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【六 耐えることの意味】

 拷問にかけられるか、七人の悪魔に嬲られるか――いずれにしても、壮絶な苦痛を味わうことには変わりは無く、選択と呼べる程の違いは無い。
 逆に、ラムラダを見捨てるか否かという点に於いては、これはもう完全に選択の余地は無かった。
 第二班の全員を七つの実験房に投入するのは回避しようということで意見が一致したが、問題は、誰が己の身を犠牲にするか、というところであった。
 七つの扉の奥にはそれぞれ、圧殺房、焦殺房、裂殺房、刺殺房、雷殺房、臓殺房、蛆殺房といった実験房を名乗る拷問施設が待ち受けている。
 ここで、氷室 カイ(ひむろ・かい)が正子の正面に立ち、神妙な面持ちで静かに提案した。
「馬場さんは、ここに残ってくれ……あんたが後ろに控えているのといないのとでは、不測の事態に直面した際の対応力に雲泥の差が出る」
 カイ自身は、裂殺房に挑む腹積もりであった。二刀流の斬撃を自身の戦闘スタイルとするカイにしてみれば、苦痛を受けるのであれば同じく斬撃系の内容に挑もうと考えたらしい。
 そこには、カイ自身の秘めたる思いも幾分隠されているようではあったが、この時点ではまだ、それらしい気配はおくびにも出していない。
 ともあれ、カイから実験房には入るなと要請された正子は、複雑そうな面持ちで曖昧に頷いた。
 正子としては己が肉体の生命力と苦痛に耐える精神力には自信があったから、いの一番に拷問に挑むつもりだった。
 それが、カイを始めとして、数人のコントラクター達から後顧の憂いを絶つ為に、この場に居残って欲しいと頼み込まれたのである。
 単なる気遣いであれば心配無用と笑い飛ばすところであったが、ここまで合理的な理由で押し留められては、如何に正子といえども、無碍にはねつける訳にはいかなかった。
「組長、あんたの負けだ。大人しくここで、仲間達の決死の頑張りを見届けてやるが良い」
 四条 輪廻(しじょう・りんね)が、ニヒルな笑みで正子の脇腹を肘で小突いた。どうやら正子も観念したらしく、大きな吐息を漏らし、やれやれとかぶりを振るばかりである。
 正子が後方待機を受け入れてくれたことで、幾分ほっとしたカイではあったが、同時に、輪廻が銃型HCを取り出して、LCDを必死の形相で覗き込んでいる姿に目を取られた。
「四条、あんたもここに残るのか?」
「まぁな……実は第一班の黒崎から、面白い情報が届いていてな」
 曰く、向こうではジェライザ・ローズを救助したは良いが、明らかに仮想と現実が入り混じっている奇妙な現象が生じている、というのである。
 これは、輪廻にとっては見逃せない情報であった。
「連中は脳波を採取する、といっていたが、では一体どうやって採取を実現するのか? 脳波とは極めて微弱な電流波だ。大気中では間違い無く発散してしまうだろうし、直接触れるにしても、脳に鉄針か何かを打ち込まないことには、まず採取不可能だ」
 そこで輪廻は、天音が提唱してきたヴァダンチェラ内部の仮想空間化説に、着目したのである。
 ヴァダンチェラ内部が電子データで構成される仮想空間に置き換えられているのであれば、目の前に広がる空間も、実は電子データが充満する擬似映像ということになる。
 そして仮想空間内であれば、敵は脳波データを幾らでも採取出来る、という結論に落ち着く。
 ここに居るコントラクター達の肉体と思われている物体が、実は全て脳波が作り出している映像であるというのであれば、その肉体そのものから脳波を採取出来るという理屈に到達するからだ。
「何だかよく分からないけど……俺達も、その調査に協力しよう」
 アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)が輪廻のHCを横から覗き込みながら、真顔で頷きかけてきた。
 当初アキラは、単純に面白そうだからという不純な動機で今回のヴァダンチェラ突入に参加していたのだが、流石にこれだけ凄惨な内容が待ち受けているとなると、考え方を改めざるを得なかったらしい。
 日頃の、どこか茫漠とした呑気な表情は影を潜め、今は真剣そのものの面持ちで、あらゆる調査に協力しようという腹積もりになっていた。
「よし、そういうことならまず、サイコメトリから……」
 ルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)が技能発動の態勢に入ろうとしたが、アキラがすぐさま、睨みつけるような顔つきで小さくかぶりを振った。
「ルーシェ、さっきいっただろう……ここでのサイコメトリはやめてくれ、って」
 アキラに釘を刺され、ルシェイメアはいささか不満げな様子を見せはしたが、すぐにその言葉に従い、発動しかけていたサイコメトリをキャンセルした。
「アキラ……今日は本当に、いつもと違うんだね」
 アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)がアキラの左肩口に小さな体躯を覗かせて、心配そうな表情を見せた。
 サイコメトリで得られる凄惨な過去映像をルシェイメアには見せたくない、というアキラの心遣いは、アリスにもよく分かる。だからこそ、ここまで何もいわず、アキラの指示に従い続けてきた訳だが――。
「では早速だが……この部屋の空間中で、何でも良いから物理的変化を起こす技を駆使してみてくれ。HCで気圧変動量を測ってみる」
 輪廻の指示に、アキラは応と頷いて、ルシェイメアと共に調査補助の為の行動を開始した。

 実験房に挑む者達が、分厚い鉄製扉を押し開き、それぞれの室へと続く狭い通路内を進んでいった。
 コア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)ラブ・リトル(らぶ・りとる)高天原 鈿女(たかまがはら・うずめ)達が選んだのは、雷殺房である。
 3メートル近い巨躯を誇るハーティオンにとっては、この狭い通路は非常に息苦しく、寧ろ早く拷問の間へと到達したいという、いささか倒錯した心境に陥っていた。
「んもう! 結局正子の奴、何だかんだいいながら、美味しいとこ取りじゃないの!?」
 ハーティオンの肩口で、ラブが延々と愚痴を吐き続けている。
 ラブとしては正子の巨躯を防御壁として前面に押したて、自分は安全な後方へ退く計画だった。ところがいざ蓋を開けてみれば、状況は180度逆の展開を辿っているのである。
 文句どころか罵倒の連続ですら生ぬるい、という意識がラブの中で確立しようとしていた。
 ハーティオンはラブの正子に対する、一種の敵愾心にも似た心境を理解しているだけに、ただ苦笑を浮かべるのみで何もいおうとはしなかったが、鈿女にしてみれば、聞きたくもない愚痴をいつまでも聞かされ続けているだけであり、良い加減鬱陶しく感じるようになってきていた。
「もうその辺にしておきなさい、ラブ……これから愚痴もいえなくなる程の、とんでもない事態が待ち受けているんだから、愚痴をいう体力があるなら、今の内に温存しておくべきよ」
「えー、そんなこといったってぇ」
 鈿女に諭され、ラブは不機嫌そうに唇を尖らせた。
 だが、ラブのそんな表情も、すぐに恐怖と緊張に彩られて硬直するようになる。三人は遂に、暗くて狭い通路を抜けて、雷殺房に到達したのである。
 三人の前に、大型会議室程の広さを見せる空間が姿を現した。やや奥行きのある長方形型の、実に殺風景な石造りの一室であった。
 石床に、いくつもの超硬性金属で造られた手械や足枷の類が、ずらりと並んでいる。
 単純にそれだけであれば趣味の悪い牢獄といえなくもなかったのだが、問題はそれら枷の列の間に、真っ黒に炭化して性別すら判別不能な程に焼き尽くされた人型の遺体が、幾つも横たわっていたことである。
 これらの遺体が、無数に並ぶ枷に両手両脚を戒められ、全身が炭化するまで、殺人的な高電圧流を浴びせ続けられていたという事実が、ハーティオン達にはひと目で理解出来た。
 これだけの凄惨な光景を見せつけられては、ハーティオンといえども言葉を失ってしまう。
 それまで饒舌な程の勢いで正子に対する罵詈雑言を並べ立てていたラブが、一瞬にして沈黙へと陥ったのも、無理からぬことであった。
「あまり考えたくはないけど……あの消し炭みたいなのは……やっぱり、行方不明になっていた調査隊のひと達……ってことで、間違い無い、よね?」
 鈿女は喉がからからに渇くのを感じながら、必死の思いで声を絞り出した。
 ハーティオンは金属質の面を渋い色に変じながらも、うむ、と小さく頷き返してきたが、ラブに至っては思考が完全に停止しているのか、反応することすら忘れ去ってしまっているようであった。
 いつの間にか、室の奥に長身の影が佇んでいる。
 流石にハーティオンの体格には遠く及ばないが、それでも一般の成人男性に比べれば、相当に背が高い方であるといって良い。
 Tシャツにスラックス、そしてスニーカーといった、平常の街中であれば、ごくありふれた服装を纏ってはいるのだが、その面には、目も鼻も口も無く、のっぺりとした無機質な光の反射だけが見える。
 いわずと知れた七人の悪魔のひとり、フェイスプランダーであった。
「さて……あの悪魔めは、何をしてくれるというのかな」
 ハーティオンが挑戦的な視線を叩きつけると、フェイスプランダーはどういう訳か、ハーティオンではなく、鈿女を指差してきた。
 続いて顔の無い悪魔は、自身の顔面に掌を押し付け、何かをむしり取るような仕草を見せた。
 つまりフェイスプランダーは、雷殺房の実験に応じるか、鈿女の顔面を剥ぎ取るかを選択しろ、といっているのである。
 相手の意図を悟った鈿女は、短い悲鳴を上げ、慌ててハーティオンの後ろに隠れた。
「……良いだろう。私が、受けて立つ!」
 ハーティオンはラブを肩口からゆっくり降ろすと、その場にしゃがみ込んで、石床から伸びる枷のひとつをむんずと掴んで引っ張り上げた。
