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煌めきの災禍(前編)

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煌めきの災禍(前編)

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【3章】凍てついた願い


 カイは悩んでいた。ハーヴィの言葉を、どう解釈すべきであるのかについて。
 洞窟探索が決まった時、族長は確かに「守ってくれ」と言ったのだ。しかし、誰をとは言わなかった。
 ソーンは何故、『煌めきの災禍』のためにやって来たことを言わなかったのだろう。自分はともかく族長には知らせるべきだったのではないか。そう思うとカイは少し嫌な気分になって、あの「守ってくれ」という言葉を思い出すのだ。
(ソーンをか? それとも族長の旧知だっていう『煌めきの災禍』を? ――くそ、俺は誰から、何を守ればいいって言うんだ……!)
 そうしてカイは煮え切らない自分に多少の腹立たしさを覚えながら、ソーンの傍を離れないよう注意して歩いているのだった。


 寒い。
 洞窟内の空気は元々冷たかったが、今はもう手が悴むほどの寒気を感じる。まるで坂を一歩下って行くごとに気温が落ちていっているかのようだ。
 それもそのはずで、道の突き当りには厚い氷の壁があった。しかし灯りを照らして目を凝らすと、その奥が少し開けた部屋になっていることに気付く。『煌めきの災禍』が居るとすれば、ここ以外にはありえない。
 す、と忍びよるようにソーンに近づいた綾瀬は、彼の動向をつぶさに観察しながら呟いた。
「そう言えば、以前ハーヴィ様が襲われた際の襲撃者はどちら様でしたっけ? ……そうそう、確か『灰色の棘』と仰いましたか」
 『灰色の棘』と言う言葉に反応して、舞花は聞き耳を立てる。ソーンに訊こうと思っていながら、機会がなくて叶わなかったのだ。まあ、連れて来たシャンバラ国軍軍用犬には彼の臭いを覚えさせてあるから、訊こうと思えばいつでも訊けるのだが。
「なんでもリーダー格の人物は『命に関する研究』をしているそうな……どんな研究をなさっているのかは分かりかねますが、『機晶石に魂を入れ、機晶姫として生まれ変わらせる』なんて絶好の研究対象とも言える内容では御座いませんでしょうか? ……ねぇ? ソーン先生?」
 眼帯の奥で全てを見透かすような笑みを浮かべながら、綾瀬は問う。
 それに対しソーンは臆するどころか微笑みを返して、「そうですね」と同意してみせた。
「研究者としては、僕もかなり関心を持っていますよ。むしろ逆に、この状況を前にして興味を示さない人間がいるとは思えませんが」
 ソーンが松明代わりにしていた杖を振ると、ぱっと明るい炎が広がって氷の壁を崩していく。溶けて水になったそれが再び凍ることはなく、一行の前にはドーム状の部屋が姿を現した。
「あれが……?」
 座ったまま壁に背を持たせるような恰好で、それは居た。
 一見しただけでは、長い黒髪の少女が座り込んでいるだけのように見えた。しかし斜めにうなだれているみたいな不自然な首の角度と開かれたままの瞳が、見る者に「普通」ではない感覚を起こさせる。
 その時ドタドタと坂を駆け下りてくる音がして、一行は一斉に後ろを振り返った。
 そこに現れたのは、秘密結社オリュンポスの戦闘員たちを引き連れたドクター・ハデス(どくたー・はです)であった。
「フハハハ! 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクターハデス! ククク……それが洞窟に眠る、機械の身体を持った精霊『煌めきの災禍』か。我らオリュンポスが手に入れ、世界征服のための研究に活用するとしよう!」
 そう言うとハデスは、間髪入れず後ろに控えていた部下たちに檄を飛ばす。
「行け、アルテミス! 『煌めきの災禍』を手に入れるのだ!」
「分かりました、ハデス様! 洞窟に封印されている可哀想な精霊さんを助け出せばいいんですね! その邪魔をする方々には容赦しませんっ!」
 アルテミス・カリスト(あるてみす・かりすと)は初めて洞窟の話を聞いてから今に至るまで、ハデスの目的が精霊の解放だと信じて疑っていない。同時にその解放を邪魔する契約者たちは、それを阻止する悪人だと思い込んでいるのだった。
「あなたがこの人達のリーダーですね! この攻撃を受けて下さい!」
 一行をずいっと見回していたアルテミスが、白衣姿のソーンに気付いて魔剣ディルウィングを振りかぶる。とっさに飛びだした貴仁がその攻撃を弾いていなければ、恐らくソーンはあっという間に真っ二つにされていただろう。貴仁は今回、作戦の要であるソーンの護衛を第一として行動していた。
「嫌だなぁ、僕はリーダーなんかじゃありませんよ。本当のリーダーはほら、彼ですから」
 再びアルテミスの攻撃にさらされる前に、ソーンはそう言って忍を指した。
「ええっ!? なんで俺!?」
 忍は確かに「機晶技術」と「博識」持ちではあるが、リーダーなんかになった覚えはない。おまけに危険の察知や戦闘は自分の得意とする所ではなく、相手の構えた魔剣を見ただけで既に逃げ出したい気持ちが勝っているのだ。
 アルテミスが追い、忍が逃げようとした瞬間に、ソーンは再び口を開いて言った。
「まぁちょっと待って下さい。あなた方も少し落ち着いて。……良いですか? 僕が思うに、『煌めきの災禍』のあの状態では運び出すのも一苦労でしょう。ひとまず僕らが簡易的な治療を施しますから、戦うのはその後にして下さい」
 誰にも二の句を継がせないまま、ソーンはその機晶精霊の傍に近づいていく。
「ルカ、アレを出しておいてくれ」
 そう言うと、ダリルも治療のために『煌めきの災禍』の元へと歩み寄って行った。
 ルカルカは彼に言われた通り、携行していたカプセルから車椅子を取り出している。
「これは酷いな……」
 無理に引きちぎろうとでもしたのだろうか。少女の左腕はだらりと垂れ、その一部からは中の配線が覗いている。
 ソーンとダリル、それに忍は治療のためその冷たい身体に触れたが、『災禍』は指一本動かそうとはしなかった。しかし念のため、ソーンが持参してきた制御装置を頭にはめる。すぐに移動が出来るよう車椅子に乗せてから、三人は少女の修理に取り掛かった。
 ルカルカは彼らの施す治療を見守りながら、機械の身体に【サイコメトリ】をかけてみる。


