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リアクション
【一 夜に舞う黒衣の蝶達】
バラーハウスの外観をひとくちでいえば、城塞型ではなく、居住型の古城と表現すれば分かり易いだろうか。
ドイツの有名な古城ノイシュヴァンシュタインの優雅さに、フランスはロワール川最大の城シャンボールの威容を組み合わせたかのような、美しさと尊厳の双方を見事に体現している城。
それが、このバラーハウスである。
正面に位置する玄関ホールには真紅の豪奢な絨毯が敷き詰められ、巨大なシャンデリアから放たれる幻想的な装飾照明と、ずらりと居並ぶホスト達の煌びやかな笑顔の列が、客として訪れる者の心を否応無しにときめかせてくれる。
そして今夜――このバラーハウスで、十人十色の人間模様が展開されようとしていた。
* * *
特に目当てのホストが居るという訳ではなく、単純に興味本位で訪れてみた奥山 沙夢(おくやま・さゆめ)は、予想以上の規模と陣容に、思わず玄関ホールの真ん中で両の瞼を何度も瞬かせてしまっていた。
「うわぁ……何ていうか、想像してたのより、相当に豪華だわね……」
幾分呆けた表情で、遥か頭上に揺らめくシャンデリアからの光点の渦を眺めている沙夢だが、その隣では、雲入 弥狐(くもいり・みこ)が更にそれ以上の度肝を抜かれたような様子で、煌びやかな調度品の数々や出迎えたホスト達の囁くような甘く心地良い出迎えの言葉に、ただ呆然と佇むばかりである。
「う縲怩c…何だか、場違い感が半端じゃないんだけど……」
ややあって、ようやく我に返った弥狐が苦笑を浮かべながら自身の頬を左の人差し指の指先で軽く掻き、小さくかぶりを振った。
ひとが多いだろうから、という理由で沙夢に頼み込まれ、断れずに同伴してきた弥狐だが、このバラーハウスはどうやら、単にひとが多いというだけの施設ではないように思われる。
ここはひとつ、腹を括らなければならないぞ、と弥狐は内心で密かに身構えた。
「ほぇ縲怐c…こりゃあ、メイドカフェとは雰囲気も規模も、全然違うわねぇ」
偶々、同じタイミングで入店してきていた五十嵐 理沙(いがらし・りさ)が、その長身を僅かに仰け反らせながら、当たり前のことをさも深遠なる真理であるかの如く、大袈裟に表現していた。
しかし少々大袈裟過ぎたのか、理沙に付き合って一緒にバラーハウスを訪れていたセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)が、呆れた様子で小さく肩を竦める。
「理沙……恥ずかしいから、おやめなさい」
「あぁ縲怐Aごめんごめん。何だかつい、浮かれちゃってぇ」
えへへと笑って誤魔化しながら頭を掻く理沙の前に、早くも数名のホストが紳士の作法を以って礼を送る仕草を見せている。
レギオン・ヴァルザード(れぎおん・う゛ぁるざーど)、エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)、そしてベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)の三人が、どうやら理沙とセレスティアをエスコートする役目に自らを任じているようであった。
厳密にいえば、この三人の中でまともなホストとして機能しているのは、エメひとりだけであった。
レギオンはいささか場慣れしていないのか、エメの優雅な所作をちらちらと盗み見ながら、見よう見真似でホストとしての礼を取っている。
その一方でベファーナはといえば、実はホストではなく、ホール業務の一部統括する黒服としてエメとレギオンのサポートに廻っているに過ぎなかった。つまり、理沙とセレスティアをテーブルにまでエスコート完了すれば、ベファーナの補佐としての役目は終わりなのである。
だが、理沙とセレスティアにしてみれば、三人の微妙な立場の違い等、知る由も無い。ふたりはただ、客としてイケメン達に奉仕されることだけに身を委ねていれば、それで良いのである。
そして少々はしたない話ではあったが、この三人の姿を前にして、理沙は早くも脳内掛け算を始めてしまっていた。
(うわ縲怐I 良いわよ良いわよ! 宜しくってよ! えぇっと、誰が攻めで、誰が受けかなぁ……)
