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2章 神殿 2

「なに! 侵入者が!?」
 祭壇にいたイルームのもとに届けられた知らせは、あまり歓迎したくないことだった。
 敵も馬鹿ではない。いずれこの神殿にも乗り込んでくるだろうとは思っていたが、それにしても速かった。これほどにも迅速に行動されるとは予想外だった。
「奴らめ……もしや、味方を雇ったか?」
 イルームは考えた。昨今、このパラミタでは契約者と呼ばれる地球人どもが幅を利かせている。
 なかには使える者もいるし、その全てが全て邪魔者というわけではなかったが、それでも、契約者が味方についたとなれば厄介なことには違いなかった。
「ふむ、ここは――」と、イルームは近くの石段に目をやった。「お前たちにも、出てもらわねばならんかもしれんぞ」
 そこにいたのは、東洋の武士風の格好をした大柄で精悍な男と、まだ年端もいかない、中東の民族衣装を思わせる格好をした幼い娘だった。
 娘の周りには、美形ながら淡々とした顔つきの女や、黒髪を後ろで束ねた知的な男がいた。
 三道 六黒(みどう・むくろ)に、辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)。それが武士風の男と幼い娘の名だった。
「出るのは構わんが――」と、六黒は言った。「楽しめるのであろうな?」
「ああ、もちろん」イルームはにやりと笑った。「奴らのなかには、お前の知っている者もいるのかもしれんぞ。例えば、オズワルドといったような……」
 六黒は口角を持ちあげた。ぞくりとするような感覚が、イルームの背中を走った。
「なんにせよ、依頼を受けた以上はこなすとも。さあ、行くぞ、刹那」
 六黒は立ちあがって、祭壇の部屋を出ていく。刹那もこくりとうなずいて、その後を追った。
 刹那に付き従う二人の男女もそれに続くが、男のほう――ファンドラ・ヴァンデス(ふぁんどら・う゛ぁんです)は、その間際にぽつりとつぶやいた。
「グランドプロスが復活すれば、それで私は十分なんですけどね……」
 四人が出ていった後で、イルームは自分がひどい汗をかいていることに気づいた。頬を流れるのは、凍ったように冷たい汗だった。
「この私が、気圧されるとは……」
 あの男はいったい何者だ? 悪人商会からやって来たという話だが、ただの契約者ではないはずだ。あれだけの殺気を放てるものは、他には……。
 イルームは首を振った。考えるのはやめよう。余計なことには手を出さないのが最良だ。
 それに、たとえどんな相手であれ、グランドプロスさえ復活すれば。そうなれば、もはや怖いものはないのだ。そう、あの男はそう教えてくれたのだから……。
「フフ……ハハハッ……ハハハハハハハハハッ!」
 イルームの笑い声は、祭壇の部屋にどこまでも木霊した。



 一行はメルの捕まっているという塔を発見すると、一気に階段を駆けのぼった。
 その途中にモンスターに出くわすことはあったが、魔法弾や剣技、それにジャンケンを駆使してそれらを蹴散らしていった。
 そうしてメルの囚われている最上階にたどり着いたとき、まっさきに部屋に飛びこんでいったのはアガレス・アンドレアルフス(あがれす・あんどれあるふす)だった。
「メル殿! お待たせいたしました! 勇気溢れる白鳩、いや、もとい、ダンディーなこの我輩が、メル殿を助けに参りましたぞぉ!」
 なかなか格好良い謳い文句だ。だが、生憎と、アガレスはいま人前には出てはいけないような格好をしていた。
 馬のケルピー・アハイシュケ(けるぴー・あはいしゅけ)に乗ってる? いや、それは良い。むしろ姫の救出者には馬はつきものだ。ダンディーな白の口髭と顎髭? それも良いだろう。むしろ、一部のファン層にはウケること請け合いだ。
 では、なにがマズかったのか? アガレスは元々、白鳩だ。白鳩のアガレスはチョッキしか着ていない。『レーヴェン擬人化液』で人間の姿になったものの、擬人化液は身体を人間にしてくれるだけなのだ。つまり、チョッキ一枚しか着ていない、下半身丸出しのダンディー親父がそこにいる。馬に乗っていることで局部が隠れていたのが、幸いだったが。
「いいぃぃやああぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!」
 そこからはスローモーションだった。
 満面の笑みで近づくアガレスに、メルの右ストレートが見事にめり込む。そのままぐるんっと一回転させ、彼女はアガレスを窓からたたき落とした。「ぬおおおぉぉぉぉ」と、アガレスのさけびが遠く消えていく。
「フッ、わかってねぇなぁ、アガレス。メルが欲しいのは王子じゃなく、俺様みたいな強い馬だぜ!」
 アガレスを失ったケルピーは、ここぞとばかりにメルにアピールした。キラン、と白い歯が光り、ニヒルが笑みがこぼれた。
「さあ、メル! 俺様の胸、もとい背中に飛びこんでこい! 俺様がお前を連れていって――」
 二度目の、右ストレート。
 先ほどのリピートのように、ケルピーもまた窓から殴り落とされた。
「もうっ! いったい何なのよですわ! 助けにきたのが変態と馬だなんて!」
「ううっ、お師匠さま、哀れです……」
 メルはぷりぷり怒り、リース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)はハンカチで涙を拭いた。あんな成りでも、アガレスはリースの立派な師匠だったのだ。それがまさか貴族の小娘が放った一発で落下してしまうとは。涙がちょちょぎれる話だった。
「あら?」と、そこでメルがようやく気づいた。「あなた方、何者ですの?」
「ああ、こいつは失敬、お嬢様」
 モンスターと戦うときに抜いていた剣を鞘におさめ、筆頭の十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)が腰を折った。
「俺たちは君を助けにきた討伐隊の仲間さ。君のお父さんに頼まれたんだ」
「お父様に?」
「そうそう。みーんな、メルさんを助けるために、ここまで来たんだよ」
 遠野 歌菜(とおの・かな)が仲間たちを示して言った。相棒にして恋人の月崎 羽純(つきざき・はすみ)はちらりとメルを見やり、リイム・クローバー(りいむ・くろーばー)はにこにこ顔でメルに笑いかけ、寡黙なヒルデガルド・ブリュンヒルデ(ひるでがるど・ぶりゅんひるで)は表情を変えなかった。すると、宵一がきょろきょろとしはじめる。
「あれ? 一人足りなくないか?」
 仲間たちもみな辺りを見回し、確かに一人足りないことに気づいた。
「ルカさん、いったいどこに――」と、歌菜が言ったときだった。ぐわしゃんっ、と窓から音がして、そこから一人の娘があらわれたのだ。娘は壊れた窓ガラスが刺さって「あががが……」と哀れな声を出していたが、メルが見ていることに気づくと、きりりと顔を変えた。
「メル、お迎えにあがりました!」
 いまさら何を言っているんだとお思いだろうが、これが歌菜たちの探していたルカルカ・ルー(るかるか・るー)だった。
 急場でしのいだわりにはやたらと格好良く、メルはすっかりぼーっと見入ってしまっていた。窓ガラスさえ刺さっていなければ、まさに姫を救いにあらわれた王子様と言えよう。ただし、女性だが。
「ルカさん、ルカさん。いったい、なに考えてるんですか?」と、歌菜がこそっと耳打ちした。
「ん?」と、振り向くルカ。「なにって、お姫さまの救出は窓からって決まってるじゃない。お約束事は大事よ、歌菜」
「いや、お約束事って……ルカさん女の子だし、そもそも窓ガラス壊れてるし、だいたい、下からのぼっていったほうが安全……」
「だーっ、うるさいなー! そういうもんだからいいの! そういうことなの!」
 ルカは子どもみたいに逆ギレし、歌菜はもうなにも言わなくなった。本人が望んでいるのであれば、言う必要はあるまい。それにメルを助けることにも成功したわけだし、結果オーライだ。
「それで?」と、宵一が言った。「これからどうする? このまま、直接連れていくわけにはいかないだろう? すぐに捕まるのが目に見えてるし」
「そうだね……」と、歌菜はつぶやいて、それからたずねた。「メルさん、ちょっといい?」
「はい?」
