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リアクション
『紫煙と共に過ぎ行く一日』
●イルミンスール魔法学校:研究棟
イルミンスール魔法学校研究棟。魔術を始め、各種の研究に勤しむ者達の切磋琢磨の場……と言えば聞こえはいいが、実際の所は一定の審査基準をクリアすれば誰でも一室を持てるため、中には代表者を立てて部室的な感覚で用いたり、ごく私的に利用する者もいた。
(申請が通って、こうして新しい部屋も手に入って。……だのにもう、前の部屋と同じ雰囲気になっちまったねぇ)
部屋の隅に置かれた机で、書物と睨めっこしていたノア・レイユェイ(のあ・れいゆぇい)が顔を上げて、ぐるりと視界を回す。壁沿いに本棚が並び、中央にはテーブルとソファが置かれ、そして間の空間を埋めるようにして、何やらよく分からない機械片が山積みになっていた。
ノアがこの部屋に引っ越して来てからまだ数日しか経っていないが、既に彼女のパートナーの私物が置かれ、そして彼らのたまり場にもなっていたのだった。
「入る」
そのパートナーの一人、ニクラス・エアデマトカ(にくらす・えあでまとか)が扉を開け、傍の壁に寄り掛かり、葉巻に火を点ける。ノアはノアでごく当然にニクラスを受け入れると、再び書物に目を落とす。
しばらくの間、ニクラスが煙を吐き出す呼吸の音と、ノアがページをめくる音だけが響く。
「……お主は知っているのか。權兵衛の子孫がイルミンにいる事を」
「ほう、それはそれは。血は争えないってか」
「そして、そのパートナーは」
「知らんよそんな事は。自分には関係ない事さね」
ニクラスのサングラス越しの瞳が、ノアの背中を見つめる。吐いた言葉がただ真実ではないように思えて、ニクラスは言葉を続ける。
「知らないふりをし続けるつもりか? 本当は若干感付いているのではないのか?」
「さぁてね。実際に会ったわけでもない奴の事をとやかく喋るつもりは毛頭無いんでね」
どうやら今の所は、この件に関しては話を続ける気はないようであった。それでもなお、ニクラスが何か口にしようとした所で、しかしコンコン、と扉が叩かれる。一つ咳払いをしたニクラスが扉を開けてやると、琥珀色の液体が入った瓶を片手に、伊礼 權兵衛(いらい・ひょうのえ)がもう片方の手を挙げて挨拶する。
「酒を持ってきたぞ」
「おや……何だい、伊礼のじーさん、また日本酒かい?
「今日は洋酒じゃよ。良いスコッチが手に入ってのう」
そう言うと、權兵衛は中央のソファに腰を下ろし、テーブルに置かれていた水たばこを吹かし始める。ここを訪れるパートナーたちのために、既に机は種々の愛用たばこが用意されていたのだった。
「伊礼のじーさんまで来ちゃ、研究にならないよ。今日はヤメだね」
「何を言う、普段から研究するつもりなんてないんじゃろ」
「そんなことはないさね。一応審査はあるんさ、それに見合った成果は出さないとね」
權兵衛と話しながら、ノアがソファに腰掛けると煙管を取り出し、吸い始める。ニクラスはただ黙ってソファに座り、權兵衛の持ってきたスコッチを注いで口に含む。それぞれが思い思いにしつつ、今日はいい天気だの、こんなことがあっただのと他愛もない話を交わす。
「おぅ、やっぱりおぬしらココにおったのか」
今日の最後の来客は、平賀 源内(ひらが・げんない)であった。何やら珍妙な菓子類と、やはり酒を持ち込んだ源内は空けられた席にどっかと腰を下ろし、パイプを咥えると辺りをぐるりと見渡し、威勢のいい声を発する。
「いやー、しかし立派な部屋じゃのう」
「源内……五月蝿いんだよもうちょっと小さな声で喋れないのかい、お前さんは」
「そげな事言われてものう、これが性分じゃからな!」
「まぁ、こういうのも良いじゃろうて」
そうじゃろうそうじゃろう、とバンバン、と權兵衛の背中を叩きながら、スコッチを一息に飲み干す源内。彼一人で部屋の雰囲気がガラリと変わったように思えた。
「まぁ……確かにそうかもねぇ。こういうのもまぁ、悪くはないよ」
煙管から紫煙をくゆらせ、ノアがふっ、と呟く。
『飲み仲間』と同じ時間を共有出来ることは、十分幸せに含められることだろう。
「うぉい、もっと酒持ってこぉい……むにゃむにゃ」
「…………」
しばらく飲み明かした頃には、源内はソファにだらしなく寝転がって、ニクラスは腕を組んだ姿勢のままで眠っていた。
「ふぉっふぉっ、若いのう」
そして權兵衛だけが、変わらぬ表情のまま佇んでいた。
「……なぁ、じーさんや」
ノアが權兵衛を呼んだ所で、部屋に沈黙が降りる。呼んだはいいものの、何を尋ねたものか分からない。そのうち何で權兵衛を呼んだのかすら曖昧になってきた。
(……この程度で酔っ払うなんて、酷いものだねぇ)
別に酔ってはいなかったが、適当に酔いのせいということにして、ノアが煙管を手にする。權兵衛もそれ以上ノアからの言葉がないと悟り、水たばこを吹かす。目だけをノアに向けていたニクラスは、静かに寝たふりを続ける。
こうして、一日が過ぎていく――。