などと考えているうちに、エメが先導する形で理沙とセレスティアをテーブルへと案内してゆく。
理沙はホールを横切っていく際、物凄く嬉しそうな笑顔で傍らのセレスティアに小さく耳打ちした。
「ねっ、あのエメってひととレギオンって彼、掛け算したら楽しそうじゃない?」
すると、セレスティアは露骨に美貌を歪ませて、理沙の心底楽しそうな表情に向けて溜息をついた。
「理沙……そんなことでは、腐ってしまいますわよ」
セレスティアがいっているのは、所謂腐女子というやつだ。
一応、理沙とセレスティアは三人のイケメン達には聞こえないよう、それなりに気を遣って声を潜めてはいたのであるが、実のところ、彼女達の会話はエメには筒抜けだった。
(成る程……そちら方面の楽しみ方を、満喫されたいのですね)
若干、苦笑を禁じ得ない部分も無きにしも非ずではあったが、それでもエメは、ホスト喫茶タシガンの薔薇支配人という、正真正銘のホストである。
彼はどんな客人を相手に廻しても、そつなく楽しませて差し上げるという確固たる自信に溢れていた。
理沙とセレスティアがエメ達にエスコートされていくのを、沙夢と弥狐は全くの他人事として眺めていたのであるが、しかしそんなふたりを、ホスト達が放っておく筈も無い。
エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)、クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)の三人が、どこか執事を彷彿とさせる恭しさで、沙夢と弥狐のエスコートを買って出ていた。
「ようこそいらっしゃいました。ボクは……アルバ、と呼んで頂ければ嬉しいです」
自らの源氏名アルバを名乗るクリスティーが、どうやらこの三人の中のメインプレイヤーとして、沙夢と弥狐をもてなす中心的存在であるらしい。
エースとエオリアはヘルプに徹する腹積もりらしく、自らの影をやや抑え目にして、クリスティーの左右に控えている。
役割分担はきっちり出来ているようで、沙夢と弥狐は安心して、テーブルへと案内されてゆく。
「すぐにお飲み物を用意しますね」
沙夢と弥狐がソファーに腰掛け、クリスティーが同じソファーにふたりの話し相手となる位置へと就いたところで、エオリアが沙夢の為にワインを、そして弥狐の為にアルコール度数が然程強くない甘めのカクテルを用意しにカウンターバーへと足を向けた。
一方で、エースは間を持たせる為に一輪の花をどこからか取り出し、沙夢と弥狐の胸元に、優しい手つきでそっと差し込んだ。
「どうぞ、楽しんでいってくださいね」
がさつな野郎連中ではとても思いつかないであろう優雅な演出に、沙夢と弥狐は半ば驚きつつも、これがホストの魅せる演出かと、内心で舌を巻く思いだった。
やがて、エオリアが全員分の飲み物と、お手製のカナッペをトレイに乗せて、テーブルへと戻ってきた。
「それでは……お嬢様方の楽しい夜の為に……乾杯」
クリスティーの囁くようなボーイソプラノで音頭を取り、全員がグラスに軽く口をつけて、宴は始まった。
エースとエオリアは、とにかくクリスティーのヘルプに徹することで、クリスティーの主担当である女性客達との会話に専念させる。
ホストのヘルプ担当というのは、ただ単にテーブル雑用やサブの会話担当だけをしていれば良いという訳ではない。
寧ろ最大の仕事は、『メインが飲む筈のアルコールを代わりに消費すること』であるといい切っても良い。
客の中には、ホストを酔い潰れさせて、その醜態を見て楽しむという意地悪い性格の女性も少なからず存在する。そういう女性客からメインを守るのも、ヘルプの重要な仕事であった。
幸い、沙夢にしろ弥狐にしろ、無理矢理相手に酒を飲ませて、酔い潰れるのを見て楽しむという性癖の人物ではなかったから、エースもエオリアも、比較的楽にテーブル雑務やサブ会話担当といった辺りの仕事をこなすことが出来た。
「それにしても……お酒は面白いものよね。年代によっては、味がまったく変わってしまったり……同じ銘柄でも、古いものは飲みやすくなったりとかね……」
数杯グラスを空けて幾分緊張がほぐれてきた沙夢は、頬が上気した穏やかな表情で、掌の上で踊る真紅の液面を静かに眺めながら、低い声音で呟いた。