「もしよかったら、ちょこーっとお手伝いしてもらいたいんだけど」
 そう言って、歌菜はメルの手を取り、近くにあった古びたチェストにももう一方の手を触れた。メルの顔をじっと見て、それから目をつぶり、イメージを固めていく。すると、やがてチェストはぐにゃぐにゃと形を変えて、メルそっくりの姿になった。
「おおっ、こりゃすげー」と、宵一は興奮した。
「これなら、メルさんの囮に使えるし、すこしは時間を稼げるでしょ?」と、歌菜は笑う。その歌菜の頭に手を置いて、「よく考えたな。でかしたぞ、歌菜」と羽純は褒めた。「えへへへ……」と、歌菜が照れくさそうにはにかんだのは言うまでもない。
「それじゃあ、こいつを連れて、まずは俺たちが脱出する」と、羽純は言った。「それから派手に逃げ回るから、頃合いを見て、歌菜、お前たちも脱出してくれ」
「了解。わかったわよ、羽純くん」と、ルカがからかうように言った。「歌菜もちゃーんと守るから、安心してよね」
 羽純は顔をぼっと赤くしたが、それを悟られぬよう、すぐに聖邪龍ケイオスブレードドラゴンを呼んだ。口笛を聞いたドラゴンは、すぐさま塔の小部屋まで飛んでくる。偽メルとヒルデガルドを連れて、羽純は竜の背に飛び乗ると、素早く飛び立っていった。
 ほどなくして、激しい爆破音や、火の燃えあがる音、兵士の悲鳴などが聞こえてきた。羽純が上手くやっているのだ。窓から外を見れば、ドラゴンが大地すれすれを飛び、神殿の壁や小塔を破壊して回っている。ミサイルポッドの飛ぶ音や、キャノン砲の爆発音は、ヒルデガルドのものと思われた。
「落とせ、落とせ! 娘が連れていかれたぞ!」「翼を狙えー!」「生かして返すなー!」などと、敵兵たちの声が聞こえるに、どうやら敵側はすっかり偽メルに騙されているようだ。
「さっ、僕らも行くでふよ!」
 リイムがメルの手を取って、階段を降りはじめた。小さいながらに、その格好は勇敢な騎士そのものだ。英雄の剣に、英雄の盾、マントと鎧を着込み、リイムは果敢に塔を降りていった。が、敵兵の数はないものの、匂いをかぎ分けるモンスターどもは、リイムたちの前に立ちはだかった。
「くっ、まだいたのか、こいつらめ!」
 宵一が言い、剣を抜き、モンスターたちに挑みかかった。
「僕らも負けていられないでふよ!」
 リイムや、ルカや、リースが、立ちはだかるモンスターと戦いを開始する。英雄の剣はゴーレムの岩を叩き崩し、ルカがゾンビウルフを切り裂き、リースと歌菜は魔法で対抗した。メルはそれを、驚きや、おののきや、恐怖といった、複雑な感情が混ざり合った気持ちで見ていた。うずく気持ちもあった。小さな英雄が戦っている。ロマンを大切にする娘が戦っている。自分は守られている。ドクドクと心臓が高鳴り、居ても立ってもいられない気持ちになる。これは、何なのだろう?
 そのとき、歌菜がぽんと肩を叩いた。
「メルさん、女の子はね」と、歌菜はメルの目を真っ直ぐ見つめた。「守られてるばっかりじゃないんだよ。戦うことだって、大切なの。特に、自分の気持ちを伝えたかったり、なにかを成し遂げたいと思うなら」
「わたくしは……」
 メルが答えようとした。そのとき、さまよう兵士の剣がメルを狙う。
 まずい! 歌菜は思った。が、その前に、メルの手が歌菜の手の中にある槍へと伸びていた。ガッと槍を掴んだメルは、そのまま歌菜の手からそれを奪いとり、振り抜いた。ずごんっ、という鈍い音は、槍の穂先に叩き斬られたさまよう兵士のものだった。身体ごと鎧のすき間から真っ二つになったさまよう兵士は、生命の力を失い、がらがらがらと鎧だけになって崩れ落ちた。
 はあ、はあ、とメルは息をせき切っていた。だけども、なぜか清々しい。自分の身を、自分で守る。わたしは自分で戦えるのだと、メルは実感した。
「歌菜さま……」
 メルは歌菜にふり返った。すると、ぽかんとしていた歌菜は、急ににやりと笑い、右手をすっと挙げた。メルも戸惑いながら、真似をしたほうがいいのかと思って、右手を挙げた。パシーンと、歌菜の手のひらがメルのそれを打った。
「勝利のときにはね。こうするんだよ」
 歌菜は言った。メルは笑顔になって、力強く「はい!」とうなずいた。