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●親子で夜桜

 ライトアップされた桜が目に入るや、朱桜 雨泉(すおう・めい)の目は輝いた。わぁ、と息を呑む。昼間に見る姿とはまた趣が異なり、夜の桜はなんとも艶やかで、漂う香りも大人びているように彼女は感じた。
「夜だけでもお花見に来れて良かったです」
 雨泉が振り返ると、やや遅れて兄の翠門 静玖(みかな・しずひさ)が、もっと距離を置いて父の風羽 斐(かざはね・あやる)が来るのが見えた。
「遅いぞオッサン、しゃきしゃき歩けよ」
 静玖がいつものように、父に憎まれ口を叩いている。対する斐といえば、
「『オッサン』は体力がないものなのだよ……それに、俺は日中、仕事だったということも忘れないでほしいな」
 眼鏡に無精髭、白衣といういつもの姿で飄々と答えた。
「それを言うなら俺たちだって、今日が重要なレポートの提出日だったんだ。通常営業のオッサンと、重要イベント日だった俺たちとは位置づけが違うだろ」
「……いやはや、俺にとって本日の重要イベントはこれからだよ。静玖と雨泉と一緒に花見だ。楽しみにしていたんだぞ」
「な、なに言ってやがるっ、このオッサンは!」
 予想外の父の言葉に、静玖は言葉を失って真横を向いた。どうも照れているようだ。
 静玖の反応は期待通りだったので、一本とってやったとばかりに斐はニヤリと笑んでいた。この父子、まだ父の方が一枚も二枚も上手のようである。そんな兄と父を見て、雨泉はくすくすと笑うのであった。
 桜の一つを選ぶとその下にレジャーシートを広げ、三人は座った。
「夜の花見というのもまた風情があって良いな」
 一息ついて斐は言った。静玖と雨泉の二人を交互に見て、
「そういえば、お前さんたちと再会したのも花盛りの時期だったかな……。俺が海京に派遣されることになって、助手が欲しいと申請したのが再会のきっかけだったか」
 再会は遠い昔のようにも、つい昨日のことのようにも思える。ちょうどそれは、今日のように暖かい春の日だった。
 斐の申請が認められ、学会がパートナーとして連れてきたのが実の子である二人……すなわち静玖と雨泉だったのである。
「そりゃもう、びっくりしたねぇ」
 あんなに驚いたことは、経験豊かな斐の人生においても例がない。
「また何言ってるんだ……ったく」
 じろりと斐を一瞥して、静玖は割り箸をパキッと割った。
「びっくりしたって? オッサンと同じ職場に入れたことがか?」
 でも、と雨泉は言う。
「私はびっくりしました。まさかお父様の助手として、同じ職場に入ることができるなんて思っていなかったので……!」
「ほら、雨泉もびっくりしたと言ってるぞ。すごい偶然じゃないか」
 偶然じゃねぇ、と静玖はぼそりと言った。
「俺もメイも、ただ勉強に明け暮れてたわけじゃねぇよ。ちゃんとした目的があったんだよ……」
「なんだ含みのある言い方だな。目的?」
「あ? 言うわけねぇだろうが! この話はおしまい! 花見するぞ、花見!」
 怒ったように静玖は言い捨て、大きないなり寿司を口に放り込んで、これ以上の回答を拒否したのである。
 オッサンと同じ研究者になりたかっただなんて――静玖はブツブツと、誰にも聞こえないように小声で言った――誰が言うか!
「ん? どうした、静玖。もう花見ならしているが……楽しめということか?」
 斐はきょとんとするも雨泉は以心伝心、静玖の言いたいことを理解していた。
(「意地っ張りですね、お兄様は」)
 でもそれが兄らしくて好きだ。彼が本当は、父親と一緒にいることができて幸せなのを彼女は知っている。
 もちろん、その幸せを雨泉も噛みしめていた。
(「お父様がいなかったころ……それは今思えば、辛い冬のようでした」)
 だから今、親子三人こうして共に楽しい時を過ごせるようになったのは、雨泉にとって春の始まりと言ってよかった。
 斐はぽりぽりと頬をかきつつ片手で水筒を持ちあげた。
「夜の花見に酒は欠かせんな」
 というわけでその中身はラム酒だという。蓋を開けたとたん、甘くされど力強い酒の香りが周囲に漂いはじめた。
「オッサン、酒飲むのかよ」
「そうだ、大人だからな。お前さんたち、こっちを飲むんじゃないぞ」
「頼まれても飲まねぇよ! じゃあ、俺たちはこっち飲むからな」
 と、おもむろに静玖が開けた水筒を斐はよく見ていなかった。
 だからそれが実は清酒入りの水筒だということに気づいたのは、静玖がここから一杯、ぐっと呷ってからのことだった。
「しまった。飲んだか……まあ、飲めない年齢ではないからいいとするか……」
(「やれやれ、息子の一挙一動に気を配らねばならぬとは……これではまるで父親だな」)
 苦笑してしまった。実際父親なのだけれど、やはりまだ、どうも『父親』という役割には慣れないように斐は思うのである。
 なお、景気よく一杯飲んだばかりの静玖は目が据わって熱い息を吐き出している。
「くそー、こいつも酒じゃねえか。オッサン、整理をちゃんとしないからこういうことになるんだ……大体、オッサンはラボが汚いんだよ、掃除するこっちの身にもなれよな……」
 後半になるに従い語調が乱れて、もうあとはぶつぶつ言うだけになってしまう。あまり酒の強い体質ではないようだ。加えて、
「ふふふ」
 妙な笑い声を聞いて斐はハッとなる。
「お兄様、これお父様の……ふふふ、お・さ・け、ですよね? ふふ」
 そう、いつの間にやら半杯ほど空けて、雨泉もすっかり笑い上戸になっているのだった。
「お兄様ったらすっかり酔っぱらってしまって……うふふ」
「オッサンのせいでいつもカビ掃除が大変で……まったく……」
 ひたすら笑う我が娘、ひたすら日頃の不平をつぶやく我が息子、そんな二人に挟まれて、斐は困って天を仰いだ。
「二人とも酒弱すぎだ……これはアイツ似だな……」