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【悪魔が来たりて行に殺す】

 暖かな春の陽射しが心地良い、空京のどこか。

 空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)は、桜が満開となっている小さな公園のベンチに腰掛けて、園内の時計に視線を巡らせた。
 もうそろそろ、現れる筈だ――狐樹廊は珍しく緊張した面持ちで、周囲をぐるりと見渡した。
(さて……今回現れるとしたら、どのような悪さを仕出かすものやら……)
 狐樹廊は緊張に身を引き締める反面、この状況を変に楽しんでいる己に苦笑する思いであった。
 これから相まみえようとしている相手は、狐樹廊にとっては決して好ましい人物ではない筈なのだが、どういう訳かその登場を待ち焦がれているような気がしてならないのだ。
(いやいや、何と不謹慎な……これから手前は、あの御仁と勝負せねばならぬのです。会うのが楽しみだ、などというのは決してあってはならない……とまでいい切れませぬか、はて)
 何ともはや、自分の中でも少々支離滅裂気味になってしまっているのを制御し切れていない感がある。
 これではいかんと狐樹廊は二度三度、頭を振ってみたが、矢張り緊張感よりも昂揚感が先に出てしまうのは抑えようがなかった。
(ま、それならそれで宜しいか……自分の気持ちに嘘をついてみたところで、詮無いこと……)
 下手に己を律するのは早々に諦めた狐樹廊は、これから出会うであろう相手に対してどのように処してゆくべきかについて、色々と思考を巡らせ始めた。
 こうして考えているだけでも、何故か楽しげな気分になってくるのだから、不思議という他は無い。
 だがその時、胃の腑の辺りからか細い音が鳴り響いてきた。
 そういえばまだ、昼食にありついていない。
 時計の針は、午後1時半を過ぎた辺りを指している。機晶からこの時間まで、ほとんど何も口にしていないのだから、腹が減るのも当然であった。
 地祇といえども、空腹には勝てない。
 狐樹廊は近所のコンビニで買ってきた握り飯を取り出し、ラップを外してひと口、頬張った。

 その時、狐樹廊は不意に自分自身の存在感が急に薄れたような気がした。
 それもその筈で、狐樹廊が腰掛けているベンチのすぐ脇を、『行殺の悪魔』ラインキルド・フォン・リニエトゥテンシィがすたすたと横切っていたのである。


     * * *


 狐樹廊は、はっと我に返った。
 手にしていた握り飯はいつの間にか、半分程度無くなっている。
 誰か他の者に横取りされた、という訳でもない。狐樹廊の口の中には、握り飯の味がしっかり残っているし、腹の減り具合も先程から比べると、随分緩和されたように思える。
 つまり、自分でも意識していないうちに、握り飯の半分を食していたことになる。
 だが、その間の記憶が無い。
 狐樹廊は、公園から出て行こうとしているラインキルドの後ろ姿を、何か恐ろしいものを見るかのような思いでじっと凝視した。
(これが……例の亜空間とやらですか……)
 ただ単に自分の存在感が極端に薄くなったような気がしただけでなく、その間に行われていたあらゆる行為が記憶の中から消し飛んでしまうのである。
 だが、行為自体は確かに行われていた。それは間違いない。
 その結果も、しっかり形として残っている。
 行為そのものが無かったことにされている訳でもないので、決して実害はない。しかしながら、この何ともいえぬ敗北感は一体どういうことであろう。
 例えるなら、PBWというゲームで、プレイヤーが必死になって考えたアクションなりプレイングなりが、僅か数行(下手をすればたったの一行)で簡単に処理され、名前だけがちょろっと描かれただけに過ぎない状態を体感したかのような、そんな感覚である。
 まさに今の狐樹廊がその状況であり、『な、何をいってるのか分からねーと思うが(以下略』を直接その身その肌で触れたようなものであった。
(な、なんと恐ろしい……下手をすれば、これからお相手しようとしている御仁などよりも、遥かに厄介なのではござらぬか)
 狐樹廊はもしゃもしゃと握り飯の残りを咀嚼しながら、そんなことを考えてみた。
 が、幾ら考えてみたところで、どうにもならない。
 取り敢えず、やるべきことをやった上で、今後のことを考えれば良い。
 そんな風に腹をくくったところで、公園の別の入り口付近に、狐樹廊が待ち構えた人物の姿がひょっこり現れた。
「そこなコントラクター。このわしと勝負せぃッ!」
 いきなり、見知らぬ空京生のカップルを捕まえては訳の分からぬ勝負を展開し、ボッコボコにしている不埒な輩が出現した。
 この男こそ、狐樹廊が待ち構えていた相手であった。
「お待ち申しておりましたぞ、ガチハンティー殿ッ!」
 狐樹廊が気合を込めて呼びかけた相手――ガチハンティー・ボツは、中年の癖に厨二病っぽい表情を浮かべてぐるりと向きを変えてきた。
 その視線の先に、フラワシを身にまとい、諸々の技能を発動し始めた狐樹廊の姿があった。