 鈿女とラブが、揃って息を呑む。しかし最早、後退は許されない。
 ハーティオンの巨躯に、雷撃の破壊波が襲い掛かろうとしていた。

 蛆殺房では、御凪 真人(みなぎ・まこと)セルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)七篠 類(ななしの・たぐい)の前に冴えない中年男が、やや俯き加減に立ちはだかっている。
 全身の力が抜けているのか、両腕はだらりと左右に垂れ下がり、視点の定まらない目は、左右で違う方向を凝視しているようにも見える。
 しかし何よりも奇異なのは、その背中に巨大なゴキブリを思わせる黒い薄羽が高速で羽ばたき、この亡者の如き中年男を宙空に漂わせているという光景であった。
 既に真人もセルファも、そして類も承知している事実ではあったが、この中年男は七人の悪魔のひとり、ゴーストウィンガーである。
「……来たのは良いですが、さて、どうしましょうね」
「そんなこといわれたって……選んだの、真人でしょ?」
 思案顔で呟く真人に、セルファは両手で自分の体を抱き締めるような仕草を見せて、二度三度、小さく身震いしてみせた。
 ゴーストウィンガーが単なる中年男、というだけの外観であれば何ら問題は無いのだが、その背中から生える黒光りの薄羽が、セルファにとっては何とも生理的に受け付け難い空気を撒き散らしていた。
 だが、問題はゴーストウィンガーだけではない。
 類は蛆殺房の広い石床全体を埋め尽くす、見るだけでも吐き気を催す光景に思わずその表情を歪めた。
「成る程ね……蛆殺房とは、よくいったものだ」
 持参した日本酒を小脇に抱えたまま、類は眼鏡を手に取り、レンズを軽く拭う。真人とセルファも、眼前に広がる光景に露骨なまでの嫌悪感を示し、鼻頭に皺を寄せた。
 この蛆殺房は実に、石床のほぼ六割から七割程度が、大量の蛆虫によって埋め尽くされていたのである。
 蛆虫達は基本的には白っぽい体色である為、蛆虫によって構成される蠢く絨毯はおおよそ、白系の色合いで染まっているのであるが、その中に何箇所か、鮮血の紅でコントラストが描かれている部分がある。
 見ると、その紅い箇所には複数名の人体と思しき肉片や骨片が、無残に散らばっているではないか。
 しかもこれら人体片は、いずれも肉体の内側から食い破られているような破壊痕を覗かせている。
 真人とセルファ、そして類の三人はこれらの犠牲者が、蛆虫の大群によって体内から食い破られて絶命した事実を、目の前の光景からほとんど一瞬にして推察していた。
 即ち蛆殺房とは、体内に膨大な量の殺人蛆虫を送り込まれ、内臓からじわじわと食い尽くされていき、最後には体表をも食い破られて死に至る、という凄惨な拷問を実施する為の施設だったのである。
 セルファはすっかり青ざめた表情で、床面の多くを白く埋め尽くす殺人蛆虫の群れと、宙空をゆったりと舞うゴーストウィンガーの不気味な姿とを交互に見詰めていた。
「拷問を受けるとすれば、この蛆虫共を受け入れるしかないってことか……では、ゴーストウィンガーは何をするというのだろう?」
 類が小声で呟いた疑問を聞き取っていたのか、それまで宙空を舞っていたゴーストウィンガーが不意に床面へと着陸し、初めてその力無い頭部を押し上げ、三人のコントラクターに視点の定まらない黄ばみがかった両目を向けてきた。
 直後、ゴーストウィンガーの締まりの無い唇が、上下に大きく押し開かれた。その口腔内からは、長い触角をゆらゆらと蠢かせる黒い物体が、無数に這い出ようとしていた。
「うっ……な、何よあれぇ!?」
 セルファが悲鳴に近い叫びを上げた。
 ゴーストウィンガーの口腔内から這い出ようとしていたのは、これまた同じく、無数のゴキブリの群れだったのである。
 この時、真人と類は相手の意図を即座に察した。
 蛆殺房での拷問が体内に送り込まれた殺人蛆虫による内側からの肉体破壊であれば、ゴーストウィンガーの攻撃は肉食性の凶暴なゴキブリを被害者の全身に張りつかせ、体表から食い破って苦痛を与えるという、外側からの肉体破壊なのだろう。
 想像するだけでも怖気が走る――セルファはすっかり色を失い、ただ呆然と、ゴーストウィンガーの唇から這い出てきているゴキブリの群れを凝視するばかりであった。
 殺人蛆虫を体内に入れるか、肉食性凶暴ゴキブリを全身に張りつかせるか――どちらを選べといわれても、そう簡単に選べるような内容ではなかった。
 流石にセルファを差し出す訳にはいかないと判断した真人が、意を決して一歩進み出ようとしたその時、類の携帯から突然、着信音が鳴り響いた。
 何事かと訝しげに小首を捻りながら類が応答に出ると、事態が一変する鮮烈な報告が、彼の鼓膜を強烈に刺激した。
「ど……どうしたのですか?」
 真人がやや驚いた様子で振り向くと、類は、頬に僅かな笑みを張りつかせて、ゴーストウィンガーをじっと睨みつけたまま力強いひとことを放った。
「……もう、奴らのいいなりになる必要は無い」