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◆休憩室にて
 綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)が休憩室のベッドで目を覚ますと、十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)がさゆみのうめき声に気が付いて視線を投げる。
「ここは……病院よね? なんで病室じゃなくて休憩室に居るのかしら?」
「俺だって訳が判んねぇよ。こんな血まみれの寝間着姿でこの部屋に居たんだからよ」
 休憩室に置いてあるキャスター付きの椅子に座り、背もたれに体重を掛けて【苦くてむせるコーヒー】が入ったファンシーなマグカップに口を付けながら宵一は、さゆみの呟いた言葉に応える。
「ここにはマグカップしか無いみたいですね」
 入口の扉に近い棚を物色していた霧島 春美(きりしま・はるみ)は、さゆみ達に振り返るとそう言いながらため息を一つついた。
「アルコール類があれば持って行きたかったんですけど……」
「それは……休憩室にあったら大変かと思いますよ」
 晴美の後ろから穂高 あずみがやんわりとした口調でぼけるが、誰の突っ込みは無かった。
 しばしの静寂が休憩室を支配する。その静寂を立ち切ったのはあずみの一言だった。
「……ここに居ても誰かが助けに来てくれるとは思えません」
「たしかに。敵というか、さっきの謎の男もまたここにやってくるか判らない状態だしな」
(そうね。下手に動かずに朝が来るまでじっと待っていれば……)
 あずみと宵一が話しているのを黙って聞きながら、さゆみはこれからどうしたらいいかを考える。
「けど……こちらから動くとかえって敵に場所がばれてしまうかもしれない」
 まったく同じ事を胸中で考えていたさゆみは、びっくりして晴美を見つめる。
「そう顔に書いてあるよ」
 さゆみにウィンクをした晴美の態度に、さゆみは耳が赤くなり少しうつむいた。
「……どうやら多少のスキルは使えるようですわ。この力を使ってこの病院から一刻も早く逃げるしかないみたいですわね」
 アデリーヌは、さゆみ達が話している間に【光術】が使えるか試していたために無言だったようだ。
「じゃあ、ここから脱出するぞ」
 そう言って宵一は腕を上げたのだった。

 引き戸になっている休憩室のドアを開けると、宵一は【殺気看破】と【ダークビジョン】を使い廊下を見つめ、
「どうやらまだ敵はここら辺には居ないようだな」
 何の気配もしない静まり返った暗い廊下に、無意識に唾を飲み込む。
「もしかしたら罠があるかもしれない。よく観察しながら進まないと駄目ですね」
「観察していたら敵が来た時危ないんじゃないかと思うんですが」
 あずみの言葉に、晴美は軽い舌打ちを三回ほどする。
「判っていないな、ワトソンくん。晴美の他の人が居るじゃないですか」
「ひどいです。晴美さん。私達を探知機代わりにするなんて!」
「いや、あなた【殺気看破】も【光術】も持ってないじゃないですか」
 晴美の言葉に嘘泣きをし始めたあずみを見て、アデリーヌが半眼で突っ込みを入れた。
「遊んでないで進むぞ」
 後ろの三人がコントをし始めたのを横目で見ると、宵一は前を見てさっさと進んで行く。
 手術室の入口に差しかかった時に、アデリーヌが突然立ち止った。
「どうしたの?」
 急に立ち止ったパートナーに、さゆみは振り返る。
「この部屋にあるメスを取りに行きたいと思いましたの……その、マグカップだけだと武器としては心配かと」
 アデリーヌは、そう言って宵一の持っているマグカップへと視線を落とす。
「たしかに。マグカップの破片が武器になるとしても、有効では無いな」
 アデリーヌの言葉に関心をした晴美がアデリーヌを見つめる。
「二人で探してきますから、ここで待っていてください」
 誰もが不安な表情だったのだろう。アデリーヌは軽く微笑むと、【光術】を使いさゆみの腕を引いて手術室へと入って行った。

