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震える森:E.V.H.

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【二 第四師団の黒豹】

 相沢 洋(あいざわ・ひろし)は、自らの指揮下に入った若い兵達の面を、ひとりずつ丹念に眺めていった。
 いずれも精悍な顔つきを見せてはいるが、矢張り経験不足は否めないらしく、どこか緊張した色合いがそこかしこに感じ取れる。
(かつてのレオンも、こんな感じであったか)
 まだ数年とも経っていないのに、レオンが教導団に入ってきたばかりの頃を遠い昔の出来事のように思い出して、何となく頬が緩んでしまう。
(そのあいつが、今や中尉殿とはね。こちとら、特務訓練で昇進なんて気にしていないから、少尉のままだったりするがな。訓練で、程よくしごいてやったのがつい昨日のように思い出される)
 配慮の浅い者であれば、レオンを訓練してやったのは自分だと自慢話のひとつでもするところであろうが、軍隊に於いては公衆の面前での上官を貶める発言は厳罰の対象となる。
 教導団の規律の厳しさをよく知っている洋は、己の首を絞めるような台詞はひと言も口にしない。
 それよりも、今は軍人としての仕事である。
 パートナーの乃木坂 みと(のぎさか・みと)が手渡してきた作戦指揮用ファイルを開きながら、よく通る声で整列する兵達に指示を出し始めた。
「作戦は非常に簡単だ……小型飛行艇を使う。非戦防護空域については、上空を突破しなければいい。要は、陸上すれすれでホバー推進すればいいというだけの話だ。飛行となる高度まで上がらなければ、ザンスカールとの協定にはなるまい」
「可能な限り、低く低く、です。下手に高度を上げて協定違反ともなれば、軍法会議ものですよ」
 みとが合いの手を打つような形で、洋の説明に補足を付け加えた。
 実のところ、みと自身も洋の作戦には若干の強引さを感じない訳でもなかったが、共に戦う以上は自身の考えなどは懐の奥底に仕舞い込み、徹底して従う姿勢を見せなければならない。
 軍隊に於いてはとにかく全員が同じ方向に視線を据えて行動することが大事であり、下手な異論を挟めば、その時点で部隊そのものが瓦解しかねないのである。
 但し今回は非常事態ということで、ベルゲンシュタットジャングル内での森林損壊については、許可を取り付けてあるという話であった。
「そういう訳だから、小型飛空艇の進行の邪魔となる樹木は、ある程度排除して構わない。しかし可能な限り、無駄な弾薬は使わないように。移動する為に弾薬を使い切ってしまい、肝心な時に弾切れでした、なんて話になったら末代までの笑いものになるぞ」
 そこで、ひと通りの作戦説明は終了した。
 洋の号令を受けて、各兵はそれぞれが与えられた小型飛空艇の森林戦装備への換装に取り掛かる。
 みと以外の洋のパートナー達である相沢 洋孝(あいざわ・ひろたか)エリス・フレイムハート(えりす・ふれいむはーと)も、その例外ではなかった。
「小型飛行艇をホバー運用する……確か、対艦攻撃用大型魚雷搭載機の登場の時も、こういう地上滑空でレーダーに捉らないようにする戦術あったよなあ」
 小型飛空艇アルバトロスに積み込めるだけの火力を次々に装填しながら、洋孝はふと、そんなことを思い出してみた。
 今回は相手が生身の人間だから若干意味合いは異なるものの、小部隊に対する大部隊を大艦巨砲的な存在として考えれば、この発想もあながち間違いではない。
 傍らで小型飛空艇ヴォルケーノの準備に余念が無いエリスはというと、何故か戦争映画での一シーンを思い出していた。
「密林の中で空から爆撃を受ける……ワーグナーでも奏でたいですね。以上」
 洋孝には正直なところ、エリスの発言の真意、或いはその意味がよく分からない。
 が、非戦防護空域を抜けたところで低上空からの爆撃というものが、如何に危険な行為であるかを自嘲気味に表現しているのだとすれば、何となく理解出来ないこともない。
 密林で樹上に飛び出るということは、それだけで格好の的になることでもあるのだ。
 或いは洋は、自分達が目立つ位置で標的となることによって、レオン達を救おうとしているのだろうか。
 洋孝がそういった内容の疑問などをあれやこれやと考えていると、不意にみとが、小さく驚きの声を漏らした為に、思わず整備の手を止めてしまった。
