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リアクション
『アンニュイ』な気分だった。
雨は色々なものを思い出させる。叶わなかった初恋。ほろ苦い思い出。
きっと向こうに座る弟分の壮太も何か思い出していたのだろう。
「(今は随分元気そうだけど)」
佐々良 縁(ささら・よすが)は小さくため息のような吐息を佐々良 皐月(ささら・さつき)の上に漏らして、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
「ちょ、ちょっと縁ー。
恥ずかしいよー……」
膝の上からは焦れる声が上がるが、縁の瞳は隣の窓の外を見たまま動かない。
「(……川とか――大丈夫かねぇ?)」
本当に雨は色々と思い出させてくる。
このパラミタに縁がやってきて、初めての仕事は水没した別キャンパスの対処だった。
皐月と良く似た初恋の君は、水害で亡くなった。
こういう天気は縁をそわそわと、落ち着きの無い気持ちにさせるのだ。
甘える様にミルクのように白く柔らかい髪に頬を寄せていると、珍しく彼女が抱きしめ返してくれる。
「もー、しょうがないなぁ」
口ではそう言いながらも、背中を撫でて来る指先が優しいのは、きっと皐月が縁の心の奥を見てくれているからだろう。
長い髪を解こうと指先を差し入れると、タイミング悪くお腹が鳴って二人は小さく笑い出す。
「さっつきー、お腹すいたのでゲンさんとこからピロシキ強奪してきてください。
お腹ぺっこりなのー」
鬱陶しい戯れ方も、今日は何も言われない。
縁は冷たい窓に手を触れて、そっと目を閉じた。
*
「あれぇ、寝ちゃった?」
「縁、歌菜さんと羽純さんが着てくれたよ」
皐月の声と手に揺すられて目を開けると、まだはっきりとしない視界に友人二人の顔が映る。
「カナちゃん?」
「ご一緒させてくださいな♪」
皐月に席を勧められて、歌菜は羽純と向かいの席に座ると小さな袋を縁に差し出した。
「はい、カガチ先輩のピロシキ♪
まだあったかいよ」
曖昧に礼を述べて受け取ると、皐月が「そこで会ったんだ」と頷いた。
「……何だか懐かしい味で美味いな」
(六本足羊の)ピロシキに羽純は満足しているようだが、皐月は「でもこれじゃ半端にお腹が減ってきそう」と首を振る。
「他にも何か頼もう、何が良い?
今はこれだからな。次は……、俺は甘い物が食べたい。
飲み物はあっさりしたのがいいな」
「私はどうしようかな……。
クリーム系、チョコレート系……うーん……、
そっちは決まった?」
考える事自体を楽しんでいるような無邪気な笑顔を向けて来る歌菜に、縁は反射的に笑顔を返す。
「……閉じ込められた時は少々うんざりしたが……
こんな日もいいな。
のんびりと過ごし、美味しいものを食べる。
これはこれで贅沢だ」
向こう側から聞こえて来る弟分たちの賑やかな声に、友人の優しい笑顔。
「そうだにゃー。
……コーヒー、紅茶、お茶……
あ。ピロシキと言えばロシアのお茶ってイチゴジャム使うんだっけ――?」
『余計な事』を考えずに、縁は雨の一日を穏やかに過ごす事にした。
* * *
「(あの『お兄ちゃん』がココで瀬島さんと遊んでいるということは、ジゼルさんはココにはいない――と)」
志位 大地(しい・だいち)は残念そうに息を吐いて視線をさまよわせた。
球技大会の後学園に閉じ込められて、これも機会だと友人の壮太と真に連絡を取ろうとしたはいいが何故か連絡がつかなかった。
状況はこの食堂まで辿り着いて何となく察する事が出来たが、さてもう一人の友人。
というか弄り倒したい相手――ジゼルで遊ぼう……じゃなかったジゼルと遊ぼうと思っていたのに、彼女も捕まらない。
「(まあ元々猫みたいな子だから、そう期待はしてなかったんですけど)」
諦めて壮太たちの座るソファの後ろの席へつこうとした時だ。
大地の背中に誰かがぶつかってきた。
「ジゼルさん? じゃなかった――」
反射的に名前が出てしまったのはジゼルを探していたからだろうか。それとも何か似た空気を感じ取ったからだろうか。兎に角振り向いた先に立っていたのはジゼルではなく――
「ああ、もしかしてターニャさんですね?」
首を傾げた彼女の手には、厳竜斎が配っていた正体不明の肉が入ったピロシキに、もう片方の手には蒸かした赤い野菜が乗った皿がある。これはもう『もしかしなくても』先程廊下で立ち話をしたトゥリンの探していた女性だろう。
「ああ! あなたは『どえすめがね』の大地さんですね!」
「その情報、誰からですか?」
「ジゼルさんからであります!」
「――刻みました」
頷いている間に懐へよってきたタチヤーナは、大地の持つ紙袋の匂いに鼻をひくつかせている。
「これ、ピロシュキーですね!? それもチーズの!!」
「ああ、ええ。
どういう訳か『あのおじいさん』と被ってしまったんですが……。渡そうとしていた友人も遊んでいるみたいですし、どうしたものかと――」
話しの途中から大きな輝く瞳で見つめられている事には気がついていた。
「食べたいんですか?」
「はい!!」
ああ、この目――、駄目だ……この目は……。
「じゃあ俺と少し――、遊びませんか?」
相手が相手なら腰が砕けてしまいそうなゾクリとする声で囁かれて、しかしタチヤーナは幼稚園生のように元気よく手を挙げた。
「はい!!