「それにお酒は、飲むひとによっても味が変わったりしますからね」
クリスティーの柔らかな笑みに、沙夢は微笑を返しながら小さく頷く。
一方、弥狐はエオリアが差し出す料理に手を伸ばしつつ、エースを相手に他愛も無い雑談を楽しんでいた。
こちらはお酒の場を楽しむというよりも、飲み屋で若い男女が世間話に興じているような雰囲気が少なからずあったのだが、どのような話題にもそつなく対応出来るのが、エースの強みでもあった。
彼の優秀な会話術は矢張り、元来の育ちの良さが大きく貢献しているといって酔い。
理沙とセレスティアのテーブルでは、一種珍妙な光景が現出している。
エメがホスト喫茶での現役ホストであり、且つ支配人でもあるという話題が出てきたのだが、実は理沙もメイド喫茶『第二』のオーナーであるということもあって、お互いの素性が分かったところで、いきなり名刺交換が始まってしまったのだ。
「あらま……こんなところで同業のひとと出くわすなんて、世間は狭いわねぇ」
頭を掻いて笑う理沙だが、エメにしてみれば、この場の理沙はあくまでもお客様であり、そして理沙とセレスティアにはお姫様のような心地良い気分を味わって欲しいという思いもあった。
「全くです……ですが今夜は、理沙お姫様にはくつろぎの時間を味わって頂くのが、私共の最大の喜びで御座います。どうぞお心安らかに、楽しんでいってくださいませ」
エメの流れるような口上は、本人にしてみれば極自然のうちに、口をついて出てくる言葉の連続であるが、しかしレギオンやベファーナにとっては、まさにプロの為せる技であると、内心で驚愕の思いを抱かせるには十分であった。
(絶対に、真似出来んな……)
元々レギオンは、地下闘技場のプロレスに身を投じる腹積もりだったのだが、何かの間違いで、バラーハウス側に放り込まれてしまった。
しかし、与えられた仕事は全力を持って完遂する、というのがレギオンの身上でもある。
その為には、ホストとしては一日の長があるエメから、様々な技術や心構えを目で見て学ぶという姿勢を全面に押し出し、その一挙手一投足から目を離すまいと必死になっていた。
(成る程……ただ相手を観察して、長所を褒めれば良いという訳ではないのか……例え長所であっても、本人が気に入っているかどうかは、別問題、だからな……)
例えばこの場合、理沙は一般的な男性をも凌駕する程の長身である。
この背の高さが長所といえば長所だが、しかし背の高さを褒めれば良いという訳ではない。もしかしたら、本人的には褒められても嬉しくないという可能性すらある。
だがエメの場合、理沙の妙に可愛げのある仕草や態度に褒めるべきポイントを見出し、そこを徹底的に攻めていた。
理沙とて年頃の女性であるし、矢張り何といっても、ちやほやされるのが嬉しい。エメは理沙の心理を咄嗟に見抜き、王子様スタイルで優しさと気遣いを理沙にぶつけることで、少女めいた反応を引き出していた。
「理沙お姫様のそんなところが、もう愛らしくて堪りませんね」
「やだぁもぉ、エメさんったらぁ縲怐v
エメからの歯の浮くような台詞でも、理沙は照れ臭そうに笑って身をよじるようにして悶えている。こういうシチュエーションが、本人には最高に嬉しいのだろう。
一方、もともとがホール担当のベファーナが、用意されていた料理や飲み物を運びつつ、セレスティアの会話相手として余念がない。
「ホール担当なのに、ホストの役割もなさっておいでですの?」
「いやぁ、まぁ、仕事ですから」
妙にさばさばした態度で、変にがっつかない態度がセレスティアの安心感を引き出しているらしい。
エメが押しまくって女性の心をとろけさせるのが身上であるのなら、ベファーナは逆に引くことで安心感と居心地の良さを提供している。
いずれの技術も、レギオンは未修得であり、ホストという仕事を完遂するに当たって、是非とも参考にしておかねばならないところであった。
(よし……必ず、結果を出してみせる……)
妙に固い決意を胸中に抱いたレギオンだが、そもそもここはそういう堅苦しいところではない。彼の場合、まずそこから理解する必要があった。
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