 手術室に入ると、自動ドアはひび割られており前後に細かいガラスが散乱していた。
 そのガラスを踏まないように二人はドアを潜る。
「さゆみは【殺気看破】で手術室に居る敵の気配を探してほしいの」
「え……ええ」
 アデリーヌに言われた通り、さゆみは目を閉じて【殺気看破】を使用する。
「……部屋の中には敵らしき気配は無いわ。隠れられそうな場所にも居ないみたい」
「ならさっさとメスを取って出ましょう」
 アデリーヌは、手術台に置かれていた何本かのメスを素手で掴むと、素早くさゆみの腕をひく。
 蛍光灯のフィラメントが微かに鳴り、明かりが点いたり消えたりしている中で視線の片隅にガラスの破片が蛍光灯の光を反射しているのを見たさゆみは、そのガラスの破片の中に映っている物を見てしまい目を逸らすと逆にアデリーヌの腕を引いて早歩きで手術室から出た。
「……襲撃とか大丈夫だったみたいだな」
 宵一が帰って来た二人に安堵してため息をつくと、手術室に入る前よりも顔がさらに青くなっている事には触れないように言葉を選びながら声を掛ける。
「ええ……何本かメスを持ってきました。これで敵が出てもなんとかできそうです」
 アデリーヌは持って来たメスを光りの前にかざしてみせる。
 それは、メッキのように赤黒い色に染まったメスだった。
「……メスか。ははは。これは、敵の首筋でも切れそうですね」
 あずみがアデリーヌに無理やりの笑顔を作りながら褒める。
「では先に進みましょう。あ、もちろん角には気を付けてくださいね」
 そう晴美が先を促した。

 呼吸器内科の入口に来た時、宵一が脈絡もなく呼吸器内科のドアを開けて入って行くのを見た四人は思わず立ち止まってしまった。
 しばらくして普通に出て来た宵一に、晴美はすばやく近づきルーペを使い宵一の顔を覗きこむ。
「特に異常はないようですね……」
「俺の事何だと思ってるんだ」
 晴美の一言に不機嫌な口調で宵一は言い返す。
「だって、唐突にこの部屋に入って行って普通に出て来たんですもの。少しぐらい疑うのがホームズの役割だと思います」
「それは……次にこの階にあるカルテ室に行きたかったんだが、この部屋の方が先に来たもんでね。先に武器を取って来た」
 宵一はまだルーペで覗きこんでいる晴美の頭を先ほどの呼吸器内科で取って来た携帯型酸素ボンベの底で殴ろうと思ったのだが、そうすれば音が出て敵にばれると思い自分から後ろへと引いた。
「いつまでルーペで見ているんですか?」
 呆れた表情で晴美を見ているあずみが声を掛けると、晴美は渋々と言う様にルーペをしまう。
「他に行きたい場所はあるかここで聞いておこう。俺はさっきも言ったがカルテ室に行こうと思う」
「私達は、リハビリ室でメスのほかに武器になりえそうな物を探したいです」
 さゆみの言葉に、アデリーヌが何回か頷く。
「晴美はこの上の三階を探索して手掛かりが無いかを調べようかと思います」
 自然と四人の視線があずみに集まる。
「私は……晴美さんに付いて行こうかと」
 何故か照れた様子であずみは晴美の腕を掴む。
「さすがワトソンくん。良い助手になりそうだ」
 晴美はあずみを嬉しそうに撫でまわす。……やはり、独りでこの病院を探索するには心細くなるのを隠したいと思わせるぐらいの勢いだった。
「やめてくださいよ……」
 晴美のせいでくしゃくしゃになった髪を手櫛で整える。
 あずみと晴美のじゃれ合いを断ち切るように宵一は軽く咳払いをする。
「じゃれるのはいいが、せめて此処から出た後にしてくれないか」
「……そうでしたね。ごめんなさい」
 あずみは宵一に謝るために軽く頭を下げた。

 二階ホールの入口まで来た時、宵一は家族控室の壁に張り付きながらホールの様子を探る。
「エレベーターの方に医者っぽい人が一人と、向こうの方に気配がするが何だかは判らない」
「敵……でしょうか。そうだとすればうまく避けられるといいのですが」
「エレベーター前に居る医者はまだこちらに気が付いていないから、よし。真ん中を通って階段側に行こう」
「じゃあホールを通ったら、晴美達は三階へと行くよ」
 宵一の言葉に四人はそれぞれ頷いた。
 【光術】で造り出した光の球を最小限に抑えると、エレベーター前でエレベーターを待っている医者の後ろ姿を横目で見ながら、宵一達は足音をなるべく立てないようにゆっくりと移動する。そして、階段の近くまで来ると宵一とさゆみ・アデリーヌ達はナースステーションのある廊下へと曲がり、晴美とあずみはそのまま階段を上り三階へと足を進めたのだった。