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リアクション
第3章 書物の山脈
「書物の感情の活性化って、こういうことなんだ……」
図書館内を行く清泉 北都(いずみ・ほくと)は、驚愕したようにぼんやりと呟く。
それは、言語で説明しがたい空気だった。
館内の部屋は至る所、書物が溢れ返り、「整理が追い付いていない」というクラヴァートの言葉通り、ひどく雑然としていた。それらの書物から放たれる、感情の波が、あるいは気温のように、あるいは香気のように、肌に直接訴えるような感覚を持って伝わってくるのだ。
それは触れると、説明はなくても、怒りなのか恐れなのか、感覚的に判断することができた。
たとえば山のように積み重なる本の奥で、怯えた書物たちが身を寄せるように重なり合って震えている様も。
(この辺の本は、怖がっているのが多いなぁ)
見回すと、ひどく古びているだけではなく装丁が傷つけられているものも多い。人の手で酷い扱いを受けた本たちかもしれない。そんな書物の心を少しでも宥め、和ませられればと、無駄かもしれないのは承知で【超感覚】を使って犬耳と尻尾を出してみる。
すると犬の耳が、それまで聞こえなかった小さな、囁くような書物たちの声を拾う。
『お願い』
『助けて』
『怖い』
『お願い』『お願い』『頼むから』
短い、それらの声は、誰かに向けての訴えというよりは、切羽詰まった状況にある者の悲痛な祈りのような気がして、思わず北都は顔を上げる。
誰へと向かう声なんだろう?
感情の流れを、スキルでさらに敏感になった北都の感覚が捕える。切実な短い言葉と同化したその流れは、山のような書物に埋もれた薄暗い部屋を煙のように抜けてどこかへと向かっていく。向かいながらそれは同時に、館内に拡散していくようでもある。拡散したそれはさらに、広がりながら館を包み込んでいくようで……
グルルウゥゥゥゥ……
館の外から、低い唸り声が聞こえてきた。その声は館の天井から降ってきたように思われたのに、床をそして壁すべてを地震のように震わせた。
(書龍!?)
予め聞いていたその存在を思い出し、北都はハッとする。そして、悟る。
あの短い祈りと共に、室内を越えて外へあふれ出ていくのは、書龍に託す、書物たちの存在エネルギー。
この館を守ってくれという切なる願いと共に、そのための戦力として己のエネルギーを注いでいるのだ。
(……こんなに怯えているのに)
震えあがっているのに、それでも自分の力を戦うために差し出す。
それは酷く痛ましいように、北都の目には映った。
「ずいぶん大仰な声だな」
ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)は、書龍の唸り声に一瞬身を竦めたものの、そう呟いただけで、書棚から特に問題のなさそうな書物を引き出して中身を確認する作業に戻る。北都より上背があるので、北都が届かないような高い場所の本を確認している。
本当なら、パレットに会って『万象の諱』の特徴を聞き出し、捜す手がかりとしたかったのだが、先に入ってしまっている彼がどこにいるのか、未だ見つけられていない。館内は、未整理の古い書物が山脈をなしているかのように、至る所で進路が阻まれている。いや、整理が追い付いていないのもあるだろうが、感情が活性化して人を嫌う書物が隠れるようになったというから、書物たちの自発的な行動の結果散らかり具合が進行しているという可能性もある。
(妙なことをする奴はいないと思うが……)
一応ソーマも【ディテクトエビル】で警戒している。
それにしても、相当に古い書物が、整理できていないからだろうが結構無秩序に並べられ、置かれている。長く生きている身から見て、この夢幻図書館の存在は興味深く思われた。
だからこそ、守っていきたいとソーマは考えていた。
「にしてもずいぶんデカい本だなこいつは」
顔程も厚みのありそうな、恐らくは辞書ではないかと思われる本を抜き出す。手に重みがかかって思わず手首が下がりかけた時、
『あててて、こっちはかなり傷んでおるんじゃ、そっと扱ってもらわねば、背表紙が削げ落ちるわい』
書物から小さく、悲鳴混じりの声がした。さながらリューマチの痛みに嘆く老人、といった声だ。
「こいつは魔道書かな」
そう呟いて、ソーマは【博識】を使いながらざっとページを流し見た。古代魔術の用語辞典らしかった。
ページによってところどころ、あるいは1ページ丸々も、黒く塗りつぶされたような個所もある。
(検閲、か)
「話ができそうかな?」
北都も横から覗き込む。辞典はもう声を出さないが、ソーマは素早く本を見回し、実際背表紙が傷みきって今にも本体から剥がれて落ちそうなこと、綴じも傷んで粗雑に扱えば本体が3つくらいに割れてしまいそうになっているのを見て取った。
(大方、酷い扱いを受けて人を嫌っているんだろう)
「如何にも疲労してるって感じだな。試しに回復してやろう」
ソーマは本を手に【命のうねり】を使った。
『おっ、おおうっ、おおおおおぅ』
「変な声上げるな、何だか気色悪いだろうが。
……勘違いするなよ? 直せば、お前達もこっちの質問に素直に答えてくれるかもしれないから、やってるだけだ」
術が終わっても辞典はしばらくの間、初めて味わっただろうその感覚に放心しているかのように黙りこくっていたが、やがて『…やれやれ』と再び声を発した。
『わしゃぁ別に拗ねて口をきかんかったわけじゃないがな。人の愚行はどの時代も変わらぬものだしの。
…で、何を訊きたいのかね』
「この図書館に『万象の諱』っていう本があると思うんだけど。どこにあるか、知らない?」
『ふむ。……それは、人間に相当危険視された魔道書じゃな?』
「そうらしいって聞いてる」
『その手の最重要禁書の詳しい近況は、わしらのようなこの辺にあるような書には分からん。
じゃが、〈西の塔〉には特殊な部屋があると聞いている。そこにあるかもしれんな』
「特殊な部屋?」
『人間に敵視され続けたような悪名高き禁書は、過酷な扱いを受けたトラウマでここに至っても存在が不安定になっていることが多いそうな。
それで、安定するまで、「保護の魔方陣」の中で過ごすと聞いたことがある』
「……。そんなにダメージを受ける本もあるんだね」
北都はぽつりと呟いた。
「行ってみるよ、ありがとう」
『あっちの塔には気が立った連中も多いらしいで気をつけたがよかろうぞ』
「じーさんも背表紙取れないように気を付けろよ」
2人は、書物の山脈を迂回しながら部屋を出ていった。
館外から、またしても地を這うような唸り声が聞こえてきた。
図書館に、半透明の巨大な龍がぐるりと巻き付いている。
あたかも、そのとぐろの中に建物を閉じ込めようというかのように。
地平の果てに、湧き出している黒い靄。
龍は口から不機嫌な唸りを滲み出させて、遥か彼方に向かって目をむいている。
息が塵混じりなのは、長い間書棚で眠っていた書物がその存在の裏に在るからゆえか。
「だいぶ気ぃ立ってんなぁこりゃ」
図書館の正面に立ってそれと向き合いながら、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)は少し眉をしかめてひとりごちる。
「状況が状況だから焦ってるんだろうね。敵を確認しているようだし」
隣に立つフランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)も、背後の地平線を確認して合わせる。
「勇ましいのはええけど、頭に血が上りすぎたらろくなことにはならんな」
ちょい落ち着かせよか、と、泰輔は一歩踏み出す。
自衛のための意志の具現化、荒ぶる龍。
しかし。
(あんまし熱狂のような感情任せの動きは、ええ結果はもたらせへん。
「自分は何者か?」を忘れたら、戦う目的や対象さえおぼつかんようになる。
間違えたら、暴走しておのれ自身の内部から崩壊……)
よくはないなぁ、と、泰輔は首を振る。
書龍の険しい目は、地平に向いている。
泰輔とフランツには意識が向いていないらしい、その様子は、勘違いで不意に攻撃されることは免れそうだ、という意味では有難い。だが逆に言えば、すぐ近くに普段見慣れない人物がいることに注意を払う余裕さえない心境、敵意で視野が極端に狭まっている様子を窺わせ、泰輔の懸念がかなり当たっていることを示唆している。
(あかんなぁ)
沸騰した憎悪だけをエネルギーとした戦いは、やがて崩壊することになる。冷静にさせないと。
そのために泰輔が考えたことは、
『蔵書たちの感情の乱れを収めて、書龍が存在する意味と目的を事細かに把握させる』
ということだった。
(敵の本質がワカランとしても、自分自身のことがわかるだけでも、「強さ」の土台にはなる)
「おのれ」について問い直し、冷静な思考力を取り戻せば、自分たちが図書館の敵ではないことを理解し、話を聞いてくれるだろう。
けれど、どんな問いかけで、そこへと持っていくか?
(……「霊的存在」っちゅうことは、「かくある」という意識のみの存在ってことかな。
では、「なぜ?」や)
考える泰輔の目の前で、龍がゆっくりと首をもたげる。
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