「ほう、これはこれは……」
 洋もつい、作戦指揮用ファイルに落としていた視線をわざわざ水平に戻し、ある一団の姿を凝視した。
「第四師団の黒豹が、こんな僻地の戦線にご登場とはね」
 驚いているのか、呆れているのか――いや、その両方の感情が同時に湧き起っているのだろう。
 ほんの僅かではあったが、洋の口元に苦笑めいた笑みが浮かんだ。

 第四師団の黒豹大隊から、小隊規模の人数が、パニッシュ・コープス対策部局の傘下に、ごく一時的ながら加わるということになった。
 しかも、大隊長自らが精兵を率いての参戦だというから、スタークス少佐も驚きを隠せない様子だった。
 そんなスタークス少佐が、部隊が作戦本部テント前の広場に整列したところで、一同の前に姿を現す。
 これに対して黒乃 音子(くろの・ねこ)大尉が一同を代表して挨拶の為に、一歩進み出てきた。
「黒豹大隊より特殊編成小隊、参着しました」
 一応、公式の場である。
 音子は直立不動の姿勢でスタークス少佐と敬礼を交わしつつ、表情を引き締めて口上を述べた。
 スタークス少佐は返礼しながら、音子の部下達を興味深そうに眺めている。
「第四師団は、精強な部隊と聞いている。諸君の参戦を心強く思う」
 音子とスタークス少佐の挨拶が終わった見るや、早速ながら部隊の参謀を務めるジャンヌ・ド・ヴァロア(じゃんぬ・どばろあ)少尉が作戦指揮用ファイルを片手に、スタークス少佐の前へと進み出てきた。
「恐れながら少佐殿、最新の戦況データをご提供頂きたいのですが」
「うむ、これだ」
 すっかり小間使いと化した感のある淵が、スタークス少佐の傍らから一冊分のデータファイルを差し出してくるのを、ジャンヌは妙な顔つきで受け取った。
 今回の作戦に参加する直前に、スタークス少佐の人柄や経歴について簡単に調べておいたジャンヌだが、スタークス少佐が個人的な秘書を用いているという話は、どこにも出ていなかった筈なのである。
 が、この場ではどうでも良い詮索でもある為、あまり気にしないことにした。
 ジャンヌが戦況データを受け取ると、戦術予報士として機能する金 麦子(きん・むぎこ)アウグスト・ロストプーチン(あうぐすと・ろすとぷーちん)の両名が、ジャンヌの左右からぬっと顔を差し出すような格好で覗き込んできた。
「あら……敵さんは随分と大胆に展開なさってますのね。こちらが、戦術爆撃機を飛ばすことが出来ないのをすっかり見越していらっしゃるご様子」
「普通なら、こんな乱暴な配置は出来ないよな。舐められたもんだよ」
 アウグストと麦子の感想を、スタークス少佐は苦笑を浮かべて聞いている。と同時に、若干驚きの念をその面の中に交えている様子でもあった。
「流石に、分析が早いな。諸君らのいう通り、こちらがザンスカール家との協定で自由に動けないのを、すっかり見透かされている。それだけに、諸君らのような精強な部隊の参戦は特に有り難い訳だが」
 別段、スタークス少佐は黒豹大隊(いや、今回は特別に小隊編成だから、黒豹小隊と呼ぶべきか)に媚びている訳でも何でもなく、本心からそのような感想を抱いている様子であった。
 音子達としても頼りにされている以上、これを意気に感じない訳にはいかない。
「聞けば、敵は屍躁菌なる細菌兵器を自らに投与することでドーピングに近しい効果を得ているとのこと……友軍にはそれら細菌兵器の影響は、ないのでありましょうか?」
 衛生担当兵として登録されているフランソワ・ド・グラス(ふらんそわ・どぐらす)のこの疑問は、尤もな内容であるといって良い。
 敵方には有益な細菌も、友軍にとっては害悪となる可能性があるのであれば、その対処法も考えておかねばならないのである。
 だがスタークス少佐は一瞬眉間に皺を寄せただけで、フランソワが心配しているような状況については皆無であると、極々簡単に応じた。
「S3型の屍躁菌は基本的に、経口感染か投薬感染以外の感染経路はない。S2型は赤涙鬼化という厄介な空気感染経路もあったのだがな」
 しかし今回は、そこまで考える必要はないのだという。
 フランソワとしては目下のところ、それだけ聞ければ十分であった。後は、現場での衛生兵任務に全力を注ぐだけである。
「前線への移動には、森林戦仕様のハンヴィーを使うと良い。あれは車両登録だから、戦術兵器としての協定違反にはならない」
「それでは、有り難く拝借致します」