 ――弟を、返せ……!
 心が激しい憎悪に満たされていく。やがてそれは身体から溢れんばかりになって、文字通り周囲の空気を凍らせていく。
 氷の世界。
 自分と弟を騙してここに連れて来た人間たちも、彼らが扱う実験用の様々な機材も、全て凍りついて機能を停止した。
 ――私はあなた達の望む兵器なんかには、絶対にならない……!
 逃げ出すようにその場を後にすると、ただひたすらに走った。
 どの道をどれだけの間、そうして亡霊のように彷徨っていただろう。
 ようやく見知った木々の間に見つけた旧友は、喜んで駆け寄って来ようとした。それなのにこの腕は冷たく重く、彼女を抱きしめるために動こうとはしない。
 雨音が、心ごと錆びつかせていく。
 旧友の怯えたように自分を見る瞳で、ああ、もうダメなんだと思った。
 全てが軋んでいく。借り物の器に入れられた魂も、機械仕掛けのこの身体も。元の自分などもう、どこにもいないのだ。やがて今はあるはずのこの自我でさえ無くなって、災いを振りまくだけの存在になるだろう。
 ならば完全に壊れて動かなくなるその時まで、誰の目にも触れない場所に居よう。
 暗闇と静寂だけの世界。それがこの身に与えられるべき罰。
 元はと言えば、渋る弟を同行させたのは他でもない自分自身だ。彼が永久に森を守っていきたいという純粋な願いを叶えることのないまま、変わり果てた姿になってしまったのは、自分が弟を誘って出かけたからだ。
 ――悪いのは、私……。
 悔しくて、憎くて、涙は出ないのに泣き喚いた。
 誰もいない洞窟の地下室で、誰にともなく喚き散らした。憎い。自分をこんな身体にした研究者が。弟を奪った研究者たちが。
 憎い。弟はもういないのに、それでもまだのうのうと生きている自分自身が。どうしようもなく、憎い。
 どす黒い感情に任せて、右手で左腕をもぎ取ろうとする。このまま全部、壊れてしまえば良い。
 弟が守ろうとしたこの森以外、全て、全て、無くなってしまえば良い――


 その瞬間、ルカルカは我に返って顔を上げた。同時に凍りつくような風が渦を巻いて、周囲の灯りを全て吹き消していく。
 凍える様な寒気が部屋全体を包み込むと、辺りは完全な暗闇に支配された。
「暗い! 暗い!! うわあああああ!!! 暗いーーーー!!!」
 ベリアルがパニックを起こして暴れ出す。以前悪魔封じの壷に封印されていたトラウマから、彼女は暗所恐怖症にかかっていた。
「また閉じ込められる! 暗い所に!! 早く、誰か助けてえええええ!!!」
「我が部下たちよ、今だ! 我らオリュンポスの恐ろしさを見せてやるがいい!」
 騒然とした事態を逆手にとって、ハデスは戦闘員たちに命令した。
「ククク、『煌めきの災禍』を手に入れれば、我が技術で隅から隅まで研究してくれるわ!」
「そんなことさせるわけないじゃない!」
 すかさずルカルカは剣を抜く。隣に居たダリルも鞭を構えて、戦闘態勢に入っていた。
「ちょ、待て! 俺はリーダーじゃないんだっつーの!」
 アルテミスは忍を追って正義の一太刀を浴びせようとしている。彼女以外の戦闘員も皆契約者たちに襲いかかり、辺りは混戦の様相を呈していた。ハデスはといえば、彼らの後ろで味方の士気を上げつつ、的確な指示を飛ばしている。
 そんな中でソーンは極めて素早く電動車椅子を発進させると、『煌めきの災禍』を伴って誰にも気づかれないようにその場を走り抜けていく。
「ソーン……?」
 一人その様子に気付いたカイは、慌ててその背中を追いかけ出した。