*
「今から出すクイズに正解できたら食べていいです」
大地の出した遊びの提案はそんな単純なものだった。
テーブルの上のチーズのピロシキが入った袋に目を奪われているタチヤーナに目を細めて、大地は適当な問題を出し始める。
「第一問、『サハロフの仲良し五人兄弟、アーニャの兄妹は上からアリョーシャ、イーリャ、ウラジミール、エラ。さて、最後の一人の名前は何でしょうか』」
「オーリャ……辺りでしょうか。アイウエと来てますからね。
最後はオ! どうですか!?」
鼻息荒く拳を作るタチヤーナに微笑んで、大地は首を振った。
「外れです。正解は『アーニャ』」
タチヤーナは目を白黒させている。
「始めに言いましたよ。五人だと」
「そ、そうでした。五人だから残りは……」
「そう、空いた枠に『アーニャ』が入るんですね」
恥ずかしそうに顔を真っ赤にするタチヤーナに眼鏡の奥の目を益々細めながら、大地は次の問題へうつった。
「気を落とさないで、さあ二問目ですよ。
『とある世界会議、停電になった瞬間「電気をつけろ!」と誰かが言いました。
それは何処の国の人でしょうか』」
「え……えと……」
「この問題に答えたら3つ食べていいです」
「ひ、ヒントを下さい!!」
組み合わせた両手の向こうからキラキラ光る大きな青い目がこちらをみている。大地はテーブルの上のミネラルウォーターのボトルを弄びながら逡巡していた。
「ヒントですか? そうですね……。
純粋に「電気を付けて欲しい」そう思った国を考えてみて下さい」
「電気を付けたい国――暗い、国という事なのでありますか? ヨーロッパはどこもアジアに比べて暗いですよね。イギリス……イタリア、ドイツ……うう……何処だろう……」
「残念、時間切れです!」
「そんなぁ!」
「正解は日本」
「何でですか!? 日本はとっても電気が明るい国じゃないですか!」
「『電気をつけろ』は日本語だからですよ」
ケロリと答える大地にタチヤーナは「うわあああん!」と叫びながら黒檀の髪を振り乱してテーブルに顔を伏せた。
サイドにまとめられたポニーテールを上へ持ち上げて遊びながら、大地は彼女の復活を待っている。
「くやしいです、ひどいです、でもチーズのピロシュキーたべたいです!!」
「素直なのは良い事です。どうしますか? 次の問題へいきますか?」
「はひ!!」
何故ここまで食べ物に意地になれるのか分からないが、真っ赤に腫れた目に見つめられて大地は「じゃあこの辺で最終問題といきましょうか」と言い放つ。
タチヤーナは今度こそ確実に正解を導くべく真っ直ぐに姿勢を正した。
「『木の上に鴨が5羽居ました。猟師が銃で1羽仕留めました。
さて、木に残っているのは何羽でしょうか』」
「あれぇ? そんな簡単な問題を出していいんですか?」
直前とは打って変わって明らかに調子こいた、にまにまの笑顔を見せるタチヤーナに、大地は微笑んでどうぞと片手を出した。
「チェトゥイーリェ! 4羽です!!」
自信満々に答えたタチヤーナの口元に、大地はピロシキを持って行って、彼女がかぶりつこうとした瞬間――
さっと上へ持ち上げた。
「ひゃんれれすかあ!?」
涙声で歯と思いきり打ち合せてしまった舌を出しているタチヤーナの後ろのソファから、平坦な声が飛んで来た。
「ゼロだ」
答えを出したのは壮太にホールドを掛けている最中のアレクだった。
「答えはゼロ。銃声で鴨は飛んでいったから」
「――正解ですね」
「バカだな、引っ掛け問題だよターネチカ。お前大地にからかわれてるんだ」
「そんな――! 私を騙したんですね! 乙女心を弄んだんですね!
酷いです……大地さんの……大地さんのバカあああああ!!」
走り去るタチヤーナに堪えきれなくなった笑いを吐いていると、壮太の呆れた視線が落ちて来る。
「ホントにドえす眼鏡じゃん……」
目の端に滲んだ涙を拭いながら、大地は立ち上がってアレクに紙袋を押し付けた。
「ほら。正解者に賞品ですよ。
自分で食べても良いですし、『部下にあげて』も構いませんから」