 音子は車両待機場に並んでいる、迷彩が施された数台のハンヴィーをちらりと一瞥した。
 確かに速度は申し分なさそうではあったが、幾らか装甲を犠牲にしているようにも思えてしまい、内心では若干の不安がないこともなかった。

 スタークス少佐との一連のやり取りを終えてから、黒豹小隊は部隊内ブリーフィングへと入った。
「敵さんは、コントラクターに匹敵するとまではいかないものの、肉迫する程の身体能力と強靭性を具えるに至ったということですが……狙撃手としては、少々頭の痛い話ではありますな」
 ピエール・アンドレ・ド・シュフラン(ぴえーるあんどれ・どしゅふらん)が渋い表情で、戦況データファイルにじっと視線を落としている。
 補助火力担当のソフィー・ベールクト(そふぃー・べーるくと)も、ピエール程ではないものの、矢張り多少のやり辛さを感じている様子であった。
「砲火を交えることなく屈服させることが今回の方針ですが……早くも頓挫しそうな雰囲気ですね」
「う〜ん……まぁ駄目なら駄目で、ドンパチするしかないんだろうけど」
 ソフィーのぼやきに応じながらも、音子は現場の地勢図をじっと睨みつけている。
 こちらは小部隊ならではの利点――即ち、機動性と情報伝達速度での優位を最大限に利用して引っ掻き回してやろうという腹積もりだったのだが、敵が大部隊ながらも、レイビーズS3なる毒素でのドーピング効果によって、あらゆる点で通常の戦闘部隊を遥かに凌駕する実力を持つに至っているという状況下では、果たしてどこまで通用するものかどうか。
 少なくとも、ピエールの狙撃が劇的な効力を発揮する可能性については、随分と割り引いて考えなければならなくなってきている。
「軍隊ごっこの残党如きが……などと高をくくっていると、手痛いしっぺ返しを食う、という訳でありますか……」
 ジャンヌは先程から、渋い表情を浮かべっ放しである。
 正直なところ、敵を甘く見過ぎていたのは否定出来なかった。
「この資料によれば、S3型の屍躁菌感染者は電波的な手段で統率されているそうですから、指揮官クラスを仕留めれば何とかなるという話でもありますわね」
 アウグストの分析は、大体正しい。
 問題は、その指揮官クラスなる存在をどのように発見するか、であったが。
「でも最低限、第七中隊と接敵している三個中隊規模の敵兵力の中には必ずひとり、その指揮官クラスってのは居る筈だから……こっちが走り回って、ひたすら探し出すしかないかも」
 麦子は半ば冗談でいったつもりだったが、しかし音子は真剣に検討を始めているようであった。
 即ち、機動性を前面に押し出すのであれば、走り回っての指揮官捜索を徹底するのも、ひとつの手だと考えていたのである。
「まぁ結局、正面からぶつかるんじゃなく、ゲリラ戦になるんだしね。とにかく指揮系統さえ乱れさせれば良いんだから、相手が疲弊しようがしまいが、出足を鈍らせることを最大の目的とするしかないね」
「心理戦が通用しないっぽいのは、かなり痛いけどね」
 音子の結論に対し、麦子は尚もぼやき続ける。
 と、その時、臨時指令所の一角から小型飛空艇で編成された一団が、一斉に機晶エンジンを震わせて移動を開始した。
 洋が率いる、小型飛空艇分隊である。
「もう一度念を押すぞ! 非戦防護空域では高度を決して無視するな! 教導団とザンスカールの約束は、必ず護る! 邪魔な木は迷わず薙ぎ払え! 良いな!」
 機晶エンジンの連なる轟音に掻き消されまいと、洋が半ば叫ぶような形で部下達に指示を送っている。
 その様子を、ジャンヌとアウグストが幾分、複雑そうな表情で眺めていた。
 ふたりとも空挺部隊出身だけに、森林戦での低空爆撃が如何に危険なものであるのかを、誰よりもよく知っていたのである。
「敵を焼き尽くす前に、撃墜されなければ良いのでありますが……」
「ナパーム弾で焼き払うのならともかく、そうでない場合は、森林戦では樹々に隠れている側の方が有利ですからね」
 しかも、パニッシュ・コープス側は熱源追尾式の対空ロケットランチャーも装備しているという情報が飛び込んできている。
 余程上手く立ち回らなければ、格好の標的となって片っ端から撃墜されるのが関の山だろう。
「彼らに、ミイラ取りがミイラになったという結末を迎えさせない為にも……こっちの行動がより重要となってくるね」
 音子の言葉には、覚悟を超えた責任感が滲み出ていた。