫漠とした表情で前方を見据えるような仕草を見せたが、ややあって、小さくかぶりを振った。
「もう……何も、変な感じは……しない、です。後は、このまま……真っ直ぐ進んでも、大丈夫……」
 日奈々の言葉を受けて、歩がすぐ後ろを歩いていた護衛役のカイに振り向いた。
 カイは歩と日奈々に頷き返し、次いで後方の面々に、異常無しを伝える。
「……では、いよいよ本格調査に入るとするか」
 ようやく出番が来たとばかりに、ダリルが愛用の端末機器を小脇に抱えて進み出てきた。
 ここからは、調査活動の専門家達に任せておけば良い。

 いよいよ、本来の目的である人工解魔房がその姿を見せようとしていた。
 ストーンウェル長官から入手した図面通りに行けば、スイートルームのある区画を抜けたすぐのところに存在する筈であったが、しかし第二班の面々が行き着いたのは、やたらと広い石室の、巨大な空間であった。
 しかし、この広大な容積を誇る巨大石室こそが人工解魔房であると判明するまでには、然程の時間を要しなかった。
「こいつは驚いたな……もっとこう、ひとがやっと入れる程度の大きさを想像していたのだが……」
 思わずダリルが呆然とこぼす程、その空間は予想以上の大きさを誇っていた。これだけの広さ、どこから手をつけるべきかというところから考えなければならない。
 幾ら何でも、ひとりで調べ切ろうとするのは無謀である。
 ダリルは美奈子、輪廻、アキラ達を呼び寄せ、人工解魔房の調査人員として彼らを当てる旨を宣言した。
「悪いが、俺ひとりでは到底手が足りん。分担を指示するから、手伝ってくれ」
 輪廻とアキラは快諾したが、美奈子だけは渋った。
 美少女から指図を受けるのはやぶさかではない美奈子だが、ダリルから指示されるのはまっぴら御免だ、というのが美奈子の主張であった。
 ところが――。
「勿論、お受け致しますわ。ラムラダ様のお役に立てるのでしたら、全力を以ってお手伝い致します」
 アイリーンが美奈子を引きずり倒して絞め落としている傍らで、コルネリアが極上の笑顔でダリルに応と答える。いつか見た光景というのは、こういうのをいうのであろう。
 ともあれ、遊んでいる時間は無いのだから、ダリルから指示を受けた面々は、即座に調査へと入った。
 しかし、本当に何も見当たらない、ただ広いだけの空間である。何をどう調べれば良いのか、少し頭を捻らねばならない。
 どうやって手をつけたものかと思案に耽っていたアキラだが、ルシェイメアが幾分表情を厳しくして、アキラの傍らに立って曰く。
「今度こそ、サイコメトリを仕掛けるぞ。ここはもう拷問施設でも何でもないし、こういう時こそ、過去の情報が必要になってこよう」
「……まぁ、しょうがないか」
 流石にアキラも、ルシェイメアの言葉をこれ以上無碍に否定する訳にもいかない。アリスとふたり、やや緊張した面持ちで、ルシェイメアによる術の発動をじっと見守ることにした。
 ルシェイメアのサイコメトリは、然程の時間を要することなく、結果を出した。
「ほぅ……この人工解魔房を起動するには、絶大なる生命力を秘めた無限機晶器が必要、とな」
「無限機晶器?」
 聞き慣れない用語に、アリスがアキラの肩口で首を捻った。
 当然、アキラもよく分からない。
 ルシェイメアの説明によれば、悠久の時を生き、イコンの動力源にも匹敵する程の生命力を宿した巨大魔働生物用の機晶器であるとのことらしいが、そんなものが世に存在するなど、聞いたこともない。
 アキラとアリスが揃って頭を悩ませていると、いきなり輪廻が三人の間に割って入ってきた。
「いや、それなら何とかなるかも知れないぞ」
 思わせぶりにいってから、輪廻はダリルを呼び寄せ、ルシェイメアが読み取った過去の記憶について説明を加えた。
 するとどういう訳か、ダリルも輪廻と同様に、何かに思い当たる節を見せて小さく頷いた。
「成る程、そういうことか……確かに、何とかなりそうだな」
 ダリルと輪廻だけが理解しているという構図に、アキラは困り果てたように頭を掻いた。
「悪い……俺にはさっぱり分からないんだけど、その、無限機晶器っていうものがどこにあるのか、当たりがついてるってことか?」
 アキラの問いかけに、ダリルと輪廻は揃って頷く。説明の為に口を開いたのはダリルであった。
「フレームリオーダーだ……といっても、お前は知らんだろうから簡単に説明してやるとな、数千年前から生き続けている巨大なサイボーグ生物だ。しかも、イコンと戦う為に生み出された連中ときている。奴らとて、人工的に生み出された生物である以上、機晶器を内蔵していてもおかしくない」
 ダリルの説明に、それでもいまいちピンときていないのか、アキラは相変わらず、不思議そうな面持ちで首を傾げるばかりである。