     * * *


 ガチハンティーの恐ろしさは、相手がコントラクターであろうが公式NPCであろうが全くお構い無しに、一切の補正を許さぬガチ判定でことごとく蹴散らしてしまうところにある。
 この場の狐樹廊も、その対象であった。
 フラワシを発動させ、対ガチハンティーの為に用意した諸々の技能を駆使して勝負を挑む狐樹廊に対し、ガチハンティーは所謂レベルと能力値というもので直接応戦する。
 心ある判定者ならば、狐樹廊がこれだけ頑張って、色々知恵を絞っているのだからと様々な補正をかけるところであろうが、ガチハンティーにはそれが通用しない。
 ただとにかく、数値あるのみである。
 フラワシにどういう性能があろうが、狐樹廊が己の技能を駆使してどのような作戦を立てていようが、まるで関係無い。
 力こそが全て、数値こそが正義であるというガチハンティー、ジ○ン驚異のメカニズムというフレーズがぴったりきそうな勢いで、狐樹廊に襲いかかってきた。
 狐樹廊はこの時に備えて、持てる力の全てを出し切るつもりだった。
 諸々の作戦を用意し、強い意志でこの戦いに臨もうとしている。
 だがどうにも、勝てる気がする筈の勝負だったが、何故か途中で勝てる気がしなくなってきた。
 これがガチ判定の恐ろしいところであった。
 アイデア勝負がことごとく否定され、その全てが数値勝負に置き換えられてしまうのである。こんな理不尽な話も無いであろう。

 ところが、ここで変な意味での奇跡が起きた。


     * * *


 狐樹廊は、勝った。
 結果的には完全勝利である。
 今、狐樹廊の目の前にはボコボコにぶちのめされたガチハンティーが、尻を突き出すような格好で地面に突っ伏している。
 この結果だけを見れば、狐樹廊はガチ判定の恐怖を打ち破ったに違いないだろうと誰もが見る。
 しかし――狐樹廊自身は、ガチハンティーに勝利した瞬間どころか、実際に戦った記憶さえ消し飛んでしまっているのだ。
(これは……まさか)
 狐樹廊は慌てて周囲を見渡し、そしてすぐ近くに、予想通りの原因の存在を認めた。
 ラインキルドがまたもや公園内に足を踏み入れてきており、不用意に踏んづけてしまった犬の糞をどうにかしようと、何やら必死になっていた。
 あぁ成る程、そういうことか――狐樹廊は納得せざるを得なかった。
 狐樹廊は、ガチハンティーとの勝負を制した。勝つには勝った。
 しかし、このえもいわれぬ敗北感は何だろう。

 結局のところ、狐樹廊がこの戦いで得たのは、『ガチ判定と行殺、どっちが強いかといえば、多分行殺の方が強いんじゃね?』的な内容であった。
 それ以外に、これといった収穫は無い。
 本当にこれで良かったのかと、狐樹廊は自分自身に何度も突っ込んでみたのだが、答えなどあろう筈も無かった。
 最終的には、取り敢えず行殺は怖いよね、というぐらいの結論しか